第161話 暗雲

 トキシィはウェイドを連れて、パーティハウスに戻っていた。


「嘘……」


 アイスが、瞠目して動かなくなった。クレイも、サンドラも、信じられないものを見る目で、血まみれで意識を失うウェイドを見ている。


 ウェイドをそっとソファに寝かせて、トキシィは言った。


「治療は済んである。心臓の切れ目は縫ったし、他の縫合も済んだ。抗生物質も。だから、いつ死んでもおかしくない状態だけは、避けたよ」


 言いながら、手が震えるのが分かった。トキシィは唇を噛み、それから、堪えきれなくなって話し始める。


「守れなかった……。私、強くなったのに、ウェイドが死にかけるのを、目の前で見てるしかなかった。動けなかった……! 間に合わなかった……!」


 また、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。拭っても拭っても、涙は止まらない。


「トキシィさん。ひとまず、落ち着こう。ナイトファーザーの件だよね。……何があったんだい?」


 クレイに質問され、トキシィはしゃくりあげながら説明する。


「敵の幹部の一人と、戦ってたの。ウェイドが終始優勢だったのに、もう一人の幹部が現れて、みんな驚いて、……その隙を突かれて」


「……なるほど。いや、まさかだな。ウェイド君が負けるような敵が現れるなんて」


 そこで、サンドラが首を振る。


「そんな訳ない。ウェイドが普通に負けるなんておかしい。だって、アナハタ・チャクラはそんな生易しいものじゃない。塵になっても復活する、そういう魔」


 つまり、とサンドラは言う。


「何か、仕掛けがある。トキシィ、覚えはない? 敵が、どんな手を使ったか、とか」


「……」


 トキシィは思い出す。刀。何かを唱えて、それまで使われなかった刀は抜刀された。警句。違う。それは重要な情報ではない。確か―――


「呪われた勝利の十三振り」


 トキシィが言うと、クレイとサンドラが瞠目した。「そんな」「まさか」と言葉を失う。


「クレイ、くん。サンドラ、ちゃん。……呪われた勝利の十三振りって、何……?」


「……アーティファクトだよ。非常に強力な、ね。過去に勇者が使った剣が聖剣と呼ばれたりもするけれど、威力としてはそれらと同等の力を発揮する。ただ、ちょっと妙な剣でね」


 アイスの問いに、クレイは答える。それから一拍おいて、こう続けた。


「聖剣は遣い手を選ぶとされる。一方で、呪われた勝利の十三振りは基本的に遣い手を選ばない。その代わりに、命や、幸せといったものを奪う。そうして、絶大な力を発揮するんだ」


「両親の昔の仲間で、持っていた人を知ってる」


 サンドラが語り始める。


「その人は、剣を抜くたびに怒りで我を忘れて、周囲1キロに居るあらゆる生物を殺すまで止まれなかった。仲間も同じく皆殺し。報復に向かった人も全員死んだし、街もいくつか滅んだ。その人、最後には首をくくって死んだ」


 肝の底が冷えるような話だった。だが、この話はこうも言い換えられる。つまりは、と。


「呪われた勝利の十三振りには特徴がある。詳しいことは分からないけれど、もしかしたらアレクさんなら」


「呼んだかー?」


 呑気な声で、アレクは玄関から帰ってきた。そして、ウェイドの惨状を見て目を剥く。


「は? おいおいおい! ダンジョン以外で、この街にはもうウェイドに勝てるような奴、いなかったはずだろ! どうなってやがる」


「……ちょうどいい。アレクさん、呪われた勝利の十三振り、って知ってますか」


 クレイの確認に、アレクが眉を顰める。


「何でその話が出る。何だ。もしかしてウェイドは、それで斬られたってのか」


 トキシィが無言で頷くと、アレクはトキシィに近づいてくる。


「銘、覚えてるか」


「え……?」


「剣の名前だ。警句でもいい。剣か刀かでも情報としては有用だ」


 トキシィは、ウェイドが斬られたことでほとんどあの場の記憶は飛んでいた。しかしそれでも、警句だけは不思議に覚えていた。


「……奴隷の手による死が、ふさわしいって」


「ムラマサか。なら、辛うじて


 アレクの断言に、トキシィは僅かに肩の荷が下ろされるような思いをした。


 アレクはウェイドの傍に寄る。自然と、全員がアレクを中心に集まった。


「いいか。ウェイドがやられたのは、妖刀ムラマサという刀だ。別名奴隷刀。遣い手は悲惨で救いのない生涯を歩んだ奴がなる。呪われた勝利の十三振りの中では唯一遣い手を選ぶ刀だ。ただし聖剣の真反対な性質から、呪われた勝利の十三振りとして数えられる」


 アレクは、思い出すように僅かに視線を彷徨わせて続ける。


「性質は英雄殺し、王殺し。身分や才能、そう言った過剰な運命を背負った奴を殺すことに特化した刀だ」


「運命、って……?」


「ああ、悪いな。説明が抜けてた。俺が今言う運命ってのは、ざっくり言うと『あればあるほど特別な奴になれる何か』だ。幸運ではない。しいて言うなら、波乱好きな創造主の寵愛って言ったところか」


 アイスの問いに答えつつ、アレクは寝たきりのウェイドの服をめくった。刀に裂かれた傷を露出する。トキシィが縫合済みだが、それでも痛々しい。


「運命ってのがあればあるほど、困難にぶつかり、そして乗り越え名声を得る。英雄の資質って奴だ。心当たりあるだろ? ウェイドの傍にいれば、何故か面倒ごとが起こるし、ウェイドがそれを乗り越えて何か大きなものを得て帰ってくる」


 それを言われ、メンバーの4人全員が口を噤んだ。確かに、言われてみれば異常なほど常に何かが起こっていた。ナイトファーザー、ドラゴン、ウィンディ、イオスナイト、そして今。


「ウェイドは才能もそうだが、運命量が異常なくらいにある。正真正銘、英雄の器だったんだ。貴族みたいに高い身分に生まれても運命量ってのは高い傾向にある。そう言う奴の運命を啜って殺すのがムラマサだ。だから王殺しで、英雄殺しなんだ」


 言いながら、アレクはウェイドの傷に触れた。そして、何かに弾かれたように手を引っ込める。アレクは、舌を打った。


「呪われてやがる。そりゃ復活できねぇわけだ」


「どういう、こと……?」


「端的に言えば、ウェイドの運命が、ムラマサに吸われ続ける状態になってる。ウェイドほどの才能なら、不死身の特性を取り戻してそろそろ起きないもんかと思ったんだが、そうもいかないらしい。……というか、運命が枯渇せず、まだ死なずに耐えてるのが異常だ。何だこいつ」


 そこで、サンドラが目を細めて聞く。


「呪いを解くには、ムラマサをへし折ればいい?」


「へし折るのじゃダメだ。ムラマサでウェイドをやった遣い手を斬る必要がある。そうすれば呪いは解けるが―――」


 アレクは、トキシィたちを見た。


「サンドラ、行くなよ。クレイもだ。お前らは行っても負ける」


「ッ!? 何で!」


「それはッ! ……いえ、理由を教えてください」


 珍しく感情を露わにするサンドラ。一方で、クレイはこんな時だからか努めて感情を押さえようとしている。


「理由は単純だ。サンドラ、お前はウェイドと同じ理由で負ける。……お前、もう英雄なんだよ。恵まれた生まれ、恵まれた才能。恵まれた縁、そして実力。全部揃ってる。だからお前はムラマサに勝てない。むしろ運命を奪われ、強くしちまうだろうな」


「……ッ!」


 サンドラは、悔しそうに顔をして自分の膝を叩く。アレクはクレイへと向かった。


「クレイも同じような理由だ。貴族だろ。サンドラほどの才能はお前にはないが、その分身分がいい。お前も同様に負ける」


「わたしは、どうです、か……ッ! 直接戦う訳じゃない、から、負けることは、ないと思い、ます……!」


 アイスの必死の訴えに、アレクは言った。


「微妙だな。というか、金等級以上ってのがまずもって、ムラマサに対して相性が悪いんだ。アイスなら悪い状況にはつながらないだろうが、そもそもアイスの魔法は優れた個人に対する戦闘能力に欠ける。今のムラマサの遣い手は、ウェイドの運命を吸って恐ろしく強いはずだ。勝てるか?」


「状況が悪くならないなら、勝てなくても、むかわせ、ます……!」


「……そうだな」


 だが、それでは打開策がないことになる。トキシィも金等級だ。ムラマサに対して相性が悪い。きっと負けてしまうだろう。


 だが。


 トキシィは血が出るほど強く拳を握りしめる。


「私は行くよ、アレク」


 静かに呟いた言葉が、この場に響いた。


「私が死ぬのなんかどうでもいい。ウェイドは、私が守れなかったの。だから、私が行く。ウェイドをこんなにした敵を、『燕』を、殺す」


 握りしめる拳の中で、爪が皮膚を食い破り、血がこぼれた。だが、痛みを感じない。激情がトキシィの中で荒れ狂っていて、何も感じられない。


 そんなトキシィの様子に、クレイもサンドラも触発された。二人はアレクを見て、口を開きかける。


 そこで、アレクは言った。


「そうだ! トキシィ、確かにお前なら、何とかなるかもしれん」


「……え?」

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