第229話 商談の前に手土産を
俺たち4人は、帰る馬車で別の場所に向かっていた。
「大商人コイン、ねぇ」
行く先はビルク卿に勧められた、この街の大商人のギルドだ。名を、旅鉱ギルド。多種族が住まい小競り合いの絶えないこのビルク領の、武器商売を一手に担う存在であるという。
確かに、と外を見てみれば、カルディツァと違って異種族が目立つことに気付く。よく見れば獣耳を生やしている獣人や、この昼間から酒を飲むドワーフの一団などがいる。
「カルディツァって人間の街だったんだな。異種族なんて、ビルク領に来るまで見たこともなかった」
外を眺めながら俺が言うと、リージュが口を開いた。
「そうですわね。カルディツァは昔に異種族の違法奴隷関係で、多種族から蛇蝎のごとく嫌われていますもの。彼らは近寄りもしませんわ」
「……ナイトファーザー?」
「はい」
俺は何だか頭を抱えたくなる。身内の恥がここに影響していたとは……。思わず渋い顔になってしまうのも無理からぬところか。
御者席でウィンディが僅かに笑ったのが聞こえたので、振り返って頭を一回はたいておく。
そこで、ロマンが話を元に戻した。
「これから我々が訪ねるコイン氏は、ドワーフと人間のハーフだそうですね。自身では鍛冶をせず、しかしドワーフの審美眼で良いものを取り扱い、一代で成り上がったとか」
「ロマンもよく調べてるな」
「協力者から、この街の重要人物の情報はまとめてもらっていますから」
「ビルク卿に全員陥落されてた協力者?」
「……金で転ばない人間を捕まえるのは、難しいんですよ」
ロマンが世知辛い顔をしている。俺は苦笑するしかない。陥落させてきたのがビルク卿で良かった、というところか。
そんな風に馬車で会話しながら俺たちが向かう先は、その大商人コインのいる旅鉱ギルド……に向かう前の、手土産を用意するための店だった。
『コイン氏は商人ですから、商人の文脈でなければ通じないでしょう。そして商人の文脈、つまり商談とは、土産を欠かさないものです』
そんな話を、ビルク卿からさらりと言い含められていたのだ。確かに、前世の営業職の友人もそんな感じだった気がする。
買い物を渋るお客さんに、そっと少し高いお菓子をお出しする。それだけで成約率が変わる。こちらが差し出したのは高くても数百円のお菓子なのに、数十万の契約が手に入る、と。
俺にはよく分からないが、そういう商売の世界があるのだとか。すげーなぁと酒を飲みながら聞いていた思い出だ。
馬車が止まる。俺とリージュが降り、ロマンは「私はこう言うのは明るくありませんので」ととどまる。代わりにウィンディが降りてきて、俺たちの前で店の扉を開いた。
「ありがとな、ウィンディ」
「ご苦労様」
言いながら、俺たちは店に入る。焼き菓子を売っている店のようだ。割と高級な店を選んだようで、品の良い入れ物に入れられている。
「いらっしゃいませ。是非試食してみてください」
忙しそうに店の中で商品配置に動き回る店主が、俺たちに気付いて優しげに微笑んだ。俺たちは「ありがとうございます」と会釈して、早速小さなかけらを試食してみる。
これは……パステリとかいうお菓子か。見た目はクッキーとか、せんべいに似ている。一口。
「うぉお甘い」
濃厚なはちみつ味が舌に広がる。甘党じゃなかったらダウンしてたな。俺は甘党なのでこういうの大好きだ。違う意味でノックアウトされている。
「あら、このお店美味しいですわね」
リージュもウィンディに差し出されたパステリを食べてご満悦だ。これなんだろうな。はちみつはこれでもかと主張しているが、ゴマか? うまい。
こうなると興が乗ってしまって、俺はこの店の試食を制覇してやろう、という気持ちになってくる。お金には困っていないし、気に入った奴は全部買って行ってしまおう。
……試食戦略にまんまとハマっている気がしないでもない。
次は何にしようかな、と俺は鼻歌を歌いながら見て回る。目についたのは、クラビエデス、というクッキーだ。
一口。うーん甘い。アーモンドっぽい感じだ。サクサクのホロホロで、掛かった粉砂糖が独特の雰囲気を作っている。好き。買おう。
今までお菓子らしいお菓子にあまり触れてこない人生だったから、夢中になってしまう。日本のお菓子ともまた違う、甘々のお菓子たち。
俺はとってもワクワクしながら、どんどんお菓子の箱を小脇に挟んでいく。これもおいしい! 買い! こっちも甘いぞ! 買いです!
そんな風にしていたから、俺は雰囲気の変化に気付けなかった。
「何だぁテメェ文句あるってのか! この店で買った菓子が崩れてたんだろうが! それで俺の面目丸つぶれだ! どうしてくれる!」
何かいる、と俺は一気にスン……となる。
それは、妙な男だった。身なりは良いが、ガラが悪い。儲かってるヤクザみたいな見た目をしている。
店主は「い、いえ、お渡しした時は、間違いなく綺麗な形だったはずなのですが……」と怯えながらも果敢に言い返している。だが、それでは火に油だ。
「あぁ!? テメェ俺が嘘ついてるってのか!?」
「い、いえ……! そ、そういうわけではないのですが」
「ならどういう訳だってんだよ! ああ!?」
俺はリージュたちに合流する。嫌そうな目でやり取りを見ている二人に、「何あれ?」と尋ねる。
「ここの店の菓子が崩れていたせいで、契約を失敗した、と言い張っているのですわ。いちゃもんというものです。お里が知れますわ。……にしても随分買うんですのね、ウェイド様」
「はー? おいウィンディ、これ持っててくれ。ちょっと行ってくる」
「承知しました、ウェイド様」
俺はお菓子をウィンディに任せて、ガラ悪い男に近寄っていく。「おい」と声をかけると「あぁん!?」と振り返ってきた。
「店主困ってんだろ。こんなうまい菓子を作る店主に絡むとは、不届き者め」
「ガキが何わちゃわちゃと言ってやがる! 痛い目見たいのか!? え!?」
「俺に痛い目見せられるならやってみろよ」
シグくらいの相手じゃないと痛い目見ないぞ俺は。お前にできるか?
「舐めてんじゃねぇぞ!」
ガラ悪男が俺に殴りかかってくる。俺は避けるまでもない、とその拳を受けた。
男の拳が俺の額を打つ。「がぁあっ! いってぇえええ!」と男は殴った手を抱えてもんどりうった。
「な、何だお前! ふざけやがって! ちょっと殴れば泣いて逃げかえる貴族のボンボンだと思ったのに!」
「貴族だと分かって殴るのならいっぱしだよお前は」
俺は男の足を払って転ばせ、そのどてっ腹に拳を叩き込んだ。魔法もかかっていない一撃で、「がはっ……!」と男は絶息し、気を失う。
「ウィンディ、こいつ店の外に転がしといて」
「畏まりました」
ウィンディが男を抱えて店を出る。その交換で受け取った菓子の箱を、俺はカウンターに置いた。
「じゃ、これください」
「ああああ、ありがとうございます! 助かりました……!」
店主は涙目でペコペコと頭を下げている。ここまでされると、むしろこっちが心苦しいな。俺は手を振って謙遜しておく。
「いやいや、このくらいは」
「いえ! 是非お礼をさせてください! おや、当店自慢の一品が入っていないではありませんか。では、そちらを一箱無料でプレゼントいたします」
人の良いらしい店主が、駆け足で箱を取ってくる。パイ菓子みたいな奴だ。バクラヴァとか書いてある。
「当店と言えばこの甘~いバクラヴァです! ささ、試食もおひとつどうぞ」
「ではありがたく」
俺は受け取って口にする。サクサクとした触感に、ナッツ類のウマさ、そして菓子全体を覆うの甘味が、相乗的に俺の脳を殴ってくる。
「あっっっっっっま……!」
俺は天啓を受けたように、全身の痺れを感じた。甘い。甘すぎる。大好きだこの菓子。あっっっっっま!
俺は感涙しながら何度も深く頷き、「また来ます」と店を出た。
「……バクラヴァで感動してましたわ、ウェイド様」
「無自覚なだけで、相当な甘党だったんでしょうね」
そんな俺の姿を見て、主従が何か言っていた。
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