第244話 コイン城、瓦解:死なずの病

 屋敷の玄関を破って足を踏み入れると、やつれた青年が小さな机に腰かけていた。


 机……というより、花瓶置きの飾り台と言うべきだろうか。下に落とされた花瓶は割れたまま放置されている。


 何より、そのやつれた青年の様子だ。顔は青白く、息は荒く、頭まですっぽり覆うようなローブを被って今にも倒れそうな顔をしている。


 というか、倒れたのでは? 倒れた結果花瓶を倒して、代わりにちょっとした飾り台の椅子を手に入れたのでは?


「……逃げ遅れ?」


「ですかねぇ……」


 俺とロマンは困惑の表情である。すると青年は俺たちに目を向けて「うぅ……ゴホゴホッ!」と激しくせき込んでから、言った。


「……お前が、『ノロマ』だな。僕は『死なずの病人』シック……ゴホゴホッ! ゴホゴホゴホゴホッ! ゲホッ! ゲホゲホゲホゲホッ!」


 せき込み方が酷い。ギャグかと思うくらいだ。


「いやいやいやいや、無茶だろ。家に帰って休めって。体調が戻ってから出直せって」


「―――待ってください、ウェイド君」


「は?」


 ロマンが、俺を制止する。険しい顔で、ロマンは倒れかけの青年、シックを睨んでいた。


「彼のことも知っています。随分なビッグネームですよ。『死なずの病人』シック。確か剣と松明で、二つの金の冒険者証を持っていたはず」


「……金二つとなると、おお、俺と同じだ。となるとかなり強い奴ってことになるのか?」


「……カルディツァの迷宮は、十年前に潜ってたよ。ゴホゴホッ! ……まぁ、あそこは『無手』が暴れまわってるから、巻き添え食らわない内に逃げて、別の大迷宮から上がったけど」


「当時からムティー暴れまくってたんだな……。というか、その外見で十年前って、アレか。見た目通りの年齢じゃないな?」


「よく分かったね……。金等級では、そういう手合いも多いから、バレたかな。ゴホッ」


 ゆらり、とシックは立ち上がり、だらん、と猫背になる。それからローブの内側を晒し、一振りのナイフを見せた。


「警句を述べる」


 その一言で、俺の緊張感と高揚感が一気にぶちあがる。


「出やがったな、呪われた勝利の十三振り!」


「ウェイド君、警戒を! 『死なずの病人』というなら―――神よ! 我らから病魔を退け」


「『朽ちゆく体の、苦しみを知れ』」


 ナイフが抜かれる。同時に、生暖かくゾッとするような、ひどく嫌な風が奴から放たれた。


「ぐぷ、がぁああっ」


「たまえ! クッ、神の加護が守ったのは私だけですか! 私が神々から愛されているばっかりに!」


 俺は全身を奥から蝕まれ、その場に崩れ落ちて大量の血を吐いた。何だこれ、何だこれ! ロマンが言ってたのはこう言うことか! 俺はひどく病魔に侵されてこうなったのか!


「呪われた勝利の十三振り、黒死剣ネルガル。抜いた瞬間に、周囲に病原菌をまき散らす。僕はすでに四つの病に侵されているから、無害だけれどね」


 ゴホッ、とせき込むシックの姿は、俺と比べれば軽症だ。俺は口の中からあふれ出る血を拭いながら、「ぐぷ、やる、ごはっ、な。シック……!」と笑う。


「すごいね、この状況で笑うなんて……。ゴホッ。呪われた勝利の十三振りだって知った瞬間にテンションが上がってたのも、驚きだよ。普通なら、知った瞬間に絶望するものだと」


「ゴホゴホッ! さ、最近呪われた勝利の十三振りに、ごはっ、よく遭遇するもんで、な。……お前のそれで、三本目、だ……」


「さ、三本……? 三本、呪われた勝利の十三振りを相手取って生きてるのか……。ゴホゴホッ! っていうか、さ」


 シックは眉根を寄せて、ナイフの切っ先を俺に向けてくる。


「何で、まだ生きてるんだい? 防いだそっちの人は良いけれど、普通の人間がネルガルの病魔に侵されたらとっくに死ぬんだよ。ゴホッ。どうやって、生き延びてるんだ」


「ああ? ごほごほっ。ふー……そりゃ、治してるからに決まってんじゃんか」


「……え?」


「ん、よし、全快。体バラバラにされた時より時間がかかったぜ。すげーなその剣」


 アナハタチャクラによって体が完治した俺は、「さて、やるか」と拳を構える。シックは青い顔をさらに青くして、それから、「ぷっ、何、それ。はは」と吹き出す。


「ダメだ。それ、面白すぎるよ。はは、ゴホッ。えぇ? ネルガルの病魔、治したの?」


「治したっつーか、治し続けてる。コツを押さえたから、病魔が体を侵す速度より速く治してるだけだな。ま、このくらいはできないと、直接対決すらできないだろ?」


 そう。黒死剣ネルガルの恐ろしいところは、現状だとという点だ。刺されて病魔に侵されたわけじゃない。それは、ここから先の話になる。


 俺はデュランダルを大剣にして、前に構える。シックは「直接対決、か。ゴホッ。なんて久しぶりなんだろう……」とナイフを、黒死剣ネルガルを構える。


「ロマン、手出しすんなよ」


「いいでしょう。ウェイド君なら勝てる相手です。私から無理に手出しはしませんよ」


「余裕、だね……『ノロマ』。けれど、少しうれしいよ。僕も兵器じゃなく、冒険者だったんだなってことを、数十年ぶりに実感してる」


 深く息を吸い、深く吐き出す。緊張感がビリビリと肌を痺れさせる。ネルガルの直接の一撃は、恐らく俺でもかなりの痛手になる。それでなくとも、シックは実力者なのが分かる。


「『ノロマ』のウェイド」


「『死なずの病人』シック」


 膠着。睨み合い。呼吸は落ち着いている。仕掛けるのは―――今だ。


 俺とシックは、同時に前に踏み出した。

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