第227話 ローマン皇帝の悪評
勢いと展開力で圧倒しまくってくるビルク辺境伯に、俺は「い、一旦落ち着きましょう、辺境伯。こちらはまだ自己紹介すらしていませんし」と諫める。
「それなら、存じておりますよ、ヴェルテンベルク侯」
「その呼び方も、です。俺―――私はまだ貴族になったばかりの若輩者。そういった本当に詳細な情報は、金では買えなかったのでは?」
「ふむ……なるほど、一理あります。少し事を急いてしまいましたね」
ビルク辺境伯は冷静になって、浮かせていた腰を椅子に下した。俺は軽く咳払いをして、名乗る。
「私はウェイド・グラヴィタス・ヴェルテンベルクです。ヴェルテンベルク侯爵に、アレクサンドル皇帝より任ぜられています」
「り、リージュ・オブ・ノーブル・カルディツァですわ! か、カルディツァ辺境伯、ではなく、カルディツァ侯爵家の娘にございます」
「ロマンティーニ・マンハイム伯爵と申します。どうぞよろしくお願いします」
「私のような若輩者のために、侯爵閣下、伯爵閣下に訪っていただけるとは、光栄の限りです」
一貫してへりくだる様子を崩さず、しかし冒頭の呪術で俺たちをあっと言わせたビルク辺境伯。俺はそれをして、なるほど、と思わざるを得ない。
へりくだるのは相手に気分を良くしてもらうため。実るほど頭が下がる稲穂かな、とはよく言ったもので、立派な人物ほど頭を下げるし、それこそが真の処世術になる。
一方で、へりくだる人間を下に見るバカもいる。だが、そういう手合いは冒頭の呪術で『只者ではない』と印象付けられている。だから、へりくだるだけ自分の価値を吊り上げられる。
価値。金で代替できるもの。
貴族とは恐ろしいな、と俺は思う。対等に語らえる場になって、さらに。
俺はロマンに一度目配せして、ロマンが頷くのを確認してから、ビルク辺境伯に言った。
「それで、早速本題に入りますが、ビルク辺境伯はアレクサンドル大帝国に移転するのに賛成である、と?」
「ええ、もちろん。あのような人物にはついていけませんからね。治世がよくとも、いつ殺されるか分からない人間の下になど付けません」
「……私は、噂にしかローマン皇帝を知らないのですが、それほどまでに悪逆非道の人物なのですか」
俺がそう辺境伯に問うと、リージュは目を伏せ、ロマンは沈黙し、伯は「……多少、難しい説明になってしまうのですが」と語り始める。
「9割の行動においてまっとうかつ聡明。たった1割の行動が致命的。ローマン皇帝は、そんな人物です」
「……詳しく、お聞きしても?」
「はい。例えば、ローマン皇帝は基本的に優れた治世をします。やはり召喚勇者ですから、異世界の優れた技術を有しているのでしょう」
税金、経済、土地、食料。飢えることがないように。重税で苦しむことがないように。そういう、普通に幸せに暮らせるのがローマン帝国という国であると。
「ですが、時折庇いようのない悪辣な事件を起こすのも、またローマン皇帝なのです」
例えば、とビルク辺境伯は言う。
「旧ギリシア王家。私も元々はギリシア領の人間でして、当初は旧ギリシア王家がローマン帝国に恭順を示したことで、ローマン帝国に転入する形になりました」
本来の旧ギリシア王家の恭順は、旧ギリシア王家がローマン皇族と親戚関係になることでの、吸収合併的な形で進められていたという。
思い出すのは、ここに居ないクレイのことだ。第三王子だったと聞いている。
だが。
「ですが、あとはローマン皇帝がギリシア王女と結婚した直後、ギリシア王家の人間を皆殺しにしました。戦乱が起こり、出ずに済むはずだった無用な血を流し、統治がなりました」
「……何故なのか、ご存じですか?」
「分かりません。ここで恐ろしいのが、推測の目途すら立っていないという点です。ローマン皇帝とギリシア王家は惨劇の寸前まで、実に仲睦まじかったと聞きます」
それからしばらくは、地獄のような日々だったという。
「多くの貴族たちが、皇帝を批判しました。ですが皇帝その人が絶大なる力を持っていたがために、批判者は次々にその手で殺され、最後には誰も話さなくなりました」
「……それは」
壮絶に過ぎる。理解が出来ない。突然の狂乱、という話に聞こえる。
だが、本当に寒気がするのは、そこからだ。
「ですがその事件と並行して、皇帝はエルフの奴隷解放を進めていたそうです。奴隷解放に携わった貴族たちは、みな『優れた指揮を執っていた。惨劇の首謀者とは思えなかった』と」
「……」
意味の分からない惨劇を起こしているならば、その時点でおかしくなっている、と考えるのが普通だ。だが、そうではなかった。ローマン皇帝は、並行して事業を進めていた。
正気と狂気。それが、混然一体となっている。人物像が全く想像つかない。気味が悪い、という感情が、どうしても先行する。
「私の離反は、個人的感情によるものです。貴族的な、領地や圧政に対抗する、という考えは、恥ずかしながら毛頭ありません。その点については、そもそも不満すらありませんから」
ですが、とビルク辺境伯は訴えてくる。
「それでも、あの皇帝にはついていけないのです。普段どれだけ優れていても、1割の確率で無残に殺される可能性がある人間とは、付き合えません」
「……ありがとうございます。ローマン皇帝について、よく分かりました」
俺は礼を言って、「違う話を聞いても構いませんか? 気分転換がてら」と笑って提案する。
「ええ、もちろん! では、そうですね。軽く呪術とは何か、という話でもいかがですか?」
「ああ、それは助かります。我々の方でも、結局呪術師とは何なのだろう、という疑問がありまして」
二人で笑ってると、リージュがこそっと、俺に耳打ちしていた。
「……ウェイド様、どこでそんな貴族仕草覚えてきましたの?」
「お前の親父」
「まあ」
相変わらず優秀なお方、とリージュが言うのに、俺は肩を竦める。
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