第409話 神に効く毒
アイスを離れた廃墟に安置していたトキシィは、遠くからウェイドがボコボコにやられる姿を見て、唖然としていた。
「……え? ウェイドが手も足も出ないの?」
嘘でしょ……? という呆けたような言葉しか、トキシィの口からは出てこない。
だって、あのウェイドが、負けるのだ。しかも、あんな無残に。こんなこと、かつて……。
「いやあったね。シグの時もボコボコにされてた」
さらに昔の話をすれば、迷宮100階の主、イオスナイトにもボコられていた。だが最終的には圧倒した。トキシィは段々落ち着いてくる。
それでいえば、ウェイドの驚異的なところは、どちらかというとボコボコにやられた相手を短期間でボコボコにし返す成長速度の方。アイスもそちらを危惧していた。
つまり、だ。今回の問題は、ウェイドがボコられたことではない。
ウェイドをボコってしまえるような相手が、敵として立ち塞がったこと。それに応じて、ウェイドがさらに強くなりすぎてしまう事。
そちらの方が、問題としては深刻だ。ウェイドに追いつこうとしている身の、自分たちとしては。
だから、トキシィにできること、すべきことを考えるなら―――
「……ウェイドより先に、スール、倒す……?」
無理難題もいいところである。トキシィは頭を抱える。
「いや~~~それは、だって、流石に……! あの速度はヤバいって! いつぞやの燕みたいな動きしてたもん! 巨人なのに!」
巨人の動きというのは、基本的には遅いものなのだ。
テュポーンはその好例で、威力はあるが、遠くから見るとゆっくり動いているように見える。目の前にしたら逃れられないくらい速いのに。
それが、遠巻きに見ても、達人級の鋭い剣閃を放つのだ。現地で戦っていた仲間たちの恐怖たるや、ひどいものだろう。トキシィは戦いたくない。
ない、が。
「うぅぅううぅぅぅ……! 今動けるの、多分私だけだし……! でも勝てる気しないし……!」
頭を抱えてしまう。トキシィは渋面で悶えるばかり。
そこで、声がかかった。
「お困りのようだね、トキシィちゃん」
「ピリア!」
先ほど別れたばかりのピリアが現れ、トキシィはパッと顔色を明るくする。それから駆け寄って、ピリアに抱き着いた。
「ピリアー! 会いたかったよー! 見てた!? あのスールの速さ! おかしいでしょアレ!」
「うん、いやマジでおかしいよ。普通にぶつかっても勝てないねーアレ。キャハハッ」
あっけらかんと言うので、トキシィは引いてしまう。
「えー……じゃあ、師匠組も勝てないって判断?」
「ん? んーん、珍しいけど、無いわけじゃないからね。どうにかして勝つよ。けど、ムティーと二人だったら厳しかったかもとは思ってる」
「そうなの?」
「見た感じ、ムティーと相性悪いんだよね。だからムティーもウチに押し付けて、残る三人の追跡に回っちゃったし」
「ムティーも自由だね……」
「ムティーだからねー。で、ここからが本題」
ピリアが、ニッと笑う。
「ウチら、相性多分いいから、二人で殴りに行こうよ」
「……嘘でしょ?」
「ホントホント! ああいう『正面対決が一番強いです』みたいな奴はさ」
ピリアの笑みが、嫌らしいものに変わる。
「いつの世も、搦め手には弱いものなんだよーっ♪」
ピリアに説得されたトキシィは、息を殺してスルト近くの廃墟に身を隠していた。
スルトは、獲物を狙う熊のように、うろうろとスラムの廃墟の間を歩き回っている。その巨躯は、先ほどよりもいくらか大きいように見えた。
「……成長してる? それとも、元の大きさはもっと大きくて、それに近づいてる、とか」
トキシィは予想を立てつつも、スルトに対してどんな攻撃が有効か考えていた。
まずもって、普通に攻撃したのでは、スルトには当たらない。何せサンドラの雷さえ、あの巨体で回避したのだ。トキシィ一人ではどうにもなるまい。
だが、そこに関しては、どうやらピリアが請け負ってくれると聞いた。
『ウチの攻撃手段は、特殊だからねー。攻撃が当たるのは約束するよ』
問題はその先だ。
ピリアの一撃で、スルトに隙ができる。そこをトキシィが突く、というのが今回の大まかな流れだ。
……なのだが、どんな一撃を入れようか、というので、トキシィは悩んでいた。
「知らない仲じゃないし、苦しむような毒はちょっと避けたいんだよね……。かといって、手加減できるような相手かって言ったら違うし……どうしよう……」
渋面で、トキシィは唸る。
というのも、トキシィは自らの神、ヒュギエイアから権能を奪ったことで、毒魔法が大きく変化していたのだ。
できることも増えた。どのくらい増えたかと言えば、いまだに自分がどの程度まで出来るのかが、分からないほど。
そんな風に懊悩しているところで、不意にトキシィは「ん?」と違和感に気付く。
「これ……霧?」
視界が霞む。それで、トキシィはピリアが仕掛けたのだと気付く。
廃墟の物陰から様子を窺うと、ピリアがスルトの前に正面から挑みかかっているところだった。
「やぁやぁ元気そうだねスールちゃん。いや、スルトちゃんと呼び直した方がいいかな?」
「これは、ピリア様。お好きに呼んでいただいて構いませんよ。ワタシとあなたの仲ですから」
「キャハハッ。それは嬉しいこと言ってくれるねー。でもさ、今は君、ウチらの敵として立ち塞がってる感じなんでしょ?」
「ええ、はい。形式上はそう言う形になりますね。ローロ様もラグナロクを起こすと言っていましたし」
「じゃあ、降参するまでぶっ殺すけど、いいよね?」
「もちろんです。ピリア様に限らず、どなたでも、ご自由に」
二人の間で、急激に剣吞な雰囲気が漂ってくる。ピリアは不敵に微笑んだままその場に立ち、スルトは静かに攻撃の構えを取る。
そして、ピリアは言うのだ。
「スルトちゃんは、想像以上に搦め手に弱かったね」
霧。その中から蠢いた巨大な何かが、スルトを強かに打ち据えた。
「―――――ッ」
それに、スルトは明らかに揺らいだ。トキシィはそれに、慌てて「ヒュドラッ!」と相棒を呼び、その幻影の翼で飛び立つ。
「い、今のは、何です、か」
「キャハハッ! 見えなかったんだ。見えなかったならそれでいいんじゃない? ウチとしては、見てくれてた方がもっとうまく運んだかなーって思うけど」
またも霧の中で、何かが蠢く。しかし想定された攻撃であるならば、スルトは反応できる。
炎の剣が振るわれ、巨大な何かが両断される。しかしピリアは攻撃の手を緩めない。「まだまだ行くよー!」と元気に宣言し、さらに霧の中から縦横無尽に何かで攻撃を仕掛ける。
そこで、トキシィの襲撃が決まった。
高高度飛翔からの、スルトの真上より自由落下。そこからヒュドラの噛みつきで首筋に掴まり、トキシィは毒を注入した。
「なッ」
「ごめんねスール!」
ヒュドラが明けた傷穴を通して、トキシィは毒を全力で流し込む。
恐らく、スルトはただ殺しても意味がないだろう。もしかすればウェイドの近くに復活して、より状況が悪くなる可能性がある。
だから、トキシィが選んだ毒は、混乱のそれ。神すらも惑わす、ヒュギエイアの毒霧から融解効果を取り除いたもの。
効果は、テキメンだった。
「ぐっ、離れてください! が、なん、これは、頭が、痛……」
毒霧とは違って体に直接注ぎ込んだからか、スルトは頭痛を訴えた。トキシィは、どうなる、と考えながら、素早くスルトの上から避難する。
トキシィが家族に責められる幻覚を見た、あの忌まわしき幻覚毒。初期段階の反応は、個人差でかなり変わるだろう。
しかし、それでひとまずスルトは、本来の目的であるトキシィたちを忘れることになる。場合によっては相当暴れるかもしれないが、最終的には無力化できる。
そう想定しながら観察していると、スルトは、呆けたようにじっと正面を見つめた。
そこにあるのは、スラムの廃墟の中でも、スルトの体よりも大きなそれ。
それに向かって、スルトは言った。
「……お父様……? それに、お兄様も、お姉様も……」
トキシィは地面を走ってピリアと合流しつつ、スルトの様子を見る。どうやら上手く幻覚を見ているらしい。
だが、見ている幻覚が良くない。想定していたこととはいえ、これは。
「ピリア! 逃げるよ! 多分この後、スルトはかなり大暴れす―――」
直後、スルトは目にもとまらぬ速さで、炎の剣を叩きつけて廃墟を打ち砕いていた。
瓦礫と粉塵をまき散らし、ガラガラと音を立てて、廃墟が崩れ落ちる。
トキシィはそれに竦み上がる。一方で、ピリアはその迫力に大興奮だ。
「わぁーお! スルトちゃん派っ手ー! そしてトキシィちゃんナイス! これで一旦無力化したってことで、ウェイドちゃんたち回収して他のところに」
行けるね、とピリアは言おうとした。
だが、そう言えなかった。
スルトが、炎の剣を地面に突き刺し、こう言ったから。
「支配領域」
「「―――――ッ」」
マズイ、とトキシィ、ピリアの二人はスルトを見る。ピリアが「打てッ!」と言うが、無意識なのか何なのか、スルトは回避して見せた。
それからスルトは俯いて、炎の剣に体重をかけ、さらに深く突き刺し―――告げる。
「『
支配領域が展開される。スラムの街中全域に、巨大な火の雨が降り注ぐ。
「―――ウチらを守って!」
辛うじて残っていた霧から出てきた何かが、トキシィたちに直撃しようとした火の雨を弾く。
それは地面に落ち、まるで隕石のように地面をえぐった。一撃でこれ。ピリアが口笛を吹く。
「ヒュー! さっすが、ラグナロクを終わらせた終焉の巨人! 支配領域もかなりやばいね!」
「や、やば。こんなのが、他にも無数に降ってくるの、ヤバい、ヤバいって」
周囲の光景は、次々に巨大な隕石めいた火の玉に滅ぼされていく。支配領域がもう少し大きければ、簡単に城下街は滅んでしまっただろう。
しかも、だ。支配領域として展開された以上、スルトを倒すまで外には出られない。事実上、トキシィたちは閉じ込められてしまった。
「ってわけで、トキシィちゃん、どうするー? 君の毒は、状況を極めて悪化させてしまったわけだけどー」
ニンマリ笑って言うピリアに、トキシィはむっとして返す。
「確かに、一時的には思ったより悪化したよ。けど、この毒は最終的に、スルトの無力化までやってくれる。閉じ込められたけど、それは永遠じゃない」
「というと」
「いずれ終わりが来る。スルトはいつか、幻覚で精神的に打ちのめされて、一人で沈む」
トキシィはそうだった。家族から束ねられた否定の言葉は、最後にはトキシィの自死をもたらそうとした。
トキシィは毒の成分を探ったから知っている。この効果は、例え神であっても共通だと。助けてくれる誰かなしでは、この効果は回避できないと。
それに、ピリアは、笑みと共に頷いた。
「じゃあ、することは決まったね。ウェイドちゃんたちを回収して、なるべく安全な場所に避難しよー!」
「うん!」
二人は走り出す。次なる使命を遂行するために。
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