第365話 ドン・フェン

 ドン・フェンに吹っ飛ばされた俺は、壁を破った先の空中で一回転し、瓦礫だらけになった街中で勢いを殺すように着地した。


 追って地面に足を付けるのは、ドン・フェンだ。奴は分かりやすく激昂していて、目は血走っているし歯もむき出しにして、興奮に呼吸を荒くしている。


「ウェイド、お前に生まれたことを後悔するほどの苦痛を教えてやる……! 何度も殺しぬいて、俺の部下の苦しみのすべてを叩き込んでやる……!」


「いいぜ、掛かってこい。出し惜しみなんかするなよ。本気で俺を殺しにこい」


 俺の挑発に、ドン・フェンはじっと睨みつけてくる。お互いに距離を保ちながら、相手に隙が生まれるのを待っている。


 スラムに、淀んだ風が流れる。ヒュギエイアの毒の霧を、僅かに含んだ冷たい風。


 だからこの地域は、脆弱な魔人は生きられない。俺やドン・フェンのように、強靭な体がなければ。


 呼吸。張り詰める緊張。お互いの脳裏で、どう挑むのが最善かを模索する。


 どう切りかかる。どう殺す。そしてどのように追い詰める―――


「関係ねぇ」


 ドン・フェンは、不意にそんなことを言った。


「俺のグレイプニールは、神でさえ拘束する。ウェイド、お前が何者かなんて、関係のねぇことだ」


 グレイプニール、と俺は内心で繰り返す。


 聞いたことがある。確かムティーの神話語り。女神ヘルの兄弟、大狼フェンリルの拘束具の名前じゃなかったか。


 フェンリル。ドン・フェン。名は、うっすら似ているとは思っていた。だが、グレイプニールまで共通するとなれば―――


 ドン・フェンは体を抱える。自らを拘束するように縮こまり、呟く。


「俺のグレイプニールは、すべてを縛り拘束する。……支配領域『グレイプニール』」


 周囲を、無数の紐が覆い始める。


 それは、まるで緻密に編まれる鳥かごを、内側から見ているような景色だった。ドン・フェンは立ち上がり、「ウェイド、お前の支配領域を見せてみろ」と挑発する。


 それに俺は、微笑んで首を振った。


「悪いな。俺は支配領域が使えないもんでよ」


「は? ……お前、それだけの雰囲気を出しておいて、支配領域を出せないってか? 何だその悪い冗談はよ」


「冗談じゃないんだよな、これが。ま、俺は俺なりの戦い方がある。お前はお前で好きに戦えよ、ドン・フェン」


「……」


 じっと、訝しげにドン・フェンは俺を睨む。それでも動かない俺を見て、ドン・フェンは口を開いた。


「支配領域ってのは、包まれればその魔人に空間の支配権がいく。支配権を握った魔人とそうでない魔人には、雲泥の差に近い実力差が生まれる」


 だから、とドン・フェンはさらに表情を険しくする。


「支配領域持ち同士は、必ず支配領域が展開された直後、相手の支配領域が空間を支配しきる前に、支配領域を展開する」


 ドン・フェンの支配領域はさらに閉じていく。俺は、まだ動かない。


 ドン・フェンはそれに、俺の油断を見たのか語気を強く語り続ける。


「そうすれば、空間の支配権の奪い合いに変わるからだ……! 支配領域内で抗う、なんていうをやらずに済む」


 負け戦、と呼ぶ気持ちは分かる。大鹿エイクの支配領域に包まれたときは、中々に楽しい戦闘をさせてもらった。実力以上の物を、エイクは見せてくれた。


 支配領域とは、そういう魔術だ。かつて戦った錬金術師、香箱の神を名乗ったアルケーに近いことをやる。しかも方法論のない支配領域は、術者以外に支配権を奪われることもない。


 グレイプニールによる鳥かごが、編み終わる。視界が一瞬、闇に包まれる。


 それから一拍おいて、目が慣れ、周囲が見えるようになった。


 そこにあったのは、暗い洞窟だった。牢獄を思わせる、堅牢な洞窟。四方八方に、漆黒の紐が張り巡らされている。


「そして今、俺の支配領域は、閉じ、完成した」


 ドン・フェンは言う。もはやそこに、怒りはない。何でこんなバカを相手にしなければならないんだ、と言わんばかりの呆れ顔すら浮かべて、ドン・フェンは俺を見る。


「『グレイプニール』は閉じるのが遅い分、が強固な支配領域だ。分かるか? ウェイド。……お前はもう終わりだ」


「何言ってんだよ。やって見なきゃ分からないだろ?」


「分かるから言ってんだよ、バカが。魔獣の腹の中に納まって、まだ負けてないなんてほざくつもりか?」


 なるほど。確かに支配領域は、飲み込まれ腹の中に収められるのに近い。


 だがそれでも、ドン・フェンは分かっていないのだ。


 俺はいまだ五体満足で―――世界最強の一角であることを。


「なら、分からせてやるよ。お前の相手が、誰であるのかをな」


 俺は、動き出す。


 重力魔法を生かした肉薄は、瞬時に俺をドン・フェンの鼻先にまで近づけた。ドン・フェンは目を丸くし、俺はデュランダルを振りかぶる。


「―――速さには驚いたが、それだけだ」


 グレイプニール、縛れ。


 ドン・フェンの言葉と同時、俺の四肢は縛られていた。それに俺は瞠目する。


 気づけなかった。言葉と同時に縛られていた。回避する猶予もなかった。リポーションの反発すらすり抜け、俺は拘束されていた。


 全力で抗うが、軋みを上げる気配もない。恐らくデュランダルでも切れまい。そういう、概念的な力が、この紐には宿っている。


 ドン・フェンは「ハ」と嗤った。


「この支配領域の中で、グレイプニールの拘束は必中だ。だから言ったろうが。ってよ」


「……!」


 必中にして解除不能の拘束。なるほど、これは確かに、勝利を確信するに足る効果だ。閉じた瞬間に、俺に対して呆れだすのも分かる。


 だが俺とて、新しいルール下で戦う、圧倒的不利な戦闘は初めてではない。


「デュランダル、切り落とせ」


 重力魔法で、俺はデュランダルを素早く動かし、自らの四肢を切り落とした。直後、第二の心臓アナハタ・チャクラが、俺の全身を復元する。


「ッ!? 何ッ」


「よっしゃ! じゃあお互い全力になれたことだし、ここからは正面からの殴り合いだぁ!」


 俺は拳にガントレットとしてのデュランダルを纏い、素早く拳を叩きつけた。左右に連撃を加え、足払いをしようとすると、ドン・フェンは叫ぶ。


「引き離せグレイプニール!」


 俺の腕が瞬時に縛られ、急激に引っ張られた。大剣のデュランダルで素早く腕を切り落とし再生。再び俺はドン・フェンに肉薄する。


「グッ、マジかよテメェ!」


「ハハハハハハハ! 楽しくなってきたなぁドン・フェン! なぁおい!」


 拳を放つ。ドン・フェンの爪が迫り、ギィン! と鈍い金属音を立てて弾きあった。膂力はほぼ同格。速度も近い。これは【反発】の通用する敵じゃないな。


 ならば、ドン・フェンが遅くなればいい。


「オブジェクトウェイトアップ」


「っ!? 体が重く……!」


「オラァまだまだ行くぞォッ!」


 遅くなったドン・フェンに、素早く拳を叩き込む。ドン・フェンはそれを捌こうとするも、加重慣れしている分俺の方が速くて重い。


「がっ、ごぁっ! グレイプニールぅっ」


 俺の殴打を受けながらも、ドン・フェンは支配領域の名を呼ぶ。そこで、俺は気付くのだ。


 ドン・フェンが、笑っていることに。


「引き、千切れェッ!」


 直後。


 俺の体は、いつの間にか巻き付いていたグレイプニールによって、バラバラに引きちぎられる。


 四肢どころではない。首も、胴体も、文字通りの八つ裂きにされ―――


「――――――ブラフマンアートマン!」


 一瞬失いかけた意識を取り戻して、俺は叫んだ。アナハタ・チャクラが鼓動して、バラバラになってできたグレイプニールの隙間から、俺の体は瞬時に復元される。


 そこに、ドン・フェンの爪が迫っていた。俺は防御が間に合わないと回避に動く。しかしドン・フェンはそれを読んでいたのか、あえて目の前で一拍遅らせて爪を振るった。


 俺の胴体が、ドン・フェンの爪に貫かれる。たまらず俺は、血を吐いた。


「ウェイドぉぉぉおおおお……! お前、強ぇじゃねぇかよぉおおお! 支配領域の中で、よくもまぁそこまでやれるなぁ、おらぁぁぁああああ!」


 体の内側を貫く爪で持ち上げられて、俺は反対の手で放たれた一閃に吹き飛んだ。だが瞬時に回復し、素早く着地する。


「ようやくやる気が出てきたか? ドン・フェンさんよぉ」


「ガハハハハッ! 神を呼び出してスラムを荒らして、どんなゲスかと思えば、ウェイドお前、ただの戦闘狂かぁ!」


 ゲラゲラと笑って、ドン・フェンは俺を見る。先ほどまでの憎悪のこもった目ではない。同類を見る目で、ドン・フェンは俺に向かう。


「なら、支配領域を待った道理も分かる。舐めてたんじゃねぇ。お前は、支配領域込みで、俺とやり合いたかったんだな?」


「おっ、分かってくれたか。あと、俺が支配領域を使えないのは本当だぜ?」


「疑ってねぇよ、もうな。つーか、それだけの不死性を備えてる奴が支配領域持ってたら反則だろうが」


「違いない」


 俺は再び大剣デュランダルを掴み、構える。ドン・フェンはどこから呼び出したのか、足元に張り詰めたグレイプニールを張り、足で何度か踏みつけている。


「魔人はもともと不死だ。だからよ、不死性を高めるような使い手は初めて見たぜ。……つうかよ。お前本当に魔人か? さっき掛けたこの体が重くなる奴、魔術じゃねぇだろ」


「さぁ、どうかな? お前が勝ったら教えてやるよ」


「へぇ。じゃあボコボコにのしてやらねぇとなぁ!」


 俺が踏み込み、剣を振りかぶる。ドン・フェンが俺を指さし、「グレイプニール!」と呼びだす。


「武器を奪え!」


「チッ! 弱いところ突いてきやがって!」


 デュランダルが奪われる。大剣の方はもちろん、手甲の方も、瞬時に現れた紐が巻き取っていってしまう。


 だが、俺は止まらない。ドン・フェンの懐に入り込み、拳を構える。そんな俺に、「武器さえ奪っちまえば、後はどうとでもなんだろ!」とドン・フェンは爪を振るう。


 俺は、笑った。


「悪いが、デュランダルは攻撃が通らないような硬い敵を破るための物でな」


 貫き手。重力魔法とアナハタ・チャクラで強化された肉体により、俺の鋭く尖らせたては、易々とドン・フェンの毛皮を貫いて、体内に侵入した。


「あ?」


「お前がそうだったらどうしようかと思ったけど、安心したよ。ドン・フェン、お前柔らかいな」


 俺はドン・フェンの体内を手探りにし、掴めそうな内臓を強く握って引きちぎる。


「ガハァッ!?!??」


 ドン・フェンの内臓を、手で直接引き抜く。胴体の穴から血が噴き出て、遅れて内臓がこぼれた。ドン・フェンはゆらゆらと揺れながら後退し、血の泡を吹いて倒れる。


「第一ラウンドは、俺の勝ちだな」


「うぐ、ぷ、か……」


 ドン・フェンが力尽き、ガクンと首を垂れた。命令者を失って紐が解け、デュランダルが返ってくる。


 そこに、割り込んでくる者がいた。


「なら、こうだァッ!」


 復活したドン・フェンが、再び支配領域の中に入り込んでくる。「グレイプニール!」と名を呼び、空間に命じる。


「おっ、次はどんな手でくるんだドン・フェン!?」


 俺は武器を再装着して、ドン・フェンを迎え撃つべく、構える。


 ドン・フェンは言った。


「ウェイドを、殺せ」


 その言葉が響いた瞬間、


 俺のチャクラは、すべてグレイプニールに絡めとられ、砕かれていた。


「――――――ッ!?」


 概念攻撃も出来るのかよこの紐! 俺は歯を食いしばる。直後、俺の体にグレイプニールが、紐が全身に巻き付いてくる。


 ドン・フェンは語った。


「ウェイド。お前の秘密は、戦っていていくらか分かった。概念的な補助を入れて不死性を構築し、肉体を支えて暴れまわる。だからその補助から砕いて、肉体をねじ伏せる」


 ニィィ、とドン・フェンは嗤う。スラムの王が、本気を出す。


「お前を後悔させるほど追い詰められなかったのは痛いが、まずは一回だ。一回、確実にお前を殺す。次会った時は、もっと追い詰めてやるから、覚悟し―――」


「ざけんなオラァッ! こっちはたった一個の命で頑張ってんだよバ―――――カ!」


 ブラフマン! と短縮した真言マントラを唱え、まずはアナハタ・チャクラだけでも復活させる。


 だがアナハタ・チャクラは不完全だ。体がバラバラになったら、復活が遅れる。だから俺は、巻き付いてくる紐を、関節を外して抜け出した。


「ククッ、ガハハハハッ! しぶといなァウェイド!」


「うるせぇッ! つーかよぉっ! お前一回殺しても支配領域解かれねぇんなら、こっちはどうやって勝てば良いんだってんだよ!」


「言っただろッ! 俺の支配領域は、が強固だってな!」


 俺の背後から、グレイプニールが追いすがる。


 幸いなことに、即座に現れるのは命令直後のグレイプニールのみであるらしい。それ以降は、必中効果はつかないのか。


 俺は全力でドン・フェンへと駆け抜ける。体重を軽くし、一歩歩くたびに反発で体を押し出し、切りかかるデュランダルを直撃寸前で加重する。


 ともかく、再びドン・フェンを殺す。急接近からの一撃で、真っ二つにする。


 そして刀身がドン・フェンの体にめり込んだ瞬間、ドン・フェンは言った。


「グレイプニール、欺け」


 ドン・フェンの体が、瞬時に紐の集合体に変化する。めり込んでいたと思っていた剣は、弛んだ紐を上から打ち落とすばかり。


 だが、声は背後から響いていたのを、俺は聞き逃さない。デュランダルの加重を消して俺は反転、移動先のドン・フェン目がけて切りかかる。


 ドン・フェンは嗤った。


「そして、絡めとれ」


 緩んだ、先ほどまでドン・フェンの姿だった紐が、急激に張り詰めた。絡んでいたデュランダルが、背後に引っ張られ、俺の本気の一撃が、ドン・フェンの直前で止められる。


 ドン・フェン目がけてデュランダルを振り下ろそうとする俺に、その一寸先で不敵に笑うドン・フェン。


 ギリギリと、デュランダルとグレイプニールが音を立てる。


 そこで、ドン・フェンは言うのだ。


「にしても、たった一つの命、ねぇ。おい、ウェイド。まさかとは思うが、お前―――人間か?」


 疑うドン・フェンに、俺は挑むように笑う。


「なら、何だってんだよ」


「……そうだな。些細なことだ。お前が人間だろうと、俺が魔人だろうと、お前が俺を魔人と知った上で、支配領域に呑まれて挑んできた事実は、変わらねぇ」


 フッと鼻で笑い、奴は続けた。


「勝つのは俺に、変わりないんだからな」


 ドン・フェンは、爪を振りかぶる。

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