第348話 すべてあなたのためのもの

 夜、拠点に戻った俺たちは、げんなりして酒場エリアの席についていた。


「お帰り、三人とも」


 出迎えてくれたのはサンドラだ。「飲み物要る?」と聞かれ「頼む……」「お願い……」「ローロも~!」と俺たちはぐったりして答える。ローロは元気かもしれない。


「みんなどうしたの。議長から話聞けなかった?」


「いや、聞けたんだが、召喚の儀式に必要な準備がこう……無理というか」


「かなり長期間を見据えれば、何とか……?」


「邪神ってやっぱり簡単な存在じゃないんだね~♡」


 楽しみにしていた計画なだけに、実現不可能なのでは? と思ってしまって、俺たちは力が抜けている状態だった。


 それに、サンドラは「?」と首をかしげている。


「よく分からない」


「神を信仰していて、かつ穢れて欲しいと望む人間か魔人を、千人惨たらしく殺してその血を捧げるんだと」


 しかもその惨たらしく殺す、という手順も厳格に決まっていて、自分で実行しようとしたらかなり心に来る感じだった。


 俺は議長からもらった手順メモをサンドラに見せる。サンドラは中身を見て、「なるほど」と閉じた。


「確かにこれはある程度困難。策を考える必要がある」


「どーしたもんかなぁホント……」


 まず千人の生贄を探す、というのが大変だ。バエル領から連れてきた村人は千人を超えるが、そのすべてを生贄に動員できるわけではない。


 結構捕まってるし。信仰も微妙だし。


 俺は考える。正直、手間が勝る計画だ。邪神を呼ぶ、というのは派手で楽しそうではあるが、スラムを更地にするだけならもっと早い手段がある。


「ただいま。今日も商売繁盛だったよ」


「こっちは今日も激務だったー。ウェイドー慰めて~」


 クレイとトキシィが並んで帰ってくる。続いてトキシィの魔王軍医チームであるスールとピリアが。


「みんなお疲れ様だ。ちょうどこっちも邪神召喚の手順持って帰ってきたぞ。……ただし、実現できるかかなり微妙な奴だけどな」


 俺が肩を竦めて言うと、クレイ、トキシィが慌てたように「……どんな手順なんだい?」「それが手順メモ? 見せてっ」とこっちに寄ってくる。


「「……」」


 沈黙。二人は、渋い顔でサンドラから奪い取った手順メモを、食い入るように見つめている。


「……なぁ、少し提案なんだが」


 メインメンバーが揃っているし、と俺は口を開く。


「邪神作戦、一旦ゴーサイン出した手前申し訳ないんだけどさ、今からでも変えるか?」


 俺が言うと、驚いたような顔で、アイス、クレイ、トキシィの三人が俺を見る。


「な、何で……? ウェイド、くん」


「いやさ、アイス。単純に手間がかかり過ぎるのもそうだし、手順にかかれた惨たらしい殺し方っていうのも、やるこっちが嫌な奴だろ? たとえ魔人相手でも」


 これを嬉々として自分に行ったというのだから、バエル領の村長合議の魔人は気合が入っているというもの。だが、俺たちの場合は少し違う。


「俺たちが呼ぶのは三柱。ポセイドン、ヒュギエイア、それに、ヘルだ。ただでさえ呼び出すのは一柱につき千人要る」


 俺は難しい顔で問う。


「手間も、精神的な負荷も、短時間で取り掛かるなら尋常じゃない量になる。作戦を考え直すには十分な要素だと思ったんだ」


 俺はみんなの顔を窺う。ウチのパーティメンバーの、俺とサンドラ以外全員が、苦しそうな顔をしている。


 俺は続けた。


「別に、一旦立てた作戦がダメになったからって、今更責めたり幻滅したりしない。そもそも作戦に頷いたのはリーダーの俺だ。責任は俺に」


「ち、違う、の。ウェイド、くん……!」


 アイスは、絞り出すように言い返す。


「そう、じゃない、の……っ。それでも、この作戦は、やらなきゃ、いけないの……ッ!」


 アイスは、強い瞳で俺を見つめていた。


 いつもの優しげで温かな、俺のやりたいことすべてを受け入れるような瞳ではない。俺の意思に反してでも、成し遂げなければならない、という目。


「……それは、何でだ?」


「……ごめん、なさい。ウェイドくんにだけは、……言えない」


 きっぱりと断られる。アイスのことだ。俺の害になることではないだろう。


 そこで、サンドラが「あ」と何かに気付いたような声を出した。しかし、俺にはさっぱり見当もつかない。サンドラに分かって、俺には分からないこと。


 俺はアイスから目を離して、クレイを見る。


 クレイも、まっすぐに俺を見つめ返していた。アイスのような懸命さより、冷たい覚悟を感じる目。


 トキシィを見る。


 トキシィは、誰よりも辛そうだった。下唇を噛んで、視線を伏せている。だが、その拳は固く握られていた。ぶるぶると震えるほど、強い意志が見えた。


 俺は、ため息を一つ落とす。


「分かった、降参だ。みんながそれだけやりたいなら、尊重するさ。俺はみんなのリーダーだからな」


 軽口と共に言うと、みんながほっとするのが分かった。「けど」と俺は再び手順メモを手に取る。


「大変なのには変わりないぞ。どうにか打開策を考える必要がある」


 俺が言うと、サンドラが手を上げた。


「それについては、当てがある」


「当て?」


 俺は首を傾げる。サンドラは何となく得意げに言った。


「暗殺ギルドの調教師、ムングに頼む」


「……いや、百人でひぃひぃ言ってるところに三千人を依頼するのは悪魔の所業じゃないか?」


 俺が眉根を寄せて言うと、サンドラは良く分からないという顔で首を傾げていた。






 そんなわけでアイス、サンドラを連れてムングの元に行くと、ムングは言った。


「……無理に決まってんだろ」


 ドン引き顔である。以前のように怒り出すとかではない。もう、マジで意味が分からない、という顔で顔を青ざめさせている。


 異を唱えるのはサンドラだ。


「ムングはスラム一の調教師。つまりこの城下街一の調教師ということ。そのくらい簡単なはず」


「サンドラぁ、テメェよぉ! 確かにこっちは激務に続く激務で、ある程度数をこなせるのは確かだよ! だがなぁ! 限度ってもんがあるだろ限度が!」


 ここにきてやっと怒りが追い付いたらしく、ドン! とムングは台パンして訴えかけてくる。


「三千人だぞ! 三千人! こっちは一週間で三百人調教した翌週は全員体にガタが来てぶっ倒れてんだ! 数人は数回過労死して逃げやがったんだぞ!」


 むしろ週に三百人調教を達成しただけでも偉業なのではないだろうか。すげぇなムング、と感心せざるを得ない。


 そして、やはりムングに全投げ、というのは無理がある戦法だ、とハッキリした。


 一週間で三百人。驚異的な数字だが、まさかこの計画だけで十週間、二か月も立ち往生はしていられない。


「大体よぉ! 何だってそんなオーダーになる!? 魔人ってのは魔王を信仰するもんだ! それを神に宗旨替えさせる!? 何企んでんだおい!」


 痛いところを突かれた、と俺とアイスがギクリとする一方、サンドラは淡々と一蹴する。


「それは言えないし秘密にしといて」


「するけどよぉ! 調教師で一番大事な仕事は秘密を漏らさないことだけどよぉ!」


 ムング、話せば話すほど信用できる奴だな、と分かってくる。サンドラへの当たりは強いが、それは多分サンドラが悪いし仕方ない。


「ハァ……! ハァ……! ……まぁ、内容はいいさ。自分は仕事をするだけだ。けどな」


 ムングは少し声のトーンを落として続ける。


「そもそもよ、その三千人をどこから持ってくるつもりだ?」


 答えるのはアイスだ。


「スラムでは、地べたに寝そべってる魔人がいます、よね……っ。あの人たちは、使えないんですか……?」


「ハッ、素人め。あいつらは心が壊れてる。調教しても、お前らのオーダーに適うような精神状態にはならねぇよ」


 皮肉っぽく笑って、ムングは言う。「でも、やってみなきゃ……!」と食い下がるアイスに、ムングは思い出すように視線を上げて口を開いた。


「……自分も昔、それを考えたことがあった。スラムでボケッとしてる連中を調教して使えるようにできれば、一攫千金なんじゃねぇかってな。実際、理論上は可能なんだ」


「理論……?」


「ああ。一応自分は魔人学をかじっててよ。このニブルヘイムがどういう場所で、魔人がどういう存在なのかも分かってるつもりだ。お前らは分かってるか?」


 ムングは、俺たちを試すように言った。アイスは、その挑戦に臨むように、険しい表情で答える。


「……魔人は、死者、です……っ。元は、地上の人間、でした……っ」


 アイスの返答に、静かにムングは、不敵な笑みを浮かべた。


「嬢ちゃん、よく分かってんな。そうだ。魔人は死者。そしてニブルヘイムは、死者の我欲が消え去るまですりつぶす場所。彼岸だ。ここで形が残っている以上、我欲は残ってる」


 ほう、と思う。こちらの想定よりも、深いところまで理解した上で、ムングは否定しているらしい。


「だから、理論上は可能なんだ。それは否定しねぇよ。だが、そのやり方が分からねぇ。これでも十年近く研究してたんだぜ、自分は」


 唇を尖らせて、ムングは鼻でため息を吐く。


「やってみなきゃわからないなんて言うならな、まずはお前さんがやってみることだ。そうでもなきゃ分からんよ」


 まともだ。そう思う。若造の思い付きを、「もうやった」と踏まえた上で棄却する。正しく大人をやっている。


 それに、普通の若造、子供なら、引き下がるしかない。自分の手で試してみて、やっぱりダメでした、と引き下がるのが関の山。


 しかし、しかし、だ。


 こちらも、


「……理論上可能なら、手はあると、思い、ます」


 アイスの言葉に、ムングは「あん?」と顔をしかめる。


「どうやってだ。あいつらは虐め抜いてもピクリとも反応しやしねぇぞ? 逆にどんだけ可愛がっても動かねぇ。他人に接するようなのじゃダメだぜ」


「……ウェイドくん、いい、かな……?」


 アイスは、俺に向き直る。


「何だ?」


「そ、その、ね? 少し、恥ずかしいから、ここから出ていってくれ、る? その、ウェイドくんに、あんまり聞かせたくない話、するかも、だから」


「……」


 申し訳なさ半分、照れ半分という顔で、アイスは言う。


 どんな話をするのかは知らないが、俺はこの件について、アイスに一任している。そのアイスが聞くな、というなら、俺の選択は一つだ。


「分かった。外で待ってる」


「うん……っ! ありがと、ね」


 俺はくるりと踵を返して、調教受付から立ち去った。扉が閉まる音が、背後で響く。

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