第300話 トキシィはいかに成長したか

 シグとの訓練中、早々にイチ抜けしたのはサンドラだった。


 何をしたのかよく分からない、というのが、今でもトキシィが抱える感想だ。サンドラは呪文を唱え、同時にチャクラにまつわる何かをした。


 閃光が走り、シグが目を見開いて全力で動いた。


 結果として、サンドラは一度勝利した。シグは全身に細かな傷を負い、気絶していた。


「何か勝った」


 同じく無数の傷を負ってはいたものの、勝利したサンドラの感想がそれなのだから、改めてサンドラは間違いなく天才だったのだと思い知らされた。


 その後はシグにやられっぱなしのサンドラではあったが、エースとしての活躍であれば、ウェイドパーティにおけるナンバーツーはやはりサンドラなのだ。


 続いたのは、クレイだった。


 サンドラと違ってシグに勝利するようなことはできなかったが(できる方がおかしい)、それでも着実に強くなったクレイは、最後にはシグと対等に戦っていた。


「行くよッ! テュポーン!」


『ウォォオオオオオオオ!』


「来いッ! クレイ、テュポーン!」


 テュポーンの扱いになれたクレイは、巨体の力を生かして真上から怒涛の拳を振り下ろしていた。それに真っ向から拳で撃ち返すシグにはめまいがしたほどだ。


 ではトキシィは?


 トキシィの進捗は、シグに傷を負わせたというラインに立っている。それは一種、という領域である。


 しかしそれだけなら、実はアイスも到達している。アイスもシグに傷を負わせうる魔法を覚えていたのだ。


 それはつまり、トキシィにはあって、アイスにはなかった、シグに傷を負わせるに至った他の要素があったということ。


 ―――攻撃力が足りているなら、あとは当てるだけだ。


 そう。シグはひどく足が速く、攻撃を当てるだけでも一苦労だ。アイスは遠距離群体型の実力者という側面もあって、その速度を補えなかった。


 では、トキシィはどうか?


「……さぁて、っと」


 先ほどの巨大なリスは、遠くに逃げ去ってしまったかに見える。実際ものすごい速度で走り去っている。


 しかしそれは、トキシィの前には意味がない。


「ヒュドラ、毒の息。森を囲うようにね」


『うむ。あい分かった』


 ヒュドラは空に向けて、『ケェエッ』と奇声を上げながら毒の何かを放った。それは空高く舞い上がり、弾ける。縁の形の靄になって、広がりながら落下する。


「これで毒の息が森を覆ったね。じゃ、次は~、ヒュドラの眷属をよぼっか」


『我が眷属たちか。小娘のことは皆気に入っているからな。応えてくれるだろう』


 ヒュドラの幻影が口を大きく開けると、中から大量の毒蛇たちが吐き出された。うねうねと蠢く様に俺は瞬間本能的に怯むが、俺たちの足を避けて毒蛇たちは移動する。


「よっし。これで『逃がさないための檻』と、『追い立てるための猟犬』が揃ったね。じゃ、リス狩りと行こーう!」


 トキシィは機嫌よさそうに声を上げる。俺はその様子を見つめながら、トキシィは機嫌がいい方が怖いんだな、なんてことを考えた。











 村長のリス―――名を、ラタトスクというリスは、古くは神話に名を残すリスであった。


 世界樹を行き来し、根をかじる龍ニーズヘッグと頂の大鷲フレースヴェルグの争いを、徒に煽っていたとされる、意地の悪いリスである。


 このリスが何故このん辺境にいるかと言えば、ラグナロクの気配が近くなって、二匹の争いも激化した辺りで、このラタトスクは「退散退散!」と世界樹より逃げ出したためだ。


「へっ、へへへっ。わての逃げ足は怪物二匹から軽く逃げ切るほどやで!? あんな得体のしれんガキんちょに追いつかれてたまるかぁ!」


 このリス、こう見えてこのシルヴァシェオール創世記に、創造主に神々と共に生み出されたような、古来も古来から存在しているリスである。経験豊富だし、鼻も利くのだ。


 だから、あのヒュドラとかいうよく分からないドラゴンの幻影がそれだということもすぐに分かったし、即逃げ出すのにも迷いはなかった。


 が、リスは眼前に突如現れた奇妙な紫に靄に、足を止めることになった。


「……何やぁ? この靄は……。わての勘が言うとる……。この靄はヤバイって……」


 ごくりと唾をのみ下し、警戒に靄を睨みつけるリスである。ぐぬぬ、と悔しい顔で、一歩二歩と引き下がる。


「あの姉ちゃんが蛇に吐かせたんかな……。けど、ブラフっちゅーこともある。一応、ていっ」


 近くの雪を拾って雪玉にし、ぽいっとラタトスクは投げつける。すると即時に雪玉は紫に染まり、溶け、じゅくじゅくと腐って地面に落ちた。


「ひょええ! おっそろしー! 何やあのねぇちゃんは! この辺りには移り住んできた悪魔が統治してるくらいの平和な場所ちゃうんかったんか!」


 世界樹のリスラタトスクは、チッと舌を打って考える。どうにかしてこの靄を超えて逃げねば、流石の逃げ足自慢のラタトスクとてやられかねない。


「しかしなぁ……この靄、上方向にも中々広がっててやりにくいったらありゃせんねん。どうしたもんか……ん?」


 その時、ラタトスクは異音を聞き取った。振り向くと、シュルシュルという音。鳴き声に近い。しかもそれは、聞きなれた鳴き声だ。


 まさか、と思い振り返る。そして、ラタトスクは震えあがった。


「……おいおいおいおい……! どこまであのねぇちゃん手札あるねん! 何やぁこのヘビの数はぁ!?」


 森の内側の地面すべてを覆いつくすほどの、ヘビ。その様はまさに恐怖で、うぞうぞと入り乱れる様子にラタトスクはガタガタと震えるしかない。


「わてはなぁ! あの卑しいニーズヘッグっちゅうヘビに脅されて以来、ずぅううっとヘビが嫌いやねん!」


 ラタトスクはそう叫んでから、近くの木を素早く駆け上がった。頂上まで駆け上がり、勢いそのままにぴょんと木々の上を跳躍する。


「ひょええ! どこ行ってもヘビヘビヘビや! みーんなわてをねらってまんがな! 本当に、何やあの姉ちゃんは! ナニモンや! 他の神話のバケモンか!?」


 ぴょんぴょんと木々の上を渡り歩きながら、ラタトスクは着地できる地面を探した。しかしヘビの群れは森のあらゆる地面を埋め尽くしていて、降り場が全然見つからない。


「どーしたもんか……。今から戻って詫び入れるか? いや、それはわてのプライドが許さへん! あんなガキんちょどもに良いようにされてたまるかいな!」


 反骨芯を再び立て直すラタトスクである。一丁前に怪物たちを手玉に取ってきたリスではない。肝っ玉も神話級なのだ。


「むしろ、裏をかいてあの細っ首掻き切ったるわ! だてにニブルヘイムで魔人ども手玉に取ってないねん! はははっ、何や楽しくなってきたわ! あのねぇちゃん意地でも犯」


「意地でも、なぁに?」


「ひぇ……っ」


 ラタトスクの背後、すぐ近くから、ぞっとするような声が聞こえた。ラタトスクは咄嗟に距離を取って背後を確認するが、そこには何もいない。


「な、何や。気のせいかいな」


「気のせいじゃないよ?」


「ひぃぃいいっ!?」


 再び背後から聞こえた声に、ラタトスクは竦み上がる。またも背後に振り返るが、やはり何もいない。


「何や何や!? 何なんや! どこにおる! どこやぁああ! すっ、すすすっ、姿現さんかいコラぼけぇぇえええ!」


 恐怖に支配されたラタトスクに残された手札は、もはや虚勢を張る以外にない。今すぐこの場から駆け出したい気持ちだったが、足が震えて動かない。


「……あ、あれ……なん、なんや。ぜ、ぜんしん、ふるえて、ぐぷ……?」


 ラタトスクは、無意識に口から出た泡に気付く。それは、血の泡だった。ラタトスクは息をのんで「ぎゃぁああ!」と体をひっくり返し、木の上から落ちる。


 そうして背中をしたたかに打ち付け、ラタトスクは「いっでぇええ!」と叫んだ。それから一拍置いて、ハッとする。周囲を伺い、無数の毒蛇が這いまわっていることを知る。


 しかもその内の数匹が、ラタトスクに踏み潰されて死んでいた。マズいことになった、とラタトスクはガタガタと震えだす。


「ま、まちぃや。な? わ、わざとや、わざとやあらへんねん。ほ、ほんま、ほんま……」


 その言い訳が通じるとは、ラタトスクも思わなかった。


 シャ―――ッ! と一斉に鳴いて、蛇たちが襲い掛かってくる。それをラタトスクは必死に振り払おうとするが、払いきれずにどんどんと体にヘビが噛み付いていく。


「ギャアアア! いだいいだいいだいいだいっ! だすげっ、だすげでぇえええっ!」


 ラタトスクは多くの蛇にかみつかれながら、もんどりうって逃げ出した。だがどこに進んでもどこに逃げても蛇蛇蛇蛇。ラタトスクにはとう逃げ場などない。


 血だらけの毒まみれの姿になって、ラタトスクは呻き暴れる。そうやって体力を奪われ、息絶え絶えになった時だった。


 蛇たちが、一斉に引いた。その奥から、雪を踏みつけて現れる一人の少女がいた。


「あ、ああ……あああ……!」


 ラタトスクは、ただ震えて声を漏らすことしかできない。闇の中から、蛇の女王が現れる。


「かん……堪忍してぇな……」


 ラタトスクは、命乞いを始めた。


「わては、わてはちょっと調子に乗っただけやんけ……。そないな、そないな悪いことしたか……? ちょぉっとわてのモンにならんかーって、誘っただけやんけ……」


「……」


 微笑みながら、蛇の女王はラタトスクを見つめている。それに乗じて、ラタトスクは近寄っていく。


「わては……わては寂しかってん……。それをな? ちょっと、ちょっとあたためてほしかっただけなんや……。な……? 堪忍、堪忍してぇ――――」


 ラタトスクは、爪を伸ばす。ここが勝負だ、と世界樹のリスは視力を振り絞った。


「―――やぁああああっ!」


 その爪が、見事蛇の女王の首を薙ぐ。


 女王の首が落ちる。ぷしゃあと血が噴き出す。ラタトスクは、その様に勝ち誇った。


「ハッハー! 最後っ屁っちゅうわけや! 死に様を見にしたんやろこの間抜けがぁ! やけどなぁ! このニブルヘイムの掃き溜めっぷりに慣れてなかったんがお前の敗因や!」


「うん。そんなことだろうと思った」


「へ?」


 蛇の女王の身体が、蛇の集合体となってほどける。ラタトスクは降ってきた声に上を向くと、木の枝に腰かけて冷酷にこちらを見下ろす少女を見付けた。


「ニブルヘイムって本当にこんなのばっかだね。ま、考え方を変えればいい経験か。身内以外は信じたら痛い目に遭う。本当に強い敵を前にするなら、このことは覚えておかなきゃ」


「あ、ま、待って、堪忍、堪忍し」


「今更無理でしょ。バーカ」


 ヒュドラ、食べて良いよ。そんな声と共に、横から猛烈な勢いで迫る巨大な蛇の幻影が、ラタトスクを丸呑みにした。

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