第79話 孵化

 目を覚ますと、目の前にアイスの寝顔があった。


「……」


 それを、ぼんやりと眺めていた。改めて、整った顔をしているな、と思う。いつも髪に隠れ気味の瞳のラインが、今は重力に従って流れた髪の隙間から見えている。


 そこで不意に、寝息が二つあることに気が付いた。アイスのものと、もう一つ。俺は寝ぼけたまま、視線を下ろす。


 するとそこには、小さな、小学生くらいの裸の女の子が丸まっていた。


「っ……!」


 少女の周囲には、バラバラに散らばった殻が散らばっている。少女の身体にも、かなりの量が引っ付いている。


 俺は刺激して起こさないように細心を払いながら、そっとベッドを抜け出した。そして一応自室に運び込んでいた首輪を取って、ベッドに戻る。


 首。


 俺は首輪を広げて、少女の首にそっと首輪をあてがった。するとそれは、ひとりでに少女の首に巻きつく。


 最初片手に納まるようなサイズだった首輪は、少女の首よりもだいぶ大きい、まるで猛犬につけるような大きさ、分厚さに変わった。


 そして、少女の寝息に紛れて、不思議な音と共に三つの魔法陣を広げる。


 俺は、首輪傍に置いてあったメモを取って、契約を口にした。


「我、汝の反抗を禁ず。攻撃の意志をもって我に触れることを禁ず。これを『反逆の防止』とす」


 一つ目の魔法陣が、色を変えた。最初赤かった三つの内、左端が青く染まる。


「我、汝の反抗を禁ず。我が命に背くことを禁ず。これを『命令順守』とす」


 二つ目の魔法陣が色を変える。真ん中。順調に三つの支配が掛かっていっている。


「我、汝の反抗を禁ず。我に情報を秘匿することを禁ず。これを『報告の義務』とす」


 そして、三つ目の魔法陣が青く染まった。すると魔法陣の全てが回転しながら縮小し、首輪の中に吸い込まれていく。空中に波紋が広がり、少女は僅かに「んん……」とみじろぎをした。


「……これでいい、んだよな」


 多くの人に『ドラゴンの飼育には気を払え!』というので、ひとまずの手続きの感覚で、諸々を整えた、と言うところだろうか。


 俺は、改めて少女を見下ろす。


「……人間の子供にしか見えないな」


 ドラゴンという話だったが、頭から角が生えているなどの様子はなさそうだった。髪色は灰色のモフモフした長髪で、そこからあどけない表情をのぞかせている。


 すると、少女はさらに「んんん……っ」とむずがり始めた。


 目が、開く。まず、その瞳は俺を捉えた。


「……」


「……お、おはよう」


 微笑みかけてみる。すると、少女はぽーっと俺を見上げて、言った。


「ぱぁ、ぱ……?」


「―――――っ」


 俺は、その言葉に震える。


 言葉は教えていないのにとか、いきなりのパパ認定かとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、生まれ落ちたこの子が愛おしくて、俺は震えた。


「あ、ああ、そうだよ、パパだよ……っ!」


「ぱぁぱ……ぱぁぱ!」


 赤ちゃんらしい全力で、少女は俺に抱き着いてくる。軽い。まるで羽のように軽い。そう思いながら俺は少女を抱きしめ、少女は俺を抱きしめ―――


 あ、やばいこれ死ぬ。


「す、ストップ! ストップストップ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! 力! 力込めるのやめろ! 弱めて! あああああああ!」


 俺は少女の細腕の万力の様な力でサバ折りされ掛け、全力で叫んだ。その声にアイスが飛び起きる。俺たちを見て目を剥いている。


「ウェイドくんっ!?」


「ぱ、ぱぁぱ……?」


「そ、そうだ……。いい子だな。もっと、もっと弱めてくれ。そう。もっと……。そのくらいでいい。うん」


 俺は少女の力が年相応になったのを確認して、やっと一息つきつつ、その背中を慰めるようトントンと叩いた。それから、目を固く瞑って、命じる。


「命令だ。俺が『全力を出していい』旨の指示を出したとき以外、今の力加減以上の力は出しちゃダメだ。分かったな?」


「う、うぅ……」


 少女は、こくりと俺に頷いた。それをして、どうにか俺も安心して抱きしめる。


「何はともあれ、生まれてきてくれてありがとう。待ってたんだ」


「……ぱぁぱ……」


 少女は、目を瞑って俺に体を任せる。俺はそれを確認してから、アイスに言った。


「ということで、孵化したみたいだ。ほら、挨拶して」


 少女はアイスを見て、パチパチとまばたきしてから、元気に笑った。


「まぁま!」


「――――――っ」


 アイスは口を押えて、感極まって泣き出してしまった。












「ということで、生まれました」


「「「おおおおおお!」」」


 俺とアイス以外のメンバー三人にお披露目すると、全員が驚きに目を丸くした。


「ここまで完全な人間の姿で生まれるとはね。いや、しかし可愛らしいじゃないか。元気そうだ」


「かわいい~~~~~~! え、抱っこして良い? 抱っこして良い?」


「やば、やばやばやばやば。可愛すぎ。超美少女。髪モフモフ。もふもふもふもふ」


 トキシィ、サンドラがわー! っと少女に襲い掛かり、少女はキャッキャと笑っておもちゃにされている。


 クレイは、俺に言った。


「ひとまず、モルゴンにしなくてよかったね」


「はは、そうだな。こんな可愛い子になるとは思ってなかった」


 少女はひとまず、アイスの寝間着の一つを着せて、事なきを得ていた。身長の差があってかなりぶかぶかだ。


 そして目立つのが、やはり首輪だろう。少女の華奢に見える細い首に、大男の首に巻くのがちょうどいいサイズの首輪が付けられている。


「自動でサイズが調節されるっていう話だったのに、ぶかぶかだな」


「どちらかというと、あれが適正サイズという事なんじゃないかな。大きさと言うより、頑丈さ、という尺度で考えると」


 クレイが、横目で俺を見る。


「今朝の悲鳴は実に驚かされたよ。体を真っ二つにでもされかけたかい?」


「ご名答だ。ひとまず力加減は命令したから、大丈夫なはず」


「そうであることを祈るよ」


 俺たちは少女に視線をやる。少女はアイスの膝の上に納まって、トキシィに右の頬を、サンドラに左の頬を突かれている。


「みんなに可愛がられて、良かったね~……」


「本当に可愛い。ヤバいってこれ。母性本能ぎゅんぎゅん巡ってる感じするもん」


「もふもふ可愛すぎ。カワカワのカワ。はっ、そうだ牛乳持ってこなきゃ」


「あ、そう、だね。朝ごはん、食べさせてあげない、と」


「私取ってくる! サンドラと……あとクレイも加勢して! 結構量あるから!」


 クレイは椅子から立ち上がって、肩を竦めた。


「援軍が必要なようだね。という事で、僕も行ってくるよ。ああ、そういえば女の子の姿という事も分かったことだし、洋服も揃えてあげないとね」


「そうだなぁ。早速今日買いに行ってみるか」


 そんなやり取りをして、三人がリビングから出ていく。残されるのは、俺とアイス、そして少女の三人だ。


 俺は二人に近づいて、とりあえず少女の頭を撫でる。


「生まれたからには早く名前も付けてやんなきゃな。モルゴンは……惜しいがナシとして、どんなのがいいかね」


「ウェイドくん、実は結構気に入ってた、とか……?」


「……」


 俺は黙って視線を逸らす。


「ふふっ……。じゃあ、少し要素を残して……モルル、とかどうかな。この子髪の毛モフモフだし、ね」


 髪を撫でつけて言うアイスに、少女は「もるるっ!」と上機嫌で言った。どうやら本人も気に入ったらしい。


「じゃあ、モルルにしよう。よろしく、モルル」


「もるる! ぱぁぱ! まぁま!」


「可愛すぎて溶けそう」


「ウェイドくん?」

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