第355話 ここからどう動く

 塔の最上階から観戦を終えた俺は、「なるほどな」と腕を組んでいた。


「あの二人の戦いで、大体理屈は分かった。んで、今回の漁夫の利作戦のメイン目的がほぼほぼ達成されたな」


「……あの、ご主人様。海なんですが。ここが塔だから辛うじて生き延びてるだけで、一面海なんですが」


 窓から荒れ狂う海を見下ろして、レンニルは言う。ドン引きの顔だ。気持ちは分からんでもない。


「そうだな。でも俺飛べるからいいじゃん」


「確かに。そう思うと壮観ですねこれ。」


 速やかな納得である。レンニルも大概大物だな、と思う。


 そこで、レンニルが「うわっ」と声を上げた。見れば、クレイが窓から乗り込んでくる。


「やぁ、ウェイド君にレンニル君。あの戦いは見てたかい?」


「見てたぞ。いやド迫力だったなアレ。見てて楽しかったぜ」


「そうだね。しかも、ドン・フェンを除いたエーデ・ヴォルフは壊滅した。あとは僕たちがポセイドン、ウェイド君たちがドン・フェンを倒すだけだ」


「リーダーを倒さないとまた決起するもんな」


 そこまで言って、俺は思いだす。


「あ、そういや、この状況で魔王軍戻ってこないなら、何か上手く生き埋めになってんのかな。今のうちに魔王城の保護外しとくか」


 俺が仕掛けに振り返ると、いつの間にか居たスールが「僭越ながら、済ませておきました」と壁に触れていた。


 保護塔から、解除の魔力が放たれる。しかし周囲は荒れ狂う海。魔王軍の気配のケの字もない。


「スール、ナイス働き。ここまでは順調そのものだな」


 俺がホクホク顔で言うと、レンニルとスールが「「いやいやいや」」と激しく首を振る。


「ここからですよご主人様。これからあの化け物二人を、俺たちでどうにかしなきゃなんですから」


「そうですよ、ウェイド様。見てくださいこの荒れ狂う海を。何ですか海とは。ここは雪の降り積もる極寒の大地、ニブルヘイムでございますよ」


 二人から言われ、俺は「いやそれはほら、お楽しみだから。なぁクレイ」と同意を求める。クレイは微笑んで「二人ともごめんね。ウェイド君はいつもこうだから」と言った。アレ?


「まぁいいか。クレイ、アイスたちの様子は知ってるか?」


「アイスさんは知らないけど、飛び回ってるトキシィさんからは、少し話を聞いたよ」


「トキシィっていうと、ヒュギエイアの担当か。トキシィの魔法印の、毒の女神だろ?」


 俺が言うと、クレイは頷く。


「そうだね。ポセイドンは、このままなら次はヒュギエイアとぶつかるんじゃないかと睨んでいるんだけど」


「お、それも観戦してから挑むのがいいか?」


 俺の考えに、クレイは「いいや、これはむしろ、絶対に阻止しなければならないね」と答えた。


「そりゃ何で」


「ヒュギエイアが、予想よりも不可解な顕現の仕方をしたようなんだ。ほら、ここから毒霧が見えるだろう? 目を凝らすと、その下に溜まってる汚泥が見えるはず」


「おーおーやってるやってる。キモイなアレ」


「避難中にトキシィさんに聞いたけど、あの汚泥にヒュギエイアが混ざっているらしいんだ。で、ポセイドンは海の神。ひいては液体の神になる」


 ん? と俺は嫌な予感を抱く。


「何か、ヤバくないか?」


「その予感は正しいと思うよ。恐らくだけど、ポセイドンとヒュギエイアの激突は、想像もつかない事態に陥る。例えばそう―――」


 クレイは、皮肉っぽく言った。


「この荒れ狂う海が、すべてヒュギエイアになったら、どうなると思う?」


 沈黙。俺も、レンニルも、スールも緊張の面持ちで口を閉ざしている。


 辛うじて、俺が答えた。


「……なんにも、分かんないな……」


「そうだね。何も分からない。そういう事態になる。下手すればバザールやサーカスまで滅ぶ。それだけ聞けば魔王城への攻め入りが楽になるかもしれないけど、保護塔の攻め落としとその維持に割ける魔人は、少なくともほとんどいなくなるはずだ」


 うまくいく可能性はゼロではないが、かなりの賭けになるらしい。窮地ならば手を出す価値のある手だが、上手く事が運んでいる今は、手を出す意味はないだろう。


「なら、激突前に神を倒す必要があるな」


「そうだね。特にポセイドンの支配領域は、見る見る内に範囲を伸ばしてる。アレは国を落とせるね。そういう権能だ。ギリシャ神話圏でもないのにこれなんだから恐れ入るよ」


 ザパァァン! という激しい音に気付いて窓を見ると、いくらか水位が上がっていることに気付く。マジで早い対処が必要そうだ。


「じゃ、クレイ、頼むぜ。想定通りなら、クレイが一番


 俺が言うと、クレイが誇らしげに、「君の力になれてうれしいよ」と勇ましく微笑んだ。「頼んだぜ」と俺は拳を差し出す。お互いに軽くぶつけあう。


 クレイはキリリと表情を引き締め、言った。


「じゃあ、スールさん。行きましょう。僕らの仕事は早くに終わらせた方がいい」


「畏まりました、クレイ様。ではウェイド様、レンニル君、お先に失礼いたします」


 クレイが先んじて窓から飛び出し、あとをスールが追った。すぐさまクレイはテュポーンを呼び出し、海をかき分け挑みだす。


「よっし、じゃあ俺たちも、ぼちぼちドン・フェン探しと行くか」


「そうですね、ご主人様。……にしても、何だか悪手になっちゃいましたね、向こうの神の召喚」


 苦い顔で、遠くの、毒の霧と汚泥をレンニルは眺めている。


「ふたを開けてみれば、悪手にしかなってない。しかも厄介そうです」


 釈然としない面持ちで見つめるレンニルに、「そう言うなよ」と俺は諭す。


「元々、制御不可能な邪神を呼び出そう、っていう派手さ先行みたいな策だったんだ。それに、ポセイドンが不発だったならヒュギエイアの方で目的が達成された可能性もある」


 つまりは、と俺は続ける。


「邪神召喚は、すべてにおいて賭けだった。ポセイドンが大成功だっただけで、他も可能性として呼び出されたもの。その時点で無駄じゃないんだ」


「……そういうものですか?」


「ああ。それに―――」


 俺は、毒霧を眺める目を、スッと細める。


「恐らくだが、召喚と討伐で、されることになる」


「……どういうことです?」


「さぁな。どちらにせよ、俺は家族を信じるだけだ」


 俺がそう言うと、レンニルは表情を柔らかくして「そうですね」と首肯した。


「何があっても、家族ばかりは信じられますから」


「何だよ、レンニル。思ったより妹想いじゃんか」


「いえ、俺は……出来損ないの兄ですよ。家族として、多くを与えてやれなかった」


 レンニルは、目を伏せて言う。俺がまばたきをすると、レンニルは「ともかく」と続けた。


「何があっても、家族は大事と言うだけです」


「そうだな」


 行くぞ、俺はレンニルに告げて、窓に手を掛ける。

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