第268話 『誓約』、襲撃/ロマンの本領

 それは、ウェイドが出発した日の、夕方のことだった。


「……まだ帰ってきませんか」


 ロマンは、居間で不安を抱えて座っていた。いつもの自信過剰な様子も今はなく、腕を組んで眉根を寄せている。


 ロマンが想像しているのは、命を削り合う激闘だ。ウェイドが簡単に負けるとは思わない。思わないが、敵は世界最強の一角、白金の剣『誓約』である。心配はしない訳がない。


 そんな様子で、ロマンはいつもの明るい様子は鳴りを潜め、むっつりと待っていた。


 他の面々も、だいたいは同じ様子だ。みんなが落ち着かない、という顔でいる。モルルとリージュは固まって不安そうにしているし、ゴルドも鍛冶の手が胡乱である。


 ロマンは、居ても立っても居られなくて、一人居間を出た。かと言って特にすべきこともなく、うろうろと屋敷の中を歩き回るだけだ。


 そんな風に歩いている中で、玄関に差し掛かる。


「あ……、ロマンさん、どうしたんですか?」


 玄関の来客用の椅子で、所在なさげに本を読んでいたのはシルヴィアだった。銀のツインテールを揺らして、チラと本を見ては玄関に視線を向けるのを繰り返している。


「ええ、少し。じっとしているのも中々難しい性質でして」


「あはは……。分かります。アタシも、こんなとこで待ってても仕方ないって分かってるんですけど」


 二人して、そんなことを苦笑気味に言い合う。特に意図のない、玄関への集合。


 ―――それは、一種の神の寵愛、運命、幸運というべきものだっただろう。


 そのタイミングで、ちょうど、玄関扉を開いて『誓約』が現れたのだから。


「……。―――――ッ!?」


「えっ、ぁ、え、えぇぇええっ!?」


「うん、やっと正解の扉だ。朝一番で拠点を出たのに、夕方になるまで掛かってしまったよ」


 目に巻いた包帯の余りが、玄関から吹いて流れる風にたなびく。『誓約』は、ウェイドがへし折ったはずのボロボロの剣を鞘から抜き放ち、言った。


「『ノロマ』が来る前に、可能な限りダメージを与えよう。安心して欲しい。君たちはアルケーを殺さなかったようだからね。私も殺さないさ」


「神よッ! 我が友に保護の加護を! ―――シルヴィアさん、皆さんに伝えてください! 『誓約』が襲撃してきました! 迅速に避難してください、と!」


「はっ、はい! やだぁぁ~~~! 何でこんな危険な役回りばっかり~~~!」


 ロマンの魔法を受けて、涙目のシルヴィアの周囲に薄膜の保護が掛かる。上階に向かいながら「襲撃ッ! 襲撃ぃいいいい!」と叫ぶ彼女の声に、奥の方で騒がしくなる気配がある。


 避難訓練は先日に行った。無事にみんな逃げてくれるだろう。


 だがそれは、この場をちゃんと守れたら、場合の話だ。


 だからロマンは、この場を逃げられない。格上と分かりつつ、『誓約』の前に立ちふさがるしかない。


 首を傾げるのは『誓約』だ。


「ふむ……? 避難を促すのは分かるけれど、何故『ノロマ』を呼ばないんだい? この場に居ないのか……―――っ! なるほど、そうか。私と『ノロマ』は、入れ違いか」


「ええ。ウェイド君は、あなたが不在の拠点を襲いに行きましたよ、『誓約』」


 ロマンは『誓約』を鋭く睨みながら、帽子の鍔を掴む。ロマンなりのルーティーン。これをすると、ロマンの心は戦闘のそれに切り替わる。


 『誓約』は、安堵とも諦めともつかない様子で、息を吐く。


「となると、私は完全に味方を失ったらしい。政争においては、完全な敗北だね。言い訳はすまい。政争は私の敗北だ」


 だから、と『誓約』は笑う。


「得意分野を、本格的に始めることにしよう。すなわち、戦争だ。手始めに、殴竜四天王『自賛詩人』。君から蹂躙する」


 『誓約』の様子は、まるで肩の荷が下りたかのようだった。ロマンは、歯噛みする。


 元々、『誓約』という冒険者が猛威を振るうのは、大群同士がぶつかり合う乱戦である。何故こんな街中で、とは思っていたのだ。


 恐らくローマン皇帝の指示だろう。そう言う風に、『誓約』を制限した。ローマン皇帝はそう言うことをするのだ。手段を間違えるというのでなく―――何か別の目的で。


 だが、それももう終わりだ。『誓約』は枷を解いた。ここからは、実力通りの白金等級が現れる。


 『誓約』は言う。


「おっと、急に現れて申し訳なかったね。こんにちは、あるいはこんばんは。君たちの敵、『誓約』アーサーだ。君たち『ノロマ』陣営を、壊滅させに来た」


「こんばんは、『誓約』。丁寧な挨拶ですが、お引き取り願いましょう。皆さんは、私が守ります」


 対峙。『誓約』はボロボロの直剣を下げて、ロマンに武器は要らず。戦闘するには異様な風体の二人が、じっと睨み合っている。


 膠着。緊張。静寂。シン、と静まり返った玄関で、実力者二人がじっと向かい合っている。


 破ったのは、『誓約』だった。


「神に誓おう。我らは今より決着つきし時まで言葉を発することを禁ず。その代償としてお互いの武器に致命の呪いを得ん」


 ―――ゲッシュ。


 ロマンは喉に、神による拘束がかかったのが分かった。無理に言葉を紡ごうとすればできるが、同時にそれが自らの命を蝕むと理解する。


 同時、『誓約』は駆け出した。常人ではありえない速度でロマンに肉薄し、防御を無効化する、致命の呪いがかかったボロボロの剣を振るう。


 すなわちロマンは、一手にして詰まされた。


 ドルイドは言葉で奇跡を希う魔法。変身魔法が皮膚感覚をくらわされて無力化されるように、完全な闇でルーン魔法が意味を失うように、ドルイドもまた声を失えば力を失くす。


 そう。あらゆる魔法には、完全なる弱点がある。


 ドルイド、ルーンなどの奏上魔法は、神への連絡手段を失った瞬間に意味を喪失する。


 変身魔法などの憑依魔法は、神から明確に似なくなることで魔法の恩恵を受けられなくなる。


 あらゆる魔は万能ではない。それぞれに得意不得意があり、不得意を突かれれば他の魔法にあっさり負ける。


 そしてゲッシュは、その『不得意を押し付ける』というやり方が、特に得意な魔法でもあった。


 『誓約』の刃はまっすぐにロマンの首へと迫る。普段なら目視も難しいほどの剣閃を、死の危機に瀕したロマンは、まるで亀の動きのように認識していた。


 ドルイドは、言葉を失えば無力化される。だからドルイドの魔法使いを相手取る場合は、声を奪うやり方で戦闘を挑むとあっさり勝てる。


 つまりは――――


 ロマンほどの大魔法使いが、それを想定していない訳が、無いのだ。


 剣閃が、交錯する。


 ギィィィイイイン! と激しい金属音を響かせて、ロマンと『誓約』は鍔迫り合いをしていた。『誓約』のボロの剣が、ロマンの手に握られる不可思議な剣とぶつかっている。


 『誓約』はそれを測りかねて、すぐさま飛び退いた。それから直剣を握り直し、警戒の様子でロマンを見つめていた。


 ロマンは、いつもの様子とは全く異なる様子で、激怒を隠さずに剣を構える。


 激怒。


 ロマンらしからぬ感情である。それは、ロマンが結んだ唯一のゲッシュに起因していた。


 ロマンは、道化である。職業がそうというのではなく、神々にドルイドの魔法を希う時の振る舞いが、本質的に道化であるということだ。


 だから、ロマンを愛する神は多い。観衆が芸人を愛するようなもので、その奇矯な振る舞いを神々は楽しく観覧し、力を存分に貸し与える。


 だからこそ、その道化たる振る舞いが封じられた時、怒り狂う神がいた。


 ロマンが結んだゲッシュとは、ロマンを愛し、ロマンの振る舞いが封じられることに激怒した神との契約である。ゲッシュも突き詰めればドルイド。契約の形は様々だ。


 その神は、ロマンとこのような契約を交わした。


『もしロマンティーニ・マンハイムから声が奪われるようなことがあれば、ロマンティーニの体に憑依して、その原因が取り除かれるまで戦い抜くと誓う』


 ―――神の名は、オグマ。道化を愛するにふさわしい、言語、詩作、霊感の神であり、そしてその最も有名な側面として、ケルト神話における軍神であった。


 故にロマンは、その本領をドルイドの外に置いてあった。ドルイドを奪われる、という最も望まれざる状況下において、ロマンは最も強い力を発揮する。


 その身に軍神オグマを宿し、その神話に従って、意志を持つ魔剣オルナを振るう。それはすなわち疑似的な神の降臨に違いなく、それこそがロマンの最も強い魔法だった。


 だからロマンは、あるいはオグマは剣を振るう。沈黙の中に、無より出ずる魔剣を構え、軍神の力でもって敵に死を与えんとする。


 道化をやめた末の、望まぬ沈黙。神の憑依。そうして訪れる敵の死。


 奥義『死と沈黙のロマンチスタ』こそ、ロマンティーニ・マンハイムの本領であった。

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