第376話 迷いのサーカス
アイスがふと顔を上げると、ウェイド、サンドラ、レンニルの二人が消えていることに気付いた。
「……ウェイド、くん? みんな……?」
キョトンとして、名前を呼ぶ。すると、背後でアイスに掴まっていたローロが、こんなことを言った。
「なるほどね~。変な話ばっかり~って思ってたけど、そういうことだったんだ」
「ローロちゃん、何か知ってるの……?」
「ん~? 知ってるっていうか~、何ていうか~」
ローロはどう答えたものかと考えあぐねている様子で、ぐらんぐらんと頭を揺らしている。まるで首の据わっていない赤子だ。
「ともかく、ご主人様、サンドラ様、ついでにお兄ちゃんも無事だよ~。だけど、慌てると危ないかも~? ……あ、あった。アレだよアイス様~♡」
ローロの指さす方向を見る。そこには、看板が立てられている。
看板には、こう書かれていた。
『サーカスでは、見たいものを見に行こう! 友達なんか気にしない!』
アイスは、それを見て口をつぐむ。ローロが「にひひっ♡」と笑う。
「ほら、あそこにルールが書かれてるでしょ~? だから、あの通りにローロたちはなってるの。だから~」
ローロの挑発的な視線を受けて、アイスは答える。
「―――ウェイドくんも、レンニルさんも、……まだ、ここにいる」
「大せいか~い! って言っても、今は分かんないけどね~。ご主人様は動き早いし、もう探しに行くために動きだしてるかも~?」
アイスは、考える。ルール。サーカスだけに適応されるルール。導き出されるは。
「……っていうことは、ローロちゃん。もしかして、サーカスは……」
「ん~?」
アイスは、確信と共に言う。
「すでに、支配領域に呑まれている……って、こと……?」
「……にひひっ♡ かもね~。にしたって、スラムで呼んだ海の神様よりも大きな支配領域ってすごいな~って感じだけど」
サーカス全部を、ぴったり覆い尽くしてるんだもんね~。ローロは、そんな風に語る。
それにアイスは、無言で戦慄していた。
神と比較してもさら巨大な支配領域。それを、知る限り年単位で構築する。そんなことが、一魔人に可能なのか。
ローロは言う。
「でも、多分ローロたちが分断されたのは、多分根っこのルールじゃないね~。じゃなきゃご親切に、あんな看板立ってない」
そこまで言って、「ううん」とローロは自分の推測を否定する。
「違う。あの看板そのものが罠とか? 認識してなくても、みんな見たからこうなってる……?」
アイスは、ローロの分析が、この不可解な状況の真に迫っているように感じた。可能なら、このまま続けさせてあげたい。
だが、それが許されるほど、地獄は甘くなかった。
「ローロちゃん」
「アイス様、も~ちょっと待って。あと少しで」
「違うの。周り、見て」
「え? ……うっわ~♡」
アイスたちの周りには、曲刀や斧を片手に持ったピエロたちが集まっていた。
気づけば周囲は、深夜を思わせるほど暗くなっていて、他の通行人は軒並み消えている。
「これ、まずいかも~? きゃ~♡ アイス様、守って~!」
「急いで逃げるよ、ローロちゃん……っ!」
ゴーン……ゴーン……、とサーカスの中心近くに立つ、背の高い時計塔から音が響く。それは深夜0時を告げる鐘の音。
ピエロたちは、その場に残る
「アイスクリエイトッ!」
アイスは素早く氷兵を作り出し、道を切り開いた。ピエロと氷兵が斬り合う中を、二人で走って突破する。
だが、サーカスはどこを進んでもピエロだらけだった。アイスは絶えず「アイスクリエイトッ!」と氷兵を生み出して、ピエロたちを退ける。
「ローロちゃん……ッ! 帰り道、どっちだった、かな……!」
「アレ~? そういえば、周りの景色変わってるよね~。これ、地形ごと変えられちゃってる~?」
「……ならッ!」
アイスは巨大な氷鳥を作り出し、ローロを連れて乗り込んだ。氷鳥は素早く高く飛び、空へと舞いだす。
だが、建物の上にいた無数のピエロが、アイスの氷鳥をクロスボウで貫いた。四方八方からの矢を受けて、氷鳥は墜落する。
アイスはうまく氷鳥をクッションにして、ローロと共に地面に落ちた。素早く立ち上がり、再びどうにか逃げ出そうとするも、ピエロたちが迫っている。
アイスは一瞬で様々なことを考え、ローロを抱きしめ庇い守る―――
俺はその後しばらく、三人の名前を叫びながら走り回っていた。
「クソッ、どこにもいない……!」
ギリ、と歯を食いしばる。汗をぬぐい、やはりこれはただはぐれたのと訳が違うと確信する。
だが、どうすればいい。痕跡も何もなく、三人は目の前から消えた。何か、前提から覆されるような攻撃を受けている。そう考えるべきだろう。
そのとき、遠くの時計塔でゴーン……ゴーン……、と鐘の音が鳴った。見れば、まだ数分しか走っていないはずなのに、時計は正午を指している。
「……何だ? もう正午? 俺たちがサーカスに来たのは九時頃のはずだ。三時間経ってるはずがない」
そこで、何か俺は、ピリ、と『マズイ』と確信した。何がどうマズイのかは分からない。だが、いつものように物事に向かう事そのものがマズイと―――
「アッレー? ウェイドじゃーん! おっひさー☆」
その時、目の前から能天気な声が聞こえて、俺は顔を上げた。
「……キリエ。それに二人も」
クライナーツィルクス。先日のスラム潜入前に少しあった以来、しばらく会っていなかった魔人三人組。
その三人が、サーカスの広場の一角で、芸を披露していた。キリエが指一本で巨人のガンドを持ち上げ、その上で、ガンドが、狼獣人リィルでお手玉をしている。
……いや、サーカスの一員とは聞いてたけど、思ったよりちゃんと芸してるなこいつら。
そう驚きつつも、友人との再会に、俺はほっと息を吐いた。何故だか、不思議なくらい俺は三人の存在に安心していた。
と思ったら、獣人娘リィルがぴょんと一回転して地面に着地してから、疑わしそうに俺に近づいてくる。
「……アタシの名前は分かる?」
「え? リィルだろ?」
「オレは分かるか」
「ガンド」
またも一回転して着地した、頬に鱗のある巨人ガンドの問いに、俺は普通に答える。
すると、二人はご満悦になった。
「何だ、覚えてくれていたのか」
「まーた『二人も』~とか言うから、まさかまた忘れたのかと思ったよ」
「いや、流石にな」
と、なごんでいる場合ではない。
「その、芸の途中でごめんみんな。ちょっと助けてくれないか?」
俺が真剣な面持ちで尋ねると、キリエは「何々? どうかした?」と興味津々で聞いてくる。幸い観客は、すぐに他の見世物へと移動してくれた。
俺は、どうすれば切迫感が伝わるか、と思案しながら状況を伝える。
「その、サーカスにみんなで来たんだ。そしたら、気付いたらみんなはぐれてて」
「? はぐれるくらいは普通じゃない?」
「違うんだ。何か変なことが起こらないか気を付けてたのに、はぐれたんだよ」
俺の念押ししての説明に、三人は顔を合わせる。
それに俺は、ダメか? と顔を強張らせた。
俺の諸能力についてを、三人は知らない。だから、『俺が気を付けていた』という前置きは正しく伝わらない。
俺は歯を食いしばる。キリエは言う。
「理解した。それ、ちょっとマズイね」
「……え?」
「となると、多分人によってはもう深夜0時回ってるかも。どうしよっか」
キリエの問いかけに、ガンドが答える。
「ウェイドは強い。教えるだけ教えて、深夜0時に行かせるのがいいかもしれん」
「アリ☆ ウェイド、何人とはぐれた?」
「ええ、と。サンドラが今鏡の迷宮に入ってて、アイス、ローロ、レンニルの三人がいきなり消えた」
「鏡の迷宮入ったの!? 命知らずー! その人も助けなきゃだ!」
「いいや、サンドラは強いから要らない。心配なのはアイス、ローロだけだ。レンニルは危険でも、多分自力で何とかできる」
「分かった。じゃあ深夜にウェイドを送るね☆ キリエも一緒に行くよ。ガンドは鏡の迷宮の様子見てて。リィルは、危なくないけど迷ってるレンニルって人探してあげて」
「了解」「分かったリーダー」
三人は、素早く意思疎通を交わし合意を取った。ガンドとリィルはそのまま散らばり、俺の前にはキリエだけが残る。
「じゃ、ウェイド。ちゃんと聞いてね。これからキリエが言う事は、全部真実だから。疑わずに飲み込むか、もしくは考えて納得して」
「わ、分かった」
俺は頷く。キリエは、こう言った。
「『サーカスは団長キエロの支配領域。この支配領域は理解を拒む。理解が進んだ先では深夜0時が待っていて、そこでは確実に相手を閉じこめ殺す殺人ピエロが蔓延ってる』」
キリエの言葉の直後、再びゴーン……ゴーン……、と鐘の音が響いた。
気づけば周囲は深夜に染まっていて、時計塔は0時を指示している。
周囲には、無数のピエロが立っていた。奴らは武器を持っている。俺は理解と共に、「なるほど」と呟いた。
「そういうことか。時計塔の時間は、実際の時間じゃなく支配領域の理解の深度を測るもの。長く住んでた魔人が消えるのは、理解が進んで出られなくなるから」
「そういうこと~☆ じゃ、二人で助けに行こっか」
「いいや、ここまでで十分だ」
「え?」
姿が見えたなら、この程度、もはや俺の敵ではない。俺はただ、この時間、この場にいるすべてのピエロに対し、命じるだけだ。
「オブジェクトウェイトアップ」
すべてのピエロが、加重された自重に沈む。ぐしゃりとその場に潰れ、完全に動けなくなる。
それを見て「うっっっそ……! これ、え、ウェイド、マジ……!?」とキリエが絶句した。
俺は、バツの悪い顔で言う。
「悪いな。いろいろ事情があって、全力は隠してたんだ。ともかく、さっさとアイスとローロを探そう」
俺は歩き出す。キリエは「う、うん」と戸惑いながら、俺についてくる。
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