第359話 ダンタリオン

 ダンタリオンは、複数ある拠点の一つに移動しながら、今後について考えていた。


「にしても、すさまじい荒れ具合ですね。第一住居区から広がった崩壊が、第二住居区を半分近く侵食しています」


 道を歩いていて思うのは、元々ボロボロだった家々が、悲しいまでに瓦礫と化しているということだ。


 まったく、誰の仕業やら。スラムには、奪うものもさしてないだろうに。むしろ、奪われつくして見向きもされない人々の、流れつく場所のはずなのだが。


「悲しいですね。もっと救ってあげたかったですが、まずは我が身です。お嬢さん方を引き入れつつ、安全を確保しなければ」


 ダンタリオンは、出会った二人の少女について思う。


 元々は、道端の人々の誘拐は、魔王軍の采配であると考えていた。ダンタリオンは苦々しく思いながらも、日々を暮らせているのは魔王軍のお蔭と自粛していたのだ。


 しかし蓋を開けてみれば、真実は違うようだった。氷を操る少女たちの背後には、魔王軍の気配はなかった。


 であれば、話は変わってくる。


 道端の魔人たちは、悲しみに暮れ動くことすらやめてしまった、哀れな人々だ。それをいたずら半分に弄ぶなんて、許しがたい。


「みなさん、今からでも幸せになれるのです。力がないなら合わせればいい。そうして合わせた力で幸せは掴み取れる。いたずら半分に弄んではいけません」


 ダンタリオンは、義憤に駆られながら、それに手を掛けた。


 それは、一見すると馬車のようだった。馬もなく、廃棄された馬車。スラムではよく、寝る場所に困った魔人の一夜の宿として、使われることが多い。


 ダンタリオンの拠点の一つ……につながる、隠し通路の入り口の一つだった。


 ダンタリオンは、直接戦闘に長けていない。弱いわけではないが、ハウンズを使役した方がよほど強い。


 だから、恨みの抱かれやすい暗殺業を営むのもあって、多くの隠れ家を持っていた。


 その内、地震にも、毒の霧にもやられていない場所につながる通路の入り口が、この馬車だ。


 扉を開けて馬車に乗り込んだダンタリオンは、椅子の下の隠し扉から、地下に潜った。すると階段が現れ、さらに下ると迷路のように入り組んだ道が現れる。


 魔術で作られた迷路は、道順を知って移動しなければ、迷って一生出られなくなる。そしてそれは、ダンタリオンの魔術だ。複雑怪奇な迷路は、ダンタリオンの手の上。


 故に、ダンタリオンは理論上、完全に安全な隠れ家を持っていた。


「ふぅ、やっと着きました」


 迷路を歩き終えて階段を上り、ダンタリオンは自宅に当たる屋敷の玄関に辿り着く。


 その時点で、すでに迷路は姿を変えている。万一ダンタリオンの後を尾行しても、その道情報は数秒後には意味を喪失しているのだ。


 それでダンタリオンは、屋敷につくなりホッと息を吐いた。それから、大広間ではしゃいで出迎えてくれるハウンズ―――異形の怪物たちを、満面の笑みで抱きしめる。


『◇△〇■×〇■×◇〇■×◇◇△〇■×!』

『△〇■×◇△〇■×〇■■×◇◇×◇〇!』

『■×〇■×◇△〇◇×■×◇△〇■◇〇!』


「そうですか、そうですか。アストリッド、エリク、フリーダ。地震は怖かったですね。でも、屋敷に何事もなくて良かったです」


 ダンタリオンはハウンズたちを愛おしく撫で、ハウンズたちはまるで犬のような無垢な愛をダンタリオンに返してくれる。


 ダンタリオンは、ハウンズたちのすべてを愛していた。


 ハウンズたちは、すべてダンタリオンにとっての大切な家族だ。愛を注ぐダンタリオンに、ハウンズたちもまた愛を返してくれている。


 彼ら彼女らをひとしきり撫で戯れてから、ダンタリオンは告げる。


「ひとまず、ご飯にしましょうか。保護した道端の人たちが、まだ倉庫にたくさんいます。今日もいっぱい食べられますよ」


『△〇■×◇△〇■×〇■■×◇◇×◇〇!』

『◇△〇■×〇■×◇〇■×◇◇△〇■×!』


「そうですね、グンナー、イーヴァ。ご飯が楽しみですね」


 上機嫌にダンタリオンにじゃれてくるハウンズたちに、ダンタリオンはつい笑顔になってしまう。


 その時、ハウンズが走り出した。


『■×〇■×◇△〇◇×■×◇△〇■◇〇!』

『■×〇■×◇△〇◇×■×◇△〇■◇〇!』


 数体が素早く動き出し、ダンタリオンの背後に向けて爪を振るう。すると、「ピィッ」と小鳥のような悲鳴が上がった。


「……何ごとですか? ラグナル、シグリッド」


 ハウンズは、地面に落ちたそれを口で拾って、ダンタリオンの前に示した。


 それは、氷の鳥のようだった。透き通る氷の体。それは、ハウンズを差し向けた、あの少女たちを連想させる。


「……小さな鳥。なるほど、尾けられましたか」


 ダンタリオンは、難しい顔で「食べて良いですよ」と告げる。ハウンズはぐしゃりと氷鳥をかみ砕く。


『◇△〇■×〇■×◇〇■×◇◇△〇■×!』


「トヴィ、ひんやりとして美味しいですか。良かったですね。それはそうと……屋敷にまで至っているということは、迷路を通じてここまで来たのですね」


 となれば、少女たちは、すでに迷路の攻略に動いているだろう。


 思った以上にできる、とダンタリオンは評する。


 元々、あれだけの兵士を大動員できるだけの魔力があること知っていたが、逃げながらもこちらに尾行を付けていたとは、抜かりない。


 とはいえ、だ。


「迷路に忍び込んでいるなら、それはチャンスというものです。ここで、大いに削らせていただきましょう」


 迷路はダンタリオンの支配下にある。そこで彼女らの氷兵とハウンズが戦えば、地の利も兵隊一体当たりの戦力差でも、大きく差が出る。


 そして、氷兵が砕かれれば、その主の魔力も削れる。魔力がなくなれば、彼女らは無力な少女だ。後は丁重にハウンズにお招きさせればいい。


「すべきことは、二つですね」


 ダンタリオンの陰から、大量のハウンズたちが出現する。彼ら彼女らは、大広間にて、ダンタリオンの前に規律正しく整列した。


 そのすべてはダンタリオンにつながっており、攻撃手段であるとともに、目であり耳でもあった。思考能力のある彼らは、ダンタリオンの意思をすでにくみ取っている。


 ダンタリオンは、彼ら彼女らに、優しく語り掛けた。


「状況は分かっていますね? 半分は、すでに放っているお嬢さん方の発見と無力化部隊に合流。もう半分は、迷路に展開しているでしょう氷の兵士たちの掃討にかかってください」


 展開! ダンタリオンがそう告げると、ハウンズたちは我先にと駆け出していく。


 先ほど空き家の屋根裏で見つけた少女たちだが、追わせたところすぐに雲隠れしたため、近くに隠れているはず、というのがダンタリオンの見立てだ。


 飛んで逃げようとしても、増やした飛行型ハウンズがそれを見つける。走って逃げるのも、やはり地上型ハウンズが見つける。


 であれば、かなり高い確率で、少女たちは近辺に潜んでいる。彼女たちに残された手は、もはやダンタリオンを直接倒し、指導者を失って戸惑うハウンズを突破することだけ。


 そして、それを今から効率的に叩き潰すのが、ダンタリオンの策だ。


 ダンタリオンはハウンズから送られてくる様々な情報を統合して、それを元に迷路内の情報に置き換える。


 手の内に浮かび上がるは、小さな迷路の全体像。その上でハウンズの姿が四方八方に移動し、視界に移るすべてを手のひらサイズの迷路に反映する。


 それを見て、ダンタリオンは気づくのだ。


「―――ほう、そう来ましたか」


 迷路の至る所で氷兵はハウンズに発見され、容易く打倒されていく。その中で、ハウンズは氷兵でないシルエットを捉えた。


 すなわち、二人の少女の姿。


 氷兵たちの主である敵本体が、迷路に直接攻め込んできたのだ。


「なるほど。単体兵力で劣るならば、逐次投入できる体制で戦う、ということですか。素晴らしい胆力ですね」


 そして実際に効果的だ。一対一の戦いならばハウンズが勝てても、それが二対一、三対一に変わればハウンズは負ける。


 ハウンズに遭遇した少女たちは、即座に氷兵を追加投入し、消耗なしで勝ち進んでいた。このまま迷路を踏破し、どうにかダンタリオンに辿り着くも目論見だろう。


「恐らく、ハウンズと私が、知覚能力がつながっていないと踏んだのですね。ハウンズの数にも限りがある。迷路が例え突破できなくとも、消耗なしに殲滅できれば、それもまた勝利の一つ」


 策士だ。それも度胸と知恵のある、上等な策士。


 実際はハウンズの情報をダンタリオンは掌握していたが、そうでなければ気づかぬ内に懐まで入られていただろう。そうなれば、勝負は分からなかった。


 ダンタリオンは思う。それだけの策士ならば、全力でもって迎え撃つのも一つの礼儀だろう、と。


 手のひら迷路を一度閉じ、ダンタリオンは穏やかな笑みと共に呟く。


「お嬢さん方。あなたたちに敬意を払いましょう。そして私があなたたちを下した暁には、愛とは何か、幸福とは何かを教えて差し上げます」


 ダンタリオンは、再び迷路へと足を運ぶ。カツカツと音を立てて、石階段を下る。


「さしあたり、調教師さんにお願いして、魔人の踊り食いがおいしく楽しいことをお分かりいただかなければなりませんね。そうすれば、きっと私たちは仲良くできることでしょう」


 それに、と言いながら、カツンとダンタリオンの足が迷路の地面を叩いた。ダンタリオンの影から、ハウンズが飛び出てくる。


「自らを兵士の逐次投入点として、局所的な兵力優位を勝ち取る。……その戦法は、実は私が使ってこそ強い手なのですよ」


 再び、ダンタリオンは手の上に迷路を浮かべた。それから、手のひら迷路に手で触れて、壁を素早く動かしていく。


 すると、現実の迷路の形も、同様に変化し始めた。壁は移動し、その過程で何度か氷兵をすりつぶし、ダンタリオンの望む形に変化する。


 そして、ダンタリオンは、少女二人の前に立っていた。


「……っ!?」


 真っ白な髪を腰まで伸ばした少女が、ダンタリオンの登場に目を丸くする。それに、ダンタリオンはただ、優しく微笑みかけた。


 ダンタリオンの背後には降りてきた石階段。迷路はすでに円形の空間に早変わりし、お互いの前方に同数程度のハウンズ、氷兵が並んでいる。


「わ~! アイス様、やっばいよこれ~! 直接侵入して常に二対一で挑めば勝てるって言ってたのに、向こうも同じ手使ってきたら負けちゃうよ~!?」


「ローロちゃん、黙って……!」


 態度を見るに、白い少女が氷兵たちの主で、小柄な方は付き添いに近い存在なのだろう。白い少女は焦った様子で、目を剥いてどうにか状況を打破せんと頭を回している。


「美しい」


 ダンタリオンは、思わず吐息を漏らしていた。白い少女が、困惑の気配を強める。


「お嬢さん。あなたから今、強い生命力を感じます。この極寒の地の底でなお色褪せない、窮地の中で一層輝く、生命力を。それはとても美しく、素晴らしいことです」


「何を、言ってるんです、か……?」


「私は、生命の活力を愛しているのです。強く逞しく生きる生命は素晴らしい。生きてこそすべては始まる」


「……?」


 少女たちは、困惑のままにダンタリオンを見つめている。ダンタリオンはそれを気にも留めず、今度は肩を落として言った。


「ですから、生きる気力をなくして倒れているというのは、可哀そうで見ていられない」


 分かりますか? とダンタリオンは近くのハウンズを撫でる。ハウンズは嬉しそうに、尻尾の位置にある腕をバタバタと振る。


「生命は一度きりです。魔人のように、何度死んでも生き返られるというのは、生命の輝きを棄損してしまう」


「……でも、ここはニブルヘイム、でしょう……? 地の底、地獄です……」


「そうですね。地獄なのだから生きていないと言うこともできます」


 しかし、と強い意志を込めて、ダンタリオンは白い少女を見つめた。


「しかし、だからこそ、一度きりの人生には価値があります」


 力説するダンタリオンを、白い少女は青い顔で見つめ返す。ダンタリオンは止まらない。


「愛を知り、幸福に一度きりの人生を生きる。そんな営為は地獄でもできると思うのです。どんな形であれ、痛みと苦痛にすり減って塩の柱になるのは、可哀そうではありませんか」


 分かりますか? とダンタリオンは訴える。


「地獄の底、このスラムでも、幸せに生きるということができるのです。その手伝いを、私はしているだけ。あなたのように利用するのは、感心しません。ですから」


 ダンタリオンは手を上げる。ハウンズたちが、一斉に臨戦態勢に入る。


「お嬢さん。あなたへの抗議と、私の活動がいかに幸福をもたらすかを伝えるために、私はあなたを下しましょう」


 ―――ゴー、ハウンズ、ゴー!


 手を振り下ろしながら発されたダンタリオンの号令に、一斉にハウンズたちが飛び出した。


 白い少女は素早く「迎撃!」と命じ氷兵を動かす。しかし、それでもハウンズと氷兵の力量差は、そのまま結果へとつながる。


 ハウンズは氷兵の同量出現し、可能な限り一対一を維持しながら戦う。それはつまり、一方的に氷兵が減っていくということ。


 ハウンズに多少のダメージが入っても、それはすぐにダンタリオンが魔術で回復する。だから、二倍にも至らない兵力差が、戦略の差で一気にダンタリオンに傾いた。


 かかった時間は、たったの数分。それだけで、ハウンズは少女たちを抑え込む。


「う、ぐ……」


「あ、アイス様~……。こ、これ、マジでマズイ奴じゃな~い……? ローロ、こんな化け物になりたくないよ~……?」


 勝利。ダンタリオンは、少女たちを抑え込むハウンズを除いて、背後に下がらせた。それから、彼女たちのそばまで歩み寄る。


「まずは、賛辞を。あなた方は、素晴らしい胆力で私に抗いました。そのことを素直に讃えたい。じり貧の戦いを、わずかにでも勝機のある戦いに変えて見せた」


 ダンタリオンが手を叩くと、ハウンズたちが訳も分からず追従した。パチパチばちばちと、拍手とその真似事の音が、迷路だった空間に響き渡る。


「そして、新しい家族として、歓迎の意を表します。ぜひお名前を教えてください。ハウンズになった時、その名前で呼びたいのです。名前は、魂に刻まれるものですから」


 ダンタリオンが呼びかけると、小柄な少女はへの字口で黙した。一方白い少女は俯いたまま、ぼそぼそと何かを言う。


「……―――」


「ああ、すいません。もう少し大きな声でお願いできますか?」


 ダンタリオンは、自分からも耳を近づける。


 白い少女は、言った。


「起爆、して」


 その言葉と同時、迷路に爆炎が満ち溢れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る