第245話 コイン城、瓦解:死なずの死

 一閃。


 俺は駆け抜けざまに、シックを横に斬った。ネルガルは俺に届かない。当然だ。大剣とナイフでは、大剣に分があるに決まっている。


 だが感触が妙で、俺はすぐに振り返った。すると、大剣にギィンッ、鈍い金属音が響く。


 大剣に鍔迫り合うはネルガル。血を口ににじませながら、シックは俺に食い下がる。


「―――『死なずの病人』って二つ名は、実に分かりやすいな、シック!」


「殺せるものなら殺しておくれよ。僕はずっと、それができる相手を望んでいる」


 俺はネルガルを押し返して、蹴りを食らわせた。シックは両手で防御の体勢を取り、靴で床をこすって停止する。


 なるほど、こいつが剣と松明で金を取った理由が分かる。抜くだけで周囲の人間を壊滅させるネルガルに、不死の身体。体術も、俺から見て悪くないのだから十二分だろう。


 強い。金の冒険者として、まっとうに強い。『誓約』のように正面から負けかねない危惧は感じないものの、燕のような気を抜いた瞬間に刈り取られそうな感覚はぬぐえない。


 ある意味では、俺とかなり似たタイプの遣い手と言うことになる。同じ『死なない』タイプの金以上だ。敵として相対するのは、イオスナイト以来か?


「いやぁ、我ながらこんなこと言うのはアレだけどよ」


「何だい? ゴホッ」


「―――不死の敵ってのは、嫌なもんだな! どこまでやれば倒れるか、分からないからよ!」


「そっくりそのまま、君に返すよ、ゴホッ」


 同時に駆け出す。ネルガルが振るわれるからそれを回避し、その腕をデュランダルで斬り落とした。ネルガルごとシックの右腕が宙を舞う。


「病魔の誓約により、我が手を戻せ」


 シックの右腕がブーメランのようにシックの下に戻る。「便利~」と俺は思わず声を漏らす。シックは「ゴホッ、……『ノロマ』、君まじめにやってる?」とネルガルを構えた。


「いや、俺『誓約』に右腕奪われっぱなしだからさ。っていうかシック、お前のそれもゲッシュか?」


「……そうだね。ゴホッ、ネルガルの病魔に襲われて死にかけて、ゲッシュを用いてギリギリを生き延びた。それ以来僕の身体は、ゴホッ、常に病魔に侵されながら、不死としてあり続けてる」


 何か、ドラマがあったのだろう。シックなりの、人生が。だがそれは俺には関係ないし、感傷に浸るのは戦闘の楽しさには不純物だ。


 シックは荒い息をしながら、注意深く俺を見つめている。俺はじっとそれを見つめ返しながら、どう切り崩そうかを考える。


 そうしていると、シックは言った。


「ハァ、ハァ……文句を一つ、言わせてくれないか」


「ん、いいぜ」


「……僕は君と激突した。最初に腹を裂かれ、次に腕を飛ばされた」


「そうだな」


「正直言って、ネルガルの刃が届く気がしない。ゴホッ」


 言って、シックは悔しそうにナイフを握りしめる。


「『ノロマ』、君は恐ろしい遣い手だ。僕だってネルガルなしのナイフでも、一度も斬られるなという制約下でも、銀等級以下の人間を下す自信がある」


 なのに、とシックは続けた。


「なのに、僕の切っ先は君に届く未来が見えない。僕に勝る不死を持ち、僕に勝る攻撃力を持ち、僕に勝る剣技を持つ。何より君は健康だ。それが、君だ。君は、僕の上位互換だ」


「……それで?」


「だから、僕と君の勝負ではなく、君とネルガルの勝負にしてもらいたい」


 俺は目を丸くする。ロマンが遮ろうとしたのを、無理やりシックは言い切る。


「僕は君には敵わない。逆立ちしたって、正面から負ける。だが、それは呪われた勝利の十三振りであるネルガルに申し訳ない。黒死剣の名を関するこの剣に、勝機を見せたい」


 シックはネルガルを鞘に納めた。それから、俺に投げ渡してくる。


「僕のことは、ゴホッ、好きにしろ。けれど君さえよければ、ネルガルと君の不死で戦ってみて欲しい。ゴホゴホッ……、―――ゴホゴホゴホゴホッ!」


 体を折って、シックはせき込む。口を押えた手に、大量の血が付着する。そんな健康状態では、俺と正面から斬り合えないのも当然だ。


 シックは続ける。


「僕の不死は、ネルガルを抜いただけでこの有り様だ。だが君は勝った。なら、ネルガルの真骨頂とも、やり合ってくれないか」


「それは―――」


 俺は、口端が持ち上がるのを感じる。


「―――面白いな。燕のムラマサには負けたことだし、十三振りにはリベンジしたいと思ってたんだ」


 俺が手の内のネルガルを眺めていると、ロマンが「い、いや。待ってくださいウェイド君。それは流石におかしい。そこまでする必要は皆無です」と言う。


 だが俺は、それを退けた。


「ロマン、分かってくれ。俺はそういう奴なんだ」


「モルルちゃんに言いますよ」


「うぐっ、……だが、だけど」


「え、退きましょうよ。ここは退くべきところですって。どこに躊躇う要素があるんですか」


 俺はシックを見る。シックの、その苦しげで、まっすぐな目を。俺はその瞳の中に、真摯な挑戦心を見た。


「―――その心! 受け取った!」


「えぇ―――――!?」


 ロマンが驚きの声を上げる中、俺はネルガルを解き放ち、その切っ先を俺の腹に突き立てた。


 切腹スタイル。俺の腹をネルガルが裂く。同時、俺は大量の血を吐きだした。


 ―――す、すげぇ。すごいぞこの苦しさは。今までの苦しさすべてが過去になるほどの苦しみ。細胞のすべてが痛みを訴えている。


 さらに俺の口から血が流れ出る。まるで噴水だ。俺は倒れ、ろくに体を動かすことすらできない。


 第二の心臓、アナハタチャクラが悲鳴を上げている。これほどの病魔を相手にするのは、アナハタチャクラにも初めてのことだったのだろう。


 第二の心臓にヒビが入る。だが、俺は叫ぶ。


ブラフマン!」


 ヒビが治る。ヒビをなくしたアナハタチャクラがさらに稼働し、病魔を追い払う。それを受けてネルガルがさらにやる気を出したのか、病魔の勢いがさらに強くなる。


 俺の全身の、穴という穴から血が流れる。鼻から、耳から、目から。他にも流れている気がするが、もうメチャクチャで何も分からない。


「負ける、かぁ……! 負けて、堪るかぁ……!」


 アナハタチャクラが爆ぜる。その度に「ブラフマン……!」と叫ぶ。俺は負けない。アナハタチャクラも負けない!


 根性で粘る。何度も何度もアナハタチャクラがバラバラになる。だが俺はその度に「ブラフマン……!」と叫ぶ。必死過ぎる数分が過ぎる。


 そして俺は、気付きを得た。


「追い払うんじゃない……! 変え、るんだ。あ、あああ、ああぁぁぁァァァァァァアアアアアアアアアアア!」


 アナハタチャクラの使い方を変える。病魔を退けるのではない。肉体そのものを、病魔に負けるような貧弱なものでなくすというやり方。チャクラによる肉体改造。


 アナハタチャクラは、『肉体の支配』という能力を司るチャクラだ。だから治癒だけじゃない。改造することだって、難しいことじゃない。


 俺はアナハタチャクラに命じる。病魔に侵されない体を。病原菌をねじ伏せる細胞を。


 吐き気が、寒気が、痛みが、苦しさが、引いていく。俺は深呼吸して、よろよろと立ち上がり、そしてゆっくりとネルガルを抜いた。


「―――俺の勝ちだ、ネルガル」


「……『ノロマ』、見事だった」


 俺はネルガルを落とす。シックは何も持たず、ただ俺を受け入れるように両手を広げた。静かに奴は目を閉ざす。そして、言うのだ。


「君が終わらせてくれ。僕の、呪われた生涯を」


「任せろ」


 近寄る。俺は右手の義手と、左手の手甲だけでシックに向かう。


「苦しいだろうが、勘弁してくれよ?」


「今更、苦しさなんて気にしないさ」


 俺自身が不死だから、不死の殺し方は知っている。


 不死とて、どこかに死の領域が存在する。常人よりもずっと狭いだけだ。背後にあるエネルギーを使い果たしたり、死なないための条件を破ったりすることで、不死は死ぬ。


 シックは死にたがっていた。死にたがっていながら死ねないのなら、それは自分では破れない約束を交わしているのだ。


「―――よろしくお願いします」


 シックが言う。俺は大きく息を吸い―――シックを、殺し始めた。


 怒涛の連打を、シックに叩き込む。


 息継ぎをする間もないくらい、俺はやたらめったらにシックを拳で打ち抜いた。デュランダルを纏った俺の拳は、重力魔法を失ってなお常人ならば一撃で殺せるそれだ。


 それで何度も何度もシックを打った。一撃で血が飛び、肉が弾け、骨が折れ、内臓が爆ぜ、命が失われた。


 だが残酷なゲッシュが、シックの命を終わらせない。俺の目標はゲッシュそのものだった。だからシックの死を通過しても、絶対に拳をやめなかった。


 血。


 肉。


 骨。


 十発。百発。千発。万発。俺の拳はシックの身体をミキサーにかける。ぐちゃぐちゃにドロドロに叩き潰し、シックという人間をミンチの肉に変えていく。


 躊躇いはなかった。躊躇ったら最も残酷な結末をシックに叩きつけることになるのは分かっていた。だから耐えた。俺の肉体の軋みをアナハタチャクラに治させて、駆け抜けた。


 そしてどこかで、ゲッシュが砕けたのが分かった。


 ドンッ、という最後に肉を打つ音と共に、ミンチの中にあった生命の気配が消えた。俺はそこでピタリと停止する。復活限界を一歩踏み越えたところに、俺は立っていた。


 俺が見下ろすそれは、もう動物の形をしていなかった。肉の塊、あるいはスライムめいた何か。俺は深く息を落として、顔を真っ赤に濡らす血を腕で拭う。


「シック、お前の冥福を祈る」


 俺は踵を返し、ネルガルを拾った。懐に入れ、思う。


 ―――シック、短いやり取りだったが、お前は強敵だった。その魂、連れていくぜ。

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