第290話 地獄の領主邸
しばらく歩くと、崖の上に古城が建っているのが見えた。
「目立つ建物だな」
切り立った断崖の上に、高々と縦に伸びる雪の古城。雰囲気は満点だ。吸血鬼の住処と言われても違和感がない。
それは、霧に覆われたこの近辺の中心に存在していた。唯一存在する斜面を除いて、切り立った断崖に囲まれる様子は、実に守りやすい要塞だ。
ここに、クレイとスールが身を寄せている。実力が不透明なスールはともかく、クレイは大丈夫だろう。何があったかも聞かなきゃな、と思いながら、ルートを確認する。
そして同時に―――ここには、俺たちを迷宮の塔ごと攻撃した悪魔も、恐らく領主として住んでいる。
「ここを右に迂回して、斜面から登ってく感じだな」
俺の言葉に、アイスが頷く。頷かなかったムティーとかは、反応するのが面倒だっただけだろう。俺は特に気にもせず、先に進んだ。
そうしていると、不意に警戒の気配を感じ取った。空。先頭に立つ俺とムティーは足を止める。
「来るぞ」
「ああ」
ムティーの警告に俺が答えた瞬間、それは降ってきた。
バァンッ! と雪をまき散らして、その人物は俺たちの眼前に着地した。俺とムティーは警戒させないように、あえてその雪を正面から受ける。ぺっぺっ。
すると、その人物は威丈高に言葉を発した。
「止まれ! 所属と用件を名乗れ痴れ者ども! 満足に答えられないようであれば、反逆と見なし略式の処刑にかける!」
それは、子供のようだった。俺たちよりもいくつか下くらいの年頃だろうか。小柄な体躯をしている。
どうやらこの城の主の子供と見えて、キチンとした身なりをしていた。貴族服。先日は俺たちも着ていたから分かる。
俺はムティーを見、ムティーは面倒そうに俺をアゴで示した。やれ、と言うことだろう。俺は肩を竦めて、前に出る。
「我々は魔王軍調査隊! 魔王様の命を受け、この地の調査に訪れたものである! 領主殿に連なる方とお見受けするが、取次願えないだろうか!」
「へっ!? 魔王軍!? ……い、いやいやいや! 騙されないぞ! 魔王軍ならば徽章を示……せ……」
俺がムティーから受け取った徽章を翳すと、少年は顔を青ざめさせる。沈黙。少年はしきりにパチパチとまばたきしてから、揉み手で俺たちに言った。
「スー……、こ、これはとんだ御無礼を失礼いたしました。わ、わたくし、領主バエルの息子が一人、猫のキャビーと申します」
「猫?」
見れば、少年キャビーの頭には、猫耳が生えていた。角はその内側からにょきっと。聞こえづらくないのだろうか。
「こ、今回の問いはその、周辺の不安定な情勢により、強硬的に聞かねばならない事情を鑑みてのものでして、決して魔王軍の皆様をあざける意図では……へへ」
冷や汗を垂らして、先ほどの態度はどこへやら、完全に下手に出ているキャビー。子供のくせにへりくだり方に堂が入っている。小物感がすごい。
「あ、あの、そんなへりくだらなくて、も……」
それを見兼ねて、アイスがキャビーを宥めた。するとキャビーはアイスの顔をじっと眺め―――ぺっと唾を吐く。
「何だ、配慮するまでもない程度の下っ端ですか。チッ、へりくだって損しました」
「「……」」
何だこいつ。しばくぞ。
「おい……」「ウェイドくん、大丈夫……っ」
俺が物申そうとすると、アイスがそれを諫めた。俺はそれに「でも」と反論しかけて、やめる。目の色を見れば分かった。
アイスは、舐められたらちゃんと相手に灸を据えられる。
「ハッ! これはこれは、王都で生まれたばかりの純朴な調査員様のようだ。ずいぶん甘やかされて育ったんですねぇ? もしかしてまだ一度も死んだことがなかったり?」
一方アイスの静かな決意が分からないキャビーは、さらに煽る。こいつ物言い的に、俺たちの想定よりかなり年上か? まるでコインみたいな奴だな。ショタジジイが多すぎる。
そこでアイスは、静かな微笑みと共に言った。
「アイスクリエイト」
あーあ。と俺は忠告する。
「キャビーとか言ったな。すぐにアイスに謝罪しろ。殺される前に」
「は? へりくだる相手にも上から行けない程度のザコにどんな謝罪をしろ……と……?」
アイスの魔法で、周囲から続々と氷兵が立ち上がる。「え、え、え」と戸惑う。
「おぉ~。めっちゃ手下出す……え? どこまで出すの? そんな多い?」とピリア。
「へぇ。中にルーンが刻まれてんな。それで処理負荷を落としてんのか。確かお前の師匠はアレクさんだったな。なるほど、あの人がしそうなこった」とムティー。
アイスは、ニコニコと微笑みながら、続々と氷兵を生み出し続ける。氷兵はガシャガシャと統率の取れた動きで、至近距離、四方八方からキャビーを取り囲んだ。
「きゅ、きゅ~……」
キャビーにかかる数の圧はとてつもないものだろう。四人の全身鎧兵士から囲まれるのでも十分な圧があるのに、それが……うわ、もう百体近くいる。
キャビーは涙目になって、プルプル震えながら即敗北宣言を上げた。
「……す、すいま、すいませんでした……。ご、ごごご、ご案内しますので、許してくださいぃ……」
「……うん、許す、よ」
パンパン、とアイスが二度拍手を打つと、氷兵のすべてが雪となって消えた。その様子に、キャビーはじっと地面の雪を見つめ、それから尋ねてきた。
「……ちなみに、他の皆さんは」
「大体みんなこんな感じだな」
「魔王軍やばすぎるぅ……」
図らずしも魔王軍の評判を上げてしまった。
キャビーの案内についていきながら、俺たちは坂を登る。
「い、いやぁ、へへ。本当にご無礼な質問をしてしまって申し訳ない限りでございます。そ、その、ひ、必要なんですよ? あの問答。いやいや本当に」
誰も疑っていないのに、キャビーは必死に引きつった笑みで言い訳をする。
「その、お父様の魔術がですね、あの城に敵を近づけないことに特化してございましてですね、へへ。私が確認して問題だったら、お父様の砲撃が降ってくる訳で、はい」
なるほど、問答して、問題があれば排除する、という形式らしい。そしてキャビー自体は敗北してもどうにかなる、と。
つまり、キャビーは息子にして門番の役目を負った存在らしい。息子にこんな危険なことをやらせるのか、とも思うが、比較的強い方なのだろう。最初の態度を見るに。
「にしても、昨日の今日でと言いますか。へへ。昨日も訪問者があったんですよ」
キャビーの言葉に、俺たちは反応する。
「我々以外にも訪問者が?」
「はい。なんでも名うての商人だとか……。へへ。商人には似つかわしくない魔術だったので、父に通して、今は食客扱いで城に滞在してございます。もしご興味があれば」
「そうですね。是非お話してみたいです」
「しょ、承知いたしました。ではね、ええ、父に目通りいただきました後、ご紹介させていただければな、とね。へへ。……ふぅ、これで怖い連中の相手をせずに済むぞ」
本音が駄々洩れだ。
俺はアイスと目配せして、まず間違いなくクレイだろうと当たりを付ける。するとアイスは氷鳥を飛ばした。あらかじめ探りつつ、こちらの存在を知らせておこうというのだろう。
ムティーとピリアは、俺たちに続きながらあくびをしていた。こいつら師匠連中は自由で良いな……。地獄に慣れ親しみ過ぎている。
と、そんな事を考えていると、俺たちは城の間近にまで近づいていた。
「で、では、ごほん、改めてご案内します」
キャビーは駆け足で俺たち全員に前に立ち、貴族の礼で俺たちを迎える。
「我がバエル領にようこそ、魔王軍の皆様方。我ら一族は、皆様を賓客として歓迎いたします。現在は少々不安定な我が領ではございますが、ごゆるりとお寛ぎください」
では、こちらです。そう言って、キャビーは城の扉に手をつけた。
人間一人の力で開けるような大きさではなかったが、流石は魔族と言うことだろう。小さな体のどこにそんな力を秘めるのか、いとも容易く縦十数メートルありそうな扉を開く。
ギギギ……と音を立て、扉が開く。その奥には、大理石の床が広がり、赤絨毯が奥の階分へと続いていた。
入っていくキャビーに続いて、俺たちは中に入った。雪を踏みしめていた足に、赤絨毯の柔らかな感触が返ってくる。
「ま、まずはお父様にお目通り、あいや、お会いいただけますでしょうか……? へへ、その、お父様、父も是非お会いしたく存じていることでしょうから……」
どんどんへりくだりが酷くなっていく。最初はピンと背筋を伸ばしていたのが、今はへりくだりすぎて腰を折ってひょこひょこ歩いている始末だ。しまいには埋まりそう。
「じゃあ、そうですね。お会いします」
「ああああありがとうございます! 恩に着ます! ではどうぞ! こちらでございますれば……!」
俺たちはちょっと可哀想になりながらも、フォローを入れると見下されるからなぁ、と複雑な気持ちでキャビーについていく。
階段を上り、いくつかの大きな階段を渡った先に、その扉はあった。謁見の間、という言葉が思い浮かぶ。つまり、イオスナイトがいた部屋の感じの扉だ。
「―――お父様、失礼いたします。賓客をお連れいたしました」
キャビーは背筋を伸ばして、凛とした口調で言った。魔人ってみんなこうなのかな。へりくだるときも図に乗る時も徹底的と言うか。
「入れ」
しわがれた声に従って、キャビーは扉を開けた。
その奥に居たのは、玉座に座るカイゼル髭の鷲鼻の男だった。右肩にカエルの首、左肩に猫の首。俺はそれを見て、キャビーが何故『猫』を名乗ったのかを何となく理解する。
キャビーは扉を開けるや否や、駆け足で男―――領主バエルの下に近づいた。それから、早口で言う。
「お父様、お父様! ヤバイ! ヤバイのが来ました! 魔王軍調査隊とか言ってましたけど絶対幹部級です! 瞬時に兵を百も召喚しました!」
「何? ……魔王様への税は滞りなく納めておるぞ。時折行商人を襲わせて得た贈り物も添えておる。文句を言われる筋合いはないはずだ」
どいつもこいつも倫理感ゼロだ。ここまで行くといっそ清々しいまである。
俺たちは微妙な表情のまま前に進み、礼儀として領主バエルの前に跪いた。
訝しげにバエルは息子のキャビーを見る。キャビーは「一旦油断させるんですよ性質の悪いことに」と言う。魔界においてはへりくだるのって油断させるのに等しいのかこれ。
「うぉっほん! まずは、よくぞ参られた、魔王軍調査隊の皆々様方」
バエルは鷹揚に俺たちに声をかける。
「調査隊、を名乗られるからには、この地を調査しに来たことかと見受けられるが、今回は何用で来られたのかな?」
「ハッ。閣下の仰る通り、魔王様より調査の任を受けてこの地に参上した次第です。具体的には、この地を覆う霧について、調査すべく訪れました」
俺が答えると、バエルはパチクリとまばたきをして「何だ、そのような用件でございましたか!」と呵々大笑する。
「あれは我が圧政から逃げ出そうとする愚民を逃がさないために張らせた、娘の魔術にございます。おおっと、確かにあの魔術がある以上、皆様も帰れませんな! ハッハッハ!」
―――そうか。こいつらが犯人か。
ならばこの場で捌けば、と思うが、違和感がある。ムティーを見ると首を振った。アイスとピリアは、俺たちの様子を見て不思議そうな顔をする。
「……ここでは、挑まないん、だね……?」
「ああ。まだ様子見だ」
俺が言うと、アイスは頷いて戦意を収めた。「む……?」と領主バエルは剣呑な様子になるが、「杞憂か」と呟いて再び鷹揚な態度を取る。
「では、明朝までにあの霧を消させましょう。そうすれば皆様も魔王城へと帰還できるはずですぞ。……と。一つ懸念はありますが、まぁ無視しても問題ないか」
独り言のように言うバエルに、「何かございましたか?」と俺は尋ねる。
「いえ、地上に繋がる迷宮の塔に影が見えたので、昨日砲撃しましてな。ここまで至る人間がいたのでは、と疑っているのですが、まぁどうせすでに死んでおります故」
ハッハッハ! と高笑いするバエルに、俺たちは「ははは」と笑みを合わせておく。まさか喉元にその人間が迫っているとは思うまい。
砲撃、こいつだろうなと思っていたが、案の定か。機会があればしばくべきだろう。
「ともかく、明日には消させていただきます。それまでは是非、我が城にお泊りください」
俺たちを歓迎する、という態度を示すバエルに、俺は微笑みを返して「それはありがとうございます。では、ご厚意に甘えさせていただきます」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます