第238話 ビルク卿の婚姻

 アルケーとセシリアは、二人で馬車に乗っていた。


 ビルク辺境伯の屋敷。その、門の前。アルケーたちの馬車の紋に見慣れないものを覚えたか、衛兵が「名乗られよ。本日の訪問のご予定は立てられていない」と馬車を止める。


 アルケーは窓を開けて顔を出し、小声で「こちらへ」と呼ぶ。衛兵は怪訝そうな顔でアルケーの下に近寄ってくる。


 そこに、アルケーは不自然にならないように、そっと香り薬を沁み込ませたハンカチを取り出した。口を拭う振りをして、衛兵に嗅がせる。


 衛兵は、そのままだとどうにもならない。だか、アルケーはすでに仕事を終えていた。


、アルケー・フレグランスです。この門を通していただけますか?」


「……ハッ。失礼いたしました。開門!」


 門が開く。馬車が再び進みだす。門を離れてから、セシリアが言った。


「見事なものよな。『神の香箱』筆頭錬金術師の手際といえど、ここまで鮮やかとは」


「錬金術は最高の魔法ですよ、セシリア姫」


「どの魔法使いも、自分の魔法が一番というものだ。一長一短ということであろ」


「……流石の慧眼ですね」


「やめろやめろ、つまらない世辞を言うのは。せっかくこんな人間どもの地で同族にあったのだ。身分など気にせず、腹を割って話すべきではないか?」


 王族らしい鷹揚さと、貴族らしい本音か分からない腹芸。アルケーは、自分よりも100年近く年下のこの若いエルフをして、見透かされているようで苦手だと思う。


「腹を割るも何も、すぐに本邸です。さして話すこともないでしょう」


「確かにな。何、ムッとしていながらうまく感情をしまい込むから、からかってみたくなっただけよ。と、もうついてしまった」


 くくっと意地悪く笑って、御者に開かれる扉から、セシリアは馬車を降りる。アルケーは「もう少しの辛抱」と小さく呟いて、その後に続いた。


 従僕の案内に従って、ビルク辺境伯のいる部屋に案内される。執務室と記された部屋は、明らかに客を出迎える部屋ではない。


「もういいわ。下がって結構」


 アルケーは指先の匂いを嗅がせて従僕を下がらせ、セシリアと共に執務室に踏み込んだ。


 扉が開いた瞬間、ビルク辺境伯はアルケーたちを部外者とは思わなかったらしい。書類作業をしながら「こら、入室する際はノックと用件を言いなさい」と言いながら、顔を上げる。


 そして、伯は凍り付いた。アルケーは特別強力な香薬の入った錬金フラスコをそっと部屋に設置し、「こんにちは、領主様。突然の訪問お詫びいたしますわ」とあいさつを始める。


「わたくしは金の剣の冒険者にして、白金の剣『誓約』と共に動く者。『神の香箱』筆頭錬金術師、アルケー・フレグランスと申します」


「わらわはエルフ、アカシア氏族の姫、セシリア・プリンシ・アカシアである。わらわの夫にしては冴えない顔だが、まぁよい。奴隷狩りはもうまっぴら故な」


 ビルク辺境伯は明らかに警戒しながら、何かをしようとした。だが、すでにこの部屋にはアルケーの香薬の匂いが充満している。


「『お止まりなさい、ビルク辺境伯』」


「っ!?」


 辺境伯は停止し、動けなくなる。アルケーは近づきながら問いかける。


「『お答えなさい、ビルク辺境伯』。今、何をしようとなさったの?」


「……私も、微力ながら魔法使いの端くれですから。土魔法を使い、抵抗しようとしたまでです」


「ふぅん。『ノロマ』と連携を取っているわけではなかったの。彼ら、あの傲慢王の下についている割にはそういうのが下手なのね」


「……」


 辺境伯は冷や汗をじっとり流しながら、硬直してこちらを睨んでいる。『お答えなさい』と命じている以上、呼びかけには答えるはず。ならば、本当に連携を取っていないのか。


「政争に関してはド素人もいいところだった、と。ならば早々にことを進めてしまいましょう。セシリア姫」


「うむ」


 セシリアはビルク辺境伯の前に歩み出る。


「では、よろしくな、辺境伯殿。わらわはローマン皇帝の命にて、そちの妻になることになった。多少見てくれは小さいが、案ずるな。わらわは、本当に、単に妻になるだけの女よ」


 くくっ、とセシリアは意地悪く笑う。


。妻として十全に振舞い、子をなし、家族となろう。そちを愛し、そちから愛されよう。それで、わらわの裏の思惑は果たされる」


「……あの狂った皇帝が、考えそうなことですね。本当に、頭の回る……」


 ギリ、と歯を食いしばって辺境伯は四肢を震わせる。だが、香薬が効いている限り抵抗は不可能だ。


 アルケーは言う。


「ビルク辺境伯。わたくしたちの思惑は、そういうことです。此度はお二人の婚姻を済ませ、そのきっかけや経緯についてを忘れていただきます。あなたは有能なお方ですから、危害は加えません」


 それから、にこりと微笑んだ。


「皇帝陛下への憎悪は忘れ、見目麗しき姫との結婚生活をお楽しみください。それだけであなたは、皇帝陛下の下で働かざるを得ないでしょう?」


 アルケーは周囲の匂いを嗅ぎ取りながら、指先で匂いの流れを操る。簡単な命令なら少し嗅がせるだけでも十分だが、深層意識まで操ろうとすると、より強い香りが必要だ。


 手の内に匂いだまりを作る。そこに、そっと息を吹きかける。すると匂いだまりが流れ、ビルク辺境伯に至る。くら、辺境伯の意識が揺らぐ。


 アルケーは、命じた。


「ビルク辺境伯、あなたは――――」




「私を愛するすべての神よ! このような見せ場をご用意いただき、感謝の至りです! さぁご照覧あれ! 壁を破る雷を! 人を殺さぬ不殺の裁きを!」


 轟音と激しい光が、部屋を満たす。




 アルケーは咄嗟に頭を守りながら、パニックに陥っていた。至近距離に落ちた雷はその場の全員を一時的に無力化し、停止させる。


 そこに、一陣の風が吹いた。


「まったく、お嬢様はいつになっても人遣いが荒い。ですが、重要な局面を任せていただけるのは、気分が高揚しますね」


 アルケーは周囲から、錬金術の基礎たる匂いが風で散らされていくのが分かった。アルケーの『神の香箱』は閉じた空間専門の錬金術の学派だ。開けた場所の風は天敵に近い。


 辛うじてやっと視界を取り戻したとき、戦況は完全に入れ替わっていた。


 壁に大穴が開き、その上では謎の男が宙に浮いている。セシリアとビルク辺境伯は一人の執事服の若者に担がれていて、今にもこの場から連れ去られようとしている。


「―――ッ、させないわ!」


 手を振るう。僅かに残った匂いが空中に渦を巻き、その中心で花を咲かせた。強烈な臭いは錬金術の神秘における攻撃の意思。そこにアルケーは錬金フラスコを投げ入れる。


 香るはアザミ。その花言葉は『報復』。投げ入れたるはアルコール。


「さぁ、爆ぜなさい」


 爆炎が、敵を襲う。


「ウィンドスプリングッ!」


「神よ! 炎による華やかな演出に、風の彩を!」


 しかし、開けた場所はやはり『神の香箱』の本領ではない。瞬時に対応され、炎の魔法はドルイド使いに奪われ、風魔法の執事は早々に逃げ出す。


 密室ならば『香箱の神』でも、開けた場所ではただの錬金術師。環境変化能力を持つ相手にはめっぽう弱い。それがアルケー・フレグランスという冒険者だった。


 それをしてアルケーは眉根を寄せ―――仕方がない、と息を吐く。


「本当はわたくし一人で済ませたかったのだけれどね。アーサー、助けてくれる?」


「お安い御用さ、アルケー」


 ゲッシュに従い、どこからともなく『誓約』アーサーが現れる。派手に魔法をまき散らすドルイド使いは、それに「この場にいなかったのは、そういうことですか」と警戒を強める。


「ですが、我々だってまだ終わりませんよ。―――さぁ、真打の登場です! 派手に行きましょう!」


 その宣言と共に、何者かが


 着弾。人間にそんな表現を使うのが適切かどうか分からないが、それは確かに着弾だった。瓦礫を爆ぜさせ、砂煙を起こし、大剣を振るって彼は姿を現した。


「よぉ『誓約』……! お前との再戦、ずっと楽しみにしてたんだぜ?」


 『ノロマ』。『ノロマ』のウェイド。彼はギラギラと目を輝かせ、片腕を失ってなお衰えない戦意で、アルケーたちの前に立ちふさがる。


「政争だっつってお前らの出方を考えるのも楽しかったけどよ、やっぱ戦闘が一番だよなぁ? お前だってそう思うだろ? なぁ、『誓約』」


「……ふ、ふふ、はは、あはは。その通りだ、『ノロマ』。私だって本当は、政争なんて投げ捨てて戦争と行きたい」


 アルケーの隣で『誓約』が笑う。いけない、とアルケーは血の気が引く思いをする。ここまで正面から挑まれる好敵手に、『誓約』が喜ばない訳がない。


「……アーサー、わたくしは今セシリア姫を奪って逃げた人を追うから、邪魔させないで」


「そうは行きませんよ! 私はそれを許しません。私が許さない以上、神がそれを許しません!」


 落雷を背景に空中に浮かんでキメ顔を作り続けるドルイド使いに、そうだった、彼もいるのだった、とアルケーはさらに絶望的な気持ちに陥る。


「『ノロマ』は言うまでもないにしろ、君も有名だね。殴竜軍の『自賛詩人』。君も私と戦ってくれるのかな?」


「白金等級のあなたを相手取るのは、私には荷が重い。ですがウェイド君の不足を補い、その余力でアルケー錬金術師を抑えるくらいならばできましょう」


 4人が、崩れた領主邸の執務室で睨み合う。2対2。実力者ぞろい。『誓約』はともかく、アルケーには死の危険がありうる状況。


 『ノロマ』が、声を上げる。


「おっと。名乗りが必要だったな? こんにちは『誓約』陣営。俺は『ノロマ』のウェイド。お前らと楽しく戦いに来た」


「同じく『ノロマ』陣営、『自賛詩人』ロマンです。以後お見知りおきを」


「これはご丁寧にありがとう。改めて、『誓約』アーサーだ。『ノロマ』、君とこんなに早く次の戦いができるなんて、実に嬉しい誤算だった」


「……アルケー・フレグランス、です。ああ、何でこんなことに、もう!」


 覚悟を決めるしかない。戦闘はあまり得意ではないが、腐っても金の剣の冒険者。アルケーは、腰から錬金フラスコを抜き放つ。

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