第191話 鏖殺

「では、さっそくお連れしよう。稀代の英雄を、戦場に、ね」


 ハーティはツカツカと俺に歩み寄ってきて、俺の手を取った。そしてにっこりと笑い、反対の手を上に掲げる。


 そこに握られるのは、不可思議な糸だった。虹色に輝く、か細い糸。短い糸のはずだったが、まるで見えない何かに結び付けられているように思う。


「では、準備はよろしいかな?」


「あ、ゴルドから武器貰ってない」


 鉄塊剣に代わる武器を、という話だったが、とゴルドを見ると、彼は禿頭の下に渋い顔を作って言った。


「すまない……。まだ、いくつかの技術的な課題があってな。殴竜と戦うまでには絶対作り上げるから、いましばらく待っててほしい」


「分かった。ならこれで準備万端ですので、よろしくお願いします」


「ああ、承った。なぁに気にするな! 初陣で準備が完璧なんてことは、そうそうないのだからな!」


 言いながら、ハーティは糸を強く引っ張った。


 その瞬間、世界の景色が飛び去った。


「はっ?」


 俺が声を上げると、すでにそこは陣地の中だった。俺は周囲を見回す。無数の領兵たちが武器を持って声をかけあう。さらに離れたところからは、剣戟の音と怒号が聞こえてくる。


「今のは」


「アリアドネの糸、というアーティファクトだよ。指定の場所に、いつでも瞬時に移動できる。―――諸君! 金の冒険者を連れてきた! これで戦況は巻き返せるぞ!」


 ハーティの呼びかけに、「助かります! ハーティ様!」「黒髪、となると君はウェイドだな!」と騎士たちが寄ってくる。


「まず、来てくれてありがとう、『ノロマ』のウェイド。君の噂はかねがね。早速だが、近くのがけまで戦場を見に行こう。そこで説明させて欲しい」


 俺たちは、騎士に連れられて陣地を出る。陣地は小高い丘の上に設置されたらしく、切り立った崖から戦況を上からざっと眺めることが出来た。


「戦況はとても単純だ。我が兵力は傭兵800人に対し、敵兵力は1000人。しかも敵の練度が高いのか、押し込まれている状況だ」


 俺は、言われるがままに状況を見守る。確かに、追い込まれているように見える。


「見ての通り、衝突しているのは平原。作戦に使えそうな地理的要因もなし。やや劣勢のまま、カルディツァの先遣隊は敗北に着々と近づいている」


「それを、俺の力でどうにかしろって、そういうことですか」


 俺がハーティの顔を伺うと、ハーティはしっかと頷いた。


「ああ、そうなる。もちろん、父から伝えた通りだ。我々は要望を述べる。解決方法は一任する。君のやり方で、現状を打開してくれればいい」


 ハーティに言われ、俺は改めて戦場を見つめる。


 剣と剣のぶつかり合い。飛び交う魔法。血を流した俺行く人々。ここには、死が溢れている。


 そして俺は思うのだ。


 、と。


 俺は少し考え、ハーティに問いかける。


「弓での攻撃は行いましたか」


「行った。奴らは練度が高く、盾を持っているから、ほとんど効果はなかったが」


「なるほど。盾がある……。なら、矢はダメか。使用していない備蓄の武器はどのくらいありますか」


「君。我々は君に軍師のまねごとをしろと言っているのではない。君の超人的な魔法で、一掃して欲しいと頼んでいるのだ」


「だから、そのための質問をしているんですが」


 戦況を解説した騎士が文句をつけてきたので、俺はそれを口を曲げて跳ねのける。騎士は渋面を作り、ハーティはくつくつと笑っていた。


「どうやらそう言うことらしいからな。まずはただ、質問に答えてやってくれ」


「承知しました、ハーティ様……。では、お答えするが」


 騎士は俺に向き直る。


「先遣隊の勝利を元に、ここに野営地を構築し、拠点とする予定だったため、今はない。が、この戦闘が終わるころに来るだろう」


「ってことは、支給武器に頼るのも出来ないってとこか。じゃあまぁ、仕方ない」


 自力でやるしかない、というところだろう。数が数だから、少しくらい何か物資の力を借りたいところだったが、まぁいい。


 千の敵兵くらい、一網打尽にしてやろう。


 俺はそこからさらにいくらか進み、周囲に人がいない、というところまで至る。それから振り返って、「近づかないでください」と短く告げ、戦場に向き直った。


 そこは、一歩踏み出せばもう崖下まで真っ逆さまという場所。戦場は、ここからだいたい数百メートル程度先だ。敵は千人程度。ざっくり千本か。


 ま、ボチボチ頑張るとしようか。


ブラフマン


 俺はアジナーチャクラ、サハスラーラチャクラを起動する。第二の瞳、第二の脳が活性化し、俺に認識能力、知的領域における全能感をもたらす。


 その中で、俺は考えるのだ。


 ―――サハスラーラチャクラは、いくつかの分析を経て至った結論として、最も攻撃に向いたチャクラだ。


 『森羅万象の支配』などはその最も分かりやすい例だろう。自分以外に干渉する手立てとして、非常に強力な手段だ。


 だが、それはあくまで、どうすればどうなる、という法則が分かるというだけの事。


 チャクラはもっと自由でいい。分かる、という能力から離れることすらできる。


 例えばそう。サハスラーラチャクラは、脳のチャクラ。そして魔力は精神力につながるもの。そして精神力とは、脳が構築するもの。


 すなわち、サハスラーラチャクラは無限の魔力に通ずる根源でもあるということ。


 俺は、膨大な魔力を込めて左手を殴る。


 左手から、おびただしい量の結晶剣が飛び出した。山のように積み重なって、俺の後ろに現れる。


 その様子に、騎士はただ口を開けて呆然とし、ハーティは「おぉおおおお! 何だそれは! どういうことだ!」と沸き立っている。


 俺はそれに小さく肩を竦め、戦場に向かって手を挙げた。


 結晶剣の全てが、空中に浮かんで行く。無数の結晶剣が、俺の頭上に、膨大な量、まるでワインセラーのボトルのように、一方向を向いて平行に並べられていく。


 その様子に、戦場がざわつき始めたのが見える。俺は彼らの一人一人をアジナーチャクラでまじまじと観察して、ああ、なるほどと思った。


「殴竜軍は、ご丁寧に鎧に竜の紋章が入ってるんだな」


 なら、話は早い。俺はそれを目印にするように、それぞれの結晶剣の座標を決定する。


 そして、不意にこう思った。


「そうか。これが俺の人生における、初殺人か」


 手を、振り下ろした。


 結晶剣が戦場に降り注いだ。多くの兵が盾を構えて結晶剣をしのごうとするが、それは甘い。結晶剣は鋭く、そして重力魔法で重くなっている。例え鉄の盾だろうと、結晶剣は盾ごと兵を貫く。


 戦場が、阿鼻叫喚となった。敵兵の、誰も彼もが結晶剣の餌食になっていく。逃れられるものなどいない。結晶剣は無慈悲に全てを貫いていく。


 だが、剣で貫かれただけでは死なない、というタフな者がいるのも分かっていた。腕のみを犠牲にして生き残り、こちらを見て好戦的に笑う敵兵たち。


 そういう意味では、結晶剣で良かったのだな、と思った。


「爆ぜろ、結晶剣」


 貫かれてなお死ななかった兵たちが、体内で爆ぜる結晶剣によって斃れていく。


 血。血。血。結晶剣の炸裂が、戦場を血で染める。味方の傭兵たちが、恐怖に悲鳴を上げて戻ってくる。分かりやすくていいことだ。


 俺はアジナーチャクラで、味方に結晶剣が刺さっていないか、敵兵がちゃんと漏れなく結晶剣によって死んでいるかを一望する。


 そして一人、例外を見つけた。


 やる気のなさそうな男だった。髭面で、こちらをぬぼっと見つめている。その手には、顔つきに似合わない、巨大な大剣。


 その周囲には、砕かれた結晶剣の破片が、複数本分散らばっている。降り注いだ結晶剣を、粉々に砕いて無力化したのだろう。


「す、凄まじいな、ウェイド殿! こんな少年が、と今更ながら疑う心があったことを詫びよう。君のような純粋な目をした、人を殺したこともなさそうな少年が、ここまでの鏖殺をやってのけるとは!」


 興奮がほとんど、僅かに怯え、というテンションで、ハーティは俺に話しかけてくる。俺は振り返らずに、こう答えた。


「人を殺したことはなかったですよ」


「何? な、なら、これが初めてか。にしては、随分と動揺が少ない」


「殺そうと思ったことがなかったから、殺したことがなかっただけです。怒ったことはあったけど、殺意みたいなのは覚えたことがなくて。で」


 俺は崖下の血濡れの大地を見る。


「いざやってみましたけど、後味は良くないですね。戦い慣れてる身ですから、動揺はしないですが、何て言うか……―――これつまんねーや」


 俺は、気の抜けた顔で、微妙に首を横に振りながらため息を吐く。


「ドラゴン狩りなら殺しもいいけど、普通の人間なんてか弱い生物たくさん殺しても、何にも楽しくない。むごいだけだ、こんなの。無意味に尽きる。バカバカしい。もうしない」


「うぇ、ウェイド殿?」


「はい? どうかしました?」


「い、いや……」


 俺がイライラ気味に独り言を言うので、ハーティはちょっと怖がったらしかった。それはそうか。俺みたいな強すぎる奴がイライラしながら傍にいるのは、気が気でないだろう。


 諸々含めて楽しくないので、もう将軍相手以外はしないぞ、と心に決めつつ、俺は一歩踏み出した。


「待ってくれ! どこに行こうというんだね?」


 ハーティに聞かれたので、俺は無気力そうな髭面の男を指さした。俺はニヤリと笑う。


「決まってます。虐殺の胸糞悪さは、死線をくぐる楽しい戦闘で拭うんですよ」


「奴は―――『憤怒』、か? 何故こんな先遣隊に……。まぁいい。やってくれるというのなら、任せよう。奴は、我々騎士団の手には余る」


「はい。任せてください」


 俺は深呼吸する。ここからでも香ってくる血の臭い。虐殺の痕跡。俺は悟る。


「やっぱり、戦闘は強者相手に限る」


 俺は『憤怒』を前に、重力魔法で空高く跳び上がった。

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