第231話 タフな交渉

 俺たちがコインを訪れたのは、ビルク卿がこう言ったからだ。


『「血脈の呪術」の完成には、優れた技術が必要になります。つまりは、創造主金貨に代わる貨幣が、ちゃんと偽造不可能である必要があるのです』


 また、とビルク卿は続けた。


『その価値を担保する存在も必要です。当然領主としてお触れは出しますが、同時に最も大きな商会でもある旅鉱ギルドが率先して認めてくれれば、大きく前進するでしょう』


 ただし、とビルク卿は最後にこう言った。


『簡単な人物ではありません。お気をつけて』


 つまり、技術と信用。その2つを兼ね備えた人物が、大商人コインという男である、ということだった。


 そのため、俺たちはコインを前にしていたのだが……。


「ぷはぁ~。やっぱ葉巻はこれに限る……」


 恍惚の表情で葉巻の煙を吐く、治安極悪ショタ。……ビルク卿、『気を付けて』より、人物像を伝えておいた方がよかったんじゃないですか。びっくりですよこんなの。


「さて、だ」


 俺たちが一通り説明を終えたのを受けて、コインは葉巻の先をクリスタルの灰皿に潰しながら言った。


「領主様が新しい貨幣を作って色々やるから、それに協力しろって話か。ま、そんな大仕事はオレ様にしか務まらんだろうな。え?」


 くつくつと治安悪く笑い、コインは俺たちを見る。


 俺は言った。


「ひとまずは協力要請となります。具体的な協力の報酬などは、おいおい決めていく形で進めていければ、と。あ、これ手土産です」


 俺は先ほど寄ったお菓子屋さんのお菓子を、コインに差し出した。「おうおう。分かってるじゃねぇの」とコインは受け取る。


 だが、箱を見てコインは手を止めた。それから、じっと俺の顔を見つめてくる。


「……何か?」


「さっきよう……、俺の部下が、この手土産を売ってる店で、貴族のガキにボコされたって泣きついてきたんだよな」


 マズイ、と俺たちの間に緊張が走る。それ多分俺だ。ほぼ確実に俺だ。


「貴族のガキ、なんて言っても、そう広大なわけじゃねぇビルク領だ。栄えちゃあいるが、領主一族を除く貴族の数だってたかが知れてる。だが、特徴を聞いてもオレ様の記憶にねぇ」


 なぁ、とコインは俺に言う。


「部下の言った特徴が、ヴュルテンベルク侯、お前とまったく一致するのは、いったいどういう了見なんだろうな? え?」


「……私は、存じ上げませんが」


「しらばっくれてんじゃねぇぞテメェ! こういう時は即詫び入れんだよ!」


「キャアッ!」


 いきなりブチギレたコインは、俺にクリスタルの灰皿を投げつけてきた。リージュが悲鳴を上げて、咄嗟に身を縮こまらせる。


「お前じゃあ話にならねぇ! いいから領主の野郎をここに引きずって来い! じゃねぇとこの話は進め、ね、ぇ……?」


 勢いに任せて怒鳴りつけてきたコインを前に、俺は素早くクリスタルの灰皿をキャッチし、そのまま素手で粉々に砕いた。


 パラパラと俺の手の平から砕けたクリスタルが落ちる。コインの語気が弱まり、顔が青ざめていく。


 俺はロマンの顔を伺い、頷くのを見て貴族の化けの皮を剥ぐことにした。もうここまで来てしまったら、しらばっくれるも何もない。


 ニィと笑い、敬語を崩す。


「可愛いツラして凶暴だなぁコインくんよ。だが、ケンカ売ってきたのはお前の部下だぜ」


 俺の豹変を見て、コインが言葉を詰まらせる。俺はずい、と身を乗り出して言った。


「上司と部下、揃って相手見てケンカを売った方がいい。お前が応対してるのは、殴竜と互角にやり合った金の松明の冒険者、『ノロマ』のウェイドだぞ」


「……ウェイド・グラヴィタス・ヴュルテンベルク……ああ、なるほど。貴族のイメージがなかったから、油断したぜ……。まさかお前が『ノロマ』とは……」


 浮かせていた腰を下ろし、コインは強張った顔で俺を見る。


 俺は言った。


「で? 俺じゃあ話にならないって? もう一度言ってみろよ。次は―――分かるだろ?」


 俺は机を指で叩く。単なる筋力で、机に穴が開く。俺は常に重力魔法で自分を鍛えているから、このくらいなら軽くできるようになっていた。


 だが、コインはその程度で震えあがるほど、簡単な男ではなかったようだ。


「ハッ! 確かに話にならないことはねぇな。お前ほどの男なら、オレ様の前に立つ資格がある。が―――だとしても、身内を叩きのめした奴と結べる商談があるか? え?」


「お前の部下の教育がなってないのが悪い」


「テメェ良い度胸してるな。ウチの教育方針にまで口出そうってか! え!?」


 腕を組み、あごを引き、思い切り足を上げて組むコイン。ここに至ってこの態度は、なるほど大物だ。


「いいか『ノロマ』。お前は商談のしの字も分かってねぇ。土産を持ってきて、相手に得した気持ちにさせて、自分の利も示して誠実であると訴え、のが商談だ」


 信用。とコインは言う。


「商売ってのは常にバクチだ。その売れる確率を上げるには、優れた奴と組む必要がある。信用ってのは、そういうことだ。信用ができない相手との商売は、分の悪いバクチなんだよ」


「報酬の話はおいおいって言わなかったか? 売れる売れないじゃなく、領主がお前に支払うって話をしてんだぞ? 信用もクソもないだろ」


「あるに決まってんだろド素人が……信用できねぇ相手が、まともに報酬くれるって信じられるほど、生易しい世界で生きてねぇよ」


 む、と俺は思う。確かに今までは、ギルドを通して金銭を受け取ってきた。ギルド、というのはそれだけで大きな信用の担保になっていた。


「なら、お勉強だ『ノロマ』」


 コインは言う。


「報酬はおいおいって言ったな? なら、オレ様に決めさせろ」


「は?」


 ニヤと意地悪くコインは笑う。


「新しい金貨を発行したいんだろ? なら、。どれだけ発行するのかも、どの程度流通させるかも、全部オレ様がな。お前ら領主側の人間は、それを認めるだけで良い」


「そんなのがまかり通ると思うか? 商売人であるお前にそれを許せば、この領地もろとも乗っ取られるだけだろうが」


 『血脈の呪術』になぞらえて言うならば、この申し出を受けるのは『腕に血液製造能力及び行き渡らせる範囲の決定権』を与えるのに等しい。


 そうなった時どうなるのかと言えば、コインの都合の悪い組織はことごとく倒れ、都合のいい組織だけが肥え、結果としてビルク辺境伯領は臓器不全で死ぬ。


 その後に、腕だけだったコインは、全身を備えて立ち上がることになるだろう。一度領地が死に、全く別の領地が立ち上がる。


 莫大すぎる利権だ。『この領地乗っ取っていいですよ』と言うようなものだ。だが、構造が分からなければ判断は難しい。『血脈の呪術』を聞いていなければ、怪しかっただろう。


 しかしこの提案すら軽いジャブのようなものだったらしく、ゲラゲラとコインは笑う。


「さすがにこんな見え見えの誘いには乗らねぇか。―――おい!」


 コインの呼び出しに、駆け足で受付の女の子が現れる。コインは素早く何かを耳打ちして、「ほら! さっさと仕事に戻れ!」と怒鳴りつけた。女の子が慌てて走り去っていく。


「さて、そうしたらどうしたもんか。え? 片やこの街を牛耳る大商人のオレ様と、片や商談のド素人たる『ノロマの大英雄』と来た……」


 目を細め、品定めするような嫌らしい目で、コインは俺を眺めている。このクソショタが、と思いながら、俺は立ち上がった。


「一旦退く。首洗って待ってろ」


「ハ、やっと正解を一つ出したな。ほれ、さっさと帰れ。こっちは多忙なんだよ」


 シッシッ! と追い払う所作を取るコインを無視して、俺はロマンに「見事当たって砕けた。反省会はよろしく頼む」と言う。「任せてください」とロマンは頷いた。


 4人で旅鉱ギルドから出る。それから、思い切り伸びをした。


「いやー! やられた! ムティーみたいなガラの悪さだ。やりづらいったらありゃしない」


「お疲れさまでしたわ、ウェイド様。今日はご立派でした」


「ん、サンキュな、リージュ」


「では、帰って早速反省会と行きましょう。流れは悪くないですよ。すべきことは明確です」


「そうだな、ロマン。さっさとあのエセガキを黙らせよう」


 俺を労うリージュの頭を撫で、ロマンに相槌を打ち、さぁ馬車に乗り込むぞ、というタイミングだった。


 夕日を遮る影。俺たちの近くに、それは現れた。


 目を覆う包帯、薄汚れた灰色の礼装、古びてボロボロの長剣。しなやかな体つきは存在感をひそめて俺たちに近づき、刃をむき出しにする。


「こんにちは、『ノロマ』のウェイド。私は白金の剣、『誓約』です」


 言いながら、『誓約』はゆっくりとボロボロの長剣を抜き放った。

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