第250話 古龍の矛
昨日は地獄だった、とモルルはため息を吐いた。
度重なるエキドナの容赦ない殴打。それは一撃でモルルの体を打ち据えた。ガードすればガードした腕が折れ、しなければ内臓が破裂した。……というのが、序盤のこと。
途中からガードで腕が千切れるわ、しなければ胴体が腕で貫かれるわ、本当に散々だった。だが、古龍はその程度では死なないし、古龍の印での治癒はそんな怪我も瞬時に治す。
故に、モルルはエキドナの拳に酷い恐怖心をもって、必死に回避を一日中行っていた。夕方を過ぎるころには「凄まじい成長だぞモルル! 肉弾戦で言えば、我はもう本気だ!」と。
だがエキドナは止まらなかった。本当に一昼夜の訓練になった。終わったのは深夜もいい時間。数十分にわたって、エキドナの本気をモルルは避け切った。
終わった頃にエキドナが言った「素晴らしい成果だが……何故モルルは治癒ついでに肉体の強化を行わないのだ? 激痛で訓練効果を上げるためか?」の一言でキレた。
「そういう方法があるならッ! 最初からッ! 言ってよぉぉぉおおおおお!」
モルルは生涯で初めて強い怒りを覚え、エキドナに襲い掛かった。……無論、すぐに鎮圧されたが。
「いや、将来有望だぞ、モルル。見る見るそなたは強くなる。三日と言わず一か月あったなら、一端の古龍並みにまでは育てられるというに……」
ねじ伏せられ、片手で足を持ち上げられ宙づりにされながら、モルルはエキドナの言葉を聞いていた。
その後訓練を終え、隠れ家の誰にも会わずにモルルは帰宅し、そのまま泥のように眠った。
そして今日である。
流石にべたつく体を井戸水で流し、モルルはエキドナと二人で早朝に平原に向かった。全身に筋肉痛が走っていたが、モルルは古龍の印を吐き出してイメージする。
「筋肉痛は成長に大事だってパパが言ってたから、筋肉痛が終わったくらいのモルルをイメージすればいいよね」
頭上に浮かべた印を地面まで下ろして、全身をくぐらせる。モルルの身体から筋肉痛が消え、僅かに筋肉質になったような体の張りを感じた。
「うむ、変身術の使い方が分かってきたようだな」
エキドナはにっと笑う。
「古龍とは変幻する、自由自在の生物。不都合なものは取り払ってしまえばよい。老いたなら若々しい身体を。疲れたなら元気な体を。飽きたなら興味溢れる体を。都合よく使え」
「意思も歪めて良いの?」
「意思など体の調子に過ぎぬ。意思を神聖視することこそ人間の愚かさよ。肉を持つ以上古龍でさえ愚かな獣。だが、古龍には肉体を支配し、万物を変化させる古龍の印がある」
エキドナは誇らしげに言った。
「今日は、古龍の印を用いた戦闘訓練を行うぞ。ドラゴンブレスや、その他便利な古龍の御業を合わせて三つ伝授する。それを今日で覚え、明日で総合訓練を行い、明後日に備える」
言われ、モルルは気を引き締める。明後日、パパ相手にモルルは戦うことになる。
家族……パーティのみんなに「パパってどのくらい強いの?」と聞くと、口を揃えて「怖いと思うくらい」と言わしめる、パパを相手に。
「よろしくお願いします!」
だから、モルルは頭を下げた。昨日の訓練で、この訓練が本気のそれであると実感した。そして今の説明で、モルルの中に向き合い方が固まった。
モルルの礼を受けて、「うむ」とエキドナは頷いた。モルルが頭を上げると、エキドナは機嫌よさそうに説明を始める。
「では、まずドラゴンボイスから教えよう」
「はい! ……ドラゴンボイス?」
「出の速い、敵を怯ませる古龍の御業だ。古龍の印を喉奥にとどめたまま、大声で叫ぶ。すると声が咆哮に変わり、周囲に響く。敵は驚き、必ず一度は動きが止まるぞ」
「音で動きが止まる~? 本当? エキドナせんせ、盛ってない?」
「着々と小生意気になるなモルル……。まぁよい。ならば実戦で試してやろう。来い」
ちょいちょい、と指で煽られ、モルルはムッとする。
来いというなら、行ってやろう。モルルは昨日、避けてばっかりだったが、だからと言って避けるしか能がないわけではない。
エキドナがどう殴ってきたか。フェイントを入れてきたか。どんな風にされるとより痛かったか。そういうのは、全部覚えている。モルルは物覚えがいいのだ。
だから、それをぶつけてやろう。昨日の復讐、もとい、意趣返しである。モルルの中に暗い感情が芽生え始める。
深く息を吸う。吸って、吸って、吸って―――
爆ぜるように、モルルは飛び出した。
足元の土が舞う。体が平原の草を薙ぎ払って進む。正面から行けば当然に防がれる。だからモルルは、エキドナの真横を素通りしてその背後で着地した。
拳。
着地して抉れる地面の反動をそのままに、モルルは小さな拳をエキドナに叩き付ける。エキドナがどの程度の耐久性を持つのかは知らないが、人間なら容易に砕けるほどの一撃。
それが、音と共に訪れたパニックで破壊された。
「――――――ッ!?」
モルルは生物的な反応で、耳を押さえてうずくまった。
何が起きたのか分からなかった。訳も分からず、本能的に何かから身を隠した。恐怖。音が恐怖を伴ってモルルの内側から爆発し、モルルはそれに耐えきれなかった。
音が止む。だが恐怖は止まない。混乱状態のまま、前後の記憶さえ失って、モルルは小さくなって震える。
それを終わらせたのは、上からそっと触れた、エキドナの手だった。
「分かったか? これがドラゴンボイス。ドラゴンの咆哮よ。人間ならば鼓膜が破れて気絶し、聞き慣れねば古龍すら震えて動けなくなる。地味なようで、最も戦闘で活躍するぞ」
「う……。ドラゴンブレスよりも、強い?」
「強さで言えば、攻撃力は低い。だがドラゴンボイスをうまく使える古龍は強いぞ。逆に、ドラゴンブレスばかりの奴はセンスがない。ひとまずこれは覚えておけ」
「うん……」
助け起こされる。まだ頭がぐわんぐわんとしている。流石、エキドナが一番に教える御業なだけはある。
「ほ、他の二つは……?」
「変身術を利用した攻撃技と、ドラゴンブレスだ。詳しい活用法も教える。流れるようにこの三つを使うだけで、その辺の冒険者にはもう負けなくなるぞ」
「おぉ~……」
ボイスでだいぶ憔悴してしまって、我ながら元気がない、とモルルは思う。だから両頬をパンパンと手で叩いて、気持ちを入れ直した。
「他のも、頑張る!」
「うむ、では一つ一つやっていくぞ」
「はい! せんせ!」
モルルは、今日もエキドナを師事する。
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