第78話 誓い

 脱衣所の端に立つと、すでに気配はなく、風呂場にアイスが移動済みであると知った。


「……だ、脱衣所、入るぞー」


「……は、はーい……」


 緊張気味の声が返ってくる。俺は誰もいないことが分かっているのに、深呼吸して脱衣所に入った。


 脱衣所に入ると、想定通り誰もいなかった。そんな当たり前のことで、俺は僅かな安心感を得る。……何だ今の俺。童貞丸出しじゃんか、ダサイ。


「……」


 が、実際に童貞だから、ただしくダサいのだった。クソゥ。俺だって出来る事なら堂々としたいさ。……無理だけど!


 俺はため息をつきながら、服を脱ぎ始める。流石に毎日やっているようなことでまごつきはしない。しない、が。


「……あ」


 視界の端。そこにアイスが脱いだ服がカゴに収められているのを見て、俺の緊張度合いはグングンに上がっていく。


「……」


 逃げ出したくなる。が、自分に恥じたくなくて、俺は全裸になった。


 大浴場の扉を開ける。


「っ……!」


 お湯の中で、アイスは巨大なドラゴンの卵を抱えていた。俺に対して横向きに。肩を跳ねさせながらも、俺に視線をやらずに。


「……」


 俺は無言で浴場の端に移動し、そのまま石鹸で体を洗い始める。


 沈黙。浴場はお湯の揺れる僅かな音と、俺がゴシゴシ体を洗う音しかしない。


 俺はただ、粛々と全身を洗った。くまなく、隅々まで。


 そして桶で泡を流して、浴場に向かった。


「……っ」


 真っ白な髪を結ってまとめ、真っ白な肩をお湯から出して、アイスは卵を温めていた。俺はアイスを中心に広がる波紋に喉を鳴らして、湯にそっと足を差し出した。


 湯が、揺れる。体を湯に沈める。そしてアイスを見て、その顔が真っ赤に染まっていることを再度確認する。


「えっと、卵を一緒に温めるん、だよ、な」


「……」


 こくり、とアイスが声もなく頷いた。アレだけ胆力があるアイスですら、この状況には声も出ないらしい。


 俺は躊躇いを乗り越えて、そっとアイスに近づいていく。そしてその正面から、卵を抱きしめる。


 自然と、手がアイスの肌に触れた。その、真っ白で柔らかな肌に。


「ひぅっ」


「あ、す、すまん」


「う、ううん……っ。いい、よ? ……卵を温めるには、密着、しないと……」


 アイスも、俺に手を伸ばして、そっと抱きしめてくる。距離が縮まる。膝頭がこすれ合い、かみ合う。風呂の外で温め合ったように、アイスの顔が至近距離にある。


「「……」」


 俺たちは、お互いに照れと緊張が高まりすぎて、何も言えなかった。


 そう考えると、前回強引に女性陣を突入させて好き勝手やったサンドラの破天荒さに、尊敬の念が湧いてくる。すげぇよサンドラ。お前の頭の中どうなってんだ。


「……ね、ウェイド、くん」


 と思っていたら、アイスが俺を呼んで、言った。


「今、は。……今だけは、他の人のこと、考えない、で……」


「……分かった」


 正面から、俺たちは見つめ合う。卵を抱きしめて、それだけを言い訳と障害にして。


「……や、やっぱり、照れちゃう、ね」


「そう、だな。……前と、比べものにならないくらい、緊張してる」


「……」


「……」


 息遣いすら直接に分かる距離で、アイスは生まれたままの姿でいる。その事実だけで、俺は頭が沸騰しそうだった。


 真っ白で、可愛くて、実はけっこうむちむちとした体つきをしていて。そんなアイスが、手を伸ばせば全てを触れられるような状況でいる。


 触れたい。


 俺の中で、ムクムクと欲望が鎌首をもたげている。息が荒い。心臓からムラムラ煮えたぎる血が送り出されて、下腹部に下りて行くのが分かる。


 アイスも、同じ様子だった。顔を赤く染めて、「ふーっ、ふーっ」と荒く息をして、一心不乱に俺の、を見つめている。


「……アイス」


「ウェイド、くん……」


 どちらともなく、俺たちは顔を近づけて、唇を触れ合わせた。お互いに強く触れ、引き寄せ合いながら、キスを交わす。


「ウェイド、くん。……もっと……っ」


 唇を触れ合わせる。何度も、そうしていると、アイスの舌が俺の唇を割って入りこんでくる。


 真っ赤な舌だった。リンゴのように、血のように、悪魔のように、真っ赤な舌が俺の中に入りこんで、口の中をむさぼってくる。


 このまま、欲望に身を任せてしまおうかと思う。その柔らかな肌に触れ、豊満な体をもてあそび、欲望で貫いてしまおうかと思う。


 けど、最後の最後で、理性が止めた。


「……ウェイド、くん……?」


 アイスの肩をそっと押し返すと、アイスはキョトンとした声を上げた。


 俺は言う。


「俺、アイスが好きだ」


「―――――ッ」


 その一言で、アイスは泣きそうになる。瞳を潤ませて、ぐっと口を引き絞る。


 だが、俺はこう続けた。


「だから、この場で勢いに任せて、なんてしたくない。卵なんて言い訳は要らない。……アイスの気持ちに、絶対に応える。だから、この場はやめよう」


「……ウェイドくん……」


 アイスは寂しそうに俺を呼んで、それからくすっと笑った。


「仕方ない、なぁ……。でも、ウェイドくんらしくって、素敵。……はい、卵」


 卵を押し付けられる。俺は頷いて受け取った。


 そして立ち上がる。


 すると、アイスが言った。


「え……? お、おっき……」


「……」


 卵で局部隠し解けばよかった。マジで。






 風呂から出て、リビングで卵を抱いていると、少し遅れてアイスが出てきた。


「……良いお湯だったね、ウェイドくん」


「ああ、いい湯だった」


 俺たちは、驚くほどスムーズに声を掛け合った。先ほどまでの緊張と戸惑いが嘘のように、いつも通りに。


「……ね、ウェイドくん。今日、一緒に寝な、い……?」


 何がいつも通りだ現実を見ろよこの野郎。


「……アイス、さっきの話は覚えてるか?」


 俺が困り顔で尋ねると、アイスは慌てた様子で手を振る。


「あ、え、えっと、ね……? そ、そうじゃなくって、夜も卵一緒に温められたらいいなぁ、って。そ、その、今回は、本当に、それだけ、で……」


「あー……なるほど」


 まぁ一回裸を見せあっている身だ。今更パジャマ姿で同衾したくらいではどうにもならないだろう。


「いいぞ。じゃあ、一緒に寝るか」


「う、うん……! ふ、うふふ……っ」


 嬉しさをこらえきれない、と言う笑みを浮かべて、アイスは俺の背中に抱き着いてくる。


「うぉ、どうしたアイス」


「……ずっと、こうしたくて。でもできなかった、から」


 ぎゅ……、と俺を抱きしめ、静かにアイスは目を閉じる。幸福を噛みしめているらしい。そうされると、温かくて、俺も嬉しくて、笑みがこぼれる。


 俺は立ち上がり、アイスの手を取った。


「じゃれつくのもいいけど、もう眠いし寝ようぜ」


「うん……」


 頬を僅かに染めながら微笑むアイスを連れて、俺は自分の部屋に向かう。扉を開けると勝手につく蝋燭は、家の意思によるものだ。


 俺は家に感謝を捧げつつ、そのままベッドに卵を置き、横になった。


「ほら、アイスも来いよ」


「う、うん……。お邪魔、します」


 ぎこちない動きでベッドに入り込んできて、アイスは体を横にする。


 俺たちはまた卵を挟んで視線を合わせた。だが、風呂でののぼせ上がるような感じはない。もっと温かで、微睡むような心地よさがあった。


 俺は卵を抱き寄せる。すると、アイスも身をよじって、卵に体を密着させる。


「……お休み、アイス」


「うん、お休み、ウェイドくん……」


 俺は、静かに目を閉じる。ひとりでに蝋燭が消える。女の子と同じベッドなんて、いつもだったら緊張で眠れないところだっただろう。だが、今日は違う。


 寸前まで行って、告白して、気持ちを通じ合わせての今だ。今更、緊張も何もない。


 俺は卵に乗せられたアイスの手に、自分の手を重ねた。


「ん……ふふ……っ」


 アイスが、嬉しそうに笑う。それを耳にしながら、俺は温かな眠りに落ちていく。











 そして起きた時、俺とアイスの間には、卵ではなく小さな、小学生くらいの少女が丸まっていた。

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