第174話 行方

 玄関に出たトキシィが受け取ったのは、真っ赤に汚れた手紙のようだった。


「……ウェイド、これ」


「見せてくれるか」


 封蝋は、どす黒い血を思わせるものだ。模様をどこかで見たことがあると思って、ナイトファーザーの施設にたまに刻まれていたようなことを思い出す。


 ついに居場所がバレたか。しかし、今更だろう。そう思いながら開くと、中から手紙と丸のついた地図、そして耳が入っていた。


 切り落とされた、耳。


「ウェイド、これ」


「落ち着こう。ウチのメンバーとは考えにくい。まずは内容を読んでからだ」


 俺は二つ折りにされていた手紙を開く。内容は簡素だ。


『裏切り者には制裁を。ただし、敵の首につながるならば、生かす価値もある。

一人で来い、ウェイド。お前の父が待っているぞ。

「変幻自在」』


「……」


 俺は耳を見る。言われてみれば、見覚えがあるかもしれないと思う。


 クソ親父。その耳。


「ウェイドのお父さん、だけどね」


 トキシィは、手紙の『裏切り者』のくだりを指さしながら言う。


「ウェイドが倒れた時に、私が燕の居場所を聞きに行ったら、教えてくれたの。私、ウェイドが倒れた時、思わずウェイドって叫んじゃったでしょ? それが、回りまわって、知っちゃったんだって」


「それで、裏切り者、か」


 親父がトキシィに燕の居場所を教え、見事トキシィは燕を撃破した。だから、親父は裏切り者として処罰されることになった。


 ……俺を、助けるために。


 俺は、手紙を置く。それから、トキシィに言った。


「少し、散歩に行ってくる」


「ウェイド、ダメ」


「……本当に散歩だ。あんなクソ親父のために、こんな見え見えのワナを踏む気はないよ」


 俺が笑いかけると、トキシィは辛そうに口を引き結び、それから言った。


「なら、一緒に行くから」


「……分かった」


 俺に断る言い訳はない。だから頷いた。事実、クソ親父のためなんかに、無我夢中で助けに行こうなんて考えは、俺の中にさらさらなかった。


 そうして、俺たち二人は、揃って散歩に出かけた。道中では、会話はなかった。ただ黙って、足の向くままに歩いた。


 いつの間にか、親父の家についていた。


「ウェイド……」


「少し、覗くだけだ。そもそも、あの手紙が嘘だったら何をしても間抜けだろ?」


 足を踏み入れる。その時点で、鉄臭いにおいには気付いていた。


「……」


「これ、うそ……」


 リビングは、血まみれだった。親父はあの通り肥満体で、ろくに動ける身体じゃない。僅かな抵抗の跡が少しあるだけで、ほとんど一方的な拘束だったのだろう。


 その中でもひどかったのが、紐がいくつか括りつけられた椅子だった。不自然に座る部分だけ血が飛んでいない。きっと、ここに座らされて、ひどい目に遭わされたのだ。


 俺は無言で、その椅子に腰を下ろした。それから、目を瞑る。


「……なぁ、トキシィ。俺さ、分からないんだ」


 俯いて、俺は問いかける。何だかだるくて、力が入らない。


「何……? ウェイド」


「……俺、あのクソ親父から、虐待を受けたって話、したよな」


「うん……」


「ずっと、憎いと思ってたんだ。会いたくもない。思い出したくもない。出来ることなら、死んじまえって、殺してやるって、何度も思った」


「うん」


「なのに、何でなんだろうな」


 俺は唇をかむ。


「こんな時になって思い出すのは、最近のことばっかりなんだ。機嫌の良さそうな、親父の顔ばっかり。許してないんだ。何度も暴力を振るわれて、殺されかけて。絶対に許さないって誓ったんだ。なのに、今、俺は親父が殺されたらどうしようって、考えてる」


 手が、震えている。憎んでいるのに、クソ親父の身を案じて、涙がこぼれる。俺は俺が分からなかった。憎んでいると思っていた。なのに、何故こんなにも恐ろしい。


「俺は、反抗的な息子だった。良い息子じゃなかった。なのに、最近の親父は、ずっと優しくしてくれた。そんな風に思うんだ。それが正しくないって思うのに、俺は、そう思っちゃうんだよ」


 俺は、訳も分からず震えていた。憎む相手が死に瀕している。そこに恐怖はないはずだった。なのに俺は恐怖していた。心底、内臓が震えるほどに、怖かった。


 それを、トキシィは抱きしめてくれた。俺は縋りつくように、トキシィを抱き返す。


「無償の愛なんて知らない。親父は、俺をろくに養いもせず、働かせるだけ働かせた」


「うん」


「最近のそれこれだって、ずっとそれが目的なんだと思ってたんだ。生活が苦しくて、また俺を見付け出して、骨の髄までしゃぶりつくすつもりなんだと思った」


「うん」


「……なのに、親父は、俺に聞いたんだ。『ちゃんと飯食えてるのか?』って。おかしいじゃんか。まるで、そんな、俺のことを、愛してるみたいな」


 ボロボロと、俺の目から涙がこぼれ落ちる。ぶつけどころのない力を、トキシィの服を強く握りしめることで、どうにか誤魔化すしかない。


「俺、分からないんだ。自分のことが。憎んでるはずなのに、死んじまえって願ったほどなのに、怖いんだ。クソ親父が死んだら、どうしようって……!」


 震える俺を、トキシィは抱きしめる。そして、言った。


「ウェイド、私はね、分かるよ。ウェイドの、その気持ち」


「え……?」


 俺は顔を上げる。トキシィは、俺の頭を深く自らの胸にうずめさせる。


「私も、お父さんを失った時、本当に悲しかった。私も反抗期だったから、お父さんのこと、ちゃんと好きだなんて思ってなかった。けど、私の毒魔法で本当に悩んでくれてるのを見て、その挙句死なせちゃって、私は、足元が崩れ落ちるような気持ちになった」


 私ね、思うんだ。トキシィは言う。


「さっき、ウェイドは無償の愛って言ったよね。親から子に。そういう意味で」


「うん……」


「でもね、私は違うと思うの。本当の無償の愛は、多分、子供から親へ向かうものだって思うんだよ」


「え……?」


「だって」


 トキシィは、俺の目を覗き込んでくる。


「ひどい親はいる。話に聞く、昔のウェイドのお父さんは、ひどい親だった。これは、間違いないんだよ。なのに、それをどうでもいいとは、子供は思えない」


 俺は硬直する。トキシィは、熱心に続けた。


「愛したから、裏切りを憎いと思うんだよ。愛しているから、応えてもらえないと恨んじゃうんだよ。愛ってそういうもの。嫌いだからサヨウナラ、ができないの」


 それにきっと、ウェイドは簡単に許しちゃう。トキシィは言った。


「憎むことはあっても、どうでもいいとは思えない。優しくされたら許しちゃうし、憎んでいても相手にいいことがあれば、自分事のように嬉しい」


 覚え、ない? トキシィに問われて、俺は親父が職に就いたと聞いた時のことを思い出す。


 ―――そうか。俺は、こんな小さなことも、ちゃんと覚えてしまっていたのか。


「……分からない。でも引っかかるような、気がした。他の人なら聞き流すようなことを、親父の口から聞いたら、引っかかるような感じが」


「親が子供を愛してくれるとは限らない。親は子供を愛するものだって言うけど、多分、本質は真逆だよ。親が私たちを愛するんじゃない。私たちが、親を愛してるの」


「……」


 俺は沈黙する。様々な事を考える。それから、言った。


「モルルも、そうなのかな」


「そうだよ。孵化してからモルル、ウェイドに気付いて、何て言った?」


「パパ、って」


「ふふっ……。言いそう。モルル、頭いいから、すぐに喋り出しちゃったし。でも、そういうことだよ。モルルは、ウェイドを一目見て愛したの。この人が自分の親だって」


 俺は、段々腑に落ちてくる。俺はモルルを一目見て、抱きしめなんてしなかった。興奮はしていたけれど、その前にリスクを恐れて首輪で支配した。


 だが、モルルは真っ先に俺に気付いて、全力で抱き着いてきたのだ。


「……俺は、クソ親父のことを、愛してたんだな」


「そうだよ。じゃなきゃ、あんなにぶっきらぼうに誰かに接することないでしょ」


「はは、そうだな。……そっか。そう言うことだったのか」


 憎むのも、嫌うのも、愛しているからだ。ただの敵を憎みはしないし、嫌いもしない。淡々と排除するだけだ。けれど、親だったからそうできなかった。俺が、親父に無償の愛を向けていたから。


「気持ち悪い話だな。笑うしかないって、こんなの」


「そうだね。反抗期の私たちからすれば、気持ち悪くって仕方ないよ」


 俺は、深く深くため息をついて、それからトキシィの手を解いて立ち上がった。


「それで、どうするの? ウェイド」


「決まってる。助けに行くんだよ」


「一人で?」


「そんな訳ない。トキシィも連れてくし、フレインも適当に引きずってく。他はまぁ、休ませてやろうぜ」


「相変わらずフレイン好きだよね~ウェイド」


「好きじゃない。困らせてやりたいだけだ」


「それ好き以外のどんな感情なの?」


「……やっぱ好きかもしれん」


「あははっ。フレイン絶対迷惑そうな顔するよ」


「だろうな」


 俺たちは笑い合う。それから俺は、第二の瞳、アジナー・チャクラをそっと起動して、この場に残る情報の残滓を汲み取った。


 持ってきていた手紙同封の地図を広げる。そして、この場から出ていった変幻自在の気配の後を追う。スラムの奥。廃墟街。地図の目印とも一致する。


 敵も戦闘が起こることを想定してか、派手に暴れられる場所選んだという訳らしい。俺は口端を持ち上げ、ほくそ笑む。


「よし、あのクソ親父に、『何心配させてんだ』って怒鳴りに行こう」


「うんっ」


 俺とトキシィは、家から飛び出した。

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