第184話 日常が終わる
翌朝。俺は俺含めて四人入り乱れるベッドからそっと抜け出して、汗を流してから、朝の散歩に出かけた。
爽やかな朝だった。晴れやかな日差しが、木々の隙間から差し込んでいた。朝早い時間の空気は澄んでいて、白んでいて、透明だった。
そんな朝の気持ちのいい森の中に、不意に人影があるのを見つけた。全身フードを被った、巨躯の男。俺は自然と、巡り合うように、運命のように、そちらに足を向けていた。
「『ノロマ』のウェイドだな」
その物言いに、俺は僅かに眉を跳ねさせる。だが、そこに嘲りの色はなかった。
全身フードの中から、ぬっと腕が出てくる。筋骨隆々の、丸太のような太腕。俺は、そこに尋常ならざる実力を見出した。
「お前、誰だ」
「―――手合わせ願いたい。『ノロマ』のウェイド」
俺は唾を飲み下す。相対しただけで、ここまで緊張する敵など初めてだった。だからこそ、俺の背筋にゾクゾクとしたものが走る。
俺は思わず、頷いていた。
「感謝する。では、始めよう」
男は構えを取った。俺も同様に構えをとる。鉄塊剣は家にあるからすぐに呼び出せる。結晶剣は左手を叩くだけだ。
俺は唱える。
「
チャクラが起動する。アジナーチャクラが、第二の瞳が開眼し、アナハタチャクラが、第二の心臓が鼓動する。重力魔法で鉄塊剣が家の倉庫から飛び出してくる。
男は笑った。
「来い。まずは、正面から受けよう」
「金等級になってから、初めて侮られたぜ。後悔するなよ」
「するものか」
俺が睨んでも、男は気にする風もない。俺は「ならいい」とだけ言って、指を地面に振った。
鉄塊剣が、空から突き刺さる。土をえぐり、まき散らして屹立する。
「良い武器だ」
「言ってろ」
俺は左手を叩く。結晶剣がいくつも形成される。それから鉄塊剣を抜き、構えた。
深呼吸する。気を静め、全身に漲らせる。
正面から受けるというなら、俺の出せる最大火力をぶつけてやろう。アナハタチャクラで身体能力を上げ、アジナーチャクラで男の最も脆い部分を狙い、鉄塊剣を極限まで軽くして斥力で破壊力を上げ、激突の瞬間に極限まで重くする。
もちろん結晶剣も忘れない。結晶剣は僅かでも刺されば致死の剣だ。ある種の本命といってもいい。これを、出現させた十数本全て、一気に殺到させる。
最後に、男自身への重力魔法だ。まずは奴の自重を加算して地面に縫い付ける。鉄塊剣と結晶剣でダメなら、ポイントチェンジで振り回してやる。
「ふぅぅ―――――――」
息を吐く。鉄塊剣を肩に構える。結晶剣は虚をつくために地面にバラまいたままにする。
男は悠然と、俺を前に立っていた。どこからでも来いと、無言の内に言っている。上等だ。目にもの見せてやる。
「行くぞ」
俺の足が、地面を踏みしめる。
「オブジェクトウェイトダウン、リポーション」
足元が弾ける。俺は文字通り地面から斥力で弾かれて、男に肉薄した。まるで羽のように軽くなった鉄塊剣を、男目掛けて振るう。
「オブジェクトポイントチェンジ」
同時、結晶剣の数々が男目掛けて発射される。「ふむ」と男はそれを見て言った。俺はさらに呪文を口にする。
「オブジェクトウェイトアップ」
速度そのままに鉄塊剣が一気に重くなる。ポイントチェンジで狙いも確かだ。同時、男が「ほう」と呟いた。男の身体は、普通なら体を支えるのも難しいほどに重くなっている。
「リポーション」
ダメ押しに俺は斥力でさらに速度を上げた。狙うはアジナーチャクラで見破った、もっとも隙の大きな肩口。激突の瞬間に展開される斥力は、そのまま破壊力へと転換される―――
そして男は、頷いた。
「なるほど、こんなものか」
衝撃が、腕から全身に走った。俺は片手で止められた鉄塊剣に瞠目し、そしてもう片腕で粉々に薙ぎ払われた結晶剣にあんぐりと口を開けてしまう。
「は……?」
「さぁ、次はこちらの番だ」
男は、指だけで簡単に鉄塊剣をへし折った。そして俺ごと鉄塊剣を投げ飛ばす。俺は鉄塊剣を手放して、地面にしがみついた。靴が地面をこすり、土煙を上げる。
その向こうで、男は拳を振り上げていた。
「行くぞ」
俺は、その姿に死を垣間見た。
「―――――――――ッ!」
このままでは死ぬ。そう直感した。アナハタチャクラがあるから、厳密には死ぬことはないだろう。だがそう感じた。それだけのものがそこにあった。
それが、俺の闘争本能に火をつけた。
「ふ、く、くっ、くはっ、ハハハハハハハハハハっ!」
自然と笑いが飛び出す。男は奇妙な顔をしながらも、拳をさらに高くに振り上げる。
ああ、久しぶりだ。死ぬという予感。自分よりも遥かに強い敵を相手にした絶望感。背負うもののない解放感。ここでなら俺は、死ぬまで全力を尽くしてもいい。
そう思った瞬間に、魔法印が育った。オブジェクト・リポーション。自分にだけ掛けられた斥力を、あらゆる全てに掛けられるようになった。
だが、この程度ではまだ足りない。まだ奴には届かない。
アジナーチャクラで男の真髄を睨みつける。おぼろげに見えるのは、その背後にいる何者かの影。だがそれ以上見えない。見えないものか。見てやる。見抜いて見せる。
脳がギリギリと締め付けられるように痛い。痛いという事は、感覚で掴めているということだ。ならば、この場でチャクラにしてしまえばいい。
まばたき。その中で、掴んだ感覚の中に魔力を注ぎ込む。脳のチャクラが構築される。サハスラーラ・チャクラ。第二の脳が、俺に宿る。
そして第二の脳、サハスラーラチャクラが、俺に全てを理解させた。
「ふ、はは。いいね、最高だ」
鼻血が垂れる。サハスラーラチャクラを、初起動で限界まで駆動させているからか。俺は鼻血を拭い、両手を伸ばした。
右手に鉄塊剣を呼び寄せる。男によっていとも容易くへし折られた愛剣。俺はその柄を握り、その真下に砕けた鉄塊剣の刃先や破片を重力魔法で集めた。
「
サハスラーラチャクラが、どうすればいいかを俺に理解させる。破損した武器。だが、これはただ形が変わっただけのもの。本質は何も変わっていない。
ならば、少し成形してやればいい。
俺は破片を鉄塊剣の断面で押しつぶし、サハスラーラチャクラの『森羅万象の支配』で鉄塊剣を再構築する。
「ほう」
男の感心の声を無視して、次は左手に集中する。こちらはもっと簡単だ。結晶剣は結晶であることが本質で、剣であることは二の次。
ならば、片手に収める形に変えればいいだけの事。重力魔法で砕けた破片を集め、集中させ、そして『森羅万象の支配』でもって成形すればいい。
左手の中で、破片は結晶の大剣として再誕した。
俺は、笑う。
「よし、来い」
「―――いいだろう。では、受けてみろ」
男が、拳を振るった。
男の眼前の空気が、歪んだ。サハスラーラチャクラが、それを衝撃波だと看破した。俺は剣をクロスさせて備える。
激突。俺は二つの大剣を交差させて振るった。
「うぉぉおおおおおおおおおおおぁあああああああああああ!」
俺は雄たけびを上げる。二振りの大剣の前に立ちはだかる、壁のような衝撃波。直接食らえば塵も残るまい。俺は足が地面をえぐるほど強く踏ん張る。
「あぁぁぁぁああああああああああ!」
全力でぶつかる。魔法も、ヨーガも、全て使いこなす。
衝撃波を斥力で弱め、アジナーチャクラで衝撃波の脆い箇所を見つけ、鉄塊剣の重量を増大させ、結晶の大剣に魔力を込めて炸裂させ、アナハタチャクラで身体能力を超人並みに底上げし、サハスラーラチャクラですべての動きを最適化する。
「あああああああああ――――――!」
全力。文字通りの全力だった。この技は使わなくていいという余裕はここにはなかった。あらゆる全力を振り絞って、その衝撃波に対抗した。
勝ったのは、俺だった。
衝撃波が限界を迎えた。二つの大剣が、衝撃波を立ち割った。無数に分かたれた小さな衝撃波が俺の背後に広がって、まるで散弾めいた音を上げて木々を打ち砕いた。
周囲をちらと一瞥する。後方数十メートルにわたって、木屑と葉屑のみが地面に降り注ぐのを見る。
俺は、男に振り返って言った。
「化け物め」
男は、俺に向かって答えた。
「お前に言われたくはないな」
お互いに、武者震いするほどに闘争心が沸き立っているのを感じた。だが、これはあくまでも手合わせだ。どちらともなく、武器を下ろす。
「二つ名の通りだった。『ノロマ』のウェイド。『一目奴を見れば、世界の全てがノロマに見える』。故に『ノロマ』。―――瞬時に常人の数十年分強くなる武人など、見たこともない」
「お前だって十分な化け物だろ。武器もなし。魔法もなし。ただ腕力任せの拳を、触れもせずに振るわれるだけで死ぬと思うとは、思わなかった」
アジナーチャクラが断言している。今の攻撃は、ただの殴打だった。ただの殴打で、空気を殴り、衝撃波を発生させ、俺に死を覚悟させた。それが、異常でなくて何と言うのだ。
俺は、男に呼びかける。
「名前、教えてくれよ。俺だけ一方的に知られてるなんて、不公平だ」
「分かっているだろう。そこまで勘が悪いとは思えない」
「お前の口から聞きたいんだよ」
俺が催促すると、「仕方がない」と笑いながら、男はフードを脱いだ。
その下から現れたのは、精悍な青年の顔だった。どこか平凡で、しかし数多くの修羅場を潜り抜けてきただけの迫力を放っている。
「では、名乗らせてもらおう。―――俺の名は、シグ。『殴竜』シグ。カルディツァ領に、近日中に侵略戦争を仕掛ける殴竜軍の総大将だ」
俺はそれを聞いて、笑みを堪えられなくなる。これが、今回の敵。倒すべき最も強い相手。
殴竜は言う。
「『ノロマ』。お前とは、きっと戦争の最後にまた出会う。その時までに、どれほど強くなっているか。楽しみにしているぞ」
殴竜は踵を返す。そして足を軽く曲げ、猛烈な勢いで跳躍した。まるで小型のロケットでも飛び出したかのような土煙が上がる。
俺は、乾いた声で笑った。
「は、ハハ。―――こりゃあ、相当準備する必要があるぞ」
俺は鉄塊剣を手に取る。サハスラーラチャクラで再構築した所為か、まるで鏡のようにその刀身は綺麗になっている。
そして俺は、つい笑ってしまうのだ。
「何だ俺、その目」
俺は刀身越しに自らの瞳を見た。アジナーチャクラとは全く関係なく、俺の目は、ひどくギラギラと、輝いていた。
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