第373話 師匠の忠告

 商人ギルド制圧の、翌日のこと。


 俺は一人、宿の酒場エリアで考え事をしていた。


 考えるのは、今後の方針だ。バザール、スラムと制圧し、魔人を塔に派遣して維持している以上、普通に考えるなら、次はサーカスとなる。


 せっかく商人ギルドを制圧したのだ。利用したいが……と、制圧の後のことを思い出す。


 ―――ムングはヨルをし終わった後、『ああ、なるほどな』と言った。


 聞けば、ヨルの手口が分かったのだという。商人ギルドがどうやって回っていたか。誰がギルドにとって重要で、誰が邪魔であるのか。


『これが分かれば、あとはこの転がってる魔人から、上手く選んで調教するだけでいい。楽勝だ』


 ムングはそう言って笑った。


 クレイが『彼ら大商人は精神が強い。……できますか?』と聞いたら、ムングは『並みの調教師には難しいな。だが自分はできる』と。


 それで今日、ムングは大商人をまとめて調教しているそうだ。あとはクレイと組ませれば、商人ギルドは意のままに動くだろう。


 肝心なのは、その商人ギルドを使って、何をするか。


 順当に考えるなら、やはりサーカスだ。情報を集め、サーカスの有力魔人を巻き込み、金の力で魔人たちに要所に攻め込ませ落とす。


 しかし、とも思うのだ。順当。だからこそ、そのまま攻めて良いのか、と考える自分がいる。


 魔王軍の警戒。サーカスの思惑。いまだ動きの感じられない魔王ヘル……。情報はどれだけあっても足りない。


 ひとまず、トキシィに今、魔王軍の情報は集めてもらっている。それ次第で、動きを変えるのもありだろう―――


 そう思っていると「おう、机いっぱいに紙を広げやがって。ガリ勉がよ」と俺の正面に座る者がいた。


「ムティー」


「ようバカ弟子。お前、意外にものを考える性質だよな。戦いぶりは脳みそまで筋肉でできてそうなのによ」


「うるせ」


 ムティーのからかいに、俺は嫌な顔をする。ケタケタ笑いながら、ムティーは俺の散らかした紙を取る。


「へぇ? 魔人たちに集めさせた細かい情報か。……やっぱサーカスの情報が目に見えて少ないな」


「そうなんだよ。侵入がバザールだから、バエル領から連れてきた半数近くがバザールにいるのは仕方がないんだが……サーカスに行った魔人から、情報が全然上がってこなくてな」


 一応、度々雑に命令を下すだけではなく、こっちから直接赴いて話を聞く機会を設けてはいたのだ。ギュルヴィの裏取りやバザールのさらに深い情報などが得られている。


 だが、サーカスはこう……少なくない魔人が向かっているはずなのに、上手くたどれない。それで情報が集まらず、やきもきしているところだった。


 そんな俺に、ムティーは笑う。


「ウェイド、お前は中々頑張ってるから、その努力に免じて偉大なるお師匠様から贈り物を与えよう」


「あん? うぉ」


「この数日、サーカスに潜って得た情報だ。あそこ、下手をすればスラム以上の魔窟だぜ」


 どさ、と渡された紙束を受け取って、俺はざっと眺める。


 これは……。


「……サーカスヤバくね? え、うわ。マジか。俺たち最初に入ったのがバザールでよかったな」


「下手すりゃザコは全滅してたな」


「……うわホントだ、あっぶねぇー! え、こっわ! バザールに入れてよかったー! じわじわ来てる怖さが! 何だこれ! 城下街クソ過ぎだろ!」


 バザール、スラム、サーカス。その内、まともな生活を送れそうなのはバザールだけだと今更になって判明する。


 つまり三分の二の確率で、俺たち一行は破綻する可能性があったというわけだ。思い返してヒヤヒヤしてくる。


 運が良かった。本当に俺たちは運が良かった。


「……む、ムティー。助かった。というか、多分ムティーとかピリアじゃないとこの情報取って帰れなかったろこれ」


「まぁな。しかもこれ、結構最近の変化らしいぜ。スールの知らない出来事ってわけだ」


「い、今になって心が痛い……。運が悪かったら頓死してたのか俺たち……」


 スラムはスラムで、情報なしで行ったら割と多くの魔人が毒牙にかかっていただろう。バザールなら奴隷になっても意外に何とかなるからな。基本店員だし。


 にしても、サーカス。こんな訳分からんところなのか……、と俺はドン引きする。


「次々数が増える深夜の殺人ピエロ、入った者が出てこない鏡の迷宮、誰も知らない団長……。これの積み重ねで、一か月から二か月程度で二百余名が全員行方不明」


 俺は顔をしかめて横に振る。


「いや、いい、やめとこう。ちょっとこれ、本腰入れて考えないといけない奴だ」


 安易にサーカスに攻め込もうという考えは、ひとまず霧散した。無理だろこれ。物量でどうにかなる場所じゃない。


 というか、これ魔王軍も塔をちゃんと運営できてんのか? 無理じゃね? できてるんだとしたら、その情報抜いてからじゃないとどうにもならなくね?


「保留」


 俺はサーカスについて書かれた紙を置く。ムティーがケタケタと可笑しそうに笑う。


「ギャハハハ! そりゃあそうだよなぁ。オレでさえ二、三回ほどケガをした魔境だ。情報のまとめを一目見て理解できるわけがねぇ」


「ムティーがそんななのかよ。やばすぎだろサーカス」


 ムティーって普通なら、どんなに強く殴ってもびくともしないからな。それが怪我を負う時点で、普通でない何かが起こっている。


 俺が嫌な顔をしていると、ムティーが言う。


「本当なら、このレベルのヤバい箇所ってのは、魔王城の内部にあるはずなんだがな。ニブルヘイムの城下街は、ちっとばかし様子がおかしい」


「ムティーから見てもそうなのか」


 俺が言うと、ムティーは「ん? ウェイドもそう思うか?」と聞いてくる。


「そりゃあそうだ。いくら支配領域が強いとはいえ、俺が一瞬負けを覚悟するような敵が、民間で出てくる街なんて想像してなかった」


 一応俺は、世界最強の一角と太鼓判を押されてここに来ているのだ。エイクが想定内ギリギリ最大値の強さで、ドン・フェンは完全に想定外になる。


 ……というか、ドン・フェンって、『誓約』アーサーには勝てるんじゃないか?


 俺は脳内で、過去の敵の強さ比べをする。


 アーサーは硬い敵特化だから、回避のドン・フェンには強さが効かない。四方から同時に絡めとられておしまいだ。飽和攻撃には強いが、完全な同時攻撃にアーサーは弱い。


 逆にシグなら、ドン・フェンに勝てそうだ。ドン・フェンは飽和攻撃に弱いし、脳死で四方を殴りまくれば支配領域も破れる。


 ……じゃあ最強じゃんドン・フェン。俺が戦ってきた最強連中と三竦みなんだが。


 ―――いや待てよ。その最強ドン・フェンを食ったレンニルはどうなる。


「考えることが……! 考えることが多い……!」


「ギャハハハハ! バカ弟子がいっちょ前に悩んでら! はー、良い肴だな」


 ムティーは終始上機嫌だ。俺が苦しんでいるのが楽しいらしい。クソ師匠め。


 俺はムティーが飲んでいた酒を奪ってぐびぐびとやる。「あっ、取りやがったな」と言いつつも、ムティーは笑っている。


「ま、今は待ちのタイミングだ。少しくらい飲んで、羽を伸ばしとけ、バカ弟子」


「……チッ」


 俺は舌打ちをして、またコクコクと飲んだ。中々うまい酒だ。ふぅ、と俺は一息つく。


「そうだな。少しくらいは休んでおこう。それでなくとも色々あり過ぎた。肩ひじ張ってばっかだといけないからな」


「おう、そうだそうだ。ウェイドも中々分かってきたじゃねぇか」


 強い酒らしく、少し思考が鈍るのを感じる。心地よい酔いだ。俺があくびをすると、ムティーは「ああ、そういえば。もう一つ忠告することがあるんだった」と俺を見る。


「ん? 何だよ改まって」


「ウェイド。これから言う事は、冗談じゃないからな」


「え、何だよ怖いな」


 俺が言うと、くくっと喉で笑って、ムティーは言った。




「お前、そろそろを楽しめるようになっておけよ」




 その一言は。


 俺の酔いを、一発で冷めさせた。


「……なに、言ってんだ? ムティー……」


「……そうだよな。お前はそう言う。けどな、オレの、お前の師匠の、純粋な老婆心から言ってんだぜ」


「い、いや、一番言わないだろ師匠なら。その、……弱い者いじめを、楽しめ、だなんて」


「ウェイド」


 ムティーは、初めて見るくらい落ち着いた声で、俺を呼ぶ。


「お前はもう最強だ。だがな、いまだお前には伸びしろがある。お前は、まだ強くなってる」


「……そう、かもな。でも、それがどうかしたかよ」


「今はいい。お前のさらに先に立つ奴がいる。最強の中の最強。『絶対』。ローマン皇帝。あいつがいる限り、お前はまだ同格や格上との戦闘を楽しめる」


 けどな、とムティーは言う。


「いずれ、それが終わるときがくる。今のお前はローマン皇帝に、簡単に殺されるだろうよ。だが、何度も再戦して、いずれ勝つ。お前はいつか、ローマン皇帝を確実に下す」


 ムティーは俺を見る。まるで我が子を、あるいはかつての自分を見るような、ひどく優しい目で。


「その時、お前はどうすんだ」


「……どう、って」


「その時から、お前の相手は、すべて格下だ。全世界が、今お前が無感情に追い払うチンピラしかいない世界になる。その時、お前はどうする」


「……、……、……」


 俺は、ぎゅっと拳を固める。どうする。どうなる。考えて、答える。


「……分からない」


 想像ができない。そう思う。すべてがザコとしか思えない世界。戦い甲斐のない相手しかいない世界。


 それは、前提が狂い過ぎていて、想像もできない。


 ムティーは言う。


「オレの予想だ。お前は狂う。お前の力は行き場を失う。強そう。強いという噂がある。そういう奴を、適当な理屈をつけて片っ端から殺していく。それがお前の将来像だ」


「え、いや、そ、そんなひどいことは」


「そうだな。しないかもしれん。アレクさんみたいな人が便利に使ってくれれば、本当にマズイ神なんかをお前に教え、お前はそれを殺す……そんな生活に落ち着くかもしれん」


 だが、どこかで必ず飽きが来る。


 ムティーは続ける。


「ローマン皇帝を見た人間は、最強のその先を知っている。『絶対』という天上の座が、どれだけ空虚かを知っている」


 例えば、とムティーは指を立てる。


「殴竜シグ。あいつはまだ強くなれるが、アレクさんにそれを止められている。何でか分かるか?」


「……それは、前から不思議に思ってたんだ。シグがもっと強くなれば、ローマン皇帝だって」


「そうかもな。だが、アレクさんはそうしない。親友をローマン皇帝と同じ狂人にしたくないのさ。止められるから、止めてる」


 言外に、『お前は止まれない』と、言われている気分になる。


 そして思う。実際に、俺は止められても止まれないだろう。


 例えば、とムティーは自らを指さす。


「オレは虐殺が好きだ。弱い者いじめが好きだ。何でだと思う」


「……ムティーの趣味が悪いからだろ」


「ハッ。そうだな。それもある。素養がなければ好きにはならん。だがな、ウェイド。考えてもみろ」


 ムティーは、笑みと共に目を伏せる。


「一体オレの人生で、どれだけの時間、オレより強い奴が敵にいたって言うんだ?」


「……」


「そうだ。居なかったんだよ。元は、敵わない、強い奴を倒すためのヨーガだった。だがそれを繰り返して、いつしか誰もいなくなった」


 ムティーは、自らの胸元を掴む。


「なら、このチャクラはどうなる? 用なしか? オレの修行に費やした三十年は? オレは『やることなんかこの世にはもうない』って絶望しながら死ぬしかないのか?」


 俺は、ムティーの言葉に、呼吸ができなくなる。過ぎるほどの強敵と相対したとき以上に、心の底が、冷たく吹きすさぶような思いをする。


「―――だから、オレは『いい奴』であることをやめた」


 ムティーは、自嘲するように笑う。


「弱い者いじめを楽しむようになった。虐殺を楽しむようになった。幸い、オレにはそれができた。その素養があった。だからオレは、無限の寿命をこうやって楽しんでる」


 ムティーが俺を見る。俺に、忠告を繰り返す。


「だから、今の内に言ってやってんだ。『弱い者いじめを楽しめるようになっておけ』。ウェイド、お前には才能がある。最強を超えた絶対になれる―――いずれ必ず、なっちまう」


 俺は、体を固くして、じっと机を見つめていた。下唇を噛んで、拳を固めて、まるで、叱られている子供みたいに。


「……それ、でも」


 俺は、言う。


「できない。俺には、弱い者いじめなんて、楽しめない。だって俺は、勝つことが楽しいんじゃない。……戦ってるあの瞬間の、あの一瞬が、好きなだけなんだ」


 命を懸けて戦う。死ぬかもしれないと思う。その一瞬の輝きが好きなのだ。息が切れて、苦しくて、だがその中に逆転の可能性を掴む、輝きが。


 ――――アレがない戦いなんて、どうでもいい。ザコを蹴散らして何が楽しい。邪魔なだけだ。うざったいから、仕方なく追い払うのだ。


 俺の表情を見て、ムティーは言う。


「……そうか。そうだろうとも、思ってた。責めはしねぇよ。ただ……哀れだなと、思うだけだ」


 ムティーは酒を置いて、立ち上がった。「好きに飲め」と言い残して、部屋に去っていく。


 俺は、その場で、ただ動けなくなっていた。叱られた後のような居心地の悪さが気持ち悪くて、俺は酒に手を伸ばす。


 その時、俺の手に、手を重ねる者がいた。


「……ローロ?」


「にひひっ、ご主人様~♡ な~んで泣きそうな顔してんの~? いじめられちゃった~?」


 いつも通りのローロの姿に、俺は少しだけ体の強張りが解ける。それから顔を背けて、「何でもない」と返す。


「ふ~ん? ま、全部聞いてたんだけど~♡」


「お前」


 俺が睨むと、ローロは可笑しそうに笑う。


「ご主人様、可愛い♡」


 それから、俺の鼻頭をツン、と突く。


「ローロ、やっぱりご主人様に本気になっちゃったかも♡ 前から、『優しくってちょっと好きかも~』って思ってたけど、うん♡ やっぱりローロ、ご主人様のこと好き~♡」


「やめろって、からかうな」


「本当に言ってるのに~。ま、いっか。こういうのは、行動に起こさないと信じてもらえないもんね~」


「行動に起こすって、何するつもりだよ」


「そんなの簡単だよ~! アイス様が言ってた通り、『ご主人様を幸せにする』の♡」


 にひ、とローロは笑う。それから、ローロは俺の耳に口を寄せ、そっと囁いた。


「だから楽しみに待っててね? が絶対に、ご主人様を幸せにしてあげるから♡」


 チュッ、とローロは俺の頬にキスをして、軽やかな足取りで去っていく。


 俺は「あいつはホントこんなんばっかで……」と言いかけて、思う。


「……アレ? 今ローロ、自分のこと『ロキ』って呼んだか?」


 ロキ。大狼フェンリル、世界蛇ヨルムンガンド、そして女神ヘルの親。トリックスター。ラグナロクにおける、もっとも重要な神。


「……いや、流石にただの聞き間違いだろ」


 ナマイキを言って各方面でボコボコにされているガキんちょが、ラグナロクの首魁とは到底思えない。


 この短時間で、妙にいろんなことが起こった。俺はすべてを酔いの所為にして、酒をぐびりと煽る。

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