第353話 合縁奇縁と高みの見物
空気のうねりは、一瞬にして俺たちの隠れていた空き家を粉々にした。
「――――ッ、このくらいは軽くしてくるよなぁ神ってのはよ!」
風は渦を巻いて嵐になり、俺たちを細かく打ちながら回りだす。まるで風の牢獄だ。だが、完成はしていない。
「全員散らばれ! 逃げられない奴は近くの強い奴に助けを求めろ!」
俺が叫ぶと、全員からそれぞれに返事がきた。意識を失っている奴はいなさそうだ。
その中でも、俺の近くにいたレンニルを回収して、俺は「ウェイトアップ!」と自重を増やして、風の牢獄から脱出する。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「レンニル黙ってろ! 舌噛むぞ!」
泣いて感謝するレンニルと共に落下し、墜落寸前で重力を弱めて着地する。レンニルを解放すると、腰が抜けたように地面に手をついて、ぶるぶるとレンニルは震えていた。
「し、死ぬかと思いました……」
「しょっちゅう死んでるだろお前ら兄妹は」
「そ、それはそうなんですが、こう、いつもの死とはかけ離れたレベルの死を感じたというか」
形容しがたい感覚を説明しようとして、もやもやとレンニルは手を動かす。俺は笑って「気持ちは分かるけどな」と苦笑した。
周囲を見回す。岩陰の後ろ。少し警戒しながら待ったが、何も起こらない。
どうやらポセイドンは、俺たちを見失ったようだ。だが油断は出来ない。さっさと安全な場所に移動すべきか。
レンニルが、不安そうに俺に聞く。
「それで、ここからどうするのですか?」
「一旦このまま、散り散りに逃げて隠れる。元々の目的は、邪神にスラムを荒らさせることだからな。エーデ・ヴォルフは大所帯だし、削れるのを待つ」
すぐに挑んではならない、ということだ。隠れて時間を稼ぐ必要がある。
他の面々も、経験のある連中だ。最低限の指針はすでに与えてあるから、動きに迷いが生じることもそうないだろう。
ということで、残念ながら決めた班組みはこれをもって終了である。せっかく決めたが仕方ない。こういうこともある。
俺は連絡のためにコーリングリングをこするが、反応は帰ってこなかった。
「……だよなぁ」
みんなまだ修羅場なのだろう。落ち着いたタイミングで連絡をくれればいいか、と俺は諦める。そこまで不安のあるメンツでもなし。
もっとも、心配がまったくないではないが。ローロとか、ローロとか。
……本音で言えば、近距離戦力でないアイスも心配だが、過保護だと怒られるからな。ここは旦那として、ドンと信じよう。
あとはそうだな。エーデ・ヴォルフがどの程度削れたのかも分からないと、動きだすタイミングも分からないか。
となれば、方針は決まったも同然だろう。
「よし、レンニル。今の内にタワーに上るぞ。陣取って、高台から街の状況を確認する」
「……とことんまでスラムを荒らすつもりですね。分かりました。俺はザコですが、出来る限り頑張ります」
「よし、その意気だ」
俺はレンニルの背中を励ましで叩いて、共に魔王城保護塔を目指して駆けだした。
駆け抜ける街並みは、ひどいものだった。
「神よ! おぉ、神よ! 神よ!」
信仰のルーンを刻まれて、偽りの意思に動かされる抜け殻の魔人たちが、ポセイドンの暴虐に涙を流して感動していた。
「何だあいつは! クソッ! お前ら、出動だ! スラムにだってなぁ、壊されちゃならねぇモンがあるんだよ!」
暗殺ギルドの魔人と思しき集団が、武器を持って突撃している姿があった。
そして何も語らない死体と化して、そこら中に放置された死の痕跡があった。
その渦中に立つは、ポセイドン。海と地震の神。ギリシャ神話圏における、最強の神の一柱だ。
もうここからは見えないくらいに離れていたが、それでもその暴れようは、離れていても存在感を放っていた。
荒れ狂う嵐と、断続的に走る地震と崩壊。スラムの中でもこの周辺は、すでに半壊している。
それに、スラムの住人は大わらわだ。見事にポセイドンは、スラムにとって無視できない存在になったらしい。
「暗殺ギルドもぶっ壊れてんな」
通りかかった暗殺ギルドでは、下敷きになった魔人もいたらしく「助けてくれぇ」と声が上がっていた。
「ウェイド様。今の声……っ」
「……そうだな。行くか」
知らない魔人なら無視するところだったが、聞き覚えが立ったので、俺たちはギルド跡地へ近寄っていく。
「よっ、せ!」
重力魔法で瓦礫に【軽減】を掛けつつ持ち上げ、その隙間にレンニルが潜り込んで引きずり出す。
出てきたのは、猫背の小柄な体躯に蛇の尻尾。調教師ムングだ。
「た、助かったぜ、ウェイドさんに、レンニルさんよ。あのままだと、数日にわたってゆっくり死んでくところだったぜ」
「無事でよかったです」
ムングの礼に、レンニルは深く首肯する。
何かレンニルらしくないな、と傍らで見ていて思う。こいつもっと軽薄なイメージがあるんだが。
「いいや、礼には及ばないさ」
本当に及ばない。実行犯俺たちだし。何なら謝る必要があるくらいだ。
と思いつつ俺が黙っていると、ムングは遠くで暴れているポセイドンの様子を見て「ひぇえ恐ろしや」と顔をしかめる。
「くそ、何だってこんなことになってんだ。ここはニブルヘイム、地獄だぞ。建物は急に崩壊するし、そこかしこから神を崇める声が聞こえやがる。頭がおかしくなりそうだ」
「……」
俺は目を逸らす。ムングはそれに気づき、信じられないという目が俺を見る。
「……え、マジか? 確かにそういう依頼を受けたが、お前か? お前らなのか?」
「いくら欲しい?」
「ふざけんなバカ野郎! お前暴れ方派手過ぎなんだよ!」
ボカッと一発殴られる。俺は返す言葉がなく、甘んじて殴られた。
しかしそれ以上ムングは俺を糾弾するつもりはないらしく、腕を組んで「……だが、いい機会か」と呟く。
「おい、ウェイドさんよ。何かの縁だ。自分だけでも罪滅ぼしがてら世話してくれよ。どうせ今後も調教師の腕は必要だろ?」
「お、マジ? 仲間になってくれんの?」
「元々スラムの仕事にはうんざりしてたところだ。そう考えたら、ここまでぶっ壊してくれたことに感謝すら湧いてくるな。お前さん、金払いはいいだろ? 雇われてやるよ」
「分かった、交渉成立だ。これから頼むぜ、ムング」
俺たちは握手しあう。レンニルが「あの、そろそろ周りがヤバそうです」とポセイドンの嵐を気にしながら言ってくる。
「そうだな。さっさと移動しよう。ムング、バザールの方まで逃げられるか? 俺たちが引き起こした事態ではあるが、制御できてるとは言い難い。守り切れるか微妙だ」
「お前さんらの拠点の場所だけ教えてくれたら、そこに逃げ込むぜ」
「分かった。場所は――――」
俺が場所を教えると、ムングは「じゃ、これからよろしくな」と言って、駆け足で逃げ出した。「世渡り上手だな」と俺はそれを見送る。
そこから再び走って、俺たちはタワーの麓まで移動していた。
「これより原因不明の嵐に対処すべく、総突撃を行う! 情報では、中心に人影を見たとの証言あり! 人災である可能性が示唆される!」
隠れて様子を窺う限り、魔王軍は列をなし、全員でポセイドンに対処する方針のようだった。
トップがどれだけ強いかどうかにもよるが、見た感じは期待できなさそうだ。
「なお、第二住居区でも、原因不明の霧が発生しているという情報もある! 魔王軍住居区第二駐屯兵団と連携して動く可能性があることも留意せよ!」
ほう、と思う。トキシィの担当するヒュギエイアとかいう神の方も、何やら早々にやらかしているらしい。すでにスラムはしっちゃかめっちゃかだ。
「総員! 出発!」
隊長の号令を受けて、魔王軍がポセイドンの鎮圧に動き出す。
となると、多分めちゃくちゃ死んで、めちゃくちゃタワーから復活するはずだ。高台に上りつつ、魔王軍が疲弊するまでは保護の無効はしないでおこう。
「よし、行ったな。上るぞレンニル」
「はい、ご主人様」
俺たちはタイミングを見計らって、素早くタワーを登った。内装は、前回の塔の様子と同じだ。働く場所に、自動拷問室、苦しむ虜囚がいた。
魔人は残酷だ。だが、人間とは本来こうなのかもしれない、とも思う。それを、法やルールが上手く制御して社会ができている。
法。魔法。世界のルール。そんな益体もないことを考えながら、俺たちは塔の頂点に上った。
「さて、戦況はどんなもんか、っとな」
俺は窓から覗き込み「うわっはは」と引きながら笑ってしまった。
邪神召喚の影響は、壊滅的だった。
まず、俺たちはいくらか見誤っていた。海と地震の神、ポセイドン。奴の地震の影響は、すでにスラムの半分を占め、バザールにまで余波が及んでいた。
しかも、よくよく注視したところ、なにやら水生生物らしき尾びれを持った、ライオンだか何だかの、妙なキメラが街で魔人たちを食い荒らしている。
ポセイドン一柱でこれだけの破壊力を持つのに、辛うじて逃げ延びる奴も、使役する魔物で狩れるのか……。何だその殲滅力は。これがギリシャ神話の最強神か。
次に、トキシィが相対する毒の女神、ヒュギエイア。
スラムを両断する、魔王城から伸びる一本の大きな川。それを超えると、魔王軍の言う第二住居区になる。他の地域も同じで、魔王城下街は魔王城から流れる川で六等分されている。
その、第二住居区の、一番低地に、それは溜まっていた。
紫のおどろおどろしい霧。その奥に溜まっている、漆黒の汚泥。見ているだけでゾワゾワするそれらの上で、トキシィらしきドラゴンの姿がチラチラと飛び回っている。
「アレはアレでどうするんだろうな……」
「な、何ですかアレは……」
「さぁな。どうなんのか……」
ポセイドンも強すぎて難敵だが、ヒュギエイアの方も何をどうしたらいいのか分からなくて厄介そうだ。
他には、と俺は街並みを見下ろす。すると、見覚えのある毛むくじゃらが、多くの暗殺者の先導に立っているのが見えた。
「出てきたな、ワンコロどもめ」
エーデ・ヴォルフ。先陣を切るドン・フェンに、続くギルドメンバーたちが、気勢を上げてポセイドンに向かっている。
俺はそれを眺めながら、ふと思うのだ。
「なるほど、これは確かにツマミとかお菓子が欲しくなるな」
暗殺ギルド随一の実力者、狼獣人ドン・フェン。
対するは、ギリシャ神話圏最強神の一柱、ポセイドン。
どれだけエーデ・ヴォルフは健闘してくれるかな、と俺は高台で観戦を始めた。
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