第254話 リージュの目的

 尋問室の扉を開けて、様子を伺うように現れたのは、眼鏡をかけた女性だった。


「り、リージュ、ちゃん……? お、起きてますか~……。こなたが、今日のお食事を持ってきましたよ~……?」


「……ありがとうございますわ、テリン様」


 領主邸戦で、窮地の『誓約』陣営を救出した未知の強者、『大ルーンの語り部』テリン。


 彼女は今日も、どこか野暮ったいニット系の服装で全身を包みつつ、眼鏡を大事そうに撫でながら入室する。


 その手にはリージュのために用意された、テリンお手製の麦粥。アルケーがリージュから情報を引き出す尋問官なら、テリンは優しいお世話係といった具合だ。


「今日もいろいろとお疲れ様でしたね……。あ、アルケーさんにはあんまり手荒なことはしないでと伝えてありますので、安心してくださいね?」


「ありがとうございますわ。日々、ありがとうございます。テリン様」


 手を動かせないリージュの代わりに、テリンがスプーンで麦粥を救ってリージュの口に運んでくれる。それを咀嚼しながら、リージュはテリンを見る。


「いやぁ~……やっと終わりましたよ、入り口のランダム化……。この地域以外には手を伸ばせませんでしたけど、これでこの拠点が見つかる可能性もぐっと低くなりました……」


 吐息多めの話し方で、テリンは上機嫌で語る。リージュは麦粥を嚥下しながら、「お疲れさまでしたわ、テリン様」と相槌を打つ。


 ―――リージュの真の目的。その内の一つは、テリンだった。


 実のところ、リージュは不用心に散歩に興じ、結果拉致されてしまった、


 リージュは、さまざまな目的のために、自ら拉致を誘発した。ウィンディには悪いことをしたが、考えを伝え、了承してもらってのことだ。


 では何故拉致を誘発したのかと言えば、リージュの拉致で得られる利益と、失われる不利益を天秤にかけ、大いに利益があると判断したためである。


 では、得られる利益とは?


 得られる利益は、複数ある。例えば、『リージュが拉致されることで、他のウェイド陣営の人間が拉致されなくなる』ということ。


 前提だが、こちらから先に拉致した以上、敵も拉致してくるのは当然だ。


 しかし、それをリージュ以外は理解していなかった。何せウェイド陣営は銀等級以上がほとんどの強者揃い。全員が、『自分は強い方の人間である』と考えている。


 だから自分が拉致されるなんてことは考えない。考えなければ警戒もしない。敵は金以上なのにも関わらず、油断してしまう。言っても聞かないだろう。


 事実ウィンディは分からなかった。結果ウィンディは無残に敗北し、リージュがその場から動けない演技をしなければ攫われていたはずだ。


 となると、この政争中必ず一人は攫われることになる。逆に言えば、一人攫われればもう攫われない。陣営の意識は変わるし、『誓約』陣営も少人数だから何人も監禁できない。


 ならば、リージュが攫われるのが、必然的に一番良い。


 リージュは客観的に見て、切り捨てても陣営にとってダメージが少ない駒だった。かつてはウェイドの敵で、今回もウェイドの右腕を失わせた原因になった。活躍も微々たるもの。


 ならば、誰かが攫われるならリージュがいい。リージュは、自分でそのことをよく理解していた。


 また、拉致されることで得られる利益もある。


 例えば、拉致現場から追跡すれば、『誓約』陣営の拠点の発見につながる。内側に入れば多少なりとも『誓約』陣営とのコミュニケーションが発生する。得られる情報は多い。


 さらには、拉致された先で出来ることがあると、リージュは考えていた。


「そ、それで、リージュちゃん。今日もウェイド様の話……」


 麦粥をリージュの口に運びながら、テリンはおずおずとそう言った。リージュは咀嚼しながら、にこっと淑やかに微笑む。そして麦粥をのみ下し、言った。


「ええ。では最近あったことなのですが―――」


「は、はい……! 是非、こなたに教えてください……!」


 リージュができると考えたこと。それは『大ルーンの語り部』テリンの籠絡である。


 リージュはウェイド、ロマンから、領主邸戦でどんなやり取りがあったか、ということについて詳細に聞いている。


 『誓約』がやはり強かったこと。多少の攻撃は通ったが、『誓約』にゲッシュを破らせるには至らないこと。だから重力魔法はまだ戻らないこと。


 アルケーが不自然に弱かったから、恐らく本領ではないこと。注意が必要であること。


 そして、テリンという女性が、以前偶然に会ったことがあって、領主邸戦では挙動不審だったこと。


 リージュも幼いながら立派な女である。女は、女に鋭いもの。特にリージュは、そういうあれこれに聡いつもりでいる。


 だから、何となく思ったのだ。テリンという女性は、ウェイドに恋をしているのでは? と。


「はい……はい……! か、カッコイイです……ウェイド様……♡」


 うっとりした面持ちで、テリンはリージュの語るウェイドの英雄譚に聞き入っている。


 リージュの思惑とは、つまりこれだ。テリンを抱き込み、ウェイドの情報を与え恋心を加速させ、裏切らせる布石とする。


 ウェイドはただでさえ、魅力にあふれた男性だ。身一つでどこまでも成り上がり、並み居る強敵を次々倒していくのは、神話の英雄譚もかくやというほど。


 それを、間近に知るリージュから語れば、容易く恋に落とせると考えたのだ。狙いは大当たり。テリンは、リージュの語るウェイドにメロメロになっていた。


 食事を食べ終え、テリンが「ま、また明日、また明日も、こなたにお話してくださいね……!」と言って去って行く。その姿を微笑みと共に見送ってから、リージュは再び思考する。


 テリンの籠絡作戦。攫われた先でも何かできることはないか、と手を付けた策だったが、思った以上だとリージュは評価していた。


 いずれ、ウェイドはテリンを味方に引き込むだろう。テリンはすでに恋焦がれる乙女だ。長く『誓約』に味方するとも思えない。


 事態は八方よしである。リージュが欠けることでウェイド陣営に入るダメージは小さく、それ以上の誘拐は成立しなくなる。


 迷惑をかけてばかりの自分がいなくなっても、誰も困らない。損切にはもってこいの駒だ。


 とはいえ、このあとどうなるか、という疑問はないでもない。


 人質交換にもつれ込むだろうか。だがビルク卿を拠点内に抱え込んでいる以上、『誓約』陣営の『ビルク卿結婚籠絡作戦』は通じない。セシリア姫は敵の武器にはもうならない。


 流れ次第では殺されることもあるだろう。しかし痛手にはなるまい。むしろ幾ばくかの士気の向上になる。……なればいいと、願う自分がいる。


 その程度だ。それ以上のことはない。


 すべて、すべて狙い通りに運んでいる。アルケーの尋問は誘導で問題なく躱せていて、テリンはウェイドへの恋に落ちた。他の利益は既に陣営が獲得済みだ。


 あとは、人質交換か、殺されるのを待つか、―――どこかで、脱出の機会を伺うか。


「死んでも問題ないとはいえ、進んで死にたいとは思いませんものね」


 リージュは、今日も疲れた、と目を瞑る。尋問続きで弱ったリージュの、短い一日がまた終わる。

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