第319話 地獄の日常

 その日、アイスは夢を見た。


 変な夢だった。知らない人がたくさん出てくる夢。幸せだけど、他人の物。そういう夢だ。


 そこでアイスは、大きな父と母、そして動物の兄弟たちと過ごしていた。たまに父の友人らしき、燃える体の真っ黒な父の友人も遊びに来た。


 何もかもが満たされていた。何も足りないものはなかった。眠ければオオカミの兄弟の毛皮に包まれて眠る。すると懐に蛇の兄弟が入り込んでくる。


 兄弟で、家族で、幸せに過ごす。父が、自分を優しげな声で呼ぶ。


『こちらにおいで、ヘル』


 そう呼ばれた瞬間、アイスは目を覚ました。











 それから数日、アイスたちはキリエの紹介で、バーカウという魔人の骨董品屋で働いていた。


 バーカウはこの街でも新参らしく、何というか、キリエと違って悪意を隠しているような雰囲気がないのが印象的だった。


 アイスも、自分で少し疑っていたのだ。キリエたちは良くしてくれている。魔人だからと、常に疑うのはどうなのだろう、と。


 だが、バーカウには感じない猜疑心を、キリエには間違いなく抱かせられるのを感じて、この感覚は間違っていないのだ、と確信を深めた。


 と同時に思うのは、キリエの言う新参、という言葉が、街の新参、という意味ではないのかもしれない、ということだ。


 思い出すのは、魔人という種族のこと。元は人間。この地獄に生まれ落ちる死者たち。それが魔人だ。前提として死んでいるが故、それ以上の死のない種族だ。


 であるなら、新参という言葉は、魔人としての新参という事なのかもしれない、と少し思ったのだ。


 魔人として生まれ落ちたばかり。しかし若いかどうかは人による。生まれ落ちてすぐでも老人の場合もある。


 だから新参。新参の魔人。


 だとしたら、キリエの言う新参という言葉について回っていた違和感に、説明がつく。同時に、キリエに対するモヤモヤとした気持ちが、より強くなる。


 そうやって数日働き、今日も出勤という日のことだった。


「おはよう、ウェイドくん……。眉間にしわ寄せて、どうした、の?」


 朝のこと。アイスが部屋を出ると、ウェイドが難しい顔で立っていた。


「アイス? ああ、大したことじゃないんだけどさ。ムティーどこで何やってんのかなって」


「ムティー、さん?」


「ああ。ちょっと北欧神話に興味が出てきてな。話を聞きたいんだが、この数日一度も会ってないんだ」


 心配はするまでもないんだけどな。ウェイドのそんな冗談に、「そうだね……っ、心配なんかしたら、むしろ怒らせちゃう、かも」とアイスは笑う。


「ま、捕まったらでいいか。よーし、今日も仕事頑張るぞー」


「お掃除して、ゆっくり店番してるだけ、だけどね……っ」


「しーっ、俺たちが楽してるのがバレる」


 ウェイドの冗談に合わせて、アイスはクスクスと笑う。


 ウェイドの言う通り、この数日は、穏やかな日々だった。バーカウ店主は穏やかで人間っぽくて、安穏とした日々だった。


 アイスは、ウェイドと過ごす、こういう平和な日々が好きだった。可能な限り、長く続けばいいのにな、なんて思うくらい。


 それから二人で食事をとって、支度を済ませて宿を出た。他の面々は忙しいらしく、数日単位で顔を合わせないことも多い。


 だから、アイスは久しぶりに、ウェイドを独占しているに近い状態だった。ウェイドの幸せが何より大切だとはいえ、こうして共に過ごせるのは素直にうれしい。


「ウェイド、くん。手、繋がない……っ?」


「はは、いいよ」


 手をつないで、寒い道を歩く。手から、ウェイドのぬくもりが伝わってくる。それがまた、じんわりと幸せで。


 この人と結婚したんだな、自分は、と思う。


 戦争前のプロポーズは、本当に嬉しかった。最高に幸せだと思った。だから何があっても、ウェイドを幸せにしなければと誓った。


「ウェイド、くん」


「ん? 何だアイス」


「幸せ、だね……っ」


「……そうだな。幸せだ」


 二人並んで歩く。いつまでこうしていられるだろうと思う。長く、長く続けばいい。ウェイドが幸せでいられる内は、こうして……。


 そんな風に考えていると、店が近づいてくる。


「……?」


 そこで、アイスは気づいた。何か、様子がおかしい。人だかりができている。


「アイス」


「うん……っ」


 二人そろって駆けだす。辿り着くと、そこにはキリエ含む三人と、血まみれで動かない骨董品店の店主バーカウがいた。


 ここ数日、アイスとウェイドが働いていた店の店主だ。それが、見るも無残な姿で倒れている。


 そんな店主バーカウを、キリエの仲間、巨人のガンドが、優しく介抱していた。


 ウェイドが鋭く尋ねる。


「キリエ、何があった」


「襲撃。前に守った狼の彫像あったでしょ? アレ、最近はこの店に保管してたんだ。そしたら、どこかから情報が洩れて、この様」


「分かった」


 話を聞くなり、ウェイドは破壊痕を乗り越えて、店の中に入っていく。自分の目でも確認しよう、ということなのだろう。


 一方アイスは、その場にとどまって、キリエの話の続きを聞くことにした。


「他には何か、ある……?」


 すると、こちらに反応したのは獣人少女リィルだった。


「……復讐するつもり? 相手は複数回スラムに依頼できるくらいの大手ってことよ? 前回の百人に、今回の手練れ。ものすごいお金がかかるんだから」


「どう転ぶとしても、情報は、必要だから……っ」


 アイスの返答に、リィルは「う」と鼻白む。一方キリエは、アイスの様子に感心していた。


「……アイス、いいね☆ 気弱だと思ってたけど、意外に肝据わってる」


 キリエがニコと笑って、アイスを褒める。アイスは「それで」と先を促した。


「ああ、うん。多分ね、バーカウさんの商売敵だと思う。バーカウさん、穏やかそうに見えてかなり稼ぐから」


 働く前の話でも、そういう話は聞いていた。新参なのにすぐに店を持っていた、なんて話を。そしてだからこそ、目を付けられたのかもしれない。


 キリエがそこまで話したところで、ウェイドが戻ってくる。


「キリエ、お前の話の通りだ。あのオオカミの彫像が盗まれてた。襲撃者は多分巨人か? 血の手形があったけど、サイズがガンド並みだった」


「良い勘してるね。巨人三人組。バーカウおじいちゃんボロボロになっててさ? キリエ、それはもうムカついて、ギッタンギッタンにしてやるつもりだったんだけど」


 言ってキリエが仲間二人を睨む。「二人に羽交い絞めされて、できなかった!」とキリエが舌を出す。


 言い返すのは巨人のガンドだ。


「あいつら、スラムでも有力な暗殺クランの連中だぞ。最大手『エーデ・ヴォルフ』だ。敵に回すのはマズイ」


「魔王軍に続くこの街の武力組織と事を構えるのはねぇ……」


 巨人ガンド、獣人リィルが、日和ったようなことを言う。キリエはともかく、二人は理性が勝ったというところか。


 だがキリエは納得いかないらしく、「ねぇ、ウェイド、アイス」と話しかけてくる。


「その気があるなら、バーカウおじいちゃんの仇討つの、手伝ってよ。もちろん報酬は出す。キリエ、やられっぱなしでいられないよ……ッ」


 キリエが言うと、ガンド、リィルの二人が「おい、勝手なことを」「マジでヤバいって話してるじゃんリーダー!」と言い合う。


 アイスは静かに、ウェイドを見据えた。ウェイドはじっと、バーカウ店主を見つめている。


 アイスは、静かに問うた。


「ウェイドくん。どうしたい……?」


 ウェイドはアイスを見て首肯し、キリエに向かってはっきりと言った。


「もちろんやり返す。数日とはいえ働かせてもらった恩があるからな。ただし、あんまり派手にならないようにしよう」


 その物言いに、アイスは「うん……っ」と頷いた。ウェイドがはっきりと望むのなら、その通りに事を進めよう。


 ウェイドが言う。


「じゃあ早速行ってくる。どこに行けばいい?」


「競合のお店、らしいよ……っ。結構資金力があるとかで、おっきな建物かも。他には……」


 そこまで言ったところで、血まみれのバーカウが激しく咳き込んだ。


「ゲホッ、ゲホゲホッ、……わたしのために、怒ってくれるのかい……? いい子たちだねぇ……」


「バーカウさん」


「ウェイド、君……。恐らくだが、奪っていったのは、スキナプの店だ……。もともとは、オークションでわたしが彼に競り勝ったのが、発端でね……」


「スキナプの店ならキリエ分かるよ! 道案内は任せて!」


 キリエが背筋を伸ばして挙手をした。ウェイドはほのかに笑みを浮かべて口を開こうとする。


 だから、アイスが制した。


「ううん……っ。依頼を受けた以上、これはわたしたちの仕事、だから……! 人が多すぎても良くない、し。わたしたちだけで、やるよ……!」


 あくまでも合理的な話、という体で、アイスはキリエの提案を棄却する。キリエはキョトンと目を丸くし、ウェイドは微妙な笑みで視線を逸らす。


「えっでも―――」


 キリエは食い下がる。アイスもそれを読んでいた。


 そしてそれ以上に、アイスの読みは深かった。


「リーダー、せっかく行ってくれるって言うんなら、任せた方がいい」


「そうだよ! ただでさえ危険なんだから、手に負えないことはしない! むしろ二人の足を引っ張っちゃうかもよ!?」


 ガンド、リィルの二人が、アイスに加勢してキリエを諫めにかかる。二人はアイスを見て、目礼で感謝を伝えてきた。


 魔人にも、手出ししたくない相手と言うのはいるのだろう。手に負えない相手も、いる。


 そんな心情を、アイスは利用した。


 しばらくキリエ達は、仲間内でもめていた。だが最終的には、キリエが数に負けた。


 不満そうに、キリエはアイスたちに告げる。


「……納得いかないけど、ウェイドたちがどうにかしてくれることに賭けるよ……。じゃあえっとね、場所は―――」


 キリエは口頭で場所の情報を教えてくれる。次いでガンドが「二人は信頼できる。前払いで全部渡そう」と袋にいくらか金を入れて渡してきた。


 ……いい人だ、とは思う。少なくとも、かつてのドロップのような嫌らしさや意地悪さは感じない。自然体でいい人。地上でなら、アイスも警戒などしなかった。


 だが、だからこそなのだ。魔人という存在を分かってきて、アイスには独特の嗅覚めいた感覚が備わってきている。


 それで、どうにもキリエは臭いがしなさすぎる、という感じに気づいたのだ。


 悪意の臭いというのだろうか。新参らしいバーカウのような魔人とは違う、消臭された悪意の臭い。魔人なら自然に臭わせるそれが、きれいに消されている感じ。


 キリエだけではない。キリエを初めとした三人、『クライナーツィルクス』全員が、地上の人間並みに悪意を消し去っている。


 ―――話を聞いている限り、恐らくかなりの古株の魔人であるはずなのに。


 そういう感じ方は、かなりの部分がアイスの感覚に根差している。だから、ウェイドには説明はあえてしなかった。


 キリエが言う。


「どう? この説明で場所分かった?」


「うん……っ。ありがとう、キリエさん」


「ううん。厄介ごとを押し付ける形になっちゃったし。せめてこのくらいはちゃんとしなきゃね!」


 キリエは多少仲間への不満をにじませつつ、努めて明るく言った。地上なら、仲良くやれただろう。


 だが、ここは地獄だ。死者―――魔人うごめくニブルヘイムだ。善人らしさを保てる時点で、異常とみなす方が身の安全につながる。


 もっとも、身の安全など、今のウェイドにとってはどれほどの価値があるのかわからないが。


 アイスはウェイドの手を握る。それから「わたしが案内する、ね」と微笑みかける。












 ウェイドとアイスが仲良く遠ざかっていくのをひとしきり見送ってから、キリエは手を叩いてこう言った。


「終幕」


 途端、ガンドはバーカウの介抱をやめて、無造作に地面に転がした。バーカウは「がっ……!?」と痛そうな声を漏らして、低くうめく。


 キリエは、唇を尖らせて問う。


「みんな、どう思う?」


 ガンド、リィルの順に、答える。


「新参であるのは、間違いない。スレた魔人には、は出せない」


「ねー。死んでもないのに、傷だらけの姿に少しでも驚くあの感じは、新参そのものだよ」


「だよね」


 うん、キリエは頷く。それから、続いて問う。


「それで、どのくらい素質があるかな」


「強さという点で言えば、二人とも測り兼ねる。少なくともオレたち全員で掛かっても相手にならない」


「アイス厄介だよねぇ。油断が全然ないよ。リーダーがあれだけ媚び売ってるのに全然効かない。でも……怖さで言ったらウェイド?」


「そうだね、リィル。アイスは付け入る隙がない。ウェイドは隙を突いても。つまりは―――抜群の素質☆」


 キリエの含み笑いに、ガンド、リィルが続く。「何を……」と困惑した声を上げるバーカウを、キリエは見下ろす。


「おっと、忘れてた。ごめんねー、二人の動き見るために、ちょっと利用させてもらったよん♪ いい感じに踊ってくれそうで大満足~☆」


「何が……狙いだ……! 彼らを、新しいウチの店員を……どうする、つもり……ッ」


「んー? 仲間にしてもいいしー、敵にしてもいい。そこはまぁ流れだけど、圧倒的な個って言うのは、それだけでからね☆」


 にぃ、とキリエは口端を吊り上げる。


「だから、ってところかな? キリエたちはサーカスが盛り上がればいい。その中心にキリエたちが居れば最高☆ 血と炎はサーカスの華ってね♡」


 ってわけでー♪ とキリエはバーカウの顔に触れる。


「君は色々と聞いちゃいけないことを聞いたので、魔人の通過儀礼に遭ってもらいまーす☆」


「は……!? い、いったい、何を」


「そんなの捕まえて奴隷にして売られる奴に決まってんじゃーん♪ これを味わってない魔人なんて、それこそ魔王ヘル様くらいのものだよ?」


「な……っ! た、確かに治安は悪いとは思っていたが、そんな。―――だ、だが!」


 バーカウは、必死に訴える。


「わたしはこの通り老人だ! 大した労働力ではない。高くは売れないだろう!? なら」


 キリエは、割り込むように言った。


「それはほら、☆」


「……。……? な、なにを、言っているんだい……? わ、分け、る……?」


「そ。分ける。ぱかっ、てね☆」


 このバーカウという老人の魔人は、困惑したようにキリエを見つめている。


 恐らくリスクとリターンについてで、キリエに説き伏せようとしたのだろう。だがこのバーカウという新参の魔人は、何も分かっていない。


「……内臓を、腑分けして売る、ということ、かい……?」


「え? 全然違うよー☆ 新参はまだまだ地上の常識に囚われてて可愛いなぁ♡ そんな、殺して肉を焼く下拵え、みたいな話じゃないってー!」


 理解が及ばない、という顔で、バーカウはキリエを見上げている。だがキリエは、言葉の説明を放棄している。


「ま、覚えられてて都合の悪いことは、ついでに忘れてくれるような奴だよ。あとはほら、強い魔人とかだと、たまに自然に分けられるって言うじゃん? んで復活が遅れる~とか言われるアレ!」


「……? い、意味が、さっぱり分からない。何を、言っている……?」


「さ! やれば分かるさ! ガンド! 担いで! さぁみんな! スラムにゴー☆」


「了解、リーダー」


「リーダー、何分割くらいがいいかな。見た感じ六十超えてるし、三分割?」


「四分割でしょ。若い方がいいって」


「りょーかーい」


 巨人のガンドに、店主バーカウは抱えあげられる。先頭を歩き出すキリエに、獣人のリィル、ガンドの順についていく。


 周囲の観衆はそうなるとすでに興味はないとばかり、ぞろぞろと引いていった。騒動という名の見物は終わったのだ。


 終幕。人目を引く騒動は幕を下ろした。あとは魔人たちが、己の取り分を抱え、それぞれの帰路についていく。








―――――――――――――――――――――――


フォロー、♡、☆、いつもありがとうございます!


🎊祝🎊 コミカライズ第一巻発売中! 商品情報はこちらから!

https://kakuyomu.jp/users/Ichimori_nyaru666/news/16818093076164585540

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る