第180話 日常:朝

 早朝、というか深夜の街をモルルと散歩して戻ると、「ねむーい」と言ってモルルはアイスの部屋に戻って眠ってしまった。一方入れ違いに出てきたのはアイスだ。


「おはよう……っ。ウェイド、くん」


 引っ込み思案そうな口調で、しかし愛おしさを隠さずにアイスが俺を見て微笑む。俺は微笑み返して「おはよう、アイス」と手を取った。


「あ……っ、ふふ」


 俺に手を握られたのが嬉しかったのか、アイスは僅かに真っ白な頬を紅潮させて、指を絡めてきた。そして恥ずかしげに上目遣いで見上げてくる様子に、可愛いな、と思う。


「朝ごはん、作る、ね……っ」


「ああ。たまには手伝おうか?」


「……! うん……っ。一緒に、作ろ……っ?」


 心底嬉しそうにアイスは微笑んで、共に厨房に向かった。少しずつ空が明るくなり始める時間帯。アイスと俺以外起きていなくて、二人きりの甘い空気が漂っている。


 厨房に立つと、アイスは「じゃあ、何作ろっか……っ!」と張り切っているご様子。


「せっかくだから、料理、いっぱい作っちゃう……っ? ムサカとかザジキ、タラモサラタにギリシアサラダ、ゲミスタもいいし、ついでにスブラキも」


 怒涛のレパートリーすぎる。


「あ、アイス……? いやほら、朝だしさ。軽いの一品二品くらいあればいいんじゃないか? それに、俺の作り方分からない料理も結構あったし今」


 何なら聞いたこともないのがチラホラあった。ムサ……? ゲミス……?


 アイスは俺の意見に、しゅんとしてしまう。


「ご、ごめんね……っ? ウェイドくんと一緒にお料理なんて初めてだから、ま、舞い上がっちゃってた、かも……」


「いや、気持ちは分かるしそれは嬉しいんだけど、こう、朝から食べきれない量の料理が机いっぱいにあっても驚いちゃうからさ」


「そう、だよね……。じゃあ、ゆで卵だけに、しよっか……」


「振れ幅が極端」


 朝とはいえゆで卵だけズラっと並んでるのもキョトンとするだろう。


「ふつうにパンとかサラダとかに、後一品軽いの作ればいいんじゃないか。パイ系の凝った料理は昼用に仕込むくらいで」


 俺が提案すると、「うん……っ」とアイスは元気よくお返事だ。それから、じっと俺を見たかと思うと、急に背伸びして俺に軽くキスをして、言った。


「そ、その。忘れてた、から……っ。おはようの、キス……」


「……」


 危うく襲うところだった。






 アイスと一緒に料理を一通り終えたところで、大体全員がそろい始めて、朝ごはんと相成った。


 基本的に朝はみんな揃って食べる、という習慣を持つウェイドパーティの朝は騒がしく、子供二人がギャーギャー言い合い、お守りをするウィンディがボロボロになり、それを確認してから手の空いている誰かがそっと場を収めに掛かる、と言うのが習慣だった。


 そうして、楽しく騒がしく朝食を終え、ゆったりとした空気になった頃合いのことだった。


「ウェイド様。よろしいですかしら」


 俺に声をかけてきたのはリージュだった。「どうかしたか?」と聞くと、リージュは背筋を正して俺に言う。


「本日、お父様からご命令を受けましたので、しばらく領主邸にて過ごすことと相成りましたことを、ご報告いたしますわ。一度だけウィンディと共にまた戻って来ますので、その際にお父様からの伝言をお伝えいたします」


「……分かった。段取り通りだし、問題ない。ついでにモルルも連れてって貰えるんだよな?」


 俺が言うと、モルルが「えぇ~、いつまで~?」と不服そうに言う。俺はその頭を撫でて「一通り片付くまでな」と肩を竦めた。


 リージュは畏まって答える。


「はい、その通りですわ。カルディツァ内では、領主邸が最も安全な場所。モルルもそこにいるのが適切と存じます」


「ああ、よろしくな。モルルも、いい子にしてるんだぞ」


「む~……分かった、いい子にしてる」


「お、おお。随分すんなり頷くんだな。もうちょっとごねるかと思った」


「……朝、遊んでもらったもん。もう、これ以上のわがままは言わないもん」


「―――うん。偉いぞ」


 俺は頭を撫でる。モルルは少し涙目になっているが、俺の撫でる手をしばらく自分の手で押さえつけて、それからリージュの後ろに隠れてしまった。


 俺はウィンディに声をかける。


「ウィンディ、よろしく頼むぞ。シャドミラが出るまでもないくらいには頑張ってくれ。まぁそんなことにはしないつもりだけど」


「仰せのままに、ウェイド様」


 仰々しく腰を折って、ウィンディはリージュとモルルの手を取った。これから準備をして、もう出るという事なのだろう。


 そう思っていると、アレクからも声をかけられる。


「ウェイド。俺も少しパーティハウスから離れることにした。この通り、俺は無力な一般人なもんでな」


「アレクが一般人なら俺だって一般人だろ」


「カッカッカ、それは無理があるっての。ま、そういうことだからよ。しばらく見ないと思っても、心配してくれるな。俺は元気にやってるさ」


「アレクはむしろ、俺たちを心配する側って感じがするけどな」


「お前らはなぁ~、頼もしくない訳じゃないんだが、色々抱えすぎるからなぁ~」


 言いながら、ワシワシとアレクは俺の頭を撫でた。兄貴分らしい行動が、何とも今は心地いい。


「いいか、よく覚えておけよ」


 アレクは言う。


「お前らは本当に強くなった。だが、それは死の危険が遠ざかったわけじゃない。英雄ですら殺す方法はごまんとある。そして英雄同士の殺し合いは、普通の戦闘同様にどちらも死に得る戦いになる」


「ああ。肝に銘じる。油断は、しない」


「ああ、そうしろ。……達者でな」


 アレクはすでに荷物をまとめていたらしく、そのまま玄関へと向かう。その最中に、パーティメンバーたちがそっとアレクに一言告げた。その内容を、俺は聞かないでおくことにした。


 それから少しして、モルル、リージュ、ウィンディも領主邸へと向かい、パーティメンバーだけが残されることになった。9人から、5人へ。約半数が消えたと思うと、随分寂しくなったな、と思う。


 俺はしばらく沈黙の中に考えを巡らせ、それからソファーから起き上がった。


「ウェイド君、どこへ行くんだい?」


 クレイの問いに、俺は「ちょっと買い物にな」と返す。するとそこで、「あ、じゃあ私も。一緒に金の剣の冒険者証貰お?」とトキシィが立ち上がる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る