第190話 開戦

 翌日の朝のことだった。


 朝食を食べ終えたくらいのタイミングで、チャイムが鳴った。出ると、俺にモルルが抱き着いてきた。


「パパ! ただいま!」


「ん、おう! モルルも帰ってきたのか。それに―――」


 俺がモルルをちゃんと抱きかかえてから視線を下ろすと、リージュ、そしてその一歩後ろに控えるウィンディの姿があった。


 リージュが言う。


「数日ぶりですわね、ウェイド様。父より、招集の命を承っております。どうか、領主邸にお越しください」






 領主邸の正門をくぐると、領兵たちが大勢行き交いしていた。


 今もまさに、戦争の準備という事だろう。視界の端には檻に入れられた首輪をつけられたドラゴンなんてのも居るのだから、念入りなことだ。


 俺はリージュ、ウィンディの案内に従って進む。領兵たちは、俺に気付くと姿勢を正して敬礼してくれる。それを見る度に、俺は身が引き締まる思いだった。敬礼を返す。


 中に入ると、領主は中央ロビーで自軍の将軍たちと細かく話をしていた。


「領主様、この余剰物資は」


「ああ、それは貯蔵庫へ頼みたい。それでドラゴンの運用の件だが、やはり慣例通りで―――と、すまないね」


 将軍たちに一言告げてから、領主がこちらに歩いてくる。そこでモルルとリージュ、ウィンディはさよならだ。腰を折って、本館を出ていく。リージュの家でもある別館へ向かうのだろう。


 領主が、話しかけてきた。


「今日はご足労だったね。ギルドを通して演説依頼もしたが、十分立派にしてくれたと聞いた。重ねてありがとう」


「いえ、依頼ですから。それで」


「……ああ、そうだ。いつもの通り、客間で話をしようか」


 領主に連れられ、客間まで移動する。すでにフレインたちが揃っていて、俺たちを見て「フン」と軽く鼻を鳴らした。


 領主が上座に座って、本題を切り出してくる。


「諸君。予想はついているだろうが、戦争が始まった。殴竜軍は先立って、傲慢王からの宣戦布告を伝えてきた」


 その言葉は俺の胸に、とうとう、という実感を落とした。俺は長く息を吐き、そして吸う。


「殴竜軍は、カルディツァ東方の平原を陣取っている。現在確認されている部隊はざっと五万。五つの師団で構成されている」


 五つ。五人。俺は、殴竜と四天王を思い出す。


「諸君らにして欲しいのは、その撃退だ。さらに厳密に言うならば、個人で一騎当千の力を持つ、大将、少将たちの撃退。カルディツァは幸い栄えていて、物資も兵も潤沢だ。だから―――英雄さえ倒せるならば、勝利はありうる」


 その言葉に、つばを飲み込む。逆に言うならば、英雄どもを倒せなければ、その上に君臨する殴竜を打倒できないのなら、負けるということ。


 この世界の戦争は、飛びぬけた個人が影響を持ちすぎる。


 それはある意味、俺にとっても突き刺さる事実だ。


「先に言っておくが、君たちの指揮を、私は取らない」


 領主の言葉に、俺たちは沈黙を保つ。


「私に限らず、領の指揮官も同様だ。君たちはあくまでも傭兵として、自由に行動して欲しい。ただし、最恵待遇を約束しよう。金の暗器の冒険者証を見せれば、指揮官たちは君たちに戦況を語り、物資を提供する」


「失礼ながら、それは何故でしょうか」


 クレイが挙げた疑問の声に、領主は言った。


「金の冒険者の諸君は、指揮で扱うには少々特殊に過ぎるきらいがある。諸君らについては、下手な指揮で邪魔をするよりも、こちらから要望を伝えるに留めておいた方が、より効果があると判断した」


 君たちも、自由にやれた方がいいだろう? と領主は冗談めかして言う。反応したのはフレインだ。


「ま、それはそうだな。オレも最近調子がいい。戦闘中に新魔法を得て、いきなり使うのに軍規なんて気にしてられん」


 背もたれに寄り掛かって言うフレインの言葉に、俺は何となく理解する。


 要するに、指揮下に入れば、その場の判断とかが出来なくなってくるってことのようだ。確かに、指揮官の顔を伺ってぎこちない動きをすれば、英雄相手は厳しいかもしれない。


「そういうことだね。ただ、完全に自由に動いて味方を殺されてしまっては敵わない。最低限、その場の指揮官に『戦況はどうか。何か希望はあるか』ということは聞いて欲しい。逆に言えば、その先の判断は一任しよう」


 そう言って、領主は長く息を吐きだした。短い会合だったが、領主の顔に宿る疲れの色は濃い。恐らく、この後にも無数にすべきことがあるのだろう。


「以上だ。簡単だが、私からの説明はここまでにさせてもらいたい。何か聞きたいことがあれば、指揮官が目立つところにいるから、話しかけて欲しい」


 では、と告げて、領主は立ち上がった。そのまま客間から出ていくのに追従し、金の暗器のメイド、シャドミラがこちらに一礼して扉を閉める。


 どうすべきか、と考え始めた時、客間の扉が再び開いた。


「やあ諸君! 父上がお世話になっているね。ワタシはハーティ・ノーブル・カルディツァ。父、メイズ・ラビリント・ノーブル・カルディツァの第一子だ!」


 青年というべき年齢の、妙にテンションの高い奴が入ってきた。俺は第一子というと、リージュの兄に当たるのか、と思いながら見る。


 身なりは流石貴族というだけあって、しっかりした軍服を着ている。ある程度鍛えているのが見受けられる体つきだが、それにも増してテンションの高さが気になる。


「これは、どうも」


「ほう! いや、話には聞いていたが、本当に若いのだな、カルディツァの金の冒険者たちというのは! ああ、いや、君たちを侮っていたという訳ではないので、そこは勘違いしないでおくれよ。ワタシは―――」


「領主ご子息、用件はなんだ」


 長くなりそうな話を、フレインが強引に切り上げて問う。領主子息のハーティは、答えた。


「ん、ああ! そうだね。いきなりべらべら喋る奴が入ってきたな、というのが君たちの気持ちだろう! しかしね、これでもいくつか自制してここに立っているのだよ。本当なら君たちとまず酒の一つでも飲み交わしながら友人関係を築いていきたいところを」


「本題を、言え」


「君たちを戦場に案内したい」


 フレインのぶった切りに、まったく怯む様子なくハーティは言った。


「父上は、『戦争が始まった』と君たちに告げたね。その通りだ。戦争が始まった。始まって、今。すでに先遣隊同士がやり合っている。そこに君たちを投入して、殴竜軍の出端を挫きたい」


 千。とハーティは言う。


「敵の先遣隊の数は千だ。話を聞く限り、君たちは単独で千の敵を殺せると聞く。まずはその実力を見せて欲しい」


 言ってから、ハーティは俺を見た。


「『ノロマ』のウェイド。最も若い冒険者の一人にして、すでに金等級の座に収まった傑物。その中でも、最も強く恐ろしいと言われる君の実力を、見せてはくれないか」


 その威風堂々とした、まっすぐな笑み。俺はそれを見上げて、一呼吸の後に「分かりました。お見せします」と答えた。

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