第228話 高等呪術師

 ビルク辺境伯は、指を一本立てて「では、呪術師とは何か、という話をしましょうか」と切り出した。


「まず、ヴュルテンベルク侯。あなたは、呪術師とはどんな存在だと思っていました?」


「そうですね。今まではこう、魔法ではない魔法と言いますか。対象の髪を混ぜ込んだ人形を壊すことで、本人にもダメージが、みたいな」


「そうですね。厳密に言うと、そちらも呪術ではあります。『原始呪術』と呼ばれるものですね。今では一部部族や、呪い屋、あとは『呪具蔵の呪術師』しか使いません」


「呪具蔵の呪術師?」


「そういう呪術師が居るんですよ。原始呪術を収集し活用する、唯一の呪術師です。呪術師たちの権威としての地位を確立しています」


 と、マニアックな話をしてしまいました。とビルク辺境伯ははにかむ。


「ヴュルテンベルク侯に挙げていただいたような原始呪術は、実は貴族の呪術師にとっては主流ではありません。通常呪術師と呼ばれる貴族たちが用いるのは、高等呪術です」


「高等呪術、ですか」


「はい」


 例えば、とビルク辺境伯は言う。


「先ほど私が用いた『天秤の呪術』も高等呪術です。これだけ聞くと、原始呪術のような神秘性がない様にお考えになると思います」


「そうですね。どちらかというと、交渉術とか、そう言う風に感じました」


「高等呪術は、まさにそうです。神秘なき神秘。政に携わる人間の様々な処世術。人間のある側面を比喩的に別のものに見立てることで、普通の出来事の中にささやかな神秘を見出す技術、それこそが高等呪術です」


 俺は難しい説明に唸り、「つまり」と俺なりに要約してみる。


「帝王学みたいなものですか?」


「そうですね。本当に平たく言ってしまうとそれだけです。ですが、それだけに収まらない何かも感じる。少なくとも―――」


 ふ、と僅かにビルク辺境伯は口端を緩める。


「呪術師は、呪術において失敗しません」


 その言葉に、俺はゾクリと肌が粟立ったのを感じた。


「……確かに、先ほどいきなり『天秤の呪術』を披露されたときは、驚きましたね」


 裏でやったのは地道な金銭交渉でしかないはずだ。だが、天秤というモチーフが与えられることで、妙な神秘性を感じさせられた。


 そして、そんな理知的な人が「失敗しない」と断言することそのものが、さらに高等呪術に神秘性を纏わせている。


「故に、呪術師は自らを秘匿します。あらゆる呪術は広く知られたとき無力となる。秘匿の中に息づき、あるかどうかも分からない微かな神秘を頼りに、事をなしていくのが高等呪術なのです」


 知られてしまえば、単なる学問に過ぎませんから。ビルク辺境伯はそのように説明する。


 俺は考える。解釈の難しい技術だ、と。神秘なき単なる対人術と断じるには、異様な雰囲気があるのは確かなのだ。


 あるいは、と思う。


 前世に地球などで見聞きした、本来の呪術そのものなのではないだろうか。魔法が公然と存在するこの世界だからより曖昧に見えるだけで―――神秘は、存在している?


「さて、ここからが本題です」


 ビルク辺境伯がそう言ったのをきっかけに、俺は思考から意識を引き戻す。


「アレクサンドル大帝国の使者の皆様。皆様には、私がアレクサンドル大帝国に寝返るにあたって、2つ協力していただきたいことがあります」


「聞かせて下さい」と俺。


「ありがとうございます。まず、私の身柄の保護。具体的には、私に刺客として差し向けられる、白金の剣の冒険者『誓約』を退けていただきたい」


 その言葉で、この場に緊張が走る。分かっていたことだが、どう足掻いても奴とは激突する運命にあるらしい。


「承ります」


 俺の即決に、「流石の覚悟の決め方ですね」とロマンが僅かに笑う。俺はそれを肘で突きつつ、ビルク辺境伯を見た。


「流石はヴュルテンベルク侯ですね。腕一つでアレクサンドル皇帝に侯爵待遇を申し込まれた傑物……。御見それしました。そちらに関しては、すべてお任せします」


 2つ目、とビルク辺境伯は言う。


「使者の皆様方には、私の新しい呪術『血脈の呪術』の完成を手伝っていただきたい」


「……血脈の呪術?」


 ビルク辺境伯は天秤を机の端に除けてから、2つの紙を懐から取り出した。


 広げる。描かれているのは、恐らくこのビルク領の地図と、人体図だった。


「簡単に言うと、この二つ、領地と人間の身体は同じである、という呪術です」


 ビルク辺境伯の言葉に、俺たち3人は困惑する。


「……?」


「失礼ながら、この2つの図には何の関係性もありませんわ」


「……ふむ」


 俺は首を傾げ、リージュが眉根を寄せて問い、ロマンは顎を撫でて考えている。


 ビルク辺境伯はニコリと笑った。次に銅貨を20枚程度取り出し、地図の上に10枚、人体の上に10枚置いていく。


 それから、ビルク辺境伯は言った。


「地図上の銅貨は、その通りお金だとお考え下さい。一方人体の銅貨は、血だとお考えいただきたい。その上で、詳しくご説明します」


「はい」


 俺の首肯に、ビルク辺境伯は手を動かす。


「まず、人体の話をしましょう。人体は血が巡ることで成立しています。ですから、右腕にまったく血が行かなくなったら、腕は壊死します」


「それは、何となく分かります」


「ヴュルテンベルク侯、ありがとうございます。では次に、領地の話をしましょう」


 そこで俺は、うっすらと何を言いたいのか分かり始める。


「領地はお金が巡ることで成立しています。ですから、この鍛冶屋にまったくお金が行かなくなったら、鍛冶屋は潰れます」


「あっ……」


 リージュが口を開けて、人体と領地の間に相似関係を見出す。ロマンが、「なるほど、つまり」とビルク辺境伯に確認した。


「人体にとっての血のように、領地の金貨は巡っている。ということですね?」


「はい。この呪術はかなり強力で、人体が血を失って死ぬように、あるいは内臓に血が行かなくなることで死ぬように、領地攻撃にも転用できる恐ろしい呪術です」


 その言葉を聞いて、俺は息をのむ。そうか。この考え方があれば、どこを攻撃すれば共同体が滅びるのか分かるのだ。


 脳、心臓、その他重要な内蔵。それがその場のどこに当たるのかを考え、一突きにする。それだけで、領地が一つ滅ぶ。


 特に、俺のような派手な攻撃ができる奴は、そう言うことが単独でできてしまう―――


「ですが、これは『血脈の呪術』の浅い考え方です」


 ビルク辺境伯の言葉に冷や水を浴びせられ、俺は我に返る。


「『血脈の呪術』を深く考えれば、領地にはなくて、人体には存在する要素が一つあることが分かります」


「……それは」


 ビルク辺境伯は微笑む。


「それは、骨髄です」


 詳しく説明します。とビルク辺境伯は言う。


「この世界には、ただ金貨、銀貨、銅貨という通貨が存在します。ああ、白金貨も忘れてはなりませんね。これらは、世界中に同じものが使われています」


「……世界中に同じもの?」


「はい。創造主が人類に与えたものの一つ、と語られています。ですから、世界中で常に一定の量しかありません」


 俺はそれに思案する。俺もさして詳しくないから断言できないが、それは良くないのでは……?


「一方、骨髄は血液を生みます。ですから人体は多少の血を失っても、しばらくすれば血を十分量生み出して健康に戻れます」


 俺はそこで、ハッとする。


「人体にあって領地にないものって」


「はい。すなわち―――この世界には、人類の手によって貨幣を発行する機構が存在していません。そしてその意味で、『血脈の呪術』の完成に必要なものは」


 俺とビルク辺境伯の言葉が重なる。


「「骨髄貨幣発行機関の存在」」


 ビルク辺境伯は、ニヤリと笑う。


「恐らく、アレクサンドル皇帝が私を欲しがる一番の理由は、この『血脈の呪術』でしょう。皇帝陛下もいくつか呪術を修めていると聞きます。ですが、私には及ばない」


 一方、とビルク辺境伯は続ける。


「私も、欲しがられる分の結果は出さなければなりません。眠れる獅子は要らないという方でしょう。ですから私は、この呪術の完成でもって、皇帝陛下への手土産としたい」


 俺は、呪術師という存在の本当の恐ろしさを理解する。微かな神秘と知識の掛け合わせの中に、社会というものを操作する盤上の人間。


 俺やロマンが盤上の強力な駒ならば、呪術師は棋士に近い。直接戦闘では万に一つも負けることはないが、敵対すれば遭遇すらせずに敗北がありうる。


 いや、そもそも彼らは―――勝敗なんて小さなことに、気を払ってすらいないのか。


 まったく異なる次元の凄腕。俺はビルク辺境伯に敬意を払う。


「先ほど俺をたくさん褒めていただきましたが、こちらこそ御見それしました、ビルク卿。是非、協力させてください」


「―――ヴュルテンベルク侯」


 俺からビルク卿に向ける視線の色合いが変わったのを見て取ったか、「あなたは底知れない方ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」と手を伸ばしてくる。


 俺たちは握手を交わす。互いに尊敬しあいながら。


 それから手を放しつつ、俺は言った。


「そういえば、私の呼び方はウェイドで構いませんよ。ヴュルテンベルク侯、では長いでしょう」


「そうですか。では、ウェイド様、と」


「様も要りませんって。最近貴族になったばかりのペーペーですから」


「ハハ、私とて家督を継いだばかりのペーペーですよ。では、ウェイドさん、と」


 俺たちはカラカラと笑い合う。隣でロマンが「ウェイド君は実に人たらしですね」と褒めてるんだか貶してるんだか分からないことを言う。

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