第253話 リージュの孤独

 リージュは、夢を見ていた。


 戦争前の、平穏な日々。モルルと一緒に、戦いとは完全に無縁でいられた時期。ウィンディを従え、暴れん坊なモルルに手を焼いたり、完全に負けて良いようにされたりしていた時。


『もー! お待ちになって! お風呂から出たら体を拭かなければなりませんのよ!』


『あははははっ! リージュには捕まんないもんねーっだ!』


 少し前のモルルは、今のモルルよりもよほどおてんばで、おこちゃまという表現がよく似合った。リージュからすればそれは手のかかる妹のようで、可愛いがムカツクという距離感。


 今は、ちょっと違う。モルルの地頭はリージュよりよほど良くて、体も丈夫で、リージュを置いてぐんぐんと成長しようとしているのが分かる。


『これはチェスというボードゲームでしてね、ここをこうして遊ぶんですのよ。では、一つやってみましょう。……アレ?』


『ここを、こう、こう、こう。で、チェックメイト。リージュ、弱いね? 教えてあげようか?』


『じょっ、冗談じゃありませんわ! もうやめです! チェスはやめ!』


 大人への憧れ。成長しようとする意志。リージュはモルルに触発されるように、周囲から物事を学び取ろうとした。領主たる父から。ウェイドパーティの皆様から。モルルから。


『モルルね、パパみたいに強くなりたいなって、思うんだ。そうすれば、パパと並んで戦える。頑張れる。……そういう風に、なりたいな』


『モルル……。そうですわね。ワタクシも、成長すれば、ウェイド様に認めてもらえますかしら』


『え、やめてね? リージュがお義母さんとか絶対いやだよ?』


『そう言うことを言われたら、意地でもウェイド様のハーレムに加わって見せますが』


『ヤーダー!』


 大人になる、というのは、どういうことなのか、最近分かってきた気がする。つまり、子どもをやめることではないのだ。


 子供ではなく、大人の部分が増える。誰かのためにという考えや、優しさ、自己犠牲。けれど、それで子供の自分が消えるわけではない。どこかに残して、隠して、守っておく。


 そういう、自分の子供を上手に隠して振舞えることこそ、きっと大人なのだと、リージュは思うようになった。


 ―――目を、開ける。


 リージュは、両腕を拘束する椅子に座らせられていた。何日もこのままここに繋がれている。部屋にはお香が焚かれていて、いつもどこか甘い匂いがする。


「起きたわね、リージュちゃん」


 目の前の妙齢のエルフが、リージュに言った。リージュはぼんやりとした目で見上げながら、彼女の名を呼ぶ。


「アルケー・フレグランス……。ワタクシは、何か情報を漏らしましたか?」


「ええ、たくさん喋ってくれたわ。やはり錬金術の自白剤は、完璧ね」


「そうですか。ワタクシは何もしゃべりませんでしたのね。ならば結構です」


「……本当に聡い子ね」


 アルケーは言って、リージュの顎を持ち上げる。


「早くしゃべってしまった方がいいと思うわよ? でなければ、強力になっていく自白剤がいずれあなたを壊してしまう。わたくしが知りたいのは、本当に僅かなこと」


「ええ、言われなくても覚えていますわ。『ウェイド様の弱点』『拠点への新しい入り口』の二つでしょう?」


 ふふ、とリージュは笑う。


「絶対に、言いませんわ。ただでさえ不用心にしていて攫われ、心配をおかけしている身。これ以上の迷惑を、ワタクシはワタクシに決して許しません」


「……あなた、魔法も使えないただの貴族のご令嬢のはずでしょう? 何故、自白剤に耐えられるの? その精神力は、どこから……」


 リージュは、その問いに不敵に笑い返すのみ。アルケーは、僅かに眉根を寄せて、それから皮肉っぽく笑った。


「まぁいいわ。まだ強力な薬は残ってる。どこまでその理性が持つか、楽しみにしているわ」


 また調合のし直しね。そう言って、アルケーは去って行く。その後ろ姿と閉ざされる扉を見つめて、リージュは息を落とした。


「……理性? 理性で自白剤に耐えられる訳ありませんわ」


 リージュは今日も無事にしのぎ切った、と達成感と安堵感に包まれる。今日も、厄介なアルケーのいう敵を騙しきったと。


 アルケーが訝しんだ通り、リージュはただの貴族令嬢に過ぎない。尋問に対する訓練など無論受けていないし、それに耐えられる精神力もない。


 では何故アルケーの自白剤にリージュが抵抗できているのかと言えば―――抵抗できていない、が正解になる。


 つまりは、単純な話。自白剤に抵抗して情報を秘匿しているのではなく、ただだけの話。


 リージュは、ウェイドの弱点なんて存在すら疑わしいものは知らないし、新しい拠点の入り口だって知らないだけなのだ。


 騙しきった、というのは、そういうことである。知らない情報を知っているかのように振舞い、アルケーの質問を誘導する。


 すると、アルケーは自白剤使用時のリージュの『知らない』発言を『情報の秘匿』と考える。本当に知らないだけなのに、その質問に固執する。


 リージュの利益は、そこにある。リージュとてまったく物を知らない訳ではない。アルケーに知られれば痛い情報もいくらか抱えている。それを知られないための誘導だった。


「何だか、ワタクシのやっていること、呪術師めいてきましたわね。ビルク卿に弟子入りしましょうかしら……?」


 力ない声で、リージュは呟く。情報を漏らす漏らさない、という次元よりも、リージュの戦いは上にある。何となく思っていたが、こう言うことが得意なのかもしれない。


 ともかく、今日のリージュのの戦いは、無事勝利に終わった。次は、二つ目の戦いが始まる。


 すなわち、リージュが、拉致をに至った真の目的が。


 閉ざされた扉が、開く。

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