第226話 天秤の呪術

 到着の翌日、俺はロマンとリージュ、そして馬車の御者役のウィンディの4人で、馬車でビルク辺境伯の領主邸へと向かっていた。


「ウェイド君。最初に宣言しておきますが、交渉の場で可能な限り私は何もしません」


「は?」


 馬車の中でロマンに言われ、俺はポカンと聞き返す。


「え、何で?」


「今回取り掛かる物事の多くは、いわゆる政争に当たるものとなります。私は神に愛されている上、百戦錬磨でお手の物ですが、小技が多く、見ていても何の学びにもなりません」


「……でも、アレクからはロマンを見て学べって言われたんだけど」


「私は『政争を叩き込め』と言われました。そして私の政争は、見て学べる類のものではありません。なのでウェイド君に一任します。反省会では逆に、私が細かく解説します」


 俺は沈黙し、リージュはキョトンとしている。そんな俺たちに、ロマンはにっこり笑った。


「つまり、当たって砕けろ教育法です」


「えぇ……」


 俺は渋い顔でロマンを見る。ロマンは悠然と微笑みを俺に返すばかりだ。


「それに、私が集めた情報の限りでは、この政争そのものはさして難しいものではないでしょう。困難となるのは『誓約』の戦闘能力のみです」


「簡単だから、ひとまずやってみろってことか?」


「ええ。そもそもウェイド君は何事も筋がいい。話しぶりもちゃんとしていますし、胆力もある。何も分からずぶつかって粉々に砕け散る、というレベルではすでにありませんから」


 唐突に褒められて、俺の気分は悪くない。


「ただ、そうは言ってもいきなり一人では不安でしょう。その為に、いざとなったら神に愛された私を頼れる、という形で私も付き添いをするのです」


 絶大な自信である。確かにここまで自信たっぷりな奴が横に居ると思うと、少しは安心感もあるか。


「なるほどねぇ……。リージュは?」


「リージュちゃんこそ、本物の『見て学べ』コースになりますね。あとは可愛いリージュちゃんに格好悪いところは見せられない、と気合が入るのではないですか」


「なるほど、確かに」


「……うぇ、ウェイド様。そこで頷かれると、照れますわ……」


 今日のマスコット枠を務めるリージュは、あわあわと手を動かして困惑をアピールだ。俺とロマンは微笑ましくそれを眺めてから話に戻る。


「ただ、そうは言っても必要な情報はいくつかあります。一旦前情報をいくつか伝えておきましょうか」


 ロマンの言葉に、並んで座る俺とリージュはそれぞれ「頼む」「お願いしますわ」と促した。ロマンは頷き、「では、一つ一つ」と列挙し始める。


「まず、今回会うビルク辺境伯は、反ローマン皇帝派貴族でも有名な方です。そもそもローマン皇帝が理解しがたい人ですから、そういう不条理を許せない性質ということですね」


 ですが、とロマンは繋ぐ。


「では本人がまったくの常識人か、というと明確に違います。天才に類する人間で、かつお金が大好きであるとか」


「金好き……」


 俺とリージュは微妙な顔だ。中々度し難そうな人物像だな。


「貯金が好きとか、お金稼ぎが好きとか、そういうことか?」


「いえ、もっとこう……概念が好きというか。金によっておこる人の心の動きの研究が好きなタイプ、と協力者からは報告を受けています」


「社会の研究、ですの……?」


 リージュが、そこで何かが突っかかったように指を唇に当てて考える。ロマンが「リージュちゃん、何か心当たりがあるのですか?」と尋ねる。


 リージュは言った。


「……いえ、その、もしかしたら、という話でしかございませんわ」


「構いませんよ。是非聞かせてください」


 ロマンの促しに、リージュはおずおずと口を開く。


「いつか、お父様に言われたのです。世の中には、逆らってはならない存在が居ると」


 リージュは指を一本立てる。


「一つは、圧倒的強者。逆らえばその方の気まぐれに殺される、という相手。ローマン皇帝を、お父様は挙げましたわ」


「……そうですね。表立って彼に逆らえる人間は、まだこの世に一人もいないでしょう」


 俺は、ロマンが目を閉じて告げた言葉に戦慄する。


「もう一つは、家格によらず、人々の中心に居て、人心を掌握し、動かずして何かをなすような貴族」


 リージュはロマンを見る。


「そういった貴族は、『呪術師』であるとお父様は言いました。呪術師には逆らうな、と。呪術師は社会、政にて得体のしれない神秘を使うと。それと思う者が居れば、中立のまま距離を取れと」


「呪術師、ですか……」


 ロマンが思案するように腕を組む。俺はリージュに聞いた。


「なぁ、リージュ。その、呪術師ってそういう感じなのか?」


「と仰いますと?」


「その、話を聞く限り、それどっちかと言うとフィクサー的な存在じゃね、というか。黒幕って言うかさ。呪術師って藁人形で相手を呪い殺すとか、そういうのじゃないのか?」


「……申し訳ございませんわ、ウェイド様。そこまで詳しいことは、ワタクシ存じておりませんの」


 首を振るリージュに、「分かった、ごめんな」と俺は引き下がる。


 そうこう話を交わしていると、馬車が門をくぐり、屋敷の入り口前で止まった。


「到着いたしました。ウェイド様、ロマンティーニ様、お嬢様」と扉が御者を務めるウィンディによって開かれるので、俺たちはぞろぞろと降りる。


 俺はリージュの手を取ってそっと地面に下ろしてやりつつ、領主邸を前にした。


 ビルク辺境伯。家格は寝返り前のカルディツァ領主と同じだ。領主邸は中々に大きいが、カルディツァ領主と比べると一回り小さい。


 ウィンディが馬車を走らせ車庫へ向かう。それを見送った時、すでにアレクから話が通っていると見えて、俺たちの訪問と同時に、執事らしき老爺が現れ、腰を折る。


「ようこそお越しくださいました、アレクサンドル大帝国の使者の皆様。早速領主様のもとにお連れいたします」


 言って、執事はくるりと踵を返した。俺たちはちらと視線を交わしつつ、その後についていく。


 特に裏はないようで、俺たちはすんなり客間へと案内された。扉を開けると、すでにビルク辺境伯らしき、まだ青年と言っても過言ではない若々しい男がソファに座っていた。


 使用人たちに促されるままに、男の対面のソファに座る。男が会釈してくるから、会釈を返す。


 男が、口を開いた。


「ようこそお越しくださいました、アレクサンドル大帝国の使者の方々。私はレジット・ビルク辺境伯。結論から申し上げますが、私は呪術師です」


 その言葉に、俺たちはピタ、と停止した。


 今、何か、異様なことを言われた気がする。そんな風に、俺たちはビルク辺境伯を見る。メイドが俺たちにお茶を入れていく。


「ええっと……?」


「『何故我々の先ほどの話を知っているのか』ですね。端的に述べますと、我が呪術の一つ『天秤の呪術』によるものです。ヴェルテンベルク侯」


 俺は一瞬何のことだと思ってから、自分の貴族名だと理解する。


 ビルク辺境伯は穏やかに笑って続けた。


「簡単なデモンストレーションですよ。使者の皆様の現地協力者は、すでに全員、私の息がかかっています。素性を調べ上げ、必要金額を渡し、皆様から私に寝返らせました」


 さらりと凄まじいことを言いながら、ビルク辺境伯は立ち上がり、近くの棚に飾られていた天秤を手に取った。優雅な所作でもって、俺たちの間の机に運ぶ。


「金は、代替可能な価値そのものです。彼らにとっての皆様からの信用と、実際の金額を天秤にかけさせ、皆様の協力者全員の天秤を私に傾けた」


 言いながら、天秤の上にチェスの駒をいくつか置いて、もう片方の天秤に大銀貨数枚を並べ、金貨に天秤を僅かに傾けさせた。


「言ってしまえばそれだけのこと。ですが、ここまでやる人間は、そう居ません」


 リージュが、顔を青くしてビルク辺境伯を見つめている。ロマンが困ったように息を吐いて、「参りましたね。敵でなくて本当に良かった」と首を振った。


 ビルク辺境伯は、悪戯が成功したような軽い調子で笑って、俺たちに言う。


「皆様の調べた通り、私はとてもお金が好きです。今回は自己紹介替わりに、友好の証として、呪術の一つを披露いたしました」


「友好の証って、これがですか」


 俺の問いに、ビルク辺境伯は「ええもちろん」と頷く。


「本来呪術師とは、手の内を明かさぬもの。驚かせてしまいましたが、一つの誠実さの表れとして、お受け取りいただければと思います」


 改めて、とビルク辺境伯は俺たちの前で、目礼する。


「私はレジット・ビルク辺境伯。天秤の呪術を始めとするいくつかの『金』にまつわる呪術を収めております、一人の呪術師にございます」


 ペースを掴まれっぱなしで、俺たちは呆気にとられながら頷く。ビルク辺境伯は、前のめりになって、こう言った。


「今回は、私をアレクサンドル大帝国に招き入れてくれるのでしょう? 是非とも協力させてください、皆様。ともにあの憎きローマン皇帝を、破滅させると致しましょう」

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