第272話 魔法の再定義

 平原で、風に草が揺れている。


 時間は日が昇り始めたような、朝焼けの時間だった。空はまだ橙色で、太陽から遠ざかるほどに夜の黒を残している。


 俺がデュランダルを手に立ち尽くしていると、「パパっ!」という声と共に、駆け寄ってくる人がいた。


「っ!? モルル! 無事か!?」


 俺はハッとして、少女を抱き留める。モルル。俺の大事な娘。半ば分かっていたが、無傷なことを確認して涙がにじむほど安堵する。


「良かった。無事だな。本当に良かった……」


「うん! モルルは平気だよ! パパも、何もなかった?」


「ああ、危ないことは何もな。それで」


 俺はモルルから視線を上げる。するとそこには、風に帆を覆う包帯をなびかせ、『誓約』が立っていた。


「約束通り、来てくれたね。君の娘は解放したよ。今からここは死地となるから、ビルク領に戻らせると良い」


「……モルル、『誓約』の言う通りだ。今からの戦いは、パパはモルルを守り切れる自信がない。それくらい、激しい戦いになる」


「う、……パパ、勝ってね」


「ああ、勝つさ。だから心配せずに、拠点に戻っててくれ」


 モルルは頷いて、古龍の印で素早く翼を生やして飛び立った。数秒で点ほどに小さくなるモルルの影に「古龍とはすごいね」と『誓約』はのんきなことを言う。


「『ノロマ』、君は長く生きた私でも経験していないようなことを、多くしているみたいだ。たった一代で冒険者から貴族に昇りつめ、古龍をも育てている」


「成り行きってのは怖いな?」


「はは、君のそれは運命だよ。君と同じような、数奇な人生を辿った人を知っているから、なおさらそう思う」


 俺は、その言葉に口を閉ざす。『誓約』は微かに口端に微笑みを湛えて、言った。


「ユウヤ・ヒビキ・ローマン。創造主曰く最後の召喚勇者。彼の人生も数奇だったよ。逆に言えば、君は最初の転生者なのだろうね」


「っ! ……なぁ、何なんだその、創造主ってのは。何で俺が転生してるって知ってる。召喚勇者ってのは、一体何だ」


「おや、知らないのか。転生は忘れさせられるのかな。それとも……いいや、考えても詮無きことだ。彼女は必要になれば現れるし、ならなければ現れない」


 『誓約』は小さく首を振る。


「今の世は、不可解な事件が少ない。あるのは単純明快な、新しい世代による古い世代の打倒。彼女はきっと現れないだろう」


 ただ長生きしているから、見たことがあるだけだ。


 言いながら、『誓約』はボロの直剣を抜き放つ。


「雑談はここまでにしよう。『ノロマ』、君と決着を付けたい」


「そうだな。やろう、『誓約』。お前とぶつかるのが、ずっと楽しみだったんだ」


 お互いに、獰猛な気配を放ち始める。思うのは、ああ、やはりだ、という納得。


 不死。潤沢な攻撃手段。戦闘そのものを純粋に愛する心。身内を思いやる気持ち。


 『誓約』。奴は俺に似ている。俺が今のままの強さで、長生きをしたらきっと『誓約』のようになる。


 だが、そうはならないだろう。俺はさらに強くなる。『誓約』と戦い、『誓約』を追い越して。


 俺は言う。


「『ノロマ』のウェイド」


 『誓約』は言う。


「『誓約』、アーサー」


 意識を研ぎ澄ませる。お互いに剣を構え、間合いを測る。


 俺は思案する。『誓約』は不死だ。俺を上回るほどの不死。奴は俺に、アナハタ・チャクラが効かなくなるようにゲッシュを結んで切りかかってくるだろう。


 奴は自分が大怪我をするたびに、ゲッシュを解けばいいだけ。俺は一度本当に死に切ったら、そこからは蘇れない。そう考えると、『誓約』の不死は反則級だ。


 だが、俺だって反則級の手はいくつも用意している。まずは、そこから打ち崩そう。


 俺は剣を下し、『誓約』を見た。『誓約』はそれに興味を示し「何をするつもりかな」とボロの剣を下す。


 奴には、そう言うところがあった。俺以上の不死で、しかも剣の腕で殺されることすら少ない奴だ。油断しても痛くないから、興味深いものがあると油断する。


 だから俺は、存分に奴に楔を打ち込むのだ。


「『誓約』、お前の不死を、俺は破壊できるって言ったら、どうする?」


 俺の問いに、『誓約』はわずかに呆け、それから自嘲げに笑う。


「それは―――望むべくもない僥倖だよ。私は死なない以上に死ねないんだ。生きすぎた不死は皆、死を望む。『ノロマ』、君のは、ちょっと都合がよすぎる」


「なら、その不死を終わらせてやろうか?」


「どうするつもりだい?」


「何、大したことじゃない。俺の言うことを聞いて、しばらく立ってればいい。そうすれば、お前の不死は弱体化する。……乗るか?」


「はは、面白い。乗ろう。さぁ、やって見せてくれ」


 俺がシックの誘いに乗ったように、『誓約』は俺の誘いに乗った。俺は胸元に伸びた新しい魔法印をチラと見てから、『誓約』を注視する。


「俺の新しい魔法は、対象の中心に重力の発生点を生じさせ、急激な重力をかけて押しつぶすっていう魔法だ」


「それは、強力だね」


「ああ。大抵の相手は一撃だろうな。けど、正直今更即死魔法なんか覚えても、あんまり嬉しくないってのが実情だ。気持ち、分かるだろ?」


「そうだね。すべてそれで終わっても面白くないし、それが効かない敵には無力だ。少なくとも、私相手には効果がない」


「だから、再定義することにした。つまりは、変身魔法の改造だ」


「ほう……。思った以上に面白そうだ」


「だろ?」


 俺たちは笑い合う。俺は『誓約』に人差し指を向け続けたまま、話を続ける。


「変身魔法は、ある程度育てるとどこかで概念的な能力に帯びる事がある。俺のライバルには、面倒な手順をこなすと敵が地獄の業火で焼かれる、みたいな魔法があるくらいだ」


「そうだね。そういう手合いは、見たことがある。一人とて弱かったことはなかったな」


「だから、俺の新しい魔法もそう言う風に再定義する。再定義っつーか、再解釈かな。新しく解釈し直して、ここに発表することで、ドルイド的に神々に認めさせる」


「……『ノロマ』。君は、本当に面白い。複数の魔法を操る魔法使いが少ないというのもあるけれど、そんなことをした人間を、私は君以外に知らない」


 『誓約』は、興奮を隠しきれない様子で、俺の考えを肯定する。俺は首肯を返して、神に述べ始めた。


「聞いてくれ、重力の神ニュートン。新しい魔法だが、俺はこの魔法を初めて使う前にこう解釈したい」


 俺はロマンを見習う。朗々と世界に語り掛ける。朝焼けが、神が、俺たちを見守っている気がする。


「対象に掛ける重力は、本質的に負荷だ。この負荷を、対象という物質に掛けるのではなく、目に見えないものに掛けたい。例えば、チャクラ、ゲッシュ、神の愛。そういうものに」


 風が吹く。平原がざわめいている。朝日に雲がかかり、世界が暗くなる。


「俺は、重力を、そう言うものに掛けたい。敵を守る見えない鎧を、重力で押しつぶしたい。誰かを蝕む呪いの鎖を、重力で引きちぎりたい。そういう魔法でなければ、今更使えない」


 風が強くなる。俺は踏ん張って、強く訴える。


「使えない魔法なんか要らない! 今まで得た魔法は、全部強かった! でも今即死魔法何か覚えても、意味がないんだよ! だから頼む! 俺は最後まで重力魔法で戦いたい!」


 風が止む。


「ビルク領で重力魔法を失って、俺は本当に寂しかったんだ! 無くても戦えはするさ! それでも、重力魔法が恋しかった! この魔法で最後まで戦い抜きたいんだ! 弱い魔法だなんて思いたくない! ノロマ魔法だなんて、もう二度と誰にも言わせたくない!」


 だから!


「強い魔法にしてくれ! ワガママだって言うのは分かってる! でも! 俺は重力魔法を信じたいんだよ!」


 声が、言葉が、平原中に響いた気がした。風が、再び吹く。先ほどよりも穏やかに。心地よいくらいの風速で。


 雲が晴れ、朝焼けが再び世界を照らした。それが、きっと答えだった。


 俺は、『誓約』を見る。『誓約』は信じがたいという顔で俺に向かっている。


 風を感じながら、俺は『誓約』を指さし、静かに微笑んで、こう言った。


「ディープ・グラヴィティ」




 『誓約』を包んでいたゲッシュが、重圧に砕ける。




「―――――ッ!」


 『誓約』は、その場に崩れ落ちた。俺は「梵=我ブラフマン・アートマン」と呟く。


 起動した第二の瞳、アジナーチャクラには、はっきりと『誓約』の魂に絡みついたゲッシュにヒビが入っているのが見えた。


 『誓約』は、地面に手を突きながら「『ノロマ』」と呼ぶ。


「君は、君は、本当に恐ろしい魔法使いだ。魔法の完成者でもないのに、ここまでのことをやってのける。私を決して逃さなかった『不滅の加護』そのものに、ダメージを入れるなんて」


「いいタイミングだったんでな。この方法で行けると思った。やっぱドルイドはパッションだな。ニュートン、愛してるぜ」


 サハスラーラチャクラでも行けそうな気がするが、それはまた今度考えよう。今はこれで十分だ。


 『誓約』は、立ち上がる。今までの、どこか老獪な雰囲気を取り払って、とてもとても純粋な、透き通るような笑みを浮かべて。


 もう、俺たちに言葉を要らなかった。名乗り合いも終え、勝負の不均衡も打ち砕いた。ここから始まるのは、ただ似た者同士の戦闘狂が求めあう戦闘。


 高い不死性。無数の手札。そして戦闘を求める心。


 それだけがむき出しになる。余計なものを取り除いて、俺たちは目の前の好敵手を前にメラメラと戦意を高める。


 互いに剣を構え、前傾姿勢を取り、鋭く、長く、息を吸う。


 ―――そして、その時は来た。


 俺たちは、同時に地を蹴る。

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