第281話 魔術

 魔人退治から数日経った朝のこと。朝食でパンをくわえたアレクから「今日地獄に行く前に案内人の紹介と講習やっから集まれよ」と言われ、俺たちは会議室に集まっていた。


 俺を始めとしてウェイドパーティの面々が、横一列に並んでいる。いつかのルーン講習を思い出して懐かしい。結局ルーンを自分の武器としたのはアイスだけだったが。


「よう、集まったな」


 そんな声と共に現れたのはアレクだった。先日のアイス騒動の復讐なのか俺の頭を必要以上にぐしゃぐしゃにしてから、俺たちの前に回る。俺はしかめっ面で髪を整える。


「今日は朝食の席で言った通り、案内人の紹介とニブルヘイム講習を受けてもらう。実際に魔人とは戦ってもらったが、知識としてもある程度知っておかないと面食らうからな」


「案内人ってーと、俺たちの付き添いみたいな感じか」


「ああ。早速紹介しよう。入ってくれ」


「畏まりました、陛下」


 受け答えるのは渋い男の声。現れたのは、漆黒の長髪をなびかせた、褐色の美男子だった。両手に白の手袋をし、上着のない貴族服といった衣装でいる。


 彼は俺たちの目の前まで移動して、そっと微笑んで口を開いた。


「初めましてみなさん、ワタシはスール。スールと申します」


「……魔術師、ですか? 魔法使いではなく、魔術師」


「ええ、その通りです。クレイ様。ワタシは魔法使いではなく魔術師。すなわち、悪魔と契約した身分の人間です」


 クレイの確認に対するスールの返答で、ピリ、と場に緊張が走る。魔人は敵だ。悪魔が厳密に何を指しているかは分からないが、やはり敵だろう。


 そこに、アレクが割り込んだ。


「こいつは事情が特殊でな。悪魔と魔女の間に生まれ、両親を殺して地上に上がってきた奴って触れ込みだ。だから魔族とは敵対関係にある、だったな?」


「ええ、その通りです」


 スールは頬笑みを湛えたまま、優雅に微笑んだ。その場の空気は、それなら、という具合に一旦弛緩する。


 アレクは続けた。


「今回のお前らの任務は、スールの案内を活用しつつ大迷宮の底にある地獄を探訪し、見事魔王である、『女王ヘル』を討伐することだ」


 その宣言を受け、俺たちは身が引き締まる思いをする。アレクはそれを見て取ったか、「いいぞ。気合入れてくれ」と頷く。


「ざっとあらましを説明するか。魔王ってのは、メチャクチャ簡単に言うと『和解不可能な敵国の王』だ。その目的は人類の滅亡。一人残らず皆殺しってな」


 特に、とアレクは言う。


「女王ヘルは神話でも厄介な立ち位置にある。アレクサンドル大帝国が支配するこの北欧神話圏における、神々を含めたあらゆるすべての滅亡、ラグナロクの引き金になるんだと」


「……ラグナロク?」


「ああ。神々の黄昏、ラグナロク。北欧神話に記される、ヘルの親兄弟たちに巨人も加えて勢揃いで起こす、神々への大反乱だ」


 ひどいもんだそうだぜ、とアレクは語る。


「女王ヘルが侵攻を始め、大迷宮から地上に出ると、。だから先手を打って攻め入り、ぶち殺す必要があるんだ」


 ぞくりと背筋の粟立つようなことを言われ、俺は震える。それは、何というか。


「ウェイド、楽しそうだなって思ったろ。ダメだぞ」


「……ちょ、ちょっとな、ちょっと」


「この通りお前らのリーダーは根っからの戦闘狂だ。ちゃんと手綱を離さないようにしろ」


 他のメンバーから生温かい目で見られる。ごめん。ごめんて。


「で、そのまんま行かせると迷ってそれどころじゃない可能性もあるからな。このスールが案内をしてくれるってわけだ」


 スールがお辞儀をし、他メンバーがお辞儀を返している。道に迷わないというのはありがたい存在だ。シンプルに助かる。


 だが俺は、アレクの性質の悪さも知っている。


「でもなぁ……。アレク、総合的に利益になるなら、裏切り者を自分から手引きすることもあるからなぁ」


「っ!? あ、あの、ウェイド様?」


「カッカッカ! エキドナの件で懲りたってか? にしても本人の目の前で言うのは無作法ってもんだぜ。こういうのは本人がいなくなった裏でするもんだ」


「俺は本人の目の前で言って、裏切りを牽制するのが楽だと思う」


「お、賢いな。その手も面白い」


 俺とアレクのあまりに開けっぴろげな会話に、スールも他メンバーも全員ドン引きしている。サンドラだけ勝手に持ち込んだお菓子を食べている。


 スールが先ほどまでの優雅さを失って、動揺の目で俺を見ているので、俺は「ああ、気を悪くしたなら謝るよ。他意はないんだ。さ、続けてくれ」と促した。


 スールは口をパクパクさせていたが、咳払いをして仕切り直す。


「で、では、続けさせていただきます。今回は王の要請により、皆様の地獄の案内人を務めます。王都までの道のりの案内に、地獄の常識の解説、非常時の戦力にご活用ください」


「ま、スールの役目はこんなもんだ。で、早速今回は、魔術ってもんがどんなもんかを見せてもらって、ある程度耐性を付けてもらおうと思ってな」


「耐性? 言う意味で?」


「見りゃわかるぜ、トキシィ」


 アレクはトキシィの質問をあしらって、スールをあごで促した。スールは頷き、「ではお話します」と俺たちに言う。


「魔術とは、ごくごく簡単に申し上げるならば、『魔法の禁忌、神罰を魔王の加護で無効にしたもの』です」


「……! それは……」


「はい。すなわち魔族とは、『神に愛されない一方で、魔法ならばできなかったズルができる種族』となります。例えば」


 スールは言いながら、両手の手袋を外した。そこに刻まれたのが魔法印だと思って、しかしすぐに違うと気づく。


「……ルーン文字を、体に刻んでるのか」


「ウェイド様、ご明察です」


 俺が右腕を失っている間、デュランダルの義手でやっていたことと同じだ。それを、生身の肉体でやっている。


 だが同時に気になるのは、そこにどんな意味があるのか、と言うことだ。武器に刻んでいる身としては、肉体にルーンを刻むことによる利益が分からない。


 そしてそんな疑問は、魔族の常軌を逸した技術を目の当たりにすることで氷解、霧散する。


「魔族は肉体にルーンを刻みます。特にアレクサンドルの地下に位置するニブルヘイムではルーン魔術が盛んです。また、魔族は大抵不死の性質をもち、肉体の損傷を気にしません」


 ですから、と言いながら、スールは自らの右手首を左手で掴んで、


「ですから、ニブルヘイムの魔族は死と復活を繰り返しながら、自らの筋線維一本一本に、無数のルーンを刻みます」


 伸ばされた腕の肌が、網目状に広がる。その下から覗くのは伸ばされた筋線維。見るもおぞましいほどのルーン文字が、筋線維上に走っている。


「魔族はそのようにして、魔術を体得し強くなります。腕をそっと一なぞりするだけで無数のルーン魔術が走りますから、人間の弱い魔法使いでは相手になりません」


 説明を終えて、スールは手を離した。まるでゴムのように右腕が戻る。


「……なるほど。これは、あらかじめ見ておいてよかった。魔族、えぐいな」


 先日の男魔人が喉をなぞったのも、女魔人が胸元に手を置いたのも、そう言うことらしい。


「にしても、それだと魔族は恐ろしいほど強い種族ってことにならないか? 復活もできるんだろ?」


「いえ、平均値としては人間よりも上だろうと思いますが、筋線維にルーン文字を入れるのも苦痛ですから、強い遣い手はやはり減ります。不死も、生まれた地獄で生き返る程度のものです」


 となると、先日の魔人たちは死んで故郷で復活している可能性が高い。流石に再会するとは思えないが。


「それに、魔族は神に嫌われていますから、人間の使う魔法よりも、単発威力では劣ります」


 スールは首を振る。


「大体、威力としては半減する程度です。その力量差を埋めるために、魔族は魔王に許されたズルを行使する。魔術とはつまり『単発は本家よりも弱いがズルができる魔法』なのです」


 スールの説明に俺は頷く。それから、「質問いいか?」と手を挙げた。


「どうぞ、ウェイド様」


「つまり、肉体のどこかをなぞって三文字縛りのルーン魔法よりずっと強い魔術を発動させるのが、ニブルヘイムの魔族ってことか?」


「はい。ニブルヘイムは特にそうでしょう」


「魔術の内容に特徴とかってあるか? つまり、対策を打ちたい、みたいな話なんだが」


「それは、少し難しいですね。というのも」


「はい」


 そこでサンドラが手を上げた。


「予想。千差万別で類型がない。テリンの大ルーンみたいな感じ」


 いつの間にテリンと仲良くなったんだサンドラ。


「おぉ、サンドラ様は素晴らしい推察能力をお持ちですね。その通りです」


 スールから合格が出て、サンドラは無表情でドヤ顔だ。表情筋全然使わないのに表情豊かなサンドラである。


「では、仲間としての信頼の証に、お見せします」


 スールは言って、右腕を肩の付け根から、左手を右手首までスライドさせた。肌の下のルーン文字が無数に光り、まるで右腕すべてが光ったようになる。


 すると、その右手のひらから、小さな火が起こった。スールはその火を強く握りしめる。


 右手の炎が、あふれ出す。


 そのあふれ出した炎を振るい、スールは炎の軌跡を作る。すると火が消え、中から真っ赤に輝く剣が現れた。


「これが、ワタシが苦しみの中に押し付けられた家系魔術『火の剣』です」


 近くにあるだけで熱を感じるほど、赤熱した剣だった。見るからに名剣、という感じがする。


 ……デュランダルで再現できるかな。どうだろうか。


「ワタシの魔術は、基本的にこの剣から派生します。他の魔族は、まったく別の魔術を行使するでしょう」


 つまり、とスールは繋ぐ。


「矮小な代わりに発展性と禁忌を得た魔族は、このように、それぞれ独自に魔術を持つのです」


「かっこいいな魔術……」


 俺はつい言ってしまう。修められないのが残念だ。いや、だからって筋線維一本一本にルーン文字刻むとか絶対やりたくないけど。


 そんな俺に、スールは生温かい目でこう言った。


「……ちなみにですが、他の魔族の魔術は大体おぞましくて見ていられませんよ」


「あ、はい」


 スールの魔術は例外的に格好いいらしかった。魔術に対してあまり期待するものではないのかもしれない。

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