第266話 テリンの胸の内

 テリンは、沈鬱な声色で言った。


「こなたは、あまりにも恩を仇で返しましたから……。ですから、どれだけウェイド様に恋い焦がれていようとも、この想いは打ち明けてはならないのです」


 迷宮の奥に進みながら、俺は答える。


「本当にそうか? 本物は意外に、気にしてないかもしれないぞ」


「そんな訳はありませんっ! ……い、いえ、気にしてない方が解釈通りではあるのですが……気にしないはずが、無いと思います」


 こういう語り口は、何だかリージュを思い出す。罪悪感で、したいことが出来ない人間の物言いだ。


「こなたは、初対面のウェイド様に、この、眼鏡という、高価なプレゼントをいただき、世界が開けるような思いをしました。世界が鮮明に色づいたあの日のことを、忘れません」


「そりゃ、プレゼントを贈った甲斐があったってもんだな」


「でも、こなたはそれに何の恩返しもできていません……。それどころか、今もウェイド様の敵に当たる『誓約』さんに手を貸し続けています」


「……手を貸すってことは、元々は『誓約』の味方じゃなかったのか?」


「今回限りの助力、という形になります。こなたは、あくまでも陛下の臣下……『皇帝の金の暗器団』の一人ですから」


 俺は、知らなかった情報に、耳を集中させる。襲ってくる子牛の怪物などは、良いところ銀等級レベルだ。叩きのめせば死ぬ。


「皇帝の金の暗器団、か。ちょっと知らないな」


「秘匿された組織ではありますから……。もっとも、陛下にある程度近しい人間は全員知っている程度の秘密ではありますけれど」


「どんな組織なんだ?」


「大したことはありませんよ……? 陛下はあの通り今の世の覇権国家の長ですから、冒険者ギルドから白金の暗器の冒険者証を一つ、金の暗器の冒険者証を十、贈られています」


 テリンは語りながら、胸元から金の暗器の冒険者証を取り出す。


「その内、白金の暗器はいまだ空席。金の暗器は、こなたが七番目の任命だったはずです。陛下はとても慎重に暗器団を選んでいる様子で……光栄という思いもありますが」


「……ありますが?」


「ふへへ……ちょっと荷が重いとは、思います……。他の皆さんは本当に強くて、こなた自身の戦闘能力なんて皆無も等しくて……。それでなくとも、陛下は恐ろしい方ですから」


 困り顔で、テリンは笑う。俺は少し考え、聞いていた。


「無理やりだったのか?」


「……無理やりだった、と表現することはできると思います。こなたは元々、ローマン帝国の田舎も田舎の、単なる神話好きの娘でしかありませんでしたから」


 テリンは、思い出すようにして視線を上に向ける。


「家が少し裕福で、全世界の神話の蔵書が父の書斎にたくさんあったんです。活発な方ではなかったので、幼少期から貪るように読んでいました。ただ、ちょっと特殊だったのが」


 恥ずかしがるように、テリンは頬を染める。


「その書き文字が、全部ルーン文字だったらしくって……。だからこなたは、実は標準の書き文字が苦手、なんていう欠点もあったりするのですが」


「……スゴイネ」


 ルーン文字ネイティブってこと? 書き文字全部魔法じゃんそれ。やば。


「全世界の神話も何度も繰り返し読んでいたので、もう諳んじられるくらい、というのがこなたの密かな自慢です……! でもまさか、それだけで神話級のアーティファクトが作り放題だなんて思いませんでしたが……」


「え、強すぎじゃね? そんな簡単にそこまで行けんの?」


「はい。でも、神話の再現はやはり皆さん恐ろしいみたいで……。こなたは完璧に暗記しているので不安はないですが、一文字でも間違えると神話級の神罰に直結しますから」


 俺はその説明で、何となく理解する。


 つまり、テリンがやっているのは、絶大な自信と能力がないと、あまりにもリスクの高いアーティファクト造りなのだ。


 神話を読んで間違いなく記述できるなら誰でもできるが、間違えれば周りを巻き込んで即死。だがテリンは間違えないし躊躇わない。だからたった一人量産できる。


 暴発すれば全滅必至のアーティファクト造りも、成功率100%なら怖くない。


 俺は皇帝の評価に納得する。確かにそれは、金の暗器にふさわしい実力と胆力だと。


「それで、噂を聞きつけた皇帝が、テリンを?」


「いえ、家族ごと帝都に引っ越しする形になりました。最初はこなたには関係ない、父の昇進と栄転だと思っていたくらいです。陛下は―――」


 テリンは、難しい、という顔をした。


「不思議な方です。理解ができないと言っても過言ではありません。賢帝と狂王が完全に同一に合体しているようなお方です」


 俺はテリンに振り返る。その表情ににじむのは、明らかな恐怖だ。


「配下の反逆を笑って赦し、子供の反抗を踏み潰したかと思えば、翌日には真逆のことをするお方です。気まぐれという言葉では足りません。こなたは……従順である事を選びました」


 ですから、とテリンは結ぶ。


「こなたは、やはりウェイド様に顔向けはできないのでございます。恐怖で、返すべき恩を仇で返し続けました」


 テリンは目を伏せる。


「『誓約』さんの窮地を救い、ウェイド様の計画をくじくための計画を進め、リージュちゃんの監禁を数日間見過ごしました。……心はどうあれ、もうこなたはウェイド様の敵です」


「もう、取り返しがつかないって?」


「……はい。だから本物のウェイド様が現れ、こなたに剣を向けたのなら―――こなたは大人しく、首を差し出そうと思います」


「そこまでする必要はないんじゃないか?」


「はい。ですから、こなたの自己満足です。きっとこなたは、もうこれほど誰かを好きになるりません……夢で、こんなにもウェイド様と語らえただけで、思い残すことはないのです」


 俺のことを夢だと思い込んでいるテリンは、一筋、涙を流した。


 慎ましいことだ、と思う。罪悪感とは、ここまで自分を縛るものか。だが、一時期俺もそうだったから、どうにかしてやりたいな、という気持ちもある。


 もちろん、この短い語らいでテリンのことを好きになったというのではない。だが、罪悪感から解き放つくらいのことは、惚れられたよしみでしてもいいのではないか、と思った。


 だから、俺は言う。


「なぁ、テリン。夢だってさっき言ったけど、実は俺、本物なんだ」


「し、信じません。こなたは迷宮の入り口で寝入って、幸せな夢を見ているのです。その証拠に、いつまで経っても迷宮の主、ミノタウロスに出会わないじゃな……いです、か……?」


 俺たちの前に、ひときわ大きな扉が現れる。宝物庫の扉だろうか。テリンの顔を見ると、顔色を真っ青にして巨大な扉を見上げている。


「い、いえ……。ゆ、夢の終わりということですよね……? ま、ままままま、まさか、こなたは本物のウェイド様に、分かったようなことを言ってしまっただなんて、そんなことは」


「とりあえず開けるぞ」


「ああああああ、待って! 待ってくださいウェイド様! こなたの混乱を置いていかないで!」


 迷宮の扉に触れると、自動で大扉は開き始めた。「扉の挙動が、挙動が本物と同じです!」とテリンは叫ぶ。それが面白くて、俺は笑う。


 そして扉が開き、ミノタウロスが現れた。


「グルルォォォオオオオオオオオ!」


 巨躯。恐らく全長3メートルは優にある、巨大な体だった。頭は牡牛。体は人間。その肉体は、鋼のような筋肉でおおわれている。


 凄まじい咆哮が俺とテリンを襲う。テリンは「何度聞いても怖いですぅぅ……!」とか細く泣いているが、俺はエキドナのドラゴンボイスを食らったばかりなので平気だ。


 何なら可愛く見えてくるわ。ドラゴンボイスって毎回鼓膜破れるんだからなアレ。


 俺は、デュランダルを大剣に変え、肩に担ぐ。


「さて、ゴルドとシルヴィアの鍛冶の腕はどんだけ上がったかなっと」


 ミノタウロスが、突進してくる。


 俺はアジナー・チャクラでミノタウロスを観察する。凄まじい筋肉の量と密度だ。肉体でありながら、その硬度は先日俺が対峙した金等級、アイアンに匹敵する。


 つまり、今までのデュランダル単体では、剣がまともに通らない相手だ。だが、俺は変形したデュランダルの中に、剣気のようなものを感じ取っていた。


 それは、意志のようなもの。デュランダル自身が、『俺を振るえ。奴は斬れる』と言っている。俺はそれに、「ああ」と頷いた。


「そうだな。今のお前なら、斬れる」


 踏み込む。一閃を描く。


 突進してきたミノタウロスとの激突の瞬間、俺はデュランダルの手ごたえに笑ってしまった。


「ゴルド、シルヴィア。お前らデュランダルのこと鍛えすぎ」


 今のデュランダルなら、重力魔法と合わせればシグさえ一刀両断だ。


 ―――ミノタウロスの身体が真っ二つになる。ミノタウロスは下半身を俺のすぐ背後に倒れさせ、上半身を少し遠くに投げ出した。


「グルルルォォオオオ! グォォオオオオ!」


「おお、これで死なないか」


 だが、ミノタウロスは上半身だけで跳躍し、俺に襲い掛かってくる。ああ、金等級、壊れた英雄の領域は、大半がこうだ。戦闘に特化するあまり、気がおかしくなっている。


「だから」


 俺はデュランダルを振りかぶる。


「だから、俺の相手にふさわしいんだ」


 そして俺は、ミノタウロスを細切れにした。


 何度も何度も、剣閃を放つ。宙に浮いてまで俺に襲い掛かるミノタウロスを斬って斬って切り刻む。


 右腕を落とす左腕を落とす胴体を斜めに裂く首を落とす。だがミノタウロスは首だけになっても俺の首を丸かじりにしようとした。ここまでくれば天晴だ。


「テリン、お前の腕は最高だ。こんな怪物を自由に生み出せるとしたら、そりゃあ皇帝だって金等級待遇でお前を迎えたくなる」


 俺はとうとうミノタウロスの頭を頭蓋から叩き割り、その命を終わらせる。


「だが、お前の話を聞くとどうも皇帝が怖くて言うことを聞いてるように見える。そんでもって、本当は俺と共に進みたい、みたいにも見えるんだ」


 なら。そう言って振り返ると、テリンは目を丸くして、俺のことを見つめていた。


「お前の仇なんて一つも気にしない。俺の下に来い、テリン。お前の腕に、俺は惚れこんだ」


「ま、まさか、そんな、う、嘘です、よね? 本当に、ほん、ほほほほ、本物の、ウェイド様だなんて、そんな……」


「今の戦いが、夢に見えたか?」


 テリンはブンブンと首を横に振る。


「俺の実力が、夢に見えたか?」


「見え、み、見えな、ぅぅ」


「テリン」


 俺はテリンに近づき、すぐそばでその目を見つめた。


「俺が、夢に見えるか?」


「み、見え……見えませんんんん……!」


 びぇええ……と泣き始めながら、テリンは俺を見上げた。俺はそっと、彼女に手を差し伸べる。


「なら、是非俺と一緒に来ないか? 俺はいずれローマン皇帝を倒す。テリンが皇帝を怖がってるのなら、いつかその恐怖をなぎ倒す。だから、俺に力になってくれ」


「い、いいの、ですか……!? こなたは、こなたは弱く、ウェイド様の邪魔ばかりを……!」


「今までは敵だった。敵を上手く困らせられるのは、能力の証拠だ。むしろ嬉しいぞ、テリン。お前のその力を俺に貸してもらえると思うとな」


「な、なら、ならば、こなたは」


 テリンは感涙の涙をぬぐい、俺の手を握った。潤んで、キラキラと輝く瞳で、俺を見上げてくる。


「こなたは、ウェイド様に生涯を捧げたく存じます……! 是非、こなたの魔法を振るい、歴史に名を残してください……!」


 歴史って、と俺は苦笑するが、そういう茶々は言わぬが花だろう。俺は肩を竦めて「ああ。そうしようか」と頷くのだった。

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