第380話 潜入! トキシィ部隊

 その日トキシィは、あえて普段通りに出勤していた。


 ピリア、スールと共に、普段通りに坂に上り、普段通り魔王城城壁で所属を示して中に入る。すると魔王軍本部の建物に辿り着く。


 中に入り、通りすがる魔人たちに軽く会釈して進む。最初は冷遇されていたトキシィたちも、軍医として多くを助けてきたからか、会釈を返されることも多くなった。


 自分たちに割り当てられた医務室に移動し、待機する。いつもならこの時点ですぐに案件が舞い込んでくるが、今日は違う。


 スールが気を利かせて入れてくれたお茶をすすりながら、トキシィは呟いた。


「あーあ……いつもこんな感じで、朝くらいのんびりできたらいいのになぁ」


 ―――そのとき、爆音と共に、建物全体が揺れたと錯覚するくらいの衝撃が走った。


「来たね」


 誰が何をしたのやら。一拍の静寂を終えて、魔王軍本部が一気に騒がしくなる。


「何だ今のは!」「きっ、緊急収集!」「反乱軍!?」「噂は本当だったのかよ!」


 兵たちが慌ただしく、所属先に戻っていく。トキシィの元にも連絡が届きそうなところを、ピリアが「おーっと、やっちゃった」と舌を出す。


「こんな時に限って手が滑るなんてー。連絡用のアーティファクト、壊しちゃったよー」


「うふふっ、ピリアわざとらしすぎー!」


 三人で軽く笑い合う。それから、揃って立ち上がった。


「じゃ、始めようか」


「りょーかい!」「了解です」


 医務室を出る。三人で、周りに紛れるように小走りで進んだ。


「ピリア、向かう先は分かってる?」


「もちろん! 伊達に暇なとき、この辺で歩き回ってたわけじゃないからねーっ」


 ピリアはそう得意げになって、トキシィが見下ろすくらいの体躯に巨大な鎧を着こんで、結構な速度で進んでいく。


 そんなだから、トキシィ隊は目立つ。目立つ一方で、いつも遊撃の動きをしているから見咎められない。


 何度かトキシィたちを目で追う魔人がいたが、その全員が「今日も忙しそうだな」という目で見ていた。日頃の行いって出るもんだなぁ、と思うトキシィだ。


「ここだよ。ここが、サーカス地区を管理してる庁舎」


 ピリアに言われ、トキシィは建物を見上げた。


 他の建物同様に、四角い作りのしっかりとした庁舎だった。トキシィは一度物陰に隠れ、窓から中の様子を窺う。


「中に人は……いるね。でも少ない。かなりの人数が、もう駆り出されたみたい」


「そだねー。どうする? 暴れちゃう?」


「ピリア、まだダメ。今回は威力偵察だから、まだクビになるには早いよ」


 過激なことを言うピリアを諫めて、トキシィは深呼吸と共に、正面扉から中に入った。それから受付カウンターまで歩み寄り、受付の女性魔人に話しかける。


「今起こってる暴動について、サーカスの資料を当たりに来ました」


「は、はい……! あ、その、トキシィ部隊のトキシィ軍医ですよね? あの、私ずっとファンで……!」


「えっ? あ、ありがとうございます……?」


 キラキラとした目で見られて、戸惑ってしまうトキシィだ。握手を求められたのでとりあえず応じる。


「その、ずっとすごいと思ってて、あの……こ、これからも頑張ってください……!」


「あ、う、うん。ありがとう……」


 受付の女性は、トキシィの手を掴んでぶんぶんと縦に振る。


 急ぐんだけどなぁ、とちょっと困ってしまうトキシィだ。


 そこで、背後から渋い声が聞こえた。


「……うん? トキシィ部隊か? 何故こんなところにいる。お前たちには鎮圧部隊補助の命令を出すよう手配したはずだが」


 ビクリとして振り返る。振り返ると、トキシィたちの上官がそこに立っている。


「え、あ、その」


「まさかとは思うが、軍規違反か? 魔王軍において軍規違反は五度の死刑と決まっている。しかもこんな修羅場で」


 トキシィは、こんなタイミングで、と背筋の凍る思いをする。


 だがそこで、スールが割り込んだ。


「失礼します、上官殿。実は―――」


 そう言って、スールが上官に何かを耳打ちする。すると上官は「なにっ、総大将閣下が……」と目を剥き、それから頷いた。


「あい分かった。トキシィ部隊の動きについて、私から正式に追認する。それと……このことは、ぜひ閣下まで」


「もちろんです。ご協力をありがとうございます」


 上官は隣の受付で素早く手続きを済ませて去っていく。トキシィはほっと胸をなでおろしながら、スールに尋ねた。


「何言ったの?」


「大したことではありませんよ。親の七光りに輝いてもらっただけです」


 悪戯っぽくいうスールに「助かったよ、本当」と言いながら、トキシィは受付で許可証をもらって、歩き出した。


「いやー、危なかったね。スールちゃんがあと一秒遅かったら、ウチが全員殺してたよ」


「ピリアのブラックジョークは洒落にならないからやめて」


「失礼なー。本気だよ!」


「だから言ってるの!」


 ピリアと軽く言い合いしながら、目的の資料室の扉を開ける。


 中には、無数の本棚に、大量の書類がまとめられていた。


 軽く手近な資料を手に取って開く。ざっと読んだ限り、これまでの魔王軍が行った活動の、細々とした報告のすべてがまとめられているようだ。


 本来魔人たちは、こういう細かい仕事に向いてない。しかし記憶を読む魔術と、その情報をもとに自動記述ができる魔術があれば、こういう芸当もできる。


 魔術は、魔法に比べて小回りが利く、と思う。魔法が許されていない代わりに、魔法には許されないことができる、と。


「……でも、この中から情報探すの、結構きついね……。どうしよう」


「数年前にサーカスは変わり始めたという話でしたね。ではそこから当たりませんか?」


 トキシィが悩み、スールが提案する。そしてピリアが言うのだ。


「あったよー。ウチの召喚魔法は最強!」


「私の悩みを返して」


 一体全体何をどうしたら一瞬で探し当てられるのか、とトキシィは渋い顔だ。


 三人で並んで机に座る。ピリアに渡された分厚い資料本を、トキシィが開く。


 書かれているのは、サーカスの治安の変遷だ。以前は単なる歓楽街だった。だが、とある魔人が現れサーカスで力を持つようになってから、変わった。


「『団長キエロ』……」


 ―――魔人にしては温和。攻撃性が少なく、周囲が笑顔でさえいれば満足する。


 ―――『サーカス』なる興行を開始。人々を集めて芸を見せ、歓楽地区でも最も人気を博す。


 ―――人気はうなぎのぼり。バザールの商業ギルドに並ぶ一大事業に発展。魔王軍でも感動する者多数。


 ―――サーカスにて、行方不明者多数が発覚。魔王軍からも、先日にサーカスに赴いた者が消息を絶つ事態が連続する。


 風向きが変わった、とトキシィは読みながら思う。


 ―――団長キエロに魔王軍への出頭命令を出す。団長キエロ、即時に魔王軍に出頭。


 ―――行方不明事件について事情聴取。団長キエロは意味不明な陳述を繰り返す。


 ―――サーカス全域が、団長キエロの支配領域で覆われていると判明。行方不明者全員が支配領域で洗脳され、自らをサーカスの団員であると誤認しているとキエロ本人が明言。


 ―――魔王軍本部での戦闘を避けるため、その場は団長キエロをサーカスへと護送する。


 ―――後日、編成舞台により強制捜査開始。


 ―――先遣部隊全滅。続く部隊も消息不明。


 ―――右大将ルペト殿が軍を率い、サーカスと激突。双方大きく消耗。


 ―――サーカスと講和交渉開始。成立。サーカスを疑似的な駐屯軍とみなし、協力体制を確立。


 ―――月に一度、魔王軍と団長キエロの会談の機会を設置することに決まる。場所は


「……深夜0時、第一歓楽区の時計塔の最上階」


 これだ、とトキシィは思う。時間の指定があるのは、サーカスを覆う団長キエロ支配領域の性質故。


 つまり、サーカス内の時間が深夜0時である状態で、時計塔の最上階に至らなければならないのだ。


「……これで、サーカス陥落のために、ウェイドたちが動き始めることができる」


 トキシィは本を閉じる。二人に目配せして、「任務完了だね」と立ち上がる。


 それから三人で庁舎を出ると、目の前を全身燃え上がる、謎の魔人が歩いていた。


「っ?」


「ん……おぉ。お前たち、噂のトキシィ部隊だな? そして……我が愚弟、スールじゃないか」


 その魔人は、炎を絶えず上げる、炭のような男だった。


 スールよりも濃い褐色の肌が、全身炎で覆われている。対面する程度では熱くないが、体の炎には、触れてはならない、という雰囲気が湛えられている。


 これが、とトキシィは目を瞠った。初めて見る、スールの家族。一目見るだけで、その異常性がよく分かる。


 何せ、全身常に燃えている魔人など、ほどほどに地獄で過ごしてきたトキシィでも、初めて見る存在だ。


「……お久しぶりです、ルペトお兄様」


 スールは、深々と頭を下げた。それにルペト―――スールの兄、右大将ルペトは、スールの頭に触れる。


 スールの頭が、燃え上げる。丁寧に整えられた髪が、焼かれていく。


「出奔してから戻るのに、ずいぶんな時間がかかったな。お前があんなことをするから、オレたちは随分と苦労させられたんだぜ」


「……その節は、大変ご迷惑をおかけしました」


「本当にな。ああ、本当にだ。親父殿の暴力が、いくらオレたちに向かったと―――」


 そこまで言って、ルペトはトキシィたちを見ながら口をつぐんだ。


 スールから手を放し、歩き去っていく。


「悪い、仕事中だったな。噂の軍医様を助け、魔王軍に寄与することだ」


「はい。精進してまいります」


「ふん」


 ルペトは立ち去っていく。その背中を見送りながら、トキシィは「スール……」と名を呼ぶ。


 スールは、煤に汚れた髪を手で梳きながら、言った。


「はい。彼がワタシの兄、右大将ルペト――――我々がいつか倒さねばならない、支配領域を操る、強大な敵の一人となります」

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