第388話 ルトガルの後悔/スールの蹂躙

 スールと歩きながら、トキシィはずっと考えていた。


 スールは嘘をついている。家族を食らう動機を隠しているか、あるいはその覚悟そのものがないかのどちらか。


 嘘を吐いているのであれば、内容によっては敵になる。一方覚悟そのものがないのであれば、味方というよりは道具としての使い方になる。


 つまりは、トキシィ、ピリア、ムティーの三人で無力化したスールの家族を、一旦食わせ完全な無力化を図る、道具としての使い方。


 そこまで考えて、トキシィは首を振る。


 当初はそのように考えていたが、そうするまでもないか、と思い直す。全員の無力化が済んでいるなら、あとは魔王討伐まで檻の中にいてくれればいい。


 スールは……味方であるなら、戦力にはなりうる。多少足を引っ張るようでも、魔人だから死にそうでも助ける必要はない。


 そんな風に考えて、酷い考え、とトキシィは自嘲した。あまりにも悪人然とした思考だ。


 ―――トキシィは、ウェイドのために怪物たらんと決めた。


 だが、別に、日ごろからそんな風でいる必要もない。普段はいつも通り、自然に振舞えばいい。


 大事なのは……必要な時に、残酷な手が取れること。


 トキシィは改めてスールを見る。スールは、酷く緊張した様子で前に進んでいた。


「……お父さん、怖い人だって言ってたね」


 トキシィが言うと、スールは一瞬肩を跳ねさせてから、苦笑気味に「そう、ですね。その通りです」と言う。


「父のことは、訓練の時のことしか知りません。武器と魔術でもって、挑みかかった記憶しかないのです。そしてそのすべてで叩き潰されました。ワタシ一人で勝てる相手では……」


 スールは、口をつぐむ。緊張、恐怖。スールは取り繕っているが、特に恐怖が強くにじんでいる。


 恐らくは、後者だろう。スールには覚悟などない。あると言い張っているだけだ。


 それから、そんなものだろう、と思う。


 親に挑むのは、怖いことだ。育ててくれた恩も、初めて相対する上位者への恐怖も、そして長い時間を共に過ごしたことによる愛憎もある。


 覚悟を持って親に挑むなんてこと、トキシィが知る限り、ウェイドくらいしかできた者はいないのだから。


「トキシィ様……ワタシを、お疑いですか?」


 そんなことを思っていると、スールが言ってきて、トキシィはドキリとする。


「え、と……」


「いえ、そうですよね。当然のことと存じます。未だにワタシは、父を恐れている。覚悟など言葉だけのものと思われても、不思議ではありません」


 そして、とスールは続けた。


「それは、事実です。ワタシは……父が怖い。まともに立ち向かえるのか。そして万一倒せたとして、本当に父を……家族を食らえるのか」


 不安です。とスールは言った。そこには、家族に対して無慈悲になれるのか、と自分の良心はどこまで耐えられるのか、というスール自身の疑いがある。


 トキシィは苦笑して、励ますようにスールの肩を叩いた。


「倒せるかどうかは、私に任せて。食べるかどうかは、その時のスールに任せるよ。スラムの時みたいに人数が居たら難しいけど、三人くらいなら拘束できると思うし」


「……そうですね。どう転がっても、目の前のことをしっかりとやり切るしかありません」


 ありがとうございます。とスールは言って、緊張は取れないままに先に進む。トキシィは、自分がメインで戦うことになりそうだなと思いながら、それに続く。


 少しすると、巨大な何かが動いている気配を、二人は感じ取った。


「巨人」


「父でしょう。……あちらです」


 スールは恐怖を抱えながらも、案内人としての役目を果たそうとしているようだった。ならばそれでいい。敵を排除するのが、トキシィの役割だ。


 走る。進む。そして、相対する。


 それは、火の巨人だった。


 全身の至る場所から、火が明滅するように、局所局所で燃え上がる巨人。魔王軍も、攻め入った魔人も、関係なく握りつぶし燃え上がらせる火の覇者。


 魔王軍総大将、ルトガル。魔王を守る、最も強き者。


 その周囲で、健在の者はいなかった。すべての魔人たちは、炭化し、潰れ、朽ち果てていた。


 そうして、ルトガルはこちらに振り向く。トキシィは「フー……」と息を吐きながら前に出る。スールは炎の剣を手にして、構える。


 ルトガルは、口を開いた。


「……ルペトに、シリーナか。よもや、お前たちが父に剣を向けるとは思わなかったぞ」


 トキシィは眉を顰める。スールが「兄と姉のことです」とトキシィに教える。そうか。敵味方の区別がついていないから、勘違いしているのか、とトキシィは思う。


 ルトガルは、わずかな思案を挟んで、続ける。


「……今だから言うがな、お前たちは、良くやってくれていた。末弟、スールほどではないにしろ、確かにお前たちには才能があった」


 その言葉に、トキシィは眉をひそめた。スールが先ほど話した内容と違う。スールは、自らを落ちこぼれだと言った。


 スールを見る。スールは、困惑と共にルトガルを見つめていた。


「元は三人、全員が我が分け身だ。一人では守り切れぬ十の塔。不甲斐ない他の魔人どもに守らせるくらいなら、と分けた……いいや、産み落としたのが、お前らだった」


 ルトガルは語る。ルペト、シリーナ。スールの二人の兄妹を、誇りに思うように。


「お前たちは、支配領域に至った。期待通りの成果だった。確かに厳しく指導したが、スールのそれに比べれば随分とマシだったはずだ」


 だが、とルトガルは口調を変える。忌々しそうに。あるいは、後悔をにじませるように。


「奴は……スールはお前たちとは違う。奴のあの、恐ろしいまでの才能とは……」


「……な、何を、何を言っているのですか、お父様。ワタシは、ワタシは落ちこぼれではなかったのですか? ワタシだけが、お父様の訓練で何度も、何度も死んで」


「……何を言っているのか分かるぞ。そうだ。スールは帰ってきた。だが奴を強制的に取り立てなかったのはな、お前たちの言う通りだ。……恐れたのだ、奴の才能に」


 話は成り立っていない。スールとルトガルの心は通じ合わない。だが、すれ違いの理由ばかりが克明に浮き彫りになっていく。


「お前たちが我を恨んでいるのは分かっていた。だから、スールに会えないようにした。スールが我に向かってくれば、我は負ける。奴には、それだけの才能がある」


「だからッ! 何を言っているのですか! ワタシは落ちこぼれだったでしょう!? あなたの苛烈な訓練で、何度も死にました! だからワタシは、もはや逃げるしかないと」


「ずっと、ずっとスールが恐ろしかった。小さな分け身であるはずなのに、我を超える姿が見えた。それが恐ろしかったのだ。だから我は潰した。潰し続けた。あの、恐ろしき才覚を」


「―――――ッ」


 スールは絶句する。ルトガルはその様子をどう受け取ったのか、こう続けた。


「我はな、お前たち二人のことは、愛おしいと思っているのだ。だから、この期に及んで反逆を企てたとしても、許そう。スールを連れてこなかった、その、ただ一点ですべて許そう」


「……お父様」


「お前たちは、スールとは違う。才覚はほどよく、役目も果たす。嫌おうはずもない。分け身で、家族で、我が愛せなかったのは、ただ一人―――スールだけだ」


 ルトガルは、抱きしめようとしたのか、そっと腕を開いた。トキシィはそれに、酷い嫌悪感を抱く。


 だが、それ以上に感じたのは、並び立つ―――横に立つ、スールのこと。


「――――――」


 スールは、目を剥いて、瞳孔も限界まで開いた、酷い表情をしていた。顔の全体から力が抜け、ただ、ただ、父ルトガルを凝視している。


「……トキシィ様、お願いがあります」


 スールは、トキシィに言う。


「何があっても、手出しは無用でお願いいたします。ワタシがもし負けた場合のみ、後始末をお願いいたします」


「う、うん……あの、スール」


 スールは、ゆらりと剣を構える。構え、地面に突き刺し、憎悪に満ち満ちた濁った声で、言った。


「支配領域『ビフレスト』」


 剣を走らせる。虹の橋が架かる。周囲の光景が空に変わる。局所的に、この場は完全にスールの支配領域によって閉ざされる。


「――――ッ!? 何だ、この支配領域は。まさか、貴様は……!」


 ルトガルの動揺にも何も言わず、ぞっとするような無表情で、スールは父に剣を向けた。


「黙れ、小物。お前からワタシが生まれたなどと考えたくもない。この場で沈め、食い殺して、お前の存在を否定してくれる」


 その鬼気迫る姿に、トキシィは何も言えなくなる。


 そうして、いびつな親殺しが始まる。嫌悪と恐怖、憎悪に満ちた、おぞましい親殺しが。

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