第122話 梵

 翌日から、俺とサンドラの訓練内容は異なることになった。


 俺はムティーの説明を受けながら、チャクラの起動訓練。サンドラはまだ綜制サンヤマの途中という事で、その辺の岩の上に座らされて座禅でもしてろ、とのことだった。


「了解」


 あとどうでもいいけどサンドラの素直さって結構すごいな、と思う今日この頃だ。こんな雑な対応でも眉一つ動かさないのは、俺にはない達観具合である。


「さてウェイド。今日から起動訓練に入る訳だが、まずざっくり目標の悉地について説明しておく」


「ヨーガにおける魔法、って認識ですけど」


「根本的には間違いじゃねぇ。ヨーガにおける超常能力の発現。それが悉地だ。で、その悉地だが、基本的にはお前が形成したアナハタ・チャクラを元に行使する」


 俺は心臓のあたりを見る。そうすると、魔力を注いで構築した第二の心臓。アナハタ・チャクラが見えてくる。


 けれど、動き出す様子はなかった。ただ、あるという、見えるというだけだ。どう動かせばいいのか、全然分からない。


「悉地ってのは、チャクラの起動状態におきる能力だ。だからまず、チャクラを起動させる訓練に移る」


 俺は、何となく構造を思い浮かべる。外付けの機械の作成は終わったから、その起動訓練、みたいな話だろうか。それで、起動中は能力がパッシブで発生すると。


 そんな事を考えていると、ムティーは続けた。


「だが、起動させる、と意識して起動させるのは、意識の集中をチャクラ構築時並みに集中する必要がある」


「面倒くさいですね」


 思い返してもあの集中具合は常軌を逸している。体の全エネルギーを使い果たしてようやく至れるのだ。それを繰り返すのは、ちょっと現実的ではない。


「その通りだ。あまりにしち面倒くせぇ。だから、ルーティーンを組む。何度も起動タイミングでルーティーンを行うことで、瞬時に集中力をあのレベルに高める」


 ほう、と思う。確かにそれが出来たなら、実践レベルになるだろう。


「手本を見せる。―――ブラフマン


 ムティーのその言葉一つで、雰囲気が変わったのが分かった。俺は、自分のチャクラを形成したが故に、そのすさまじさが分かる。


「……全身が、チャクラの塊なのか」


 心臓に限らない。あらゆる体の箇所が、魔力で構築された第二の身体として機能している。


「あらゆるヨーガ使い、ヨーギーの到達点。それがこれだ。起動状態のオレに、あらゆる宇宙が従属する。悟りの究極点に至ると、こうなる」


 そう語るムティーには、厳かな雰囲気があった。本能的に、心が屈服しかける。


 そこで、ムティーは起動状態を解いた。いつものチンピラ然とした雰囲気に戻る。


「ウェイド、お前のこれからの目標は、ルーティーン一つでチャクラを起動できるようになることだ。方法は何でもいい。昨日と同じレベルの集中をし、そしてそこにルーティーンを紐づけろ」


「了解」


「あと、下手な敬語はもういい。ヨーギーに上も下もねぇ。弟子だから下だから従うみたいな認識は捨てろ。うぜぇ」


「……分かった」


 俺の敬語下手だったかな、とちょっと考える。


「じゃあ、昨日みたいに走る、か?」


「別にそれでもいい。が、あのやり方でルーティーンを組むほどの体力が残るか?」


「そうか、そこも考える必要があるのか……。というか、ルーティーンってどんなのが良いんだ?」


「慣例的に、ブラフマンと唱えて構えを取るのが一般的だ。一応教えとくとブラフマンってのはヨーガにおける宇宙の根源みたいなもんだ」


 俗にいう真言マントラだな。と解説するムティー。今日は訓練訓練というより、説明の日なのかもしれない。黙れとか言われないのでストレスフリーだ。


「じゃあ、ブラフマンじゃなくてもいいのか?」


「何でもいい。が、まぁ梵にしとけ。それとも他に何かこれにしたいって言葉があるのか?」


「ない。興味本位だ」


「そうかよ。で、どうする。走ってもいいし、そこのガキと一緒に座禅してもいい」


「ウェイド、こっち来、あいたーっ」


「テメェは集中を切らすなゴミクズがッ! 綜制がいつまで経っても終わらねぇだろうが!」


 ムティーが今何かを投げつけ、サンドラが痛がる。え、今何投げつけた? 空気? 空気投げつけて痛がらせたのか? やば……。


「戦闘にスムーズにつなげたいし、構えをとりながら集中してみる」


「分かった、それでいい。じゃあ始めろ」


 そして例のごとく、朝の四時。黎明もまだという時間帯より訓練が始まった。俺は構えをとり、サンドラは座禅を組み、ムティーはただそれを監視するというだけの訓練が。


 昨日とは打って変わって静かだった。周囲の森の、木々のざわめき、フクロウの鳴き声。


「集中が切れてんぞ小粒野郎」


「良いんだ。今は考えさせてくれ。やり方は自由なんだろ」


「……分かった、待ってやる」


 俺は思考を深める。周囲のあらゆることが気になる。風の肌触り、生き物の音、サンドラ、ムティーの存在。あらゆる何もかもが思考を散らす。だから、それに抗わず気を散らす。


 そうして数十分が過ぎる。少しずつ、散っていた気が収束し始める。それは飽き。周囲の物事のあらゆるそれこれの様子が変わらず、俺の脳が飽き始める。


「なるほどな」


 ムティーが言う。先ほどまでは彼の身じろぎ一つすら気になった。だが、もうどうでもいい。集中が、自分に戻っていく。


 心臓。走っていない、微動だにしていない今、心臓の鼓動は、注意していても聞こえないほどに小さい。


 けれど、それは確実にそこにあった。そしてそこに、アナハタ・チャクラも。俺は大きく呼吸する。その速度を激しくする。過呼吸のように。あるいは、過呼吸を起こす。


 心臓の鼓動が、僅かに激しくなった。それを掴む。認識する。呼吸を落ち着ける。だが、認識した心臓の鼓動は逃がさない。


 魔力で構築された第二の心臓。それは目視出来れども動かせなかった。だから、イメージする。掴んでいる、実際の心臓の動きに合わせるように。


 ドクン、ドクン、と静かなる鼓動。


 俺は言った。


ブラフマン


 アナハタ・チャクラが、起動する。


「……ウェイド。お前、キモイわ」


 言いながら、ムティーは拍手していた。俺は、それに反応できないくらい心臓に集中を集めていた。


 心臓の動きは、単純だが、複雑だ。意識して動かない筋肉。鼓動していること以外何も分からない筋肉。その動きを自分の身体を監視するようにして把握し、寸分違わずチャクラに模倣させる。それを続けるだけで、ダラダラと汗が流れた。


「へぇ、しかも言われないまま起動状態の維持にまで取り掛かってやがる。ま、ならいい。今日はそのまま続けろ。可能な限り、長く続けることを目指せ」


 俺は集中力の続く限り、模倣を続けた。鼓動。収縮と拡大を繰り返す。血が全身に送り出される。強力なポンプ。アナハタ・チャクラから送り出された血が、魔力を帯びて全身をめぐる。


 消耗は激しかった。全身に活力が行き渡る感覚と共に、脳がビリビリと疲弊していった。数時間経つ頃には万力で締め付けられるような痛みがあって、俺は崩れ落ちた。


「起動から5時間、か。初回でなぁ……」


 俺はアナハタ・チャクラが停止するのを感じ取りながら、うめき声と共に頭を押さえた。集中力を限界まで使い切って、何にも考えられない。


「今日の綜制は終了だ。解散」


 ムティーは俺を置いて去っていく。一方、サンドラが俺に駆け寄ってきていた。何も言わず俺を抱え起こし、肩を貸して家の中まで連れて行ってくれる。


「おう、今日は早かった、な……ウェイド、また無理したのか」


「今日も限界までやってた。あたしにはもうよく分からないことしてる」


「サンドラちゃん、そこのソファが空いてるから、ウェイドくん、そこに寝かせてもらって、いい……っ?」


「了解」


 そっと寝かせられる。俺は一言も発せない。頭の痛みに耐えるばかりだ。苦しくって、歯を食いしばることしかできない。


「……大丈夫、なの? こんな、辛そうで……。サンドラちゃんは平気そうなのに、ウェイドくん、ムティーさんにいじめられてる、とか?」


「それは違う。ムティーは過激だけど、むしろウェイドには優しい。ウェイドが、異常な速度で成長して、自分を限界に追い込んでしまうだけ」


 俺の額を、サンドラがそっと撫でる。ひんやりとした手が気持ちいい。


「じゃあ、大丈夫って、こと……?」


「多分。少なくとも現状、ムティーが暴走してるということはない。というか引いてる」


「サンドラ。あのムティーが、ウェイドに引いてるって言ったか?」


「言った」


「……ウェイドってマジでやべぇんだな」


 俺の上で交わされる会話を、俺は何一つ認識できない。俺は激しくなりすぎる頭痛にどうすることも出来ず、そのまま気絶したのだった。

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