第285話 ニブルヘイムの裏掟
村での歓迎は、本当に手厚いものだった。
「旅人様、私がこの村の村長です。是非一晩、この村でごゆるりとお過ごしください」
わざわざ村長まで出てきての出迎えである。少し古いながら空いている一軒家を丸々貸し出され「こんなボロ屋で申し訳ございませんが……」とへりくだるほど。
「いやいやいや! 一軒家を丸々貸していただけるだけで恐縮です。ほ、本当にいいんですか? こんな手厚くしていただいて……。何かお返しできればいいんですが」
「いいえ、いいえ。お役人様にはいつもお世話になっておりますから、むしろこちらが恩返ししているようなものでございます」
村長は穏やかに微笑んでそう言うから、俺たちはお言葉に甘える形でその家で一晩を過ごすことに決まる。
ざくざくと足元の雪を踏みつぶして、村長に案内を受ける。村の中央を横切って移動しながら、小さな村だと思った。
十を超えない程度の家々。寒村という言葉がこれほど似合う村も中々ない。実際ニブルヘイムは、身震いがするほど寒かった。
「毎日これだけ降ると大変ですね」
俺が何の気なしに言うと「そうでもないですよ」と村長が言った。
「この雪はずっと降っていますが、積もったりはしませんから。領主バエル様のお蔭で、この雪の中でも作物は育ちますゆえ」
領主バエル。魔界にも領主という概念はあるらしい。魔王と言うのはつまり、その名の通り王なのか。神、魔王、王。まだまだ分からないことが多い。
というか、ムティー言ってたよな、俺たちを砲撃したの、多分その領主バエルとかいう奴だろ。今のうちに情報を集めておくか。
「どんな方なんですか? 一応存じてはいるのですが、性格などについて」
俺が問いかけると、村長は足を止め、じっと俺の顔を覗き込んだ。え、何。こわいこわい。
「……ああ、いえ、素晴らしい方ですよ。ええ。はい」
「は、はあ……」
微笑んだ村長に、俺たちは視線を交わし合う。それからはまたにこやかに戻った村長の案内を受けて、俺たちは貸してもらった家の中に腰を落ち着けた。
それから、アイスに問う。
「……どう思う?」
「表面だけ見ると、とても地獄とは思えない、かも……」
「だよなぁ……。ただの雪山の、羊の獣人が多く住む地域って言われた方が、納得感がある」
会ったことはないが。エルフ、ドワーフと同じように、獣人というのもこの世界には居るらしいのだ。会ってみたい限りだ、というのはさておき。
しかしそうは言うものの、ここは紛れもなく大迷宮の地下で、地獄ニブルヘイムなのだ。その前提が、俺たちの判断に迷いを産んでいる。
そんな訳で、俺とアイスは二人、木造りのコテージのような場所で、暖炉の火にあたっていた。旅人にこんなものを差し出せる辺り、裕福な村なのだろう。
お蔭で、寒さらしい寒さは今のところ凌げていた。しかし、考えることは多い。
「地上で戦った魔人、いるだろ」
「うん……っ」
「あいつらが接した俺たちは、人間だった。けど、魔人同士では仲が良さそうだった。ムティーが俺たちを無用に惑わしたっていう場合は、そういうことだよな」
「でも、ムティーさんが本当のことを言って、たら」
「あの優しげな村長とか村人とかが、軒並み表面上絶対に分からないような嘘を吐いたってことになる」
俺たちは言いあって、ううむと唸る。判断に困る話だ。
となると、アレをやっておくのがいいか。
俺は「
俺は一度この村を上から引きで見て、それから村長に近づいていく。あとは第二の瞳のその中に入れてしまえば、内側を覗き見れる―――
そう思っていた時、不意に背後に気配を感じ、俺は振り向いた。
そこに立っていたのは、羽根つき帽をかぶった青年のようだった。不敵な笑みを浮かべ、目元を帽子で隠し、彼は言う。
『嘘の魔王ヘルメースの名において、何人たりとも全魔界に置いて他者の内心を侵すべからず。侵した不届き者には罰を与える』
「は?」
パンッ、と音を立てて、アジナーチャクラが爆ぜる。俺はまたも目をやられ、まぶたから血を流した。
「っ!? ウェイドくん……っ!? どうしたのっ?」
「いや、何かヘルメースとか言う全く知らない魔王に絡まれた……のか?」
第二の心臓アナハタチャクラでさっと治癒してから、首を傾げる。え? 誰今の?
だが俺の言葉に、アイスはひどく奇妙そうな顔をする。
「え、えっとね、ウェイドくん……っ。その、わたしも、ヘルメースっていう名前は、知ってるんだけど、ね?」
「え? うん」
「その、アレクさんが、シグさんとの修行の合間に、色々教えてくれたの……っ。座学だってみんなに。それでね、ヘルメースっていうのは、ギリシャ神話圏の伝令の神の名、で」
アイスは、ごくりと唾をのんで続ける。
「魔王の名前じゃ、ないはず、なの」
「……何だか変なことが起こったみたいだな。えっと、とりあえずどういう体験をしたのかだけ話すんだが」
俺は何が起こったかをアイスに話す。アジナーチャクラで村長の心を覗き見ようとしたら、嘘の魔王に処されたと。
「……嘘の、魔王……。ヘルメースは、嘘の神って言われることもあるらしい、けど……」
アイスは難しい顔をして考え込んでいる。それから「あの、ね? ウェイドくん……っ。その、相談があって」と俺を真摯な目で見た。
「どうした、アイス?」
「そ、その、ね? 少し悩んでたんだけど、言うタイミング、ここしかないと思って、その」
アイスは躊躇いがちに口をもごつかせて、こう言った。
「わたしも、ね、その、今回倒さなきゃな魔王の名前、おかしいなって。つまり―――わたしの変身魔法の神様も、ヘル、っていう名前で」
「……え、マジ?」
となると、今の嘘の魔王とやらの攻撃……というか制約が、一気に真実味に帯びてくる。つまり、神と魔王が、同じ名を持っているということについて。
「一旦まとめるが」
俺は渋い顔で言う。
「俺はアジナー・チャクラで、村長の心を覗こうとした。けど、『嘘の魔王ヘルメース』に絡まれて阻止された。だから、この地獄で他人の心は覗けない」
「うん……っ」
「そしたら、ヘルメースっていう名前の神がいるから、それはおかしいっていうのがアイスの話だ」
「うん。だけど」
「ああ」
俺は頷いて続ける。
「けど、それは単なる否定じゃなく、アイスの変身魔法の神も、俺たちが今回打倒しようと考える、『女王ヘル』と名前が一致してる、と」
ここで、話が多くの未知に包まれる。事情が複雑化する。神と魔王の名前の一致。それは魔王ヘルメースに限らない、普遍的に発生しうる何かの法則であるという可能性。
俺は数秒腕を組んで考え、首を振った。
「ここで分かる話じゃないな。みんなと話をして、情報を整理するような話だ。この話は一旦置いておこう」
「うん……っ。わたしも、そう思うよ、ウェイドくん……!」
「それより、できることをしておくか。村長の心が覗けないなら、対策だけ打っておこう」
「そう、だね……っ。じゃあ、みんな、頑張って……っ」
アイスは言って、氷兵を数体生み出した。ガシャンガシャンと動き出し、この家に罠やルーンを刻んでいく。
「ウェイドくん、任せて……っ。わたしが、十分でこの家を要塞にするから、ね……!」
「……そういえば、アイスってそっち系の金等級だったな」
要塞を、築いても落とさせても一級品。カルディツァ近隣の山賊を個人で滅ぼした一人軍隊。俺の知る修行前の時点で、俺が知るもっとも強い『その場にいない』金等級。
「対策を破れるような人は一人もいなかったし、今日はイチャイチャしよっか、ウェイドくん……っ」
『氷軍』アイスは、潜在的な敵を意にも介さず、俺に笑顔を向けていた。
……マジで強くなったなぁ、アイス。流石俺の嫁。
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