第160話 燕

 燕という鳥は、自由自在に空を飛ぶ。


 低空飛行、からの急上昇、からの急降下。燕は飛びたいように飛び、その速度は目にも止まらないほどに速い。


 この剣客の『燕』は、改めてみればなるほど、その通りの戦い方をする男だった。


 ―――体勢を低くした燕は、一瞬にして俺に距離を詰めた。


 その速度は、結晶城の兵士のようだった。イオスナイトよりは少し遅いくらい。要するに、金等級になる以前の俺では、ほとんど未経験で、対応できないような速度だった。


 だから、言うなれば。


 俺が、心の中で『おお、速いな』と感じられる程度の速さだったとも言える。


ブラフマン


 俺はアナハタ・チャクラを起動させて、身体能力を上げてから、結晶剣を振るった。太刀筋としてはさして褒められたものではないだろう。だが燕はカウンターを入れられるとは思っていない。


「ッ!?」


 燕は俺の切りかかりを受けて、咄嗟に高く跳躍した。上手い、と思う。体勢を低くすれば、そこを狙って攻撃するしかない。そして低い軌道で攻撃されれば、高く跳躍すれば躱せてしまう訳だ。


「存外速い。けど、貰うよ」


 跳躍し、上から俺に襲い掛かってくる燕。俺はニッと笑ってこう返した。


「いいぜ。一本とは言わず、全部やるよ」


 俺は指を下に振る。天井に貼り付けられていた剣が、全て地面目がけて突き刺さる。


「ッ!?」


 だが、それも燕は避けた。やるな、と思う。しなやかな体つきと感じたのは、実に的を射ていたようだ。これだけの攻撃を、まさか避けきるとは。


「何だ? 君は一体」


「おいおい俺のこと忘れちゃあ困るぜ!」


 そこに、カドラスが合わせに入った。双剣で切りかかる。燕は涼しい顔で、素手で、その一閃を受け流した。


「君にはもう、あまり興味がないよ」


「とか言ってよ! お前だって有効打は入れられねぇじゃねぇか!」


 燕の蹴りをカドラスは受け流し、手数で圧倒しようとする。しかし燕はカドラスよりもいくらか速い。結果、受け流しに長けた両者がお互いの攻撃を捌き合う状況が出来上がる。


 そこで、俺は違和感を覚えるのだ。燕が佩いているその刀。


 何故、抜こうとしない?


「……」


 僅かに考えるが、今は情報が足りない、と割り切ることにした。俺は油断を誘っての奇襲が、金等級には効かないことが何となくわかってきたので、普段通りの戦いをすることにする。


 すなわち、基礎に重力魔法での徒手空拳を据え、さらなる手数の追加として鉄塊剣、結晶剣の浮遊攻撃を加える形に。


 構えを取る。タイミングを見計らう。息を吸う。


 そして、集中をかけ直すように、口にした。


ブラフマン


 第二の心臓が鼓動する。さぁ、仕掛けるぞ。


「君は邪、―――ッ?」


 俺の殺気に反応して、燕はこっちに振り向いた。だが遅い。俺はすでに燕の懐に入り込んでいる。


「―――クッ!」


 俺の加重アッパーを、寸でのところで燕は避けた。「今の避けるとはやるな!」と叫びながら、俺はさらに拳や足で殴り掛かる。


「っ、き、君ッ! 剣はブラフで、徒手空拳で戦うタイプの遣い手か!」


「ハハハハッ! 見くびるなよ! もちろん、それだけじゃない!」


「ッ!?」


 ひとりでに踊り出す数々の剣が、燕に襲い掛かる。だが俺自身の追撃の手も緩めない。


 詰める。


 アッパー。躱される。結晶剣、躱される。ストレート、躱される。結晶剣、躱される。フックと結晶剣のコンボ、躱される。ジャブをフェイントに結晶剣×2のコンボ、かする。結晶剣をフェイントにしたワンツーコンボ、かする。鉄塊剣からの足払い、当たった。


 俺は足払いで転んだ燕に蹴りをお見舞いする。燕は両腕で防ぐが、手のへし折れる感触があった。吹っ飛ぶ。そこに結晶剣と鉄塊剣を殺到させる。


 だが燕はそれでも回避した。壁に剣の数々が突き刺さる。身を翻した燕が俺に肉薄する。からの跳躍。天井を蹴り、上から燕は強襲を仕掛けてくる。


 俺は言った。


「フレイン、シルヴィア、出番だぜ」


 俺への攻撃が、シルヴィアの鉄盾に封じられた。燕は瞬間戸惑い、そこに意識の空白が生まれる。


 直後窓が割れ、燕は空中で横に吹き飛んだ。「ガ、ァ……!」と呻く奴の横腹に、炎の焦げ跡が肉をえぐるように出来ている。フレインの超遠距離狙撃が刺さったのだ。


「んだよ、こんなもんか。トキシィが出るまでもなかったな」


「っていうか、逃げもしなければ動きが遅くなるタイミングもないから、私が噛むタイミングまったくなかったんだけど~!」


 入口の方からトキシィが現れる。燕が窮地を悟って逃げ出した時のために、控えさせておいたのだ。だが、過剰な備えだったか。


 俺たちは、燕を見下ろす。燕は俺たちを睨みつけつつも、苦しそうに歯を食いしばっている。


 金等級というからかなり期待していたのだが、これではウィンディの方が少し強いのではないか。俺は訝しみながら、燕に声をかけた。


「これだけか? 他に、何もないのか」


「……君、強い、ね。見誤ったよ。素早さでは負ける気がしないでいたのに、君に手数で押し負けた」


「一人で来るからだろ。一対一ならもう少し目が合った」


「はは……。そうかもね。まさか、英雄級が敵にいるとは、思わなかった。……君相手なら、この刀も抜けるのかな」


 燕は俺を睨みつけて言う。その瞳は死んでいない。だが、立ち上がるのも難しい様子だった。フレインの狙撃は、見事深くまで突き刺さっていたらしい。


 ……これ以上何かを期待して、警戒ついでに遠巻きに見ても何もないか。


 十数秒、様子を窺うように眺めていたが、燕に動きはなかった。俺は息を吐いて「拘束しよう。新しい情報を吐くかもしれない」とみんなに声をかける。


 そのとき、真っ白な手が俺の手を掴んだ。


 『変幻自在』だった。


「はっ?」


 俺は数秒の間、何が起こっているか分からなくなった。似顔絵で見た、ヒョロヒョロで、病的に白い男が、俺の手を掴んでいる。その脈絡のなさが、俺を忘我させた。


「感謝する、変幻自在。―――警句を述べる」


 気付けば、燕はよろりとしゃがみ体勢に移っていた。だが、『変幻自在』のインパクトに、咄嗟に行動できる人間が居なかった。


 燕は、唱える。


「『王よ、英雄よ。貴様らには奴隷の手による死がふさわしい』」


 燕の手の中で、不気味に甲高い音を立てて、刀が鞘から抜かれていった。怖気が立つほど美しい波紋は、その場にいる全員の視線を縫い付けた。


「呪われた勝利の十三振り。妖刀、ムラマサ」


 燕の体勢が、僅かに前に傾く。


「その怨念により、君の運命を簒奪する」


 そして。


 燕の身体が、軋んだ。


 一瞬のことだった。ほとんど歩けないまでに消耗していたはずの燕が、今までの何倍も速い速度で俺に肉薄していた。避けられなかった。、燕の刀は俺の心臓を貫いていた。


 だが、俺にはアナハタ・チャクラがある。心臓を貫かれたくらいでは死なない。


 ―――そう思っていた。


「え」


 俺は気づく。


 実際の心臓を貫かれていたのはもとより、燕の刀は、アナハタ・チャクラを貫通していたのだと。


「君は強敵だった。本来なら僕に勝てる敵ではなかった」


 燕は言う。


「だが君は英雄だった。……英雄殺したるムラマサを前にしたのが、君の敗因だ」


 燕が刀を振るい、俺の心臓はアナハタ・チャクラごと真っ二つにされた。


 俺の身体から、血煙が上がる。そのまま、俺は倒れ込んだ。


「ウェイドッ!」


 トキシィが叫び、俺にしがみつく。それをカバーするように、カドラスとシルヴィアが俺と燕の間に立ちふさがった。


「クソ、クソクソクソッ! こんな事想定してねぇぞチクショウ! ―――シルヴィア、援護を頼む!」


「言われなくても分かってるわよッ!」


「ウェイド、ダメ! 死んじゃ、死んじゃダメッ!」


 俺はトキシィの叫びを聞いて、何とかアナハタ・チャクラを意識する。


 心臓を破られたが、壊れかけのアナハタ・チャクラを稼働すれば、ギリギリで死なずに済むようだった。だが、それ以外に意識を割けない。体が瀕死なのもあって、俺は必死で呼吸を繰り返すしかなかった。


 しかし燕は言う。


「……すごい。なんて運命量だ。これなら、ムラマサはしばらく応えてくれる。そうだな。ならまず、君たちで試し切りをしようか」


 燕はニヤリと笑う。そこにフレインの長距離狙撃が刺さるが、今度の燕は微動だにしなかった。むしろ、先ほど与えた傷も癒えているように思う。


 しかし、そこでストップを掛けるものが居た。


「ツ、バ、メ……」


 『変幻自在』が、燕の肩を叩く。そして首を横に振った。燕はキョトンとして、『変幻自在』を見る。


「……一旦退け、と?」


「……」


 『変幻自在』の首肯に、燕は目を閉じて妖刀ムラマサを鞘に納めた。


「分かったよ。どういう意図かは分からないが、ボスの側近の君の判断という事だろう。雇われの身だ、大人しく従うよ」


「……」


 そこで、『変幻自在』は霧となって消えた。燕は俺たちを一瞥して、「命拾いしたね」と去っていく。


「ウェイド、大丈夫、大丈夫だからね……!」


 そんなやり取りを気にもせず、トキシィはボロボロと泣きながらどこからともなく包帯やら薬やらを大量に用意して、俺に語り掛けてくる。


「死なせない。絶対に死なせないから。死んだって、死なせない。何があろうと、ウェイドだけは、生かして見せる」


 俺は荒く息を吐き、時折吐血しながら、トキシィを見上げる。


 そして、血だらけの口で、告げた。


「しば、らく、任せ、た」


 意識が闇の中へと落ちていく。俺と、壊れかけの第二の心臓のみの闇に包まれる。

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