第360話 愛を畏れよ

「――――――――ッ!?」


 ダンタリオンも、多くのハウンズも、全員が爆風に巻き込まれた。衝撃に吹き飛ばされ、石の破片に身を裂かれ、熱に体を焼かれ焦げ落ちる。


 それが、だいたい十数秒。苦痛の中にあるその時間は想像を絶して長く、ダンタリオンの体は半ばまで炭化して倒れこんだ。


 迷路は壁も天井も、すべて崩壊していた。一部からは天井を超えて地面を破り、空の光さえ刺しこんでいる。


「な……ぜ……? 自らの、身も、顧みずに、こんな……」


 朦朧としながら、ダンタリオンは顔を上げる。


 そこには、先ほどまで拘束していた少女たちが、同じく爆炎に焼かれ砕かれ、中から立ち上がっている姿があった。


「―――――」


「ごめんなさい、ダンタリオン、さん……っ。あなたは本当に強くて、だから、いくつかの誤解を利用させて、もらいまし、た」


 白い少女は言う。いや、白い少女をした氷の人形が、主を模して言う。


「一つは、氷兵が直接戦力である、という誤解。氷兵は、確かに強いんですけど、真価は『砕かれて尚、破片のままに動くことができる』ということなん、です」


 少女の形の氷人形は、手首のところで自らをへし折って、手首を差し出す。手首は、自由自在に動いた。


「迷路の色んな所に散っていた氷兵は、ハウンズさんたちに負けた後、手首だけで動いて『爆発』のルーンを至る所に刻み、ました」


「……つまり、此度の戦いにおいて、貴女の氷の兵士は、実態としては工兵であった、と……?」


 確かに、白い少女が直接乗り込んでくるのに、散兵として氷兵は迷路に散らばっていた。囮かと思っていたが、違った。あの散兵こそが、敗北を前提とした本部隊だった。


 むしろ、囮にあたるのは―――


「はい。そして次に、日頃から鳥と兵士の姿しか見せないことによる、こういう……誰かの姿そっくりな氷の人形は、作れない、という誤解」


 少女の姿をした氷人形は、穏やかに微笑む。


「本体としてわたしが迷路の中に現れれば、戦略を誤解したダンタリオンさんは、きっとわたしの表面上の戦略の脆弱性をついて、現れると思い、ました……っ」


「ええ、ええ……。すっかり、騙されて、しまいました……」


 となれば、この氷の兵士たちは、自己増殖性すら持っていることになる。恐ろしいほど汎用性に長けた魔だ。


 しかし、ダンタリオンは思うのだ。


 甘い、と。


「それでは、あなたはここに、拘束させていただき、ます」


 氷の兵士たちが複数出現し、ダンタリオンを取り囲む。それにダンタリオンは、言った。


「―――いい、え……! まだ終わって、いません……ッ」


 ほとんど炭になった体を叱咤して、ダンタリオンは仰向けになった。すると、近くで辛うじて生きていたハウンズが、その腹部の服を破る。


 すると、ダンタリオンの腹にあった、巨大な口が露出した。ダンタリオンは、腹部の口を大きく開く。


「ハウンズ、たち。我が、愛し子、たちよ」


 ダンタリオンは、とぎれとぎれになる意識で、必死に言葉を紡ぐ。


「私と共に、生きて、くれますか……?」


 その呼びかけを受けて。


 すべてのハウンズたちが、最後の力を振り絞り、立ち上がった。


『◇△〇■×〇■×◇〇■×◇◇△〇■×!』

『△〇■×◇△〇■×〇■■×◇◇×◇〇!』

『■×〇■×◇△〇◇×■×◇△〇■◇〇!』


 猛烈な勢いで、ハウンズたちはダンタリオンの巨大な口に、自ら飛び込んでいく。ダンタリオンの腹部はそれを、猛烈な勢いで食べ、咀嚼し、生きながら飲み込んでいく。


「――――ッ」


 その意味が、白い少女には分かるようだった。「氷兵!」と急いでダンタリオンにとどめを刺すよう命じる。


 一方ダンタリオンは『踊り食い』をしながら、脳裏に様々な感情と記憶が流れ込んでくるのを感じていた。


 たった一人の魔人として過ごした辛く冷たい様々な記憶。そしてダンタリオンの元でハウンズとなって過ごした、温かな記憶。


「人は、一人では、生きられない」


 すべてを食らいつくしたダンタリオンは、そう言いながら立ち上がった。襲い来る氷兵たちの刃を、体に生えた無数の腕で受け止め、氷兵たちを薙ぎ払う。


 そうして、ダンタリオンは、数百数千を超える魔人たちの集合体となった。体躯はちょっとした巨人ほどの物になり、迷路の天井から頭がはみ出るほど。


「お嬢さん方。あなたにも、この安心感を伝えてあげたい。多くの人々が、共に一つになっている温かな気持ちを。どんなことがあっても、一人ではないという実感を」


 少し身じろぎしただけで、周りの迷路は砕け、天井は崩落を広げていった。巨大な魔人の集合体となったダンタリオンに、光が差し込んでいる。


「ともに、一つとなりましょう。お嬢さんだけではない。スラムのすべて、この城下街のすべて。魔王様も、いいえ、このニブルヘイムのすべてを!」


 白い少女は、驚愕と恐怖を混ぜ込んだ表情で、ダンタリオンを見上げていた。


 だが、それもすぐに変わる。一つになれば、この温かさをすぐに理解することになる。


 そう思っていた瞬間、少女の表情が変わった。


 くす、と。まるで、手のひらで踊る人形を楽しむように。


「踊り食いの話を聞いたとき、こんな事態になるかも、って。少し、思ったん、です」


 だから。と少女は上を指さす。ダンタリオンに刺しこむ光が、何かの影に遮られる。


 それは、まるで、ドラゴンのようなシルエットだった。


 いくつもの長い首を持ったドラゴン。何だ、とダンタリオンは思う。目を凝らして、やっとその姿を理解した。


 それは、空を飛ぶ少女だった。その周囲に、複数の首を持ったドラゴンの幻影がまとわりついている。あるいは、少女がそのドラゴンの幻影の核となっているのか。


「うーわキモ。アイスちゃん、ナイス声掛け。こういうのに、私は強いからね」


 空を飛ぶドラゴンの少女が、ダンタリオンに向けて手を伸ばす。その手のひらに、魔法陣めいた陣が、ドラゴンの口から吐き出される。


「ヒュドラ、行くよ。――――『猛毒息吹ドラゴンブレス』」


 九つあるドラゴンの首が、一斉に陣に向かって息を吹きかけた。同時それは、毒々しい一筋の線を走らせて、ダンタリオンの胸を貫いた。


「か、ふ……っ?」


 たった一撃。ダンタリオンはただ一回体を貫かれた程度では、もはや死ぬことのない体になっていたはずだった。


「ごばっ、ごばぁぁああああああああああ!」


 しかし、その一撃は、遅れてダンタリオンの体を蝕んだ。ダンタリオンは膝をつき、大量の血を吐く。


 体のすべてが、飲み込んだ魔人たちのすべてが苦しみに叫んでいる。血を吐きながらダンタリオンは冷や汗を滂沱のように流し、震える体は言うことを聞かない。


 毒か。ダンタリオンは推察する。ひどい、味わったことのないようなひどい毒が、全身を蝕んでいる。


「……あ、そっか……。踊り食いってことは、一回殺せば、それで終わり、ですね……。復活しない、から」


 氷の少女人形は、ダンタリオンに近づいてくる。


 ダンタリオンはもはや、何をすることもできない。苦しみに喘ぎ、血を吐き、不可避の死を前に震えるばかり。


「じゃあ……、最後に、一つだけ……。あなたは、愛とか、幸せとか、言ってましたけど」


 そんなダンタリオンの耳元で、氷の少女人形が囁くのだ。


「―――あなたの博愛は、たいして温かくも幸せでもないと思います、よ?」


 ハッとして、ダンタリオンは顔を上げた。そして、見るのだ。


 その、氷人形にすら宿るほどの、深い愛情を宿した瞳。ドロドロと濁り、その中ですら霞まぬ鮮烈な光を湛えた、狂愛に満ちた目を。


「……ああ、私は、とんだ思い違いを、していたのですね」


 ダンタリオンは悟る。


「あなたを、道端の人々を簡単に虐げられる、愛なき人と勘違いしていました。しかし、違った」


 痛覚が、消えていく。体の内に抱えた魔人たちが、一人ずつ死んでダンタリオンから離れていく。


「あなたは、愛ゆえにそうしたのですね。たった一人、本当に愛する人のために、葛藤を乗り越え、非道をなしたのですね」


 ダンタリオンが言うと、にこ、と少女は微笑んだ。ダンタリオンは、全身が毒の苦痛に、そして恐怖の理解に震えだすのを感じながら、言う。


「あなたは、怖い人だ。あなたのような愛を抱える人が、最も怖い。何せあなたのような人は、何だってする。愛のために、愛の証明のために、命も、世界さえ愛に捧げてしまう」


 ならば、ダンタリオンに悔いはない。ダンタリオンがいくら博愛を地獄にもたらさんとしても、この少女の愛で踏みつぶされてしまう。


 そんな無為が、絶望でなくて何だというのか。絶対に敵いようのない存在がいることを知ることが、絶望以外の何だというのか。


「ああ、ああ……! 神よ、お願いします、どうか……」


 最期に、ダンタリオンは震えながら願った。


「―――私を、憐れみたまえ……」


 カッ、と強い光が、ダンタリオンを焼く。全員が、そのまばゆさに目を覆う。


 そうして再び見たそこには、ただダンタリオンの姿をした、塩の塊が残されていた。

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