第269話 死と沈黙のロマンチスタ

 『誓約』は、はっきりと自分が虎の尾を踏んだのだと理解した。


 普通、声を封じられたドルイド使いは、未熟なら何も用意していないし、成熟していればドルイドよりも弱い二つ目の武器を用意している。


 特に『自賛詩人』ロマンティーニともなれば、そう大きな弱体化にはならないとまでは考えていた。だが確実に、弱体化にはなると考えていたのだ。


 だが、当てが外れた。


 まさか、ドルイドを奪われること。そこにこそ本領を用意しているのだとは、思わなかったのだ。


 ―――流石は殴竜軍でも二番目に強いとされる傑物。舐めていたよ。


 『誓約』は、冷や汗を流しながら、同時により強くなった敵に高揚していた。武者震いを感じながら、ロマンに向かう。


 ロマンは、あるいはそこに宿った何らかの神は、剣を振るい、声なき咆哮を上げた。


「―――――――――――ッッッッッッッッ!」


 空気がビリビリと震えている。声もない雄叫びでここまでの物を出すとは、恐ろしい。だが同時に、『誓約』はロマンに宿った神が何者かということに、当たりを付け始めていた。


 恐らくは軍神。ドルイド使いならば、ケルト神話の神だろう。


 『誓約』もゲッシュを使う身。ゲッシュとはドルイドであり、ドルイドとはケルト神話圏の魔法である。だから、ケルト神話の神には一通り通じていた。


 だが、軍神は一柱ではない。どの神かが分かれば弱みも分かるが、まだ絞り切れないのが正直なところだ。


 だから『誓約』は、まずしなやかに立った。どんな攻撃が来ても受け流せるように、剣を前に構え、手首を柔らかくする。


 そこに、ロマンは飛び込んできた。


 『誓約』もかなりの速度を誇るが、神はその上を行った。気付けばロマンの剣が『誓約』に叩き付けられていて、『誓約』は咄嗟にそれを受け流すことしかできなかった。


 金属音が響く。『誓約』は期待以上の強敵に思わず「ハハ」と笑ってしまう。ロマンの剣は地面を叩き、砕き、衝撃波を放った。


 ―――やはり、神はこのくらいはしてくるか!


 『誓約』は衝撃波をも剣で受け流す。単なる剣の腕では、もはやどうにもならない領域の攻撃だっただろう。だがそれでも、『誓約』は受け流す。


 それはつまり、ゲッシュによる加護だった。『柳風の加護』。視界を封じる代わりに、敵のあらゆる攻撃を剣のみで受け流すことが出来る。


 『誓約』は素早く距離を取る。まだだ。まだ仕掛けられない。どこにロマンに憑依した神の弱点があるか分からない。それが分かるまでは、『誓約』は勝負を仕掛けない。


 ゆっくりと、ロマンは振り返る。その様はすでにロマンではなく、獰猛な軍神そのものだ。軍神とは、ああいう目をする。戦いに生き、戦いに死ぬ、そういう目を。


 『誓約』は、かつて殺した神を思い出す。彼の神は軍神でこそなかったが、存在するだけでひどい災いを振りまいた。人間界に降りてくる神とは、自ずとそうなるものだ。


 ―――だが、殺せる。神は殺せる。魔法という借り物の力ではない、己の強大な権能を振るい、容易に世界をひっくり返すような神でも、殺せるのだ。


 『誓約』は、剣を構える。


 考えるべきことは、何を取ってもロマンに憑依した神の名を突き止めることだ。


 神殺しにはセオリーがある。


 名を知り、その弱点を知り、下す。神は強いが、神話には逆らえない。


 そして神の名を暴くのに重要なのは、その行動だ。だから『誓約』は閉じた視界で注視する。空気で、僅かな音で、ロマンの動きを見極める。


 ロマンは剣を構え、こちらを見―――帽子を、取った。


 神の手の内で、帽子が変化する。獅子の毛皮。獅子の顔の上半分から背中にかけて存在するその毛皮を、ロマンは被った。


 『誓約』はそれで、確信する。


 ―――オグマ。軍神オグマか!


 ロマンが、再び襲い来る。


 それを受け流しながら、『誓約』は思考する。軍神オグマ。言霊を繰る軍神。従者たちを言葉で従える神。


 ならば、言葉を使えないこの状況は、権能を振るえない神が暴れているだけに過ぎない。オグマは言霊で人間を従える神。しかし言葉が封じられているのなら、単なる怪力男でしかない。


 だが同時に、懸念もある。オグマは神話でも死ななかった存在だ。だから特別な弱点が存在するわけではない。しかしその分、すでに『誓約』はオグマを弱体化させている。


 殺し方の分からない、すでに弱っている神。神殺しのセオリーはなぞれないが、正面から立ち向かえる余地のある神。


 ならば、正面から行く以外に方法はない。『誓約』は腹を決める。


 神との、斬り合いだ。


 『誓約』は剣を振るう。ロマンはそこに攻撃の剣をぶつけてきた。鍔迫り合い。筋力勝負では勝てない、と『誓約』は剣を受け流す。


 『誓約』の加護は『柳風の加護』を除いても複数ある。神に攻撃を通すならば、『破盾の加護』を通さねばならないだろう。


 すなわち、敵の防御の無効化。『誓約』の剣は、防御行動が取れない代わりに、敵が守りの意思を固めているのを打ち破ることが出来る。


 この一撃ならば、神でも両断できる。以前に神を殺したのもこの加護だ。だが、その分、使い勝手は少々悪い。


 というのも、この『守りの意思』というのが厄介で、敵が攻撃の意思を持っていると発動しないのだ。


 だから鍔迫り合いでは、『誓約』の剣は敵の剣を破壊できない。逆に剣以外の場所を斬れば、そこはみるみる内に両断される、ということになる。


 剣戟。


 至近距離で、『誓約』はロマンの剣を何度も何度も受け流す。金属音が断続してこの場に反響し、ボロボロの『誓約』の直剣は、衝撃に破片を散らす。


 その威力は異常だ。人間では決して出せない威力が出ている。どんな攻撃でも受け流せるはずの『柳風の加護』があってなお、剣が砕けようとしている。


 ―――ああ、まったく、これだから強敵は堪らない。


 『誓約』は目が慣れた瞬間に、振るわれる剣の下をくぐって、ロマンの背後に回った。一閃。強烈にロマンを斬りつける。


 普通なら、これで終わる。防御できなければ終わりだし、防御しても『破盾の加護』が防御を破るからだ。


 だがロマンは、被っていた獅子の毛皮を投げつけてきた。途端、獅子が命を取り戻して、『誓約』の直剣に食らいつく。それはつまり、攻撃の意思。しかも、狙うは直剣だ。


 その瞬間、『誓約』は、自らの敗北を悟った。


 獅子の牙が直剣を噛み砕く。ボロの直剣がまたもへし折れる。


 だがそれでも、『誓約』の闘志は決して折れなかった。


 直後襲い来た魔剣を、あまりに短くなった折れた直剣で受け流す。折れた直剣ではほとんど威力も長さもないのに、それでも果敢に神に挑んだ。


 剣が打ち合う。打ち合う、という表現が適切であるのかは、見る側にとっても甚だ疑問だった。神が振るうは立派な魔剣。『誓約』が振るうのは根元から折れたただの棒に近い。


 当然、ゲッシュによる強化があっても、その差は歴然だった。受け流すにはひどく短い直剣は、オグマの一撃を捌ききれない。『誓約』の身体は一合ごとに血を流す。


 それでも。


 それでも楽しさのあまり笑いだしてしまうことこそ、白金の素質か。


 神との勝負で不利を強いられてなお、白金は勝負を楽しんだ。剣を振るい、打ち合い、弾かれ、叩きのめされ、なおも『誓約』はその激しい剣戟に、興奮に振るえた。


「光栄でした、軍神オグマ。あなたという神と、こうして剣を交えられたことを、私は誇りに思います」


 自ら設定したゲッシュを破ってまで、『誓約』は神に感謝を告げる。オグマはそれに、僅かに口端を持ち上げ、さらに攻撃の速度を上げた。


 同時に、『誓約』の身体に、ゲッシュを破った代償、死の呪いが広がっていく。ただでさえオグマという剣の格上に体を血まみれにされているのに、内側からもそれを受け入れる。


 『誓約』は思う。ギリギリまで、ギリギリまでこの剣の語らいを楽しみたいと。ここまで剣だけで語らうことは、もう何十年と味わっていない。


 戦いそのものを楽しむ戦い。それが、ここまで甘美だとは。


 だが、そんな時間も長くは続かない。呪いは広がり、体を蝕み、とうとう『誓約』は、耐えきれず血を吐いた。


 直後襲い来た魔剣が『誓約』の細い身体を斬りつけ吹き飛ばす。


 手から剣が零れた。『誓約』とて剣を失えば、攻撃も受け流しもできなくなる。待っているのは一方的な蹂躙だ。


 ロマンが放った獅子が、さらに『誓約』に迫った。『誓約』の喉を噛み千切り、生きたまま食い荒らす。血が垂れ、肉片が飛ぶ。


 だが軍神オグマはその程度では済ませない。高く跳躍し、獅子を毛皮に戻して被り、もうとうに死に体の『誓約』に怒涛の剣を浴びせる。


 それはまるで滝のようだった。滝の水滴の一粒一粒が、軍神オグマの剣閃に置き換わって『誓約』の身体を打ち砕く。


 それはまるで、神によって行われる、可能な限り手厚い葬儀にも感じて。


「心遣い、感謝します」


 言いながら、『誓約』は肉片へと姿を変えられていく。






 凄絶な攻撃を終え、オグマは手を止めた。ずる、と獅子の毛皮が、その頭からズレ落ちる。


 それを手で受け止めるとき、毛皮はいつもの帽子に戻っていた。正気に戻ったロマンは、喉に掛かったゲッシュが解かれた―――この勝負が終わったのだと知る。


「『誓約』。あなたはしてはならないことをしてしまった。もっとも、責めはしません。私は私が一番弱くなると見られる場所に、一番強い手札を伏せていた。それだけのことですから」


 しかし、とロマンは、帽子をかぶり直しながら息を落とす。


「まさか、ウェイド君ではなく私が『誓約』を倒してしまうことになるとは……。少し肩透かしでしたね。大将なら十分に勝てる相手だったように思います」


 ロマンは安堵し、『誓約』だった肉片から視線を逸らす。


 軍神オグマを憑依させる『死と沈黙のロマンチスタ』は、大将であるシグとも互角に戦える奥の手だ。殴竜軍に下り、王に仕える契機となった戦いでも発動した。


 その戦いでは結局大将が勝利したが、その大将シグに敗北したオグマに、王があれほど『シグとは戦わせるな』といった『誓約』が敗北するのは、ロマンにとって意外だった。


「……王も、人間ということでしょうか」


 今までは脅威の読み、勘の良さで新興国ながら帝国を名乗り、続々と周辺国家を落とし続けている我らが王アレクサンドルだが、今回ばかりは間違ったらしい。


 ともかく、この場は守り抜いた。ウェイドがなかなか帰ってこないのは心配ではあるが、『誓約』との戦闘でもなければ無事だろう。


 ひとまず休んで、それから避難した面々に戦闘が終わった旨を伝えよう。それに、この肉片も年少組には刺激が強い。片づけなければ、と視線を戻す。


 そこには、まるで無傷の『誓約』が、微笑みと共に立っていた。


「……は?」


「大変楽しい戦いだった。軍神オグマに勝つ形で君に勝利できなかったのが、心残りでならないよ、『自賛詩人』」


「な、何で。あれほどの負傷は、金の剣『死なずの病人』でさえ死んだはずです!」


「おや、彼とも戦ったのか。君たちは血の気が多いね。確かに彼の不死は中々だった。何度か殺し合って『お互いに殺しきれないな』と笑ったものだ。死ねたのなら、彼も満足だろう」


「そんな話をしているのではないのです! あれほどの、原形をとどめていないという領域ではなかったはずだ! それが、何で無傷で……」


「これが、私の最も忌まわしいゲッシュだよ。名を『不滅の加護』。年を取らず、決して死ぬことはない。神を皆殺しにしない限り、私は死なない。代償は―――」


 『誓約』は、困ったように笑った。


「どんなに死にたいと願っても、決して死ぬことを許されない」


「……っ。……!」


「だから私は、死に近い状態から、常に遠ざけられている。眠ることさえできない。それが、神々が私に強いた誓約だ」


 ―――決して死ぬな。死ぬことを許さぬ。代わりに、死なないようにしてやろう、とね。


 『誓約』は言う。極度の不死性。そんなもの、『誓約』相手に集めた情報の中にはなかった。もっとも有名でしかるべき情報であるのに。


 そんなロマンの感情を読んだのか、『誓約』は言う。


「だがね、私も随分長く生きたから、これほどの不死であるのに、殺されることすら少なくなったんだ。『自賛詩人』、君に殺されるので、数十年ぶりの死だよ。語られなくて当然だ」


 ―――この強力な蘇生の所為で、『ノロマ』に掛けた治癒禁止のゲッシュまで破棄されてしまった。


 言いながら『誓約』は歩いて直剣の柄を拾う。僅かに残った刃で、『誓約』は自らの手を切った。


 血が流れる。そのしずくが垂れるのと同時、砕けた直剣の破片が戻っていく。ボロボロの直剣が再生する。同時に、『誓約』の血も止まった。


 ロマンは思う。王は正しかったと。ただでさえ油断ならない一撃を持つのに、ウェイドの上を行く不死性は、大将の天敵に等しい。


「さて、『自賛詩人』」


 『誓約』は言った。


「先ほどの戦いは終わり、沈黙のゲッシュは解消された。君に散々殺された身体もこうして治癒してしまったから、きっと『ノロマ』も今頃右腕を取り戻しているだろう」


 だから。と『誓約』はボロの直剣をロマンに向ける。


「『ノロマ』が帰ってくるまでに、君を正面から打ちのめす。しかる後にアルケーを回収し、『ノロマ』と最終決戦と行こうじゃないか。私はもう、貴族ごっこは疲れてしまった」


「……『誓約』……!」


 ロマンは、奥の手で殺しきれなかった『誓約』に、有効な手段を有していない。だがそれでも、ロマンはウェイドにここを託された。退くわけには、行かなかった。


 だから、叫ぶ。


「神よ! 我が全身全霊の戦いをご照覧あれ! 敵は世界最強の一角『誓約』! 彼を相手取る我が無謀に憐憫を! 我が奮闘にご声援を! 我が犠牲に寵愛を!」


 両手を広げ、全身に魔法を纏う。『誓約』はそれを前に「健気だね。殺すには惜しい」とボロの直剣を振るった。

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