第389話 壊れたスール

 スールが途中まで訓練に耐えていたのは、ひとえに、兄や姉のように褒められたかったからだ。


『スール! 貴様は本当にグズで! ノロマで! 魔術の力を欠片も引き出せていない!』


 父は怒号と共にスールをなぶり、訓練の苛烈さに任せてスールを殺した。


 当時のスールは、訓練場所を復活点として定めるように命令されていた。だから、殺されてすぐに復活し、直後またその巨大な拳で吹き飛ばされた。


『このカスがァッ! お前はいつまで経っても』


『あぁぁぁあああああ!』


 スールは、その拳に合わせて瞬時に剣で防いで、反転し父に挑みかかった。父はそれに一瞬だけ動揺を示し、しかし体躯の差と経験の差を生かしてスールを封殺した。


 スールの訓練と称されたものは、そういう類いの物だった。このニブルヘイムで、魔王様を除けば最も強い魔王軍総大将たるルトガルと、直接戦うというもの。


 何度も、何度も、何度も、何度も死んだ。死なない日などなかった。他のあらゆる訓練は禁止され、ただ父に叩きのめされる日々を送っていた。


『スールは、またその体たらくか。不甲斐ない。もっと兄を見習ったらどうだ』


『スール、もう少し頑張りなさい。そうすれば私たちと一緒に訓練できるわ』


 兄と姉は、そんな風に言っていた。だからスールは、『はい……精進いたします、お兄様、お姉様』とうなだれた。


 真実は、二人が甘やかされていただけだったのに。


 あるいは―――スールは、訓練でさえない苛烈な環境に置かれていただけなのに。


 母も、母と信じた魔女も、スールにはさほど甘くなかった。家事をまっとうにして、飢えて死ぬということはなかっただけだ。甘える対象ではなかった。


 そんな過去を振り返って、スールは思う。


 最初から家族として愛される可能性など、どこにもなかったと。


 気遣いなど、躊躇いなど、何の意味もなかったと―――






 虹の橋、ビフレストの上で強風が吹いた。


 スールは考える。支配領域。それも、この場をかき乱した団長キエロのものについて。


 団長キエロの支配領域は強力だったが、広範囲に認識阻害効果、地形認識阻害効果をもたらす以外は、支配力の弱い支配領域なのかもしれない。


 だからか、スールのビフレストは、ほぼ完全に周囲空間を支配していた。ほとんど対抗の居ない支配領域同様の効果だ。


 そうして、スールは眼前の敵を見据える。総大将ルトガル。もはや到底父とは思えない相手を。


「貴様……! 貴様は、まさか、スール……! スールだというのか……!?」


 歯を食いしばり、明らかに狼狽した様子を見せ、ルトガルはスールを見つめていた。スールはそれに、剣先を向けて言う。


「お前の背後から、巨人たちが攻め込んできている。巨人たちが進んだ先からこの橋は落ちる。それがお前の命のタイムリミットだ」


 言ったところで、ルトガルは認識能力を失っているから、通じない。通じる必要もない。ただ、スールがいつもの調子を失いたくなかっただけだ。


 スールは剣を構える。ルトガルは「く、ぐぅ、ぐぅぅぅううううう!」と激しく唸り体をなぞった。


「ならば、ならば良い! どのような経緯を辿ったのだとしても、お前が相手となるのなら、昔のように叩き潰すだけだ!」


 ルトガルの手の内から、巨大な火の剣が現れる。全長数メートルほどの、人間では到底振り回せないような剣。


「死ねェッ! スール! 貴様はここで踊り食って、終わりにしてくれるッ」


 それが、スールの頭上に振り下ろされる。スールはそれをじっと眺める。頭上。迫りくる剣。触れれば即死する一撃必殺。


 スールはそれに、「下らない」と呟いた。


 回避。肉薄。スールはルトガルの眼前にまで迫る。ルトガルはそれに驚き、追い払うように火の剣を振るう。


「下らない」


 スールはルトガルの体を、足だけで駆け上がる。それはルトガルとの訓練で覚えた技。ルトガルの支配領域を踏破するための術。


 スールはルトガルの顔面にまで上り詰め、剣をその瞳に突きつける。


「実に下らない。今更手加減をして父親面ですか。バカバカしい。こちらは支配領域を使っているのですよ」


 スールの火の剣が、ルトガルの目をえぐる。


「ぐぎゃぁぁぁあああああああ! スールッ! スールぅぅぅうううう!」


 スールの剣は、ルトガルの目を潰し、焼き、再起不能になるまで焦がした。


 それから、剣を抜く。熱を持った血がわずかに飛び散る。作られた傷はすぐに焼け焦がされたから、出血の量は極めて少ない。


「もう少し、本気を出したらどうですか。そんなものではないはずだ。ワタシをあれだけいいように嬲ったあなたは、そんなものでは」


「ごちゃごちゃとうざったいのだ! この羽虫がぁぁぁああああ!」


 ルトガルが剣を振るう。スールは冷めた目で跳躍し、その一太刀を躱した。


「クソッ、クソッ、クソぉぉぉおお! スール、貴様、この総大将ルトガルを、父を、ここまで愚弄するかぁッ!」


「……何を、演技臭い。目を差し出してまですることではないでしょう。ワタシは、その程度では油断しません」


 スールは剣を構え、残心する。どれほど父が油断を誘おうとも、スールは油断しない。まだ父には支配領域も残っている。


「ほら、悠長にしている暇はありませんよ。背後からは無数の巨人が迫っている。その前にワタシを倒さねば、あなたは終わりです」


 スールがルトガルの背後を指さす。そこで初めて、ルトガルはこの支配領域の効果に気付いたようだった。


 奴は背後を見て、唸る。


「何だ、アレは……! そうか、アレが、貴様の。スール、お前は、本当に、本当に!」


 ルトガルは虹の橋に剣を突き刺す。そして、言うのだ。


「支配領い―――」「隙だらけです」


 スールは再び急接近する。剣を振りかぶり、ルトガルに肉薄する。


 支配領域は、集中力を要する魔術だ。所作に気を配り、意識を魔術に埋没させる必要がある。


 だから、どんな魔人でも、支配領域を発動する直前は、無防備になる。それが、先んじて支配領域を展開したスールの思惑。


 ここを突いて、崩れない魔人などいない。


「シッ!」


「がぁっ!」


 一閃。スールの火の剣が、ルトガルの足を両断する。だがこの程度では止まらない。スールは剣の勢いそのままに駆け抜け、もう片方の足を狙う。


「なっ、舐めるな小僧ォッ!」


 ルトガルは足を持ち上げて回避する。だが、その程度を読んでいないスールではない。軽い跳躍。そして軸回転での一撃。スールは思惑通りにルトガルの足を切り落とす。


「ぎゃぁあああああああ!」


 そうして、ルトガルは両足を失った。虹の橋の上に少量の血をまき散らしながら横転し、のたうちながら血走った眼でスールを睨む。


「クソ、クソ、クソ! やはりこうなると思ったのだ。お前は、いずれ我を殺すと。こんなことなら、こんなことなら早々に食い殺しておけば良かったものを……!」


「……何を言っているのですか? 下らない。ああ、声も、その姿も、すべてがワタシの心を逆撫でる」


 スールは警戒を残して、再び剣を構える。


「早く、本気を出して下さい。奥の手があるでしょう。ないはずがない。魔王軍の総大将たるあなたが、どこまでワタシの油断を誘おうというのですか」


 しつこいほどの無力な演技に、スールは忌々しささえ覚える。ルトガルはうつ伏せで地面を這いずりながら、スールから逃げようとする。


「―――ワタシが、見逃すとでも?」


 スールは、欠片の油断もしない。弱ったふりをして逃げ出そうとすれば、時間が稼げるとでも思ったのか。


 駆け抜け、その背に一太刀を入れる。動きが止まった先で、手を切り落とした。叫び。どこまで、スールはうんざりする。


「ワタシは、忘れておりません」


 スールは残るもう片方の手を切り落としながら、語り掛ける。


「あなたが、どれほど強かったのかを。未熟なワタシをどれほど一方的に追い詰めたのかを。あの時の半分ほどの力も出ていません。そんな杜撰な弱者の演技が、通じるとでも?」


 だが、ルトガルは、それでも奥の手を出さなかった。支配領域の気配すら。だからスールは苛立って、ルトガルをひっくり返す。


「それとも、ワタシが手を滑らせて殺してしまうのを待っているのですか? そして復活後即時に襲い掛かろうと? まさか、そんな弱々しい手を取るなんてことはないはずです」


 だって、だってあなたは。


「あなたは、常に強者の手を使う側にいたはずです。魔王軍総大将ルトガル。敵が復活して挑んできたなら、それをすぐに感じ取り叩き潰す。油断など決してない、魔王軍最強の剣」


 スールは、火の剣をルトガルの首に添える。


「それが、あなただったはずだ。惨たらしいほどに強き者。凄惨なまでの勝者。それが総大将ルトガルだったと」


 ルトガルは、もはや何も言わなかった。スールは、それに歯噛みし、ブルブルと剣先が震えるほどに怒りを覚える。


「何故だ。何故本気を出さない。ワタシを試しているのか? ならばいっそ殺してくれようか。一度殺さねばワタシの本気具合すら分からないと――――」


「スール」


 そんなスールを止めたのは、トキシィだった。スールは険しい顔で彼女を睨みつけ、言い放つ。


「トキシィ様、手出し無用と言ったはずです。今回はワタシが、この総大将ルトガルを」


「違う。違うよ、スール。見て。その、お父さんの顔を」


「は……? 何を……」


 言いながら、スールはルトガルの巨体を仰向けにひっくり返し、その胴体の上に乗り上げ、その顔を見た。


 そして、絶句する。


「すま、すまなかった、スール……。我が、我が悪かった……! だから、もう、この哀れな父を嬲るような真似はよしてくれ……! もう、我に、我に手はない……!」


 そこには、涙と命乞いで、顔をぐしゃぐしゃにした、小汚い顔の巨人が居るばかりだった。スールは、それを見て、ポカンとしてしまう。


 トキシィが言う。


「スール。スールは、多分スールが思うよりずっと強いよ。私も、今の戦いを見て、スールの強さを侮ってた。ほとんど戦ってなかったもんね。分からないわけだよ」


「トキシィ様、何を言っているのですか……?」


「スールは、今の私でも、目にも止まらないくらい速く動いて、スールのお父さんが全く反応できないくらい、一方的に、切り刻んだの」


 トキシィの説明に、スールはまばたきをするばかりだ。嘘を吐かれている、としか思えない内容の話を、スールは今されている。


「驚いたよ。そんなに強かったんだね、スール。速度だけならサンドラ、もしかしたらウェイドに並ぶくらい、あなたは速い」


「い、いえ。そんな。ウェイド様やサンドラ様は、特に、強いという話ではなかったですか。わ、ワタシなど、そのような」


「……」


 それきり、トキシィは沈黙した。スールは、信じられない思いで、再びルトガルを見下ろした。


 そこにいたのは、体が大きいばかりの、情けない父の姿だった。自分を愛さず、恐れ、潰そうとした醜い巨人。


 油断を誘おうとしたのだと、スールは信じた。信じようとした。だが、トキシィは否定した。違うと。その証拠のように、ルトガルは無力に泣いている。


 それを見て。


 スールの中で、何かが壊れた。


「……何だ、これは」


 スールの手の内から、火の剣が消える。スールは全身を震わせ、ギリギリと音がなるほど強く歯を食いしばる。


「何だ、これは。何だ、これは……! こんな、こんな者のために、ワタシは、苦しんで。バカバカしい。下らない。こんな、こんな……」


 震えは強く大きくなる。顔がしわだらけになるくらい力を込めて、スールはルトガルを睨みつける。


 恨み、恐怖、執念、そしてかつて求めたはずの愛情。


 それは、バキン! と音を立ててスールの奥歯が砕けるとともに、一緒に割れて、なくなった。


「……虚しい」


 スールは、その場にうずくまる。つまり、ルトガルの腹の上で。そして、ルトガルの腹に口を付け。


 歯を、立てる。


「―――――ぃっ」


 ルトガルが、押し殺したような悲鳴を上げる。スールは、それに何も思わず、口だけでルトガルを、父と想っていたモノを、食らい始める。


「虚しい。ワタシは。何のために。この仕事をアレク様から受けたのは、こんな、こんなはずでは。どうして。ワタシは何十年、なんで、無駄、すべて無駄だった」


「す、スール、やめ、やめてくれ。く、食わないでくれ。我を、取り込むのか。食い殺し、己がモノとするのか。スール、スール……!」


「マズイ。血の、鉄の味だ。苦い。マズイ。こんなもの、何で食わねばならない。虚しい。ワタシは、ワタシは……」


 文句を言いながら、それでも何故か、スールはルトガルを食らう口を止められなかった。あるいは、止める意思も、さしてなかったのかもしれない。


 食欲も何もなく、しいて言うなら義務感のように、スールはルトガルを食らう。気づけば集中力も切れ、支配領域も解かれている。


 惰性。ここまで来たのだから、どうせだから。そんな気持ちで、スールは淡々とルトガルの肉を噛み千切り、嚥下していく。


 そこに、声がかかった。


「おう。勝ったのか。いや、これは……なるほど。オレはお前を侮ってたらしいな、褐色魔人」


「わお、スールちゃん、すごい顔。血まみれで、燃え尽きた後の灰みたいな顔だねー。多分、こうなる気はしてたよ」


 声をかけてきたのは、ウェイド達の師匠とされる、ムティー、ピリアの二人だった。


 二人それぞれ兄ルペト、姉シリーナを拘束し連れている。


 二人はどちらも、支配領域による認識阻害を解かれているのか、スールの姿に怯えを示した。猿ぐつわ越しに叫び、体を悶えさせて、どうにか意思を示そうとしている。


「褐色魔人。こいつら、お前と話したいみたいだぜ。どうする」


「……」


 スールは、沈黙と共にその姿を見つめる。かつて父に虐げられていたスールを、見下していた二人。今二人が、スールにどんな感情を抱いているのか。


 ……それにスールは、どうしても興味を抱けなかった。


「そのままで、お願いします。ムティー様……」


「んー! んー!」「んん、んんんんん! んー!」


 兄姉が叫ぶ。だがスールは無視して、再びルトガルを食らう作業に戻った。


 ルトガルは量が多い。だが、不思議といくら食べても、腹がはちきれるようなことはなかった。


 だからスールは、そのままルトガル、ルペト、シリーナの三人を、食べきってしまおうと思っていた。

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