第282話 出立:ニブルヘイムへ

 出立の予定日、俺たちは大迷宮の入り口に立っていた。


 ダンジョンの入り口を前にすると、いつも身が引き締まる。それは『戻ってきた』という実感。懐かしさと緊張。死地でありながら故郷。それが俺にとってのダンジョンだ。


「昨晩に別れは済ませたな?」


 見送りについてきてくれたアレクが、俺たちに言う。俺はかなり厚めに着込んだ服と荷物を背負い直して頷いた。


「ああ、もちろん。……モルルも連れていきたかったけど、今回は流石に荷が重い気がしてなぁ……」


「カッカッカ! しっかり親やってんな、ウェイド。安心しろ、モルルもリージュも、俺が面倒を見ておく。ちゃんとから安心しろ」


「……何仕込むつもりだ」


 ニヤァと笑ってアレクは言った。


「古龍の魔と呪術。モルルはお前らには並べられないにしろ戦える程度にはするし、リージュは俺に次いで、天才呪術師レジット・ビルクの助手になってもらう」


「アレクお前、ローマン皇帝戦で二人を使うつもりかよ」


「カッカッカ! あの二人は伸びしろがあるからな。それに、俺が育てるってことの意味は、ウェイドはもう分かってるだろ?」


 ニッと笑うアレクに、俺はアレクに育てられた人間を思い出す。


 恐らくまずシグが入るだろう。俺含めウェイドパーティのメンバーは全員だ。


 俺は渋面になる。


「化け物には、しないでやってくれな……?」


「化け物にするつもりは俺だってねぇよ。お前らは勝手に化け物になったんだ」


 それを言われると弱い。


「他の連中も、気張っていけ。お前らはウェイドについていけるくらい強くなった。アレクサンドル大帝国初代皇帝たる、このアレクサンドルがそれを認めよう」


 激励を飛ばされ、皆の目に誇らしさが宿る。出会った当初はあれだけないがしろにされていたアレクが、ここまでみんなの心を掴むとは。


「それにスール。こいつらは全員そろって化け物だが、見た通りガキでもある。いざというときは頼むぞ」


「畏まりました、陛下」


「あと、一応応援を用意しておいた。大体の奴らには懐かしい顔になるだろう。大迷宮地下100階層の守護者を破ったら合流するように」


「応援? 誰?」


「ああ、サンドラ。応援だ。よろしく言っておいてくれ」


 アレクはこの場で名前を言うつもりがないようで、含みのある笑みを浮かべるばかり。とはいえ大迷宮地下100階層で合流できるような人間は、世界でもそういない。


 俺たちパーティは顔を見合わせる。全員『多分あいつだよな』という顔をしている。うん。間違いないわ。とりあえずみんな同じ顔を思い浮かべているのは分かる。


 ともあれ、準備は完全に済んだ。物資と言う意味でも、覚悟と言う意味でも。


 俺たちは大迷宮の入り口に立つ。それから、アレクに振り返った。


「じゃ、行ってくる」


「おう。魔王を殺してこい」


「行って、きます……っ」「行ってきます、アレクさん」「行ってきまーす!」「また今度」


「では、陛下。失礼いたします」


 アレクに見送られながら、俺たちは大迷宮に足を踏み入れた。


 闇。先日の遺跡よりもはるかに薄暗いそれ。俺は荷物から、懐かしの松明を取り出して壁にこする。ボッ、と音を立てて火がともる。


「うわぁ~久しぶりだなぁ。この松明好きなんだよな。ダンジョンならどこでもこれで火が付くのがいいんだよ」


「大迷宮は久しぶりだもん、ね……っ。しかも、カルディツァのとは別の大迷宮……! ワクワクしちゃう、ね……!」


 アイスと二人でワクワクはしゃぐ。すると俺たちの気配を感じ取ったか、魔物が道の奥から現れる。


「グルルァ……」


「おぉ! 何か見たことない奴いる! 何だアレ!」


 解説してくれるのはトキシィだ。


「アレ、ドラウグルって言うらしいよ? 北欧神話圏で出るゾンビみたいな奴だって。ゴブリンに交じって浅い階層で出てくるの」


「へー! やっぱダンジョンも地域差みたいなのあるのか……。面白いな」


 剣を振りかぶって襲い掛かってきたので、重力魔法とデュランダルの手甲で素早くジャブを放つ。パンッ、という軽い音と共にドラウグルの頭が弾けた。粒子になって消える。


 それに、他の皆は特に反応もしない。慣れたものだ、という雰囲気だ。一方スールだけは目を丸くし、それから反応しないみんなに言葉を失っている。


「……みなさん、噂には聞いていましたが、本当に強いのですね」


「いやぁこんな浅い階層で言われたら照れるって。まだまだこんなもんじゃないぜ?」


「そう……ですね。あの女王ヘルを相手取るなら、この程度ではないのでしょう」


 スールは納得を示す。女王ヘルを知っているのだろう。時間があれば、詳しく聞いてみてもいいかもしれない。


「で、やるかい、ウェイド君」


 クレイに問われ、「そうだな」と頷く。それから俺はスールに声をかけた。


「スール、そっちには話をし忘れたから今話すんだが、この大迷宮をバカ正直に攻略する気は俺たちにはない」


「……と仰いますと?」


「何てことはない。面倒だから楽しようぜってだけの話だ。実際それができそうなメンツが揃ってるしな。で、俺たちの中で今のところ一番有力案が―――」


 俺とクレイは顔を見合わせ、にんまり笑い合って言った。


「「床ぶち抜き大作戦」」


「……はい?」


「だからちょっと足元に気を付けて欲しいんだ。という訳で―――クレイ! やろうぜ!」


「もちろんだよ。さぁ、始めよう」


 クレイは指を口にやり、強く噛む。にじんだ血を地面に落とす。地面にクレイの血の受け皿のように口が生じ、飲み込んだ。


「テュポーン、君の力の振るいどころだ」


『オウトモ。待ってたゼ、クレイ。今日はどうするヨ』


 地面の口が親しげに答えた。クレイは不敵に微笑んで伝える。


「大迷宮を縦に掘ろうと思う」


『ガハハハハハー! またイカレたことヲ……いいゼ、楽しむゾォ!』


 地面の口が消える。直後、俺たち全員の足元から土が隆起した。まるで手のひらの上のように形作られ、実際にテュポーンの手の平に乗せられているのだと知る。


 轟音。俺は「よっこらせ」とテュポーンの巨大な手のひらの上に腰を下ろす。みんなも同じだ。スール以外は慌てたりしない。スールは俺たちの平然とした態度に動揺している。


 ダンジョン一階層は天井を砕かれる。テュポーンの巨体が立ち上がり、地上の遥か上から見下ろす形になる。そして何より、眼前にテュポーンの巨大すぎる頭。


『オウ、勢揃いみたいだナ。さて……ジャア、早速やるかァ!』


 テュポーンは俺たちを首の裏の辺りに運び、手のひらをひっくり返した。各々が着地する中、俺は重力魔法で飛んで「テュポーン」と声をかける。


「お前の力を疑う訳じゃないが、より速く進みたいもんでな。勝手にお前の拳に重力魔法をかけて、威力を底上げさせてもらうぞ」


『久しぶりだナァ、ウェイドォ! ソウイウノは、好きにしろォ。オレはただ―――暴れたいだけダァ!』


 テュポーンは強く足踏みをする。それだけで一階層の床が崩壊する。ガクンとテュポーンの高さが下がる。地面に向けて完全に狙いを定めたテュポーンは、高らかに拳を掲げている。


 俺はにっと笑った。


「タイミングは任せろ。俺はこれが得意でな。オブジェクトウェイトアップ、オブジェクトウェイトダウン」


 テュポーンの拳に【軽減】をかけて速度を上昇させ、勢いに乗ったタイミングで【加重】に切り替える。


「さぁ、行こうぜテュポーン!」


『オラァァアアアアアア!』


 テュポーンの拳が地面に刺さる。巨大な破壊音が三連続。たった一撃で、地下三階層までの穴が開く。


 地面がそこから砕け、テュポーンが断続的に沈んで行く。瓦解音はうるさいほどだ。俺は耳を塞ぎながら、テュポーンに声をかける。


「うぉおおお! いいぞテュポーン! このままの勢いで突っ走ろう!」


「テュポーン、このまま続けてくれ。神話でも文献でも、大迷宮を縦に掘り進んだ例はない。僕らで世界初になろう」


『アガってきたゼェェエエエエエエ!』


 テュポーンが吠える。首裏で捕まっている面々が楽しそうに叫んでいる。テュポーンの反対の拳が天に翳される。


『ココカラは』


 テュポーンは笑った。


『止まらねェゾォォオオオオオ!』


 テュポーンの、暴虐が始まる。


 手を突く拳が迷宮の地面に突き刺さる。俺の重力魔法の威力の加算を受けて、一撃で床を打ち砕く。土煙を上げ、その階の魔物が瓦礫の中で勝手に死んでいく。


 天に掲げ、振り下ろし、打ち砕く。天に掲げ、振り下ろし、打ち砕く。テュポーンは途中から左右の腕を肩から動かして、振りかぶりと振り下ろしを同時に行うようになる。


 振り下ろしと振りかぶり、振り下ろしと振りかぶり、振り下ろしと振りかぶり。着々と速度が上がる。俺の【軽減】がまるで常人の拳のような速度をテュポーンに纏わせる。


 ドン、ドン、ドンのリズムを刻みながらテュポーンの視界は下がっていく。一撃ごとに目線が下がる。リズムがどんどん早くなる。


 ドン、ドン、ドン、ドンドンドン、ドッドッドッドッ、ドドドドドドドドド!


『ガハハハハー! ウェイド、こりゃあいいゼ! 拳は軽いのに威力はデケェ!』


 巨人が地面を砕き、すさまじい勢いで沈んで行く。ダンジョン内にあった環境変化もちょっとしたボスモンスターも全部無視して皆殺しにしていく。


 テュポーンの全身が大迷宮にのまれる。一テンポごとの下降が速度を上げ、もはやただの落下に変わる。


 テュポーンはもう、止まらない。


『ガハハハハハハハハ!』


「すごい! すごい勢いだよテュポーン!」


「ふわっ、ひゃ、はわ……っ!」


「キャー! はや、速すぎ! 進むの速すぎ! うるさーい!」


「楽しい……。落下って楽しいんだ。知らなかった」


「―――――」


「うぉおおテュポーン速すぎだろ置いてかれる!」


 クレイは興奮し、アイスは驚き、トキシィは叫び、サンドラは楽しみ、スールは気絶し、宙に浮かぶ俺は慌ててテュポーンの首裏に着地し掴まった。


 見る見る内にテュポーンは地下へと進む。瓦礫が壁になってどんどんと俺の視界から上に消えていく。体の内に生ずる浮遊感は、もうやバンジージャンプのそれだ。


 テュポーンの勢いはもはや地面に向けて掘り進むドリルのようなもの。止まらないし止められないし止まりたくない。


 そう思っていた時、テュポーンは巨大な空間に落下した。


「っ!?」


 俺は確認する。それはまるで、イオスナイトが陣取っていた大広間のような空間だった。縦にも横にも広い空間で、人間サイズなら広すぎる空間。


 だがそれも、テュポーンに比べたら足元から胸元までの高さでしかない。ズゥゥウン! と巨大な音を立てて、テュポーンは無事に着地する。


 ついでにテュポーンが振り下ろした拳が、何か小さな―――恐らく普通の人間サイズの何かの上に振り下ろされた。


 ぷちっと。


 俺は硬直し、冷や汗を流す。


「……クレイ、今さ」


「テュポーン! 止まるんだ! ここが目的地だよ! テュポーン!」


『ガハハハハー! ……ア? これで終わりカ』


 テュポーンがクレイの叫びを聞いて、やっと止まった。それから、高笑いを上げる。


『もう少し続けたかったガ、楽しかったゾ! また呼べ! ガハハハー!』


 テュポーンが巨大ゴーレムの中から消える。地面に倒れ、そのまま土くれとなって崩れた。俺たちは投げ出されるようにして着地する。


 それから、皆で視線を交わした。硬直しているスールを放置して、俺たちはテュポーンの拳だった土くれに集まる。


「……オブジェクトウェイトダウン」


 俺はその土くれに【軽減】をかけて、こそっと持ち上げてその下を見た。


 ……あちゃ~……。


「ウェイド君、……その」


「クレイ」


 俺はにっこりと微笑んで言った。


「先に進もう」


「……うん」


 この大迷宮に守護者はいなかった。そういうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る