第417話 力なき者の咆哮

 軽口を交わしながら、俺たちは鎬を削る。


「ご主人様の剣、良いですね。借りますよ」


「ああ、存分に使え。―――同じ武器で、楽しくやり合おうぜ!」


 振るう。俺とフェンリルが、同時に。


 ギャリィィイイイイン! と高らかに金属音が響き渡る。俺の手で振るわれたデュランダルが、フェンリルが咥えるデュランダルが、ぶつかって音が鳴る。


 俺は、これが好きだ。同等の威力でぶつからないと、この音は生まれない。弾きあう音。実力の拮抗した音。この音は、俺に楽しい戦いの始まりを告げてくれる。


「行くぞッフェンリル!」


「行きますよご主人様ッ!」


 俺は重力魔法で高らかに飛び上がり、空中から高威力の一閃を放つ。


 無論、それだけで攻撃が通じないことは分かっている。フェンリルの体は極めて頑丈。威力だけではどうにもならない。


 だが、概念防御は入っていない。つまり、概念攻撃力を纏った攻撃には、無防備そのものと言える。


 あとは簡単だ。英雄ならムラマサを。怪物には―――


「デュランダル、エクスカリバーだ」


 デュランダルが聖剣の力を纏う。神喰らいの狼の体が、いとも容易く切り裂かれる。


「ガァアア!?」


 フェンリルは悲鳴を上げる。今までの物よりも、遥かに真に迫った悲鳴を。その体から初めて血が噴き出る。俺はそれに笑いだす。


「はははははっ! 考えた通りだ! フェンリルお前もっと概念鍛えてろよ!」


「がっ、概念鍛えるって何ですかッ! ワケ分かんねぇ事言ってんじゃねぇですよ!」


 俺は攻撃の手を止めない。ここから一気に打ち崩す。


 だが、そう返す刃を向けるも、俺から奪ったデュランダルを巧みに使い、フェンリルは俺の攻撃を弾いていく。


「中々やるなぁフェンリル! お前剣の腕もあるのか!」


「こっちはッ! 死ぬ気ですよッ! クソッ! 何でこっちが受け身なんだ! アンタ絶対おかしいですよご主人様ッ!」


「こちとらくぐってきた修羅場の数が違うもんでなッ!」


 フェンリルの周囲で、俺は空中を自由自在に飛び回る。そこからデュランダルの伸縮を操り、軌道の読めない剣を放つ。


 だから、必死に対応するフェンリルでも、ギリギリの戦いに追い込まれる。そもそも、スルトのように巨大な連中が、比較して豆粒みたいな俺たちを狙える方がおかしいのだ。


 連中の簡単な身じろぎ一つで、俺たち人間サイズは簡単につぶれる。一方で、俺たちがもし自在に跳び回りながら一方的に攻撃を繰り出せたなら、向こうは極めて不利になる。


 故に、俺が意識するのは、攻撃を途絶えさせないこと。


 もし僅かでも時間を空ければ、飛び上がりからの突進で簡単に潰される。死ぬのと潰されるのは違うが、大きく戦況がフェンリルに傾く。


 つまり、このまま勝てなきゃ、マズイ。


「おらぁまだまだ行くぞぉ!」


 楽しい、そう思う。負けかねない戦いで優位を取っている今が、本当に楽しい。


 僅かな隙を作れば負ける。相手に手番を渡せば負ける。だから必死になって勝ちに行かなければならない。余裕ぶっていても、余裕など欠片もない。


「が、ぎぃ、くそっ、ぐぞぉっ!」


 体を血まみれにしながら、フェンリルが吠える。


「何だよ、これぇっ! 俺は、強くなれ、なれたんじゃっ、ないのかよぉ! 踏みつけにされない強さを、守れる、強さを……!」


 何度も何度も切り込んでいるのに、フェンリルは真っ白な毛を血で染めながら、それでもなお抗うようにデュランダルを振るっている。


 そうしながら、俺は思う。フェンリルの言っている言葉。そこから滲む感情。悔しさ。後悔。


 フェンリルが、跳ぶ。


 奴は状況を打破するために、全身をバネのようにして高く跳躍した。俺の一閃は狙いを外し、一方フェンリルは上空遥か高くから、身をよじり俺に剣で一撃を入れようとする。


 俺は思った。


 予想の範囲内の反撃で助かった、と。


「オブジェクトポイントチェンジ」


 空中の敵は、例え神であっても、重力魔法に抗うのは困難になる。地面に直立していれば、足の握力で対応してくる奴も多いが――――これだけ高く跳んでは、そうは行かない。


「っ!?」


 自分の落下予想が外されて、フェンリルの一撃は、躱すまでもなく俺に当たらない。俺は地上からフェンリルに笑いかけ、言った。


「ぶん回してやる」


 腕を振り下ろす。同調するように、フェンリルは地面に叩きつけられる。


「がっ! この、程度ぉっ!」


 その巨体に、バザールの建物が砕け散った。しかしフェンリルも神話の獣。特殊な攻撃以外では、さしたる意味を持たない。


 だから、俺は叩きつけで出来た隙を目がけて、剣を振るう。


「エクスカリバーッ」


「ガァァアアアアッ!」


 退魔の力を宿した聖剣の一閃は、フェンリルの体をも易々と切り裂く。フェンリルはそれに対応できない。体勢を、強制的に崩されているがため。


「くっ、なら―――」


「まだまだぁ!」


 立ち上がり、体勢を整えようとしたフェンリルを、俺は持ち上げて空中でかき回す。


「ぃっ、なっ、ぁっ」


「そこだぁっ!」


 再び地上に叩き付け。からのデュランダルの振り下ろし。フェンリルの体に、確実にダメージが入っていく。


 このまま押しきれば俺の勝ちだ。あと少しで、俺の勝ち。


 そう剣と魔法を交互に繰り出しながら、俺はフェンリルに問う。


「おいフェンリル! お前、さっきの言葉はどういうことだ」


「がっ、ぎぃっ、どういうこと、って、何ですかぁっ!」


「だから、踏みつけにされない強さとか、守れる強さとか、そういう話だよッ!」


 剣を振るいながら、俺は言う。フェンリルは、これだけ切り込んでも、まだまだ抗う姿勢を見せている。


「強いって言うのは、そんなにいいもんなのか!? 強くたって、どうにもならないことばっかだろ! 何でそんなに強さに憧れる!」


 俺は、何だか、形容しがたい衝動に駆られて、フェンリルに問いかけていた。


 強い。弱い。最近、そういうものがよく分からなくなってきている。


 俺は強敵を前にすれば、合わせるようにして成長できる。だがそうすると、今までは対等だった相手が、ずっと後ろで足踏みをしているように見え始める。


 そうなると、もう、敵ではなくなってしまう。対等でなくなってしまう。戦ってもつまらない相手になり下がる。


 だから、無意識にそうならないように、避けている節が、最近ある。だからほどほどに楽しい戦闘ができていて、でも。


 ―――本当に楽しいのは、そういう、成長の必要がある戦いなのだ。


 スルトとの戦いで、ことさらにそう思った。


 このままだと勝てない。だが、成長すれば勝ちうる。そう気づいた瞬間が、自分の能力が今まさに上がっているという感覚が、堪らなく、楽しい。


 けど、それは、つまり、今まで対等だった相手が、全部対等でなくなることを意味していて。


 俺は。


「フェンリル! お前が守りたいものって何だ! 尊厳か!? 魔人はみんなあれだけ狂ってるのに、そんなもの大事なのか!?」


 剣を振るいながら、俺は問う。


「それともローロか!? あいつ、奴隷にされて売られても、全然平気そうだったろ! 守ってやりたいって、そんなもがくほどなのか!?」


 俺は剣を振るい、重力魔法でフェンリルを振り回し、確実に、着実に追い詰めながら、叫ぶように訊く。


 それにフェンリルは、吹っ飛びながら、切り込まれながら、唸るように、吠えるように、答えるのだ。


「―――ローロ本人が平気だって言い張るから、何だって言うんですか!? 平気そうなら家族が踏みつけらされても、ヘラヘラ笑っていられるって言うのかよ!」


 フェンリルの言葉に、俺は胸を突かれたような気持になる。


「ローロは強くて、だけど弱くて、あいつは、あいつは手足切り落とされて、裸で寒空の中放り出されても笑える奴なんですよ!」


 でも、とフェンリルは、傷だらけの体で立ち上がる。俺は、その言葉の衝撃に打ちのめされて、フェンリルを魔法で振り回せない。


「でも、そんなのおかしいでしょうが! 許せるわけがないんですよ! ローロが許しても、俺が、そんなの許さないんですよ!」


 俺は、頭を抱える。かつて仲間を守れなかった記憶が蘇る。カルディツァ大迷宮地下百階。初めて遭遇した魔人、イオスナイト。


 奴に、俺たちは、良いようにされた。殺される寸前だった。全滅一歩手前だった。俺たちが今こうしているのは、運が良かったからだ。


 そして、奴にあれだけ追い詰められたのは、――――当時俺たちが、弱かったからだ。


「だから、俺たちは、強くなるしかないんです」


 フェンリルが立つ。


「ローロが攫われることに、段々慣れていってしまった俺だからこそ、その罪を贖わなければならない。強くなって、勝って、ローロの欲しいものをあいつにやりたいんです」


 一歩、二歩と大きな足を前に出して近づき、気付けばフェンリルは、俺を自らの攻撃圏内に入れている。


「支配領域『主神喰らいの牙ファング・オブ・フェンリル』」


 そこまでされて、俺はやっと我に返った。


 支配領域。だが、飲み込まれたような感覚はない。どういうことだ、とアジナーチャクラで見て、理解した。


 フェンリルの口の中。


 そこに、ひどく小さな支配領域が、展開されている。


「マズイ」


 支配領域の性質は分かっている。当人の実力にもよるが、支配領域内の効果の強さと支配領域の広さは、反比例する傾向が強い。


 団長キエロのように極端に広ければ、その分効果は薄弱で多少の幻覚に留まる。他方ドン・フェンのように狭ければ、必中不壊のグレイプニールが駆け巡る。


 ならば、それよりも極めて狭いフェンリルの支配領域は――――


 俺は、打ちのめされている場合ではない、と回避に動く。


 フェンリルは支配領域を口の中に構築しながら、俺に向かって大口を開けて迫り来ていた。俺はそれに、魔法を、アナハタチャクラを使用して、その場から逃げ出そうとする。


 だが、その瞬間、何かが俺の手を取った。


 振り返る。紐。グレイプニール。


 回避が、遅れる。


「俺の勝ちです。ご主人様」


 眼前に迫るはフェンリルの大口。俺を丸呑みして余りある巨大なそれ。


 俺はそれに、必死で抗う。


 グレイプニールは千切れない。ならば紐の引く方に移動すればいい。方向転換し、紐の根元へと駆ける。


 ギリギリ。ギリギリだった。俺は辛うじてフェンリルに丸呑みされる範囲から飛び出し、そして――――


 腕が、噛み千切られる。


「……く、」


 俺は悲鳴を上げない。やられた、と思うばかりだ。


 腕から血が噴き出す。いつもなら、アナハタチャクラを起動して直す。


 だが、アナハタチャクラは起動しない。うまくいかない。他の、様々なものも同様にダメだ。


 思い出すのは、ムラマサのそれ。


「そう、か……。フェン、リル……。お前の支配領域は、噛みついた相手の運命を、否定する、のか……」


「はい、ご主人様。本当に強い連中ってのは、大体信じられないほどの運命を背負ってるもんですから。じゃあ、その運命が無効化されれば、ただのでしかない」


「はは……そうかよ……」


 俺は納得しながら、近くの壁にもたれかかった。


 今度は、英雄殺しの刀ならぬ、神殺しの牙にやられた、というわけらしかった。「光栄なんだか、何なんだか……」と呟きながら、俺はフェンリルを睨む。


 腕からは血が噴き出し、止まる気配すら見せない。ボタボタと垂れて足元に血だまりを作り、俺は気が遠くなっていく。


 運命。以前ムラマサに感じたのとは違う。ムラマサの時は、何か奪われているような気配があった。今は、ただ、何もない。あるのに、失われている。


 フェンリルは、じっと俺を見下ろしていた。それからポツリと、こんなことを言う。


「ローロから、言われてたんです。殺すなら、ご主人様からって。ご主人様の前に他の誰かを殺せそうでも、その時は倒すだけで殺すなって」


「は……?」


「なんで、これでご主人様を殺して、全員殺す流れに持っていけます。魔人になったら、恨みっこなしですよ。じゃあ――――また後で会いましょう」


 フェンリルは大口を開く。今度こそ俺を殺そうとする。体から力が抜けて、ここから抵抗できそうにない。


 終わりか、と思う。


 終わってみればあっけなかった。強さを拒もうとする俺は、強くなることを望んだフェンリルに負ける。それだけ見れば、分かりやすい話だ。


 だから。


 背後から聞こえた声に、俺は驚いた。


「ダメだよ、レンニルくん。ううん、今は……フェンリルくんって、呼ぶのがいいの、かな」


「……あなたは」


 フェンリルが顔を上げ、俺の背後を見る。俺は死にかけのまま、ズルズルと壁にもたれながら崩れ落ち、その人物を見た。


 アイス。アイスが、見たこともないくらい冷たい表情で、フェンリルを見つめている。


「アイス様ですか。ご主人様を助けに来たんですか? でも、ここからあなたが俺を倒す方法はないでしょう」


「……あんまり、長話をするつもりはない、かな。わたしはまず、ウェイドくんを助けなきゃいけない、から」


「だから、ご主人様を助けるには、俺を倒す必要があるでしょ。何言ってんですか」


「ううん、必要ない、よ。だって――――」


 アイスの手に、氷で何かが出来上がった。俺はそれに、目を凝らす。


 それは、砂時計に似ていた。氷で出来た、砂時計。いいや、内部の砂も氷で出来た、氷時計というべきもの。


「は? 嘘だろ。アイス様、アンタ」


 フェンリルが動揺に目を剥く。


 アイスは躊躇わなかった。掲げた氷時計を掴む指に力を籠め、ひびが入り、そして。


「支配領域『ヘルヘイム』」


 氷時計が、砕け散る。

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