第416話 主神喰らいの狼

 レンニルは、妹のローロを守るのが自分の役目だ、と思い込んでいた。


 ローロと出会ってから百年ほど経つまでは、多分。


 だが、レンニルは頑張って魔術を習得してもろくに強くはならなかったし、ローロも多少の努力はしたが、その効果も微々たるものだった。


 魔人として、レンニル、ローロの二人は、極めて弱い存在だった。


 だからどこに行っても虐げられた。労働奴隷の扱いならまだマシ。ローロは無駄に容姿が整っていたから、歪んだ欲望の捌け口にされることが多かった。


 いつも、二人は散々な扱いだった。助けに行こうとしてまとめてひどい目に遭った。だからレンニル一人でひどい目に遭った時は、『逃げろ!』と叫んだ。


 どうせ、ローロは足が遅いから、捕まって酷い目に遭うのは変わらないのに。


 そんなのが、何年も、何十年も、何百年も続いた。ずっとこんな扱いで、逃げる日々で、耐える日々で、だから。


『あ、ローロ出品されてる』


 捕まって労働奴隷としてこき使われている中で、奴隷市で売られているローロを見て、レンニルは初めて


『……、……―――――ッ』


 そして、何も思わなかった自分に気付いて、息を飲んだ。


 運ばされていた荷物を投げ出して、レンニルはローロの入れられた檻にしがみついた。周りの魔人たちが、『うわっ、何だ!』『おい! 奴隷がウチの商品汚してんじゃねぇぞ!』と怒鳴りつけてくるが、そんなのは知ったことではなかった。


『ごめん、ごめん、ローロ。俺、俺、今、お前がこうやって捕まってるのに、今俺、当たり前みたいに、何も、怒りも、屈辱も、何も、なくて……!』


 涙をボロボロに流しながら謝るレンニルに、周りの魔人たちが蹴りを放った。腹部を大きく蹴り抜かれ絶息した。


 それでも檻にしがみつくレンニルに、檻の中で、ローロは穏やかに笑っていた。


『そんなことで泣いてるの~? バカなお兄ちゃんだね~』


 言いながら、ローロはそっとレンニルの頭をなでてくれた。


『も~、泣かないの~。お兄ちゃんなんだから、ね?』


 その、まるで子供をあやすような優しい手つきを、今でもレンニルは覚えている。











 俺はデュランダルを構えながら、こいつらは何を考えているのだろう、という事を考えていた。


 ―――俺たち全員を殺して家族になる。魔人として、一緒に楽しく暮らす。


 理屈は分からないでもない。仲良くやってきたし、分かれるのが寂しいという気持ちは俺だって持ち合わせている。


 だが、だからといってこんな強硬手段になるのはおかしい。


 最近のローロたちは、俺たちと突き合う中で、魔人のノリから人間のノリに変わっていた。人間に合わせる努力をしていたし、事実それができていた。


 それが、この土壇場になって簡単に捨ててしまうのは、違和感があったのだ。


 そう考えるのは、普段のあいつらの様子と言うだけではない。先ほどまで戦っていたスルトの言葉。


『ワタシは、真に、あなたに報いたくなりました』

『ウェイド様。本気で、あなたと戦いたい』


 俺に挑むとき、スルトはそう言った。


 何か、複雑な狙いがあるような言葉だ。殺して魔人にして一緒に楽しく暮らそうぜ! なんて短絡的な考え方をする者の言葉とは思えない。


 だから、きっと、何かがあるのだろうと考えていた。


 俺の知らない、何かが。


「……俺は知らないことだらけだな」


 パーティメンバーのみんなも、スラムの時はいくらか内緒話があった。


 きっと今回の魔人たちにも、いくらかの秘密があるのだろう。


 俺は息を吐く。正面からレンニル――――フェンリルを見つめる。


 まっすぐな道の先。建物を簡単にまたぐ巨大な獣。主神喰らいの狼。フェンリル。


 俺は笑い、呟いた。


「フェンリル、まずは、楽しませてもらうぜ」


 剣を、振るう。


 いつもの一振り。重力魔法で加速、威力増大。デュランダル自身の伸長、加重。アナハタチャクラでの肉体強化でさらに威力増。アジナーチャクラで狙いを的確に。


 並大抵の敵なら必中必殺。スルトの速度にすら対応した一撃。防御はほぼ不可。さぁ、どうする。


 そんな俺の小手調べを、フェンリルは容易くかみ砕く。


「おぉこっわ」


 緊張感のない物言いをしながら、フェンリルはデュランダルをかみ砕いた。破片がバラバラとフェンリルの口周りに広がる。周囲の雪の光を、破片がキラキラ反射している。


 それに俺は、思わず笑ってしまった。


「お前も別方向に強いなぁおい!」


 俺は肩透かしを食らわなくて、ひどく嬉しくなってしまう。ああ、良かった。スルトで楽しみが終わってしまったら、どうしようかと思っていたのだ。


 デュランダルを再生しながら、返す刃を放つ。その時にはフェンリルは飛び上がっていて、はるか上空から俺たちに襲い掛かっていた。


 それに反応したのはサンドラだった。


「ゼウス」


 サンドラの全身に紫電が走る。サンドラの様子が変わる。無表情な顔に不遜な笑みが宿り、手には矢のようなものが握られている。


「ほう、この神話圏の主神喰らいか。敵にとって不足はない」


 まるで別人のように呟いてから、サンドラは嗤った。


「捻り潰し甲斐がある」


 直後、サンドラは消え、フェンリルが背中から地面に叩きつけられていた。


「うぉぉおおおお!?」


「ハハハハハハハ! どうだ犬っころ! 遊んでもらえて楽しいか!」


 サンドラは今まで見たこともないような調子でフェンリルの尻尾を掴んで、振り回している。


 お蔭でバザールの街並みが、フェンリルの巨体でぶっ壊されまくる。それを振り回すサンドラは空中に浮かび、カラカラと高笑いを上げている。


「サンドラつっっっっよ!」


 空中に飛び上がって、ぶん回すのは俺でも無理……いや、どうだろう。試してみないと分からないが、にしたってフェンリルのあの巨体をぶん回すとは。


「それ小僧! 受け取れッ!」


 そしてそのままの勢いで、サンドラはフェンリルの巨体を俺に投げ渡してくる。うおおすさまじい圧迫感。俺相手じゃなきゃほぼ攻撃だろ。


 だが、俺ならばこれに対応できる。


「ナイスパスだサンドラ!」


 俺はデュランダルを振りかぶり、素早く一閃した。「うぎゃぁっ」と短い悲鳴を上げてフェンリルは吹っ飛ぶ。


 そして、平然と着地した。家々を踏みつぶし、破片をまき散らしながらも立ち止まる。


「いって~! 二人とも、好き勝手してくれますねホント! この借りは返さしてもらいますよ……!」


「「……」」


 俺とサンドラは沈黙の後に言った。


「これ、効いてないな」「頑丈な犬っころめ」


 見たら血も流していない。なーんだあの固さ。今の俺のデュランダルの威力、シグにもスルトにも通じるはずなんだが。どうなってやがる。


 思うのは概念防御だが……痛みはあるんだよな。何かそういう感じじゃなく、ガチでただ頑丈な気配がする。ええ? どうやったら攻撃通じんだこれ。


「サンドラ!」


 俺は声高に声を上げる。


「これより威力出せる攻撃あるか! 俺はちょっと考える必要がある!」


「ある! が、この憑依状態は維持できて一分だ! 一分以上は……何? アナハタチャクラで再生できるから、休み休みなら問題ない? ―――それを早く言え!」


 何か自分と対話してる。憑依状態ってことは、サンドラの体にゼウス入ってんのかな、今。ギリシャ神話の最高神だったはずだが、ゼウス。


「小僧! 喜べ! 五分だ! 五分憑依を維持できる! つまりは――――我らの勝利だ」


 サンドラは言って、矢のようなものを掲げる。


「さぁやるぞ、雷霆ケラノウス! あのしぶとい犬っころを焼き焦がしてやろう! その白き全身を黒く染めてやろう!」


 サンドラの口上に合わせて、空に暗雲が垂れ込める。瞬時に形成された黒雲に、ゴロゴロという巨大な音と、またたく光が走る。


「異教の地とて知るものか! 我が名はゼウス! ギリシャ神話の最高神なり!」


 サンドラは、雷霆ケラノウスを握った手を振り下ろす。


 直後、それは降り注いだ。


 異様な光景だった。黒雲から放たれたすべての落雷が、縒り集まってフェンリルに降り注いだ。


「ギャァァアアアアアアアア!」


「ははははははは! はっはははははは! どうだ犬っころめ! 主神の雷は痛かろう!」


 サンドラは、高笑いを上げて勝ち誇っている。勝ち誇りながら、それでもなお手を緩めない。


「どうだ! どうだ! どうだ! どうだ!」


 サンドラが手を振り下ろすたびに、暗雲からいくつもの落雷が放たれ、縒り集まってフェンリルに突き刺さる。


「さぁこれで終いだ! 犬っころ、往生し」


「いってぇぇええええなぁぁぁぁあああこのやろぉぉおおおおおお!」


 そして、最後の一撃、という気配を出した瞬間に、フェンリルが反撃に動き出した。


 フェンリルが駆け出す。余波で家々が砕けるも、視線をやった時にはすでにフェンリルはそこから消えている。


「サンドラ様よぉおおおお! アンタちょっと調子乗り過ぎじゃねぇですか!? 宿してるのが最高神だか何だか知らねぇですがねぇ!」


 俺はアジナーチャクラでフェンリルを捉えて、やっとその動きに目が追い付いた。そう思った時には、すでにフェンリルの牙がサンドラの背後に迫っている。


「俺はこの北欧神話で、この北欧神話の最高神を食い破ってんですよォッ!」


 フェンリルの牙が、サンドラを貫く。


 その寸前に、俺は割り込んだ。重力魔法でサンドラのすぐそばに移動し、フェンリルの牙にデュランダルを噛ませる。


 それからサンドラを抱きかかえて、デュランダルを足場に一気に跳んだ。


 離脱。


「がっ、ご主人様ッ!? く、うまくやられましたね……。サンドラ様は今ので落とせてたつもりだったんですが」


 フェンリルは俺が噛ませた大剣デュランダルを牙で弄びながら、ブツブツ言いつつ俺たちを探している。


 俺たちはフェンリルと違ってサイズが小さい。街中に隠れれば、フェンリルは俺たちを見失う。


 俺の腕の中で、サンドラが小声で言った。


「……ウェイド、助かった。ゼウスが調子に乗って出力上げるから、憑依が五分も立たずに切れそうなところだった」


「あ、サンドラが元に戻ってる。今の奴って何なんだ?」


「魔法印が完成したときに、最後に浮かんだ大魔法。魔法印の神ゼウスがあたしに宿って好き勝手する。あたしの体はボロボロになる」


 お蔭で今死ぬほど筋肉痛、と言いながら、サンドラはプルプルと震える手を持ち上げる。おお、ホントだ。筋トレでギリギリまで追い込んだ時の震え方してる。


「つーかチャクラ四つに完成印かよサンドラ。俺の方が置いてかれてねーか?」


「いつでも必要があれば成長できるウェイドが何か言ってる」


「いやまぁ、否定はしないが……」


 久々にスルトでやったので、あんまり多用はしたくないところではある。強くなりすぎるのは良くない、という意識が、俺の中に生まれつつある。


 俺は、ヒリヒリした戦いが好きなのだ。


 強くなり過ぎるのは、それに反する。


「それはそれとして、だ」


 俺はフェンリルの様子を、物陰から窺う。


「おっ、この剣便利ですねご主人様。こんなでっかく出来るのか。俺の武器になるじゃん」


 俺から所有権を奪って、デュランダルを巨大にして、フェンリルは加えていた。


 街並みを簡単に踏み壊すフェンリルが、その全身に匹敵するほどのサイズのデュランダルを加える姿は、何というか見栄えがすごい。


 俺はしっぶい顔でフェンリルを見る。


「またデュランダルが敵に奪われてる……」


「また?」


「前にはシグに取られた」


「デュランダル完成直後にも奪われてたとは恐れ入る」


「今回はお前を助け出すのに使ったんだぞサンドラ」


「遺憾の至り」


 俺は腕の中のサンドラにデコピンを放つ。「ぁぅ」とサンドラは目を瞑る。


「けどまぁ、いいさ」


 俺はサンドラを壁に横たえる。右手の手甲にしていたデュランダルを変形させ、大剣の形にする。


「時間を稼いでくれた分、手は思いついた。見た感じ概念防御はなさそうだから、そこを刺しに行く」


「ってことは……」


「じゃ、良いタイミングで戻って来いよ」


 俺は物陰から出る。サンドラの場所がバレないようにいくらか素早く移動する。


 それから、フェンリルに声をかけた。


「おい、フェンリル。次は俺だ」


 見上げるほど巨大な狼が、俺を見つけて見下ろした。


 フェンリルの体は、ところどころに真っ黒な痕が残されていた。痛いと叫ぶだけあって、ちゃんとダメージになっているらしい。アジナーチャクラでも確認したから間違いない。


 だが、絶命するほどでもなかった。無力化も遠い。主神と言っても、神話圏が別なら本領とはいかないのだろう。それにあくまでも憑依だし。


 レンニルの時と変わらない気安い言葉遣いで、「あの」とフェンリルは言う。


「何かズルくないですか? ご主人様たちはピンチになったら隠れられるのに、俺は隠れるもクソもないじゃないですか」


「お前のデカさの方がずるいだろ。お前の犬パンチ一回で俺たちは叩き潰されるんだぞ」


「猫パンチみたいに言うの止めてくれます? こっちは気高き狼なんですけど」


「気高き狼が『○○なんですけど』みたいな言い方すんなよ」


 ツッコミの応酬をして、お互い同時にクツクツと笑いだす。


 それから、俺もフェンリルも、同時にデュランダルを構え、飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る