第260話 看病と懺悔

 拠点に戻ってから、俺はモルルと共に、夜通しリージュの看病をしていた。


 リージュの衰弱具合はひどくて、下手をすれば今にも死にそうに見えた。こんな時にトキシィがいれば。そんなことを思いながら、うなされるリージュの頭に濡らした布を載せた。


 看病は三日三晩に及んだ。俺は今のところ急を要する用事もないし、アナハタ・チャクラで体力も無限に等しかったから、リージュにつきっきりで世話をしていた。


 驚くのは、モルルの方だ。確かに体力に満ち溢れた古龍ではあるが、俺と一緒に一睡もせず、リージュの世話をしていたのだから恐れ入る。


「俺が看てるし、休んでいいんだぞ?」


「ううん……。モルルが、お世話したい、から。むしろ、パパが休んで、いいよ」


「ヘトヘトのモルル放置して元気な俺が休んだら、俺が皆に怒られるわ」


 そんな感じでモルルが意地を張っているので、俺はモルルが限界に達しないかを見張る目的も含みつつ、リージュの世話をしていた。


 リージュがやっと意識を取り戻したのは、ちょうど三日後のことだった。窓から晴れやかな朝日を受けて、リージュは「ぅ……?」と目を開く。


「っ! パパ! リージュ! リージュが、パパ!」


「パパはリージュじゃないぞ」


「ふざけないで!」


 怒られてしまった。可愛い。


 リージュは寝ぼけた様子でパチパチとまばたきをし、それからキョトンとした様子で俺たちを見る。


「モルル……? ウェイド様……? ここは……」


「リージュ、良かったよぉ~! 起きてくれて、良かったよぉ~!」


「わっ! どうしたんですの!?」


 リージュは状況が呑み込めていないと見えて、モルルの態度に混乱している。モルルは安堵感に泣き始めてしまって、ちゃんと話せそうにない。


「リージュ、お前、『誓約』のところから助け出して以来、三日間ずっと寝込んでたんだぞ」


「えっ。あ、……そうでしたわね。っ! そうです。ウェイド様、お伝えしたいことが」


「向こうで掴んできた情報だな。一旦聞くから、落ち着け」


「は、はい……。それで」


 リージュから、俺は話を聞く。『誓約』は何か策を打とうとしていること。それで重要になる物品は、そうやすやすとは動かせないこと。


「動かせないもの、か。ビルク卿と話してみる」


 ウィンディ、と呼ぶと、声を聞きつけたウィンディが現れる。俺はロマン、ビルク卿といくらか話す予定をつけるように告げて、ウィンディを遣わした。


 ひとまずはこれでいい。と俺はリージュに向き直る。リージュはやはり病み上がりだけあって、俺に情報を伝えるだけで疲れた風に呼吸を荒くしている。


「すっかり病弱になったな、リージュ」


「不甲斐ない限りですわ……。ですが、すぐに元気になりますので、お気になさらず……」


「少しからかっただけだ。モルルと二人でちゃんと面倒みる。リージュだっていつかは俺のパーティの看病してくれてたんだ。迷惑だなんて思わない」


 俺がそう言うと、リージュは何故だか沈鬱な面持ちになる。俺が違和感に首を傾げていると、モルルが「ね、リージュ」と真剣そうな声色で尋ねた。


「リージュが言ってた、『最初から攫われるつもりだった』って、何?」


 シン、と部屋に沈黙が降りる。俺はそんなこと初耳だったし、リージュの表情の強張り方からして、それが一つの真実であったこともわかる。


「そ」


 リージュの目が、泳ぐ。


「そんなこと、言いましたかしら……? も、モルルの、勘違いではありません、こと?」


「勘違いだったら、何でそんなに戸惑うの? リージュ、何を隠してるの?」


「……う、くぅ……」


 リージュの呼吸が荒くなる。ただでさえ疲れやすいところに、強いショックを伴う質問だ。無理もない。


 だが同時に、なぁなぁで流していい問いではないとも思った。俺は判断に苦しむ。モルルを止めるべきか、静観すべきか。


「モルル、ずっと考えてた。何でリージュがそんなこと考えてたんだろうって」


 モルルは言う。


「でも、分かんなかった。全然。良くない考えも、浮かんだ。リージュが本当は裏切ってたんじゃないかって。でも、そんなこと思いたくなくて」


「裏切ってませんわ! ワタクシは、決して、裏切ってなんか、ゴホッ! ゴホゴホッ!」


「あ、ごめ、リージュ、ごめんね……!」


 モルルがリージュを支えようと手を伸ばす。だが、リージュはその手を払った。モルルは傷ついたように硬直する。


 俺は見ていられなくて「リージュ、ごめんな」と声をかける。


「モルルも、混乱してるんだ。疑ったんじゃない。そんなおかしなことを考えてしまうくらいリージュが心配だったんだ」


「わ、ワタクシは、裏切って、ません」


「分かってるよ。……モルル、一睡もせずに三日間、リージュの看病をしてたんだぜ。疑うだけの相手に、そんなことしない」


 俺がそう言うと、リージュはハッとして、モルルを見た。リージュはポロポロと涙を流しながら、「ごめんなさい……」と絞り出すような声を漏らす。


「う、ううん。モルルが、変なこと言ったのが悪くて、だから、リージュ、謝らないで……?」


「違うんです。違うんですの。ワタクシは、ワタクシ、は……っ!」


 リージュは体を折るほど激しくせき込む。俺は限界か、と目を瞑り「リージュ、この話は後でにしよう」と持ち掛ける。


 だが、リージュは頑なに首を振った。それから、「ごめんなさい……!」と泣いて訴える。


「……何を謝ってるんだ?」


「わた、ワタクシは、ウェイド様のパーティを、モルルの家族を、壊そう、と」


「それは、もう済んだことだろ。リージュのお父さんから、その分の金はちゃんともらって」


「違いますッ! ワタクシは! ワタクシは……! まだ、何も、償えていません……!」


 リージュの涙が、ベッドの上にポタポタと落ちる。水滴がしみ込んで、ほんのりと黒く染まる。


「ワタクシは、事もあろうことに、ワガママで、ウェイド様の、モルルの家族を壊そうとしたんです……! 冒険者なんて卑しい人間がメタモルドラゴンを、なんて。なんて、傲慢」


 リージュは顔を覆い、自責の念に耐え切れないように頭を掻きむしる。モルルが「ダメっ。落ち着いて、リージュ……!」と手を掴む。


「放してっ! ワタクシは、何も、何も分かっていなかったんです! ウェイド様がどれだけ家族を愛していたのかも、ウェイド様たちが、どれだけ優しい人たちだったのかも!」


 ワタクシなんてっ! リージュは叫ぶ。


「ワタクシなんてっ、あの場で野垂れ死んでしまえば良かったのです! でなければ、償い切れません! ゴホッ! ワタクシは、ワタクシは……」


 俺は、何となくリージュがどういう心境に立っていたのかを理解する。モルルには、まだ分からないだろう。悔やんでも悔やみきれないほどの、罪悪感は。


「リージュ」


 俺は声をかける。


「ずっと、それ、抱えてたのか」


 俺が言うと、リージュはモルルへの抵抗をやめ、静かに頷く。


「……皆さん、ワタクシがあの家で過ごすようになって、段々、段々と、優しく接してくださるようになって」


「ああ」


「アイス様は、モルルと一緒にお腹がすいたと言いに行くと、いつも、おやつを作ってくれるんです。簡単な、家庭的な……。それが、おいしくて、大好きで」


「ああ」


「トキシィ様は、ワタクシとモルルが粗相をすると、怒ってくださいました。ワタクシ、怒られるなんてこと本邸では一度もなくて。でもその後に、優しく、撫でてくださって」


「ああ」


「サンドラ様は、いつも全力で遊んでくれました。とても自由な人で、トキシィ様に怒られるからって、コッソリお菓子をくれたりして。結局バレて一緒に怒られて」


「ああ」


「クレイ様は、あまり話すことはありませんでしたが、本邸に戻る道で、アレク様や他の方々と忙しそうに仕事をしていらして。ああやってパーティを支えているんだって」


「ああ」


「……ワタクシ、は」


 つう、と一筋、リージュの目から涙がこぼれる。


「ワタクシは、この家族を、こんな温かな人たちを、ワガママで壊そうとしたんだって……! そう思うと、どうにもできなくて、ワタクシ、ワタクシは……!」


 顔をくしゃくしゃにして、リージュは泣きじゃくる。モルルはその姿に気圧されて、何か言おうと口を開いては、言葉が見つからなくて閉ざすのを繰り返している。


 リージュの気持ちは、成長の証拠だ。子供のままでは抱けない、他人を思いやる心。それが、この小さな体で背負うには重すぎる罪悪感になった。


「だから、この機を逃すわけには、行かなかったのです」


「……この機っていうのは」


「『誓約』陣営は、報復に誰かを攫うというのは、分かっていました。でも、誰かが攫われるまで、こちらはきっと警戒できない。強い人ばかりですから」


 俺は、そこでやっと意図を掴む。リージュは、自嘲げに言う。


「ならば、ワタクシが、と思ったのです。ワタクシが一番役立たずで、最悪、死んでも」


「リージュのバカっ!!!」


 リージュの言葉に激高したのは、モルルだった。目を怒らせ、泣きながらリージュを叩く。


「バカっ! バカっ! リージュのバカっ!」


「い、いた。痛いです。モルル、いた」


「そんな償い! 誰もして欲しいなんて思ってない! リージュはモルルの親友! 死んでもいいなんて言わないで!」


 息を荒げて、モルルは言う。涙を流しながらも、目を大きく開いて、睨みつけるようにリージュを見つめている。


「……でも」


「でもじゃない! 次言ったら許さない!」


「―――ッ! 許さないってなんですか!」


 今度はリージュが怒鳴る。枕を武器に、モルルを叩き始める。おお、何か始まったぞ。


「ワタクシはっ! ずっと償わなきゃって思ってたんですのよ! でも、どうしていいか分からなくて! この期に及んでも償い切れたって思えなくて、ならもう、死ぬしか」


「バカーっ! リージュのバカっ! そんなだからチェスも弱いんだよ! 死んで償えなんて誰が言ったの!? そんなのリージュが罪悪感に耐え切れなかっただけでしょ!?」


「っ! ちぇ、チェスは関係ないですわ」


「話逸らさないで!」


「逸らしてないです!」


 俺は大暴れする少女二人を眺めながら、カラカラと笑う。


「パパ! 何笑ってるの!」「そうですわ! ワタクシたちは真剣なのに!」


「いや笑うってこんなの」


 途中から小学校のケンカなんだもん。前世では俺もこんなのしたわ。メチャクチャな奴。


 とはいえ、俺はもうこの中じゃ大人枠に入る。仕方ないから収拾を付けてやろう。


「リージュ」


 俺が名を呼ぶと、リージュは緊張したように背筋を伸ばす。「こほっ」と咳が出るが、怒った所為か顔色がいい。


「お前の罪悪感は、残念ながらずっと後を引くやつだ。子供の時の奴は体感的にも特に長引く。何をしても、な」


「え……じゃ、じゃあ、わ、ワタクシは、もう償いきれませんの……?」


「うん。そうだよ。無理。だって俺たち被害者側は全員気にしてないのに、リージュだけ気にしてんだもん」


「えっ」


 俺が実も蓋もないことを言うから、リージュはポカンとした顔になる。


「ぱ、パパ、流石にちょっと手加減って言うか」


「いや、こう言うのはトドメさした方がいい。でな、リージュ。つまる話、お前の罪悪感はお前の問題なんだ。誰にもどうにもできない。しいて言うなら時間だけが解決してくれる」


 リージュは「え、あ、う」と言葉にならない声を漏らしながら、あやふやに手を動かしている。


「で、そういう独り相撲でまた自発的に拉致されに行くとかやられたら迷惑だから、もうやめろ。お前は罪悪感と正面から向き合え」


「う……、ぁ、はい……」


「代わりに」


 俺はリージュの手を取る。


「罪悪感に押しつぶされそうなときは、俺に頼ってくれていい。モルルでもいい。ウチのパーティなら多分誰でも寄り添ってくれるし、ウィンディでもいいんじゃないか?」


 部屋の外で音がする。ウィンディめ、裏で聞いてるな?


「……ウェイド様」


「俺のパーティ―――いいや、俺の家族のためにあれだけ泣けるのなら、リージュだってもう俺たちの家族だ」


「でも、ワタクシは、あんなひどい過ちを」


「人間、間違いはいくらでもある。俺なんかリージュよりひどいぞ。ムティーと偶然出会わなきゃ、皆巻き込んで全滅だ」


 イオスナイトの初邂逅は一生トラウマだと思うんだよな。いまだに夢に見るもん。結構うなされる。


「だから」


 俺はリージュの頭を撫でる。


「あんまり気に病みすぎるな。俺から言えるのはそのくらいだ。どうにもならなくなったら言いに来い。慰めて背中くらい叩いてやるさ」


「……うぇ、ウェイド様ぁ~……!」


「はいはい、辛かったな~。よしよし」


 えぐえぐと泣くリージュを抱きしめ、俺は背中をトントンと叩く。その様子を半眼で見つめながら、モルルは言った。


「……この流れでリージュもハーレム入りするの?」


「あんまそういうこと言うんじゃない」


 当時はまったくそのつもりなかったけど、最近のリージュ可愛いんだよなとか。思ってない。思ってないったら思ってない。








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