第175話 変幻自在

 フレインを拉致しに来た、とレベリオンフレイムのねぐらを訪ねたら、寝ぼけたフレインがお姫様抱っこで運ばれてきた。


 そして地面に投げ出される。


「んごっ。……!? 何だ、クソ、いてぇ……」


 投げ出した側のフレインの仲間は、鼻息たっぷりに満足そうだ。大柄で禿頭。縦にも横にも長い筋肉の塊のような人が、「我らがリーダーは窮地に強い。好きに使ってくれ」と奥に引っ込んでいってしまった。フレインが紹介を省いた三人の内の一人だ。


「……ムティーに対するピリアの扱いも雑だったけど、もしかして普通のパーティのリーダーってこんなものなのかな」


「分かんないけど、俺がみんなにこんな扱いされたらちょっと泣いちゃうな」


「しないよ~!」


「……眠ってるところを叩き起こしといて、要件も伝えずにいちゃつき始めるわけか、お前らは」


 そしてフレインは、心底不機嫌そうな目で、トキシィに抱き着かれる俺を睨んできた。


 俺はフレインに手を差し出しつつ、笑いかける。


「フレイン。変幻自在に人質付きでケンカ売られたから、買いに行くぞ」


 俺が差し出した手を振り払って、フレインは自力で立ち上がる。それから、俺を睨みつけながら言った。


「オレが疲れてるって話は、昼間にしたな?」


「聞いた」


「その上で明日ではなく今日、オレを連れていくと」


「そうだ」


「……分かってるならいい。人質は」


 フレインは不承不承頷いた。ついて来てくれるらしい。


「俺の親父」


「親父ぃ? ……そういやウェイド、お前の親父もナイトファーザー関係者だったな」


「も、って何だよ」


 俺が問い返すと、フレインは言う。


「オレの親父はナイトファーザーのボスだ」


「は?」


「まぁいい。嫁の一人とか答えたら付き合わないつもりだったが、親父となると他人事に思えねぇ。オレも付き合ってやる」


「ははっ。フレイン、お前も大概面倒見がいいよな」


「抜かせ」






 そんな訳で、俺たち三人でスラムの廃墟街の方に向かう。


 前回通り、廃墟街は実に空虚で、人もいない、瓦礫ばかりの廃れた区域だった。まるで砂漠の遺跡のようだ。広大なカルディツァだから、こんな区域があっても他の区域だけで十分生活していけるのだろう。


「何でこんなことになったんだろうな、この辺り」


「お父さんが、昔言ってた気がする。何だったっけ。昔神罰がこの辺り一帯を、うんぬん……」


「良く知ってるじゃねぇか、トキシィ。厳密にいうなら、傀儡子が変幻自在に異形の魔法を埋め込んで、神罰が下ったんだ。だが、変幻自在は生き残った。それ以来、ナイトファーザーは誰も敵わないカルディツァ一の悪党の巣窟になったんだ」


 身内のこと、という口調で語るフレインに、俺たちは口をつぐむ。変幻自在。不気味な男だと思っていたが、本当に底が知れない。


「フレイン、どういう敵なんだ、変幻自在ってのは」


「その名の通りだ。あらゆる全てを起こす、変幻自在の魔法使い。ナイトファーザー最強の男は間違いなく奴だ」


「……随分と確信があるんだな。断言とは」


 俺が言うと、「実績があるんだよ」とフレインは息を吐く。


「昔、カルディツァのこの辺りに、他の街から移ってきたギャングたちがいた。そいつらはナイトファーザーのシノギを乗っ取ろうとしたんだな。それに、変幻自在が動いた」


「……それで」


 フレインは、口をへの字にして手を広げて。


「地獄絵図だ。変幻自在の訳わからん魔法が、新参者たちを血祭りにあげた。あんな細腕で、いとも容易く人間を千切っていく姿は異様だった」


「とりあえず、ヤバいのは分かった」


「千切るって。こわぁ……」


 俺たちは話しながら進む。油断しているように見えて、警戒は常にしていた。俺は第二の瞳、アジナー・チャクラを起動状態で歩く。周囲百メートルにあたって、俺たちに意識を向ける存在はいなかった。


 日は少しずつ傾き、いつしか夕方になっている。赤々と差し込む日差しは、終わりを思わせる。落陽。斜陽。ナイトファーザーという夜のない帝国が、ついに終わろうとしている。


 そして、その場所に着いた。


 だだっ広い場所だった。周囲には廃墟が立ち並んでいるが、ここにはない。元々広場だったのだろう。そしてその中心には、人影が一つ。


「おう。来たな」


 葉巻を吸いながらそこに立っていたのは、裕福そうな服を身にまとった、白髪交じりの中年だった。


 それに答えたのは、フレインだ。


「よう、親父。久しぶりだな」


「ん? ははは! フレインもいるとはな。だが、一人で来いと書かれていたと聞いたが」


 とぼけたように、快活に奴は笑う。まるで雑談をしているかのように。ナイトファーザーのボス。フレインの父親。


 俺は睨みつけて言う。


「素直に言うことを聞くとでも思ったか?」


「くくくっ。人質にそこまでの価値はなかったか? となれば、情報だけ与えちまったことになるなぁ。え? 変幻自在」


 奥の小屋から、変幻自在に引きずられて、血まみれの親父が出てくる。その姿はボロボロで、見る影もなかった。


「ぅぇ、ぃど……。来て、くれた、のか……」


 それだけで感極まったように、親父は涙をこぼした。俺はそれにどんな顔をすればいいか分からず、眉根を寄せる。


「ウェイド。怒っていいんだよ」


 それに、トキシィが俺に言ってくれた。思い出す。親として、子として、俺は遺憾ながらクソ親父を愛してしまっているのだ。


 ならば、その通りに振舞えばいい。


「人の親父に、随分な仕打ちをしてくれたみたいだな」


 俺がタンカを切ると、ナイトファーザーのボスも、親父も、目を丸くした。


「……何だか、聞いてた話と違うな。ウェイド、だったか。お前はこのだらしねぇクソ親父に、随分な仕打ちを受けたと聞いていた。性根はともかく、面と向かってそんなことを言うとは思ってなかったぜ」


「うるせぇ。もう、俺は、クソ親父に面倒くさい態度を取るのはやめたんだよ」


 俺は親父を指さす。そして言った。


「親父を返せ。要求に従ってやる。だが、勝つのは俺たちだ。覚悟しろ」


 俺が言うと、ナイトファーザーのボスは言葉を失ったようにポカンとした。それから、カラカラと高笑いをする。


「いいぜ? なら―――」


 ナイトファーザーのボスは、ニヤリと笑って口を開いた。そうして、俺たちに要求を突き付ける。


 その寸前で、親父が口を開いた。


「ボス、やっぱり、やめにしましょう。何だか、恥ずかしくなってきちまいました」


「……やめんのか? まぁ、お前がいいならいいけどよ」


「は?」


 親父は、まるで最初から拘束などされていなかった、というように立ち上がる。変幻自在は親父に簡単に押しのけられて、抑え込もうとすらしない。


「な、何だ? どういうことだ?」


「―――ウェイド。立派になったな。本当に立派になった。すげぇよ、お前は。めちゃくちゃな俺の下から飛び出して、冒険者になって、一年弱。まさか、こんなに早くなんてよ」


「は? ……並ばれる?」


 親父を覆っていた血が、見る見る内になくなっていく。それどころか、親父の体型が少しずつ変わっていくように見える。今までの肥満体など嘘のように、達磨のような筋肉が、親父を覆い始める。


「俺はよ、ナイトファーザーの終わりに、退職金代わりにボスに求めたんだ。『一芝居打ってくれ。足を洗うのを手伝ってくれ』ってよ。だが、お前のその立派な姿を見てたら、恥ずかしくなってきちまった」


「何、言ってんだよ、親父。何が、どうなって」


「だから、俺ももう嘘はやめにする。ダメな親父だったが、卑怯者のクズには成り下がらねぇ。正面からお前にぶつかる。だから叩きのめして、裁いてくれ」


 親父は、自分のボロボロの服を鷲掴みにして、一息にはぎ取った。


 その下から現れたのは、おびただしい量の魔法印だった。筋骨隆々な身体の、全てを覆う魔法印。だがそれは、一つの属性ではなかった。無数の属性の魔法印が、雑多に、お互いを侵食し合うように刻まれている。


 そしてその首元には、


「ウェイド、お前を金の松明の冒険者と見込んで、名乗らせてもらう」


 親父は、変幻自在と思われていた真っ白な男の胴体に腕を突っ込んで、禍々しい剣を抜き出した。真っ白でヒョロヒョロの男は、霧となって消えていく。


「金の剣の冒険者。傀儡子の最高傑作にして、最悪の失敗作。継ぎ接ぎの神。ナイトファーザー・ボス直轄戦闘部隊隊長」


 そして親父は剣を肩に乗せ、左手を大きく前に出す形で構えた。


「―――『変幻自在』、ウェルド」


「親父……!」


 俺は瞠目して、しかしこれまでで培った経験が、動揺の中でも剣を握らせた。


 それを見て、僅かに親父は笑う。


「ウェイド、お前に挑む。その成長を、見せてくれ」


 親父は、いつものだらしない男の顔を捨て、戦士の顔でそう言った。

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