第415話 フェンリル

 サンドラは、目の前に現れた巨大な狼に、目を丸くしていた。


「デカイ」


 以前、ロキは元々巨人に血族で、家族も多くがそうなのだ、という話を聞いていたが、それにしてもこれほど巨大な狼は、サンドラの人生では初めてだった。


 スールにぶっ飛ばされて、しばらく気絶していたサンドラである。とはいえ第二の心臓・アナハタチャクラは習得済み。意識を取り戻したら即復活して、活動を再開した。


 そして、悲鳴を聞きつけての今である。到着した頃には、もうレンニルは獣人少女の頭を食べ終わっていて、ならば今更邪魔をするまでもない、と見守っていたのだった。


 それはさておき、レンニルの今の大きさである。


 近辺の建物よりも大きいのは当然。建物の屋根が膝の半ばくらいに当たるほどで、恐らく立ち上がれば、前足が保護塔の屋根に届きそうなほど。


 バザールに住まう魔人たちは、危機を察して我先にと逃げていく。バザールに人は多い。恐らく、この戦いで多くが巻き添えで死ぬだろう。


 先ほどまでは建物の屋根から見下ろしていたはずなのに、気付けばサンドラは遥か上から見下ろされていて、ポカンとしながらその巨大な狼を見上げていた。


「ものすごいデカイ」


「……子供みたいな感想ですね、サンドラ様」


「心はいつも若々しく」


「あなたまだ十代でしょ」


 デカくなっても、レンニルはレンニルらしい。多少の会話に付き合ってくれる感じは、完全に敵対したというよりは―――


「じゃあ、遊ぼ」


「……ははっ。サンドラ様、実はこっちの諸々盗み聞いてたりしません?」


「何も知らない」


「そうですか。あなたの言葉は、本当に見極めるのが難しい」


 では、とレンニルは、巨大な狼は、くく、と力を全身に込める。どこか不慣れな所作。だがそれは、どこかに懐かしさを湛えていて。


「ああ、そうだ」


 レンニルは、狼の口で微笑する。


「確かに昔、こんな感じでした」


 そして、駆け抜けた。


 サンドラは、「闘神インドラ」と唱え、複数のチャクラと共に、サンダースピードを発動させた。同時、全力で飛び出し、回避を狙う。


 回避は、失敗した。


 サンダースピードでの超速移動でも、レンニルの突進には間に合わなかった。


 レンニルのすさまじい突進は、その過程にあるすべてを破壊し尽くした。建物は倒壊し、魔人たちはバラバラになって地面に散らばり、地面は荒れて土をむき出しにしている。


 そんな突進に、スワディスターナチャクラが一撃で破綻した。泣きわめく赤子のチャクラを、「おーよしよし」と宥める。だがグズっているので、復活はしばらく後か。


「みんな一撃でスワちゃん破ってく。虐めないであげて」


「何言ってんですかサンドラ様……」


 駆け抜けた先、百メートル程度離れたところから、レンニルは言う。サンドラは独り言のつもりだったが、その聴覚では聞き取れるらしい。


 それはさておき、とサンドラは考える。


 スワディスターナチャクラは、一撃で破られた。しかし、それは破綻しただけ。回避限界に達して、一時的にスタンしているだけだ。


 一方、次なるチャクラ、第二の心臓アナハタチャクラは未使用状態で鼓動している。


 つまり、ガードが一枚破られただけだ。二枚ある内の、片方が破られただけ。


 しかも、それに足る収穫は、すでに得ている。


「にしても、サンドラ様。俺にはよく分からないですけど、今の一撃を受けた感想はどうですか。俺も随分強くなったでしょ?」


 からかうようにいうレンニルに、サンドラは答えた。


「すごく強くなった。けど、今の肩慣らしは悪手だった」


「……何ですって?」


「今の突進攻撃が本来の実力の七割くらいで、今後少しずつ上がってく、と言う感じなら、それを想定して動けばいいだけ」


 パツ、とサンドラの周囲で電気が弾ける。どの程度先読みして動けばいいかは、今ので分かった。あとは、それを実行すればいい。


 そんな発言に、レンニルは好戦的に笑う。


「なら―――これも避けられますよねッ!」


 レンニルが、駆ける。


 サンドラは、その一瞬前からサンダースピードで駆け抜けた。レンニルの動体視力の程度も分かっていたから、一回フェイントを入れて横に避ける。


 そうして、サンドラは回避した。レンニルが駆け抜けた後に、建物が倒壊していく。住人の魔人が死んでいく。


 健在。結果サンドラは健在だった。建物の屋根を駆け抜けて、軽やかに着地しレンニルにピースして見せる。


「こんなもの」


「――――ふはっ。はははははっ。いや、マジすごいですよサンドラ様。俺、この姿、前にフェンリルだった頃はオーディン殺したんですよ? この北欧神話圏の主神ですよ?」


 相打ちでしたけど、と言いながら、レンニルの視線に、じわじわと殺意が漲り始める。


「主神。それは奇遇。あたしの神はギリシャ神話圏の主神ゼウス。魔法印完成してるから、ゼウスと同等の力で戦える」


 なお少し盛っている。ゼウスの力を振るえるが、ゼウス並みに戦えるかどうかというと、多分無理だ。


 サンドラには、成長の余地がある。まだ強くなれる。もっと強くなれる。つまりその分、サンドラはまだ弱い。


 そんなサンドラの話に、フェンリルは笑う。


「はははははっ! いやマジですごいですわ! 完成印って、創造主が『まぁ無理でしょ』って言ってた奴だ! 何すかアンタら! 本当に人間ですか!?」


「そっちこそ平然と創造主エピソード出してくるとは恐れ入る。何だか神と話してる気分になってくる」


「ほぼ神ですよ。怪物カテゴリですけどね」


 何と。


「怪物ならウチにもいる。一緒にウェイドの嫁やってる」


「トキシィ様がそうでしたっけ。ははは、いやホント、サンドラ様と話してると飽きないです。でも、多分、戦ったらもっと楽しいんでしょうね」


 レンニルが、再び体に力を籠め始める。今度は、今の二回の突進とは訳が違う、本当のやり取りが始まる。そう言う雰囲気が、レンニルから立ち込め始める。


 サンドラはそれに、深く頷いた。


「やろう。レンニルはスールと違って狙いが荒いから、多分相手になると思う」


「あっははははははは! じゃあッ、始めましょうか!」


 レンニルが、襲い掛かってくる。


 すさまじい勢いで、レンニルはサンドラに牙をむいて駆け抜けた。サンドラはそれに、サンダースピードで空中に昇って回避する。


「油断大敵ですよ!」


 そこに合わせるように、レンニルは尻尾を振った。巨大な尻尾がサンドラを狙って振るわれる。


「想定内」


 それを、サンドラは危なげなく回避した。からの、尻尾の毛を鷲掴みにして、レンニルにへばりつく。


「おっと?」


「この体がどの程度頑丈なのか試してあげる。サンダーボルト・バーストアウト」


 レンニルの尻尾を通して、サンドラの最大出力の雷が、レンニルの体を走り抜けた。


「ウワァーっ! っはははははは!」


 レンニルは叫ぶ。叫ぶが、恐らくさして効いていない。やはり、とサンドラは思う。素の威力では、レンニルの防御は破れないか。


「すっげービリビリしました! じゃあ、俺からもお返しです!」


 レンニルは、力いっぱい尻尾を振るう。


 サンドラは一瞬耐えたが、アナハタチャクラもまだ未熟、簡単に振り落とされた。勢いそのままに屋根に激突し、人体構造的におかしなことになりながらかっ飛んでいく。


「ぐべっ」


 屋根伝いに何度も跳ねながら、サンドラはボロボロになっていく。そうして吹っ飛ぶだけ吹っ飛んで、やっと勢いがなくなった辺りで、散々な姿で地面に落ちた。


「いが……痛い。闘神インドラ


 アナハタチャクラが弱まっていたので、真言を呟く。アナハタチャクラが鼓動し、サンドラの体を直していく。


 アナハタチャクラを習得して思ったのが、これは治すではなく直すに近いのだ、ということ。自らの体を粘土のようにつなぎ直して元通り、と言う風にする。それがアナハタチャクラだと。


 そして、ウェイドのように一瞬で完治、というのが思ったより難しいことを知る。短期間でのチャクラ習得は、それそのもので天才的だが、ウェイドのように上手くいくことなどありえないのだと知る。


「あっれー? サンドラ様、どこですか? ニオイはこっちの方なんだけどな」


 巨躯の狼、レンニルの足音が迫っている。直しながら、まるで小さな地震だ、なんてことを思う。


「今捕まったら流石に負ける」


 ボソ、と呟く。だから祈る。なるべく見つかりませんように。


 そんな風に祈ってると、見つかった。


「……サンドラ、ボロボロだな。大丈夫か?」


 ウェイドに。最愛の夫に。


「……大丈夫。でも痛い思いをしたから、慰めて甘やかしてほしい」


「はは、どんな風にしてほしい?」


「お姫様抱っこして、ぎゅって抱きしめて。そうしたら元気出て、直るのが速くなるかも」


「かもかよ。はは、まぁいいよ。そら、お姫様抱っこだ」


 抱き上げられる。ぎゅっと抱きしめられる。サンドラは抱き返しながら、ウェイドの心臓の鼓動を聞く。


 ドクン、ドクン、ドクン、規則正しい音。安心する音。そのテンポで、サンドラは自らを直す。


 そして、直った。


「お、直ったな」


「まだ、もうちょっと」


「嘘つけ。下ろすぞ」


「ウェイドのケチ」


 下ろされる。そこで、声がかかった。


「アンタら何戦闘中にイチャついてんですか」


「レンニル、やっと見つけた。遅い」


「隠れてたのサンドラ様でしょうが!」


 ワッ、と唸るレンニルに、ウェイドが笑った。「お前ら緊迫感のない戦いしてんなぁ」とクツクツ笑っている。


「ってわけだ。レンニル、だよな。せっかくだし俺とも相手してくれよ。スルトとバトってきて、ちょうど肩が温まってんだ」


 ウェイドの物言いに、勝ったのだ、とサンドラ、レンニルの二人は悟る。サンドラはそれに「やっぱりウェイドはすごい」と抱き着く。


 レンニルは、大きく笑った。


「ははははははっ! サンドラ様もすごかったですけど、ご主人様は格が違いますわ。スルト様って、ラグナロクでも結局負けなしだった人だったんですけどね。まったく」


 言いながら、段々、レンニルの姿が大きくなったような気がしてくる。いや、大きくなった。まだ、レンニルは、本当の姿を取り戻す過程にある。


「でも、俺も中々強いですよ、ご主人様。ドンドン力を取り戻してます。きっと満足させられると思いますよ」


「そりゃあ良い。望むべくもないって奴だ」


 ウェイドは剣を構え、レンニルは再び体に力を籠める。サンドラはウェイドの隣に立ち、こう言った。


「ウェイドも来たし、とりあえずあたしも本気出す。まだちょっとしか維持できないから、短期決戦でお願い」


「おう。じゃあ、行くぜ」


 ウェイドが一歩踏み出す。サンドラも同様に一歩踏み出す。それにレンニルが、大きく力を解き放った。

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