第259話 右腕には右腕を

 アルケー・フレグランスという女は、無数の戦いを『誓約』と共に乗り越えてきた歴戦の錬金術師である。


 100年。そんな年月を、世界最強の一角たる白金の冒険者の隣で過ごしたエルフは、アルケーをおいて他に居ない。


 数々の死闘をかいくぐり生き延びた強運。無数の死闘を制してきた『香箱の神』。強みと弱みがはっきりしている分、立ち回りに迷うことは少なかった。


 だが―――今回ばかりは、アルケーと言えど悩まざるを得ない。


 数えるほどだが、世界最強と呼ばれる人間すら下したことのあるアルケーの『香箱の神』。しかし恐ろしいことに、この『ノロマ』と呼ばれる少年を前に、アルケーは見えなかった。


 すなわち、僅かでも勝ちうると思える可能性を。


「……」


 ゴクリ、と唾をのみ下す。


 眼前に立つ『ノロマ』のウェイドは、怒りと注意深さでもってアルケーを睨みつけている。


 その目はぼやけていない。どういうこと? とアルケーは思う。生物なら、呼吸するはずだ。呼吸するなら、香薬を吸っているはずだ。香薬を吸っているなら、朦朧とするはずだ。


 呼吸をしていない。あるいは、呼吸して吸入した香薬を、瞬時に無害化している。分からない。だが、『香薬の神』の半分は、幻覚効果にある。これでは威力も半減だ。


「おい」


 そこで掛けられた声に、アルケーはビクリと肩を跳ねさせる。


「な、何」


「分からせてやる、とか言ってた癖に、お前からかかってこないのか?」


「こ、こちらのセリフよ。いつまで観察に徹しているの? 噂に聞くどう猛さは、どこに行ったのかしら」


 余裕を演出するように、アルケーは言う。それに、ウェイドは答えた。


「いつもの俺は、戦いながら考える」


「……は……?」


「戦いは、楽しいもんだから、戦いながら『どう勝とう』か考える。けど、例外がある」


「何、よ。その、例外は」


「敵を完膚なきまでに叩き潰すとき」


 その言葉に、アルケーの背筋に凍るような寒気が走った。


「そういう時は、まず観察する。どうすれば相手にまったく手出しさせずにボコれるか考える。己の無力さをどうすれば実感させられるか。どうすれば絶望させられるか、考える」


「……ふ、ふふ、な、何を言っているのか、分からないわ。ぜ、絶望? 『香箱の神』となった、わたくしが? いつもの単なる錬金術師ならまだしも、今のわたくしは弱くないわ」


 ウェイドは、再び無言になる。それに、アルケーの中で恐怖が立ち上る。


 それに、アルケーは耐えられなかった。


「な、なら! お望み通り仕掛けてあげましょう! あなたの子の、ドラゴンブレスでねッ!」


 アルケーは腕を振るう。匂いの中に復元した古龍の印が現れる。ウェイドを囲うように、何十という数の古龍の印が破壊の光を湛えた。


 だが、ドラゴンブレスは放たれなかった。


 勝手に崩れ、消えていく。


「……え……?」


 ウェイドはつまらなさそうな目つきで、じっとアルケーを見つめている。こんなものか、と問うている。


「な、何? 今、何をしたの?」


「お前が一番分かってるんじゃないのか、アルケー・フレグランス」


「わ、分からないから聞いているのよ! さっきモルルちゃんたちを助け出したときもそう! 何故再現した古龍の印を斬れるの!」


 分析した限り、古龍の印は古龍以外には干渉不可能な魔法陣だ。それを、神の全能性でもって疑似再現しているだけ。人であるウェイドに破れる道理はない。


 だが、ウェイドはその問いを鼻で笑った。


「はっ。古龍の印がすげーのは知ってるよ。でもお前は違うだろ、アルケー」


「……? どういうこと?」


「問答は終わりだ。お前のことはもう


 ウェイドは大剣を振るう。その軌跡に靄が追従する。


 まるで、錬金術がウェイドに看破されたように。


「地獄を見る覚悟は、できてるか?」


「―――ッ! 夢幻世界!」


 アルケーは靄を、香薬の匂いを混ぜる。複雑に入り混じった匂いが神の意思を触発する。


 創造するは世界。終わりなき香箱。アルケーが絶大な力を持つ空間。


 アルケーの視界に靄が殺到し、ウェイドの姿が消える。そこでアルケーは足元に掛かった靄から、高く足を抜き出した。


 足元の靄が晴れる。その下に、蟻ほどの大きさもないほど小さくなったウェイドの姿が見える。


「小さくなったものね、『ノロマ』! その小ささで、あなたはわたくしに一体何ができ―――」


「できるだろ、できすぎるくらいに」


 一閃が、走る。


 小さすぎるウェイドから、銀に光る小さな棒が伸びている。否、それは剣だった。ウェイドから見れば途方もないほどに伸びた剣が、アルケーの足に深く切れ込みを入れていた。


 アルケーは血の気が引く。常人サイズのアルケーと、蟻ほどのサイズのウェイド。その状態で直接戦った時、ウェイドが勝つのか、と。


「っ! く、でも、これならどう!?」


 血を流しながら、アルケーは大量の蛇を召喚する。アルケーから見れば通常サイズの毒蛇も、ウェイドから見れば世界蛇と見紛う大蛇と化す。


「さぁ! 蛇たちよ! その小さな敵を丸呑みしてしまいなさ―――」


 ウェイドの剣閃が、瞬時に蛇たちを一掃する。


「……い……?」


「デカイだけの蛇も、お前も、つまらん。確かこうだったな、手で匂いをかき混ぜて」


 小さなウェイドを靄が包む。直後、アルケーの眼前の靄が晴らされた。元の人間サイズに戻ったウェイドが、眼前に現れる。


「何で」


 アルケーは動揺を隠せない。


「何でっ! 何でよ! 錬金術は森の賢者のごく一部しか知らない秘術! 何であなたが使えるの、『ノロマ』のウェイド!」


「そりゃ、お前が俺の前で散々使ったからな。真似すれば効果の再現くらい出来る」


 それを聞いて、アルケーはとうとう一歩後ずさった。


 二つ名の通りの敵だった。『一目見れば、世界のすべてがノロマに見える』。故に『ノロマ』。自分が必死に習得した秘儀を眼前で習得され、自分のノロマさを呪いたくなるような傑物。


 『ノロマ』のウェイド。アルケーは悟る。奴は、秘儀を操る錬金術師の、天敵であると。


「それでも」


 アルケーは、腕を振るう。


「それでもッ! わたくしは『誓約』の右腕なのよ! こんなところで、負けられないの!」


 匂いが混ざる。古龍の印が浮かぶ。そこに錬金フラスコを投げつけ割る。香りにさらなる神秘が宿る。


「時よ止まれ!」


 指を振るう。ウェイドがぴた、と停止する。要は、相手を同じ『神の香箱』派と思って相手取ればいい。ならば、まずは時を止めて数秒でも無力化すること。


 次いでアルケーはトドメを刺すための準備に移る。古龍の印が巨大化する。アルケーからも干渉できないように、古龍の印という現象をこの場に固定化する。


「放たれよ! 古龍の息吹! 再現した最上の魔! 我が敵を焼き貫け!」


【ドラゴン・ブレス】


 モルルが放つよりも何十倍も太いドラゴンブレスが、ウェイドを貫いた。触れれば蒸発するしかない、破壊の概念そのもの。強烈な残光を放って、ウェイドを焼いた光が廃墟を崩す。


 それに、放ったアルケー自身が目をくらませた。強烈すぎる真っ白な光に目をチカチカさせ、「これでどう!?」と靄を払う。


 そこには、何もない。誰もいない。


「……やった、の?」


 分からない。だが、ウェイドはいない。ただ、焦げ付いて炭ばかりが広がった、真っすぐにならされた光線の跡があるばかり。強烈な熱が立ち込め、アルケーはむせる。


「けほけほっ、の、『ノロマ』のウェイドと言えど、あんな一撃を食らえば、死ぬ……わよね? けほっ。塵すら残さず、死ぬ、わよね?」


 なら、これは、勝ったと見做してもいいのではないだろうか。


 アルケーは、信じられない気持ちで極太光線の跡に歩み寄る。こんな派手な攻撃を放ったことは人生でも初めてだったから、こんな跡形もなく敵が蒸発するのかと呆けてしまう。


 だが、きっと、きっと勝ったのだ。


 あの『ノロマ』のウェイドに、アルケーは勝ったのだ。


「や、やった」


 アルケーは震える。


「あの強敵に、『ノロマ』のウェイドに、わたくしは勝っ」「んなわけねぇだろ」


 アルケーの右腕が、飛ぶ。


「――――あ、ぇ……?」


 背後からの、綺麗な一閃だった。剣閃がアルケーの肩を通過して走ったと思った瞬間、アルケーの右腕が飛び、宙に舞い、焦げ跡の上に落ちて、じゅう、と残る熱に焼かれる。


「あ、ぁ……ぁ……?」


 血が噴き出す。噴水のように、右肩から流れ出る。その後ろには、『ノロマ』のウェイドが立っている。血で汚れた大剣を持ち、鋭い目でこちらを見つめている。


「なん、なんで、なんで無傷」


「時止められた瞬間、サハスラーラチャクラで周囲の匂いを支配した。お前の錬金術って言う魔法は、あくまでも匂いを触媒にした魔法だろ。匂いのない場所では存在しない」


 だから、とウェイドは言う。


「時を止められた瞬間に、時を支配する魔法を支配して、即時離脱した。それだけだ。流石にちょっと面白かったぜ。だが、もう、アルケー。お前の底は見えた」


 ウェイドが、獰猛な笑みをむき出しにする。


「ここから先は、お前の地獄だ」


 剣閃が、走る。


「―――ッ! 復元!」


 アルケーは左腕を振るい、自身の右腕を復元する。その直後、アルケーの両腕がウェイドの大剣で斬り飛ばされる。


 こぼれる大量の血。アルケーはパニックになる。腕がなければ匂いを操作できない。だから、慌てて逃げ出そうとする。


「待てよ。どこに行こうってんだ?」


 足が落とされる。あるいは、足から胴体を落とされる。それで、アルケーは思い切り地面に倒れ込んだ。


 四肢を失った体が血だまりに沈む。血のしぶきが周囲に飛び散る。アルケーの頭の中には、もう恐怖しか存在しない。


「うそ。こんなのうそよ。やだ、いやだ、死にたくない、たすけ、たすけて」


「人の娘と妹分を殺そうとした癖に、よく言うぜ。なぁ?」


「してないっ! あれは、あれはただの幻覚! 少し驚かせて失神させようとしただけ! わたくしは! わたくしは子供を殺そうとなんてしてな―――」


 ウェイドの大剣が振りかぶられる。その下には、激怒した化け物の姿がある。


「ピーチクパーチク騒ぐなよ。大人しく死んどけ。金等級なら覚悟を見せろ」


 剣が、落ちてくる。その光景を最後に、アルケーは意識を失った。






「……ま、俺も分かってたけどな。お前がモルルたちを、幻覚でしか攻撃してなかったの」


 俺は支配した香薬の靄を払いながら、アルケーを担ぎ上げる。


 四肢を斬り落としたのも、血があふれ出たのも、幻覚だ。靄が晴れれば消える。だが、幻覚に惑わされていれば、真実だと思いこむ。


「目には目を、歯には歯を、右腕には右腕を。そんでもって、幻覚には幻覚をってな」


 俺は振り返って、「モルル、いるか?」と声をかける。すると、怯え切った様子のモルルが、廃墟の端から現れた。


「……パパ、超怖かった」


「そりゃ金等級を恐怖だけで失神させようとしたら、ああもなる」


 終わってみれば結構楽しかった。アルケーは錬金術師だから、自分の錬金術の幻覚を見ないようにプロテクトを張っていた。それを破り、俺が錬金術を奪って、立場逆転。


 俺が、アナハタ・チャクラで呼吸を必要としないから、ここまでできた敵だった。でなければ強敵だったし、勝ててもまず殺すことになった。


 『誓約』陣営の人間は、あまり殺したくないのだ。『誓約』とはただ純粋な力比べをしたい。禍根などで、『誓約』の剣を鈍らせたくない。


「リージュは大丈夫か?」


「呼吸は安定してるけど、すごい熱出てて……。ど、どうしよう、パパ……!」


「泣くな。安心しろ。さっさと連れ帰って看病してやろうな」


「うん……っ!」


 俺はリージュごとモルルを抱きかかえ、鎖でアルケーを背中に固定し、「クリエイトチェーン」で素早く屋根に登って拠点を目指す。

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