第357話 猟犬とその主

 遠くで、嵐が消えた。海は波を穏やかにして、まるで湖面のように、静かに波紋を広げている。


「……クレイくん、勝ったんだ、ね……!」


 アイスは海の中心で立つ巨人の姿を見ながら、そう呟いた。それから、「わたしも負けないように、頑張らなくっ、ちゃ……!」と自らを鼓舞する。


 それに水を差すのは、アイスが助けたローロだ。


「アイス様~、そんなこと言ってるけど、この状況、どうするの~♡」


 アイスはむっとしてローロを見る。するとローロは「キャ~こわ~い♡」と言って、キャッキャとアイスの背中に回って引っ付いてくる。


「もう、そんなことをしてる場合じゃない、でしょ……?」


「は~い、ごめんなさ~い。にひひっ」


「まったく、もう……」


 そんな言葉だけの謝罪に、アイスはため息をついて許してしまう。


 魔人だが、思ったよりも立ち回りが上手いというか、思ったより愛嬌がある、というのはアイスのローロに対する最近の評価だ。


 人間相手に許されるコミュニケーションの範囲を、学んでいるのだろう。少なくとも、裏切りや襲撃といった過激な行動は、最近めっきりと見なくなった。


 思ったよりも、頭が切れる子なのだろう。それでなくとも、言葉で状況を左右させるだけの知性がある。


 だからアイスは、ローロに言うのだ。


「ローロ、ちゃん。本当にウェイドくんのことが好きだって言うなら、力を貸してくれ、る?」


「この状況をどうにかするために~?」


「うん……っ。ここであの人をどうにかしないと、きっとどこかで良くないことになる……! わたしは、そう思う、から」


「いいよ~♡ っていうか、どうにかしないと、ローロも多分無事に帰れないしね~」


 にひひっ、と笑うローロ。だが正直、この状況に笑える点は一つとしてない。


 この―――小さな空き家の屋根裏に、二人で縮こまって、ハウンズと呼ばれる異形から隠れている状況に。


『◇△〇■×?』『◇△〇■×、◇△〇■×◇△〇■×〇■×◇』『〇■×◇』


 気味の悪い、人間の部位を乱雑にくっつけあった異形。それが外にも、この空き家の階下にも、無数にうろつきまわっていた。


 目的は、敵対したアイスとローロを見つけ、殺すこと。何故こんな状況になったのかは、数分前に遡る。











 ポセイドンの嵐によって空き家を破壊されて空中に投げ出されたアイスは、巨大な氷鳥を出現させて、その上に乗ることで難を逃れていた。


「……あれ」


 氷鳥に滑空させ、他の落ちるままの仲間を回収する。「やばかった~!」と起き上がったのは、最近行動を共にすることの多い魔人の少女、ローロだった。


「あ、アイス様が助けてくれたの~? ありがと~!」


「……意外、だね。ローロちゃん、お礼とかって言うんだ……」


「ご主人様とかって結構言うじゃ~ん? それで『ああ、人間ってこういう感じなんだ』って覚えたんだよね~。外で使うと勢いで拉致られるんだけど~」


 にひひと笑うローロに苦笑しつつ「そう、だね。わたしたちと過ごすなら、そういう人間の特徴は、押さえた方がいいかも、ね」と同意しつつ、そのまま氷鳥を飛ばす。


 ポセイドンは、非常に強力な神だった。なるべく遠くまで避難しておいた方がいいだろう。


 少なくとも、邪神召喚に失敗したアイスは、他のメンバーに負担を掛けるべきではない。


「……」


 アイスの召喚失敗については、思うところは多い。何故呼び出された『何か』は、アイスそっくりだったのか。ヘルは一体どうなったのか。


 しかし、それを考えるのは今ではない。アイスは首を横に振って、これからのことを考える。


「このまま、トキシィちゃんの方を様子見しつつ通過して、帰投する、よ……! わたしは戦場にいるだけでリスクだから、可能な限り早く離脱しない、と……!」


「アイス様、前」


「え……っ? きゃっ」


 意識を前方に戻した瞬間、氷鳥は何かとぶつかっていた。何だ、思うよりも前に、氷鳥とアイス、ローロは錐揉みしながら墜落していく。


「――――ッ」


 何とぶつかった。いや、それは後回しで良い。アイスは他に氷鳥を作り出し、ローロを抱きしめて氷鳥に回収させ、軟着陸を目指す。


 かくして、アイスたちは何とか地面に墜落することなく、地面に至った。体勢を上手く整えられなかったから、氷鳥の着地と共に地面を転がることとなったが。


「ぺっ、ぺっ! うぇ、雪たくさん食べちゃった~……」


「んぐ、ぷはっ。ローロちゃん、大丈夫……?」


「大丈夫~。アイス様も何とか生きてる~?」


「うん……っ。……っ?」


 軽く雪に埋まった二人は、雪を払いながら起き上がる。その過程で、正面に立っている人物に気付くのに、少し遅れてしまっていた。


 その人物は、紳士服に中折れハットを合わせた、老紳士だった。


「これはこれは、大丈夫ですか? お嬢さん方。凄まじい地震でしたね。そこから、逃げてきたのでしょうか」


 アイスは、その特徴を知っていた。道端の魔人たちを集めるにあたって、横やりを入れかねない人物である、と忠告された相手。


 異形・ハウンズの飼い主、ダンタリオン。


 アイスは、平静を取り繕いながら答える。


「は、はい……っ。大丈夫、です。ご心配を、おかけしました」


 この騒動の中にあっても動じることのない様子に、自分の素性がバレるとマズイ、とアイスは判断した。すぐさまアイスは自分たちを軟着陸させた氷鳥を溶かして消す。


 だが、そういった証拠隠しは、意味がなかったらしい。


「ところで……、お二人は、この氷の鳥の飼い主なのでしょうか? 私のハウンズ―――その中でも飛行する者が、お嬢さん方の乗るこれに、ぶつかったと言うのですが」


 ダンタリオンは、手に氷鳥の翼の切れ端を掴んでいた。その背後から、羽らしきものを生やした異形が、のそりと姿を現す。


『◇△〇■×』


「ええ、そうですね。痛かったですね、ブリトニー。ところで、お嬢さん方。重ねて質問をしてしまうのも不躾なのですが……先日、道端の人々を攫って行ったのは、あなた方の兵士ですか?」


「……っ」


 ダメだ、と思う。アイスが何を言っても、ダンタリオンはすでに確信を抱いている。さらに言えば、その確信は事実なのだ。となれば。


「そうだと言えば……どうするつもり、ですか?」


「いえ、なに。何のことはありません」


 ダンタリオンは、穏やかな老爺らしい、温かでしわくちゃの笑みを浮かべ、言った。




悪い子は捕まえて、ハウンズに加えるいい子にするだけですから」




「アイスクリエイトッ!」


 アイスの間髪入れない詠唱に、一気に十数体の氷兵が作り出される。同時に、ダンタリオンの背後から湧き出してきたハウンズが、一気に氷兵に襲い掛かってくる。


「走るよ、ローロちゃん……ッ!」


「っひゃ~! やっばいのに見つかっちゃったねアイス様~っ! にひひっ」


 全速力でアイスは、ローロと連れ立って走る。


 近距離戦は、アイスの領分ではない。素性の知れないほど遠くに陣取り、頭脳と魔法だけで敵を追い込む。それこそがアイスの本領。


 その意味では、敵陣に身を置いているだけで、すでに劣勢であると言える。


 アイスの邪神召喚の儀式だけ人数が多かったのは、そう言うことだ。


 アイスは直接戦力ではない。それを、神殺しの手順の関係で、どうしてもその場にいる必要があっただけ。


 誰かに助けを求めるか、と思うが、みんな今は必死だろう。迷惑を掛けるわけには行かない。


 それでなくとも、アイスはたった一人シグに有効打を入れられないまま、この地獄に無理やりついてきたのだから。


「……!」


 アイスは、その判断を間違っているとは思わない。思わないし、思わせない。そう言うつもりで、この場に臨んでいる。


 だから、助けは呼ばない。負けて周りに後悔をさせる、ということもしない。それだけは、アイスに一番許されないことだから。


「アイス様~! あの建物、造りしっかりしてて、隠れるのによさそうじゃない?」


「ローロちゃん、ありがとう……! そこに行くよ……っ」


 ローロと共には知りながら、アイスは背後を確認した。まだ氷兵たちは、不利な戦いの中で果敢に戦っている。


 隠れるだけの時間は十分あると、二人は空き家に飛び込んだ。

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